No. 2
フェティシズムの詰め合わせになります。その点だけご留意を。
どうして獲物を組み拉く瞬間、どんなに用心深い男でも一瞬、無防備を晒すのかしら?
そんなだから――死んでしまうのよ。
*** ***
「ぐっ――ぎぎぎぎ。」
名前、桂木 啓吾。
死因、絞頸による窒息。
「ねえ、そんなに苦しい? さっきまで、わたしの腕を掴まえて逃がさないようにしていたじゃない。」
桂木は自分本位な男だった。神経質な性格で、苛立ちを抑えるためなのか爪を噛む癖があって、それでいつも深爪だった。シャワーの後は強い語句で女を組み伏せ、受け入る準備もさせないで、まず自分が満たされるためだけの行為を終わらせる。
それを、前戯と言うような男だった。
「あなたがバスタオルを剥がして股を開かせて、そして恋人みたいに手を絡めてベッドに押し付けたじゃない。」
桂木は苦しみから逃れるために、首を絞めつけるネクタイを解きたかった。しかし、女がその手を離さない。手と手を引き合う力は桂木に軍配が上がるも、食い込んだネクタイの表面を指で撫でることしかできなかった。
ならばと思ったのだろう。今度は女の手を握りつぶさんとするほどに強く力を込めて、ベッドに押し返す。悲しいかな、桂木の深爪では女の手の甲に傷を作ることすら叶わなかった。
そんな桂木と対照的に、美貌の女は涼しげな表情だった。
「暴れないの。最期くらい、しゃんとしなさい。」
色香をふんだんに纏った声音があまりにも場違いに聞こえ、本当に絞殺現場なのかと錯覚させるほどだった。しかも、女は桂木の顔面が赤黒く染まっていく様子が見えていないかのように、桂木の自分本位な行為の続きを促すように、脚を桂木の腰の後ろで絡める。
豊満な女の身体が、死にゆく男にしなやかに吸い付く。女は男の耳元に唇を寄せて、甘く囁いた。
「唇は、さっき堪能したでしょう? ね。ゆっくりと眠りなさい。」
言葉とは裏腹に、奮い立たせるような響きだった。しかし、それは死の囁きだ。
桂木が暴れようとするたびに軋んでいたベッドも、次第にノイズがなくなっていく。
「ぃぎ……ぎ…………っ。っ――っ。」
しばらくして、静寂だけが残った。
「……あっけないものね。」
「いつもそうじゃない。」
桂木を絞め殺し、踏みつけていたもう一人の女が答える。一人目の女と同じ顔、同じ瞳の色をして、髪の毛の色だけ違う女。
葵と穂。「アオイ・トミノリ」という、架空の男を装った双子姉妹の殺し屋だった。殺しの依頼を受けて一週間も探偵のように身辺調査を行い、そして今日ラブホテルへと連れ込んで犯行に及んでいた。
そんな3番の男、桂木を無駄に大きなベッドに転がすと、ぬるりと生暖かい液体の、鼻に残る臭いが広がった。
「最期の最期でお漏らし?」
「お腹がベトベトじゃない。……そんなに良かったのかしら?」
「さあ? 当人が天国へ逝っちゃったから、わからないわ。」
「地獄の間違いじゃない?」
「そうかもしれないわね。」
シャワーを浴びてくるわ、と素っ気ない。二人にとって殺しも男も、その程度の存在なのだろう。
残ったもう一人は、手早く後始末にかかった。計画は、一人目の女が桂木をホテルに誘い、シャワーを浴びる音に紛れてもう一人を招き入れ、そして桂木が油断した瞬間に絞め殺すという単純なものだった。
後始末にも、単純明快なシナリオを用意してあった。
絞め殺した犯人が捕まれば、決着は早い。だから、絞め殺した犯人を用意すればいい。桂木がシャワーを浴びているときに招き入れたのは、一人ではなかった。入り口近くのトイレから、荒れた髪の毛の女が現れた。恰好だけは、桂木を連れ込んだ姉妹の片割れによく似ていた。
「ふ……へへ。ねえー、お薬、くれるんでしょー? いい子にして待ってたんだぁ。」
スケープゴートに選ばれた女。肘の内側が浅黒く滲んだ女。明らかに、普段から静脈注射を繰り返しているグチャグチャの痕。そんなスケープゴートに何本も注射器と薬を渡せば、嬉々として慣れた手つきを披露する。
数分後には呆っとしたようになって、そしてゲラゲラと笑い出すのだろう。
「いい? いい子ね。」
「えへへへっへへへへへっへえへえへへへえ。」
「このおじさんとね、一緒に気持ちよくなったら、もっとお薬をあげる。」
「ほんとう?」
「本当。あと、あのおじさん、首を絞められるのが好きなんだって。」
「そうなんだ。あたしもー。えへへ。おんなじだー。」
判断力の欠けたスケープゴートにそんなことを言えば、どうなるかなんて明らかだった。のそのそとベッドに這い上がって、軋ませ始めている。
「ふぅ。待たせたかしら?」
「こっちも今、終わったところ。」
「……みたいね。」
バスタオルは巻かず、首にかけて裸体を晒す。そこにさっきまでの艶やかな淑女の姿はなくなっていた。
「さっさと帰りましょう?」
「そうね。」
バラバラと散乱している服を拾って、女を包んでいく。スパンコールが目に煩い安物のドレスで、羽織るものだけブランド物だった。そして、すべての痕跡をスケープゴートの物で塗りつぶしていった。
ただ、聖書を二冊置いていくことを除いて。
それは「アオイトミノリ」としての殺しの証だった。何か、同じものを二つ残す。ある時は万年筆。別の時は爪切り。そしてまた別の時はタバコの吸い殻。
だからこそ「No.2」という通称なのかと、依頼者は納得する。そして「No.2」の言葉遊びで「3番」が殺しの依頼なのだと納得する。そんな事実はないというのに。
今回、聖書が選ばれたのは、このラブホテルのサイドボードの引き出しには何故か、聖書が一冊入っているのを姉妹が知っていたからだった。その程度の安直な理由で、詩的な何かでは無かった。
「じゃあね。」
「バイバイ。」
薬漬けの女に、姉妹の声は届かない。
スケープゴートは桂木に跨って、狂ったように首を絞めながら夢を見るのだろう。
情事の最中に勢い余って起きた事故。
そういう筋書きだ。
――バタン。と、ドアが閉まった。
「……これで、また100万円くらい?」
「簡単な仕事だったわね。またしばらくは過ごせるわ。」
姉妹の表の顔。毎日、気づかれずに入れ替わりで働き、二月三月に一度、3番の依頼をこなして生活する派遣OLの金銭事情。
下りエレベーター内の鏡の前、スケープゴートと同じ格好の女がウィッグを脱いだ。
「ああ。すっかり落ちちゃってるじゃない。」
「あのルージュ、そんなに甘かったかしら?」
死んだ人間の悪口で笑う。
そんなことよりも口紅が落ちてしまった事の方が、よほど大問題だと言わんばかりに取り出した、ガブリエルの名を持つCHANNELの#444で丁寧に唇の輪郭を模っていく。
ようやく二人の顔も瞳の色も髪の毛も、すべて同じになった。
その間にもう片方がタバコを咥えて火を点していた。
「……ふぅ。」
気持ちを切り替えるための一服だった。有名だからと安直に選んだ赤いMarlboroを今でも愛煙している。
「ねえ、わたしにもくれない?」
「いいわ。」
言うが早いか、点したばかりのマルボロを半ばまで口に含んで唇を支点に反転させ、そしてキスの要領で吸い口を相手の唇に差し込む。
驚いたような表情への不意打ちは、早業の、ポッキーゲームを迫るような悪戯。
「んっ……。」
キスして2秒。後頭部を押さえていた手を放して、危険な火遊びを終える。
「……ふぅ。ねえ、このマルボロ、真ん中にアオイのルージュが付いているじゃない。」
「悪い?」
「あと、アオイがキスするなら塗り直した意味もないじゃない。」
「悪い?」
「口の中、火傷しないの?」
「映画で見て、練習したから。」
「あとで、わたしにも教えなさいよ。」
「やりたいんだ。」
「やられっぱなしは、性に合わないの。」
喜色に富んだ声音に、クスクスと囁くような笑い声が混じる。
そうこうしている内に一階に着いたエレベーターから、作られた監視カメラの死角を縫って外に出る。ここは、そういう街だった。痴情の縺れから死傷者が出る程度では驚かれない街だった。そんな街に、ハイヒールの靴音はよく似合っていた。歩きタバコから流れる煙が、髪の毛に絡まって消えていった。
繁華街の喧騒を抜けて終電間際の電車に揺られるころには、姉妹も表の顔に戻っていた。そこに、死の匂いを漂わせた妖艶さは見えない。
「……温泉でも行く?」
「貯金でしょ?」
「……世知辛いわね。」
「ええ、本当に。」
~fin~
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本作は「魅惑の悪人企画」参加作品になります。
概要は檸檬 絵郎さまの活動報告をご覧ください。
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