序章7
2018年6月21日 14時22分
死亡診断書を書くのは、いつになっても悲しい。
自分の腕時計が決めたその時間をナースステーションの片隅で書き込みながら、烏丸は小さくため息をついた。
石原さんは、前任の医師から引き継いだ卵巣癌の患者さんだ。
引き継いだ時には二度目の再発をした直後で、状態がすでに悪かった。
ご本人も、いつも一緒に来院される息子さんも、治療には積極的だったので何かできる事はないかと、ずっと考えてきた。
それでも、抗癌剤に対して抵抗性を持ってしまった癌をコントロールする事は非常に難しい。
だからこそ、大学の先輩が関わっているというがんゲノム医療のことを思い出した時は、これこそが希望になり得るのではないかと、烏丸自身も興奮した。
海外では劇的な効果が得られた症例の報告も出てきていて、力になれるのではないかと思っていた。
ご本人も息子さんも喜んでいたし、すでに単剤の抗癌剤治療に限界を感じていた烏丸にとっても、逆転の一手を期待して打った秘策だった。
にもかかわらず、結果は伴わなかった。
鴇田先生の外来で結果を聞いた一週間後、急速に状態の悪化した石原さんはそのまま暁記念中央病院に入院した。
「先生には色々やってもらって、お袋も感謝しているんだよ」
息子さんはそう言ってくれたが、やはり烏丸としては悔しさが残った。
がんは、まだ制御できない病気なのか。
ボールペンを握る指に、思わず力が入ってしまう。
「先生、そろそろ出棺ですよ」
看護師に呼ばれて、書き上げた死亡診断書を封筒に入れると、烏丸は立ち上がった。
海の近いこの地域では、湿気が多く曇り空になる事が多い。
四月に赴任してまだ三カ月も経っていないが、こんな日に曇り空とは、やはり気が滅入りそうになる。
遠くを見てみれば、高台の上に回らない風力発電の風車が墓標のように見える。
出棺用の出口にたどり着いたのは、ちょうど葬儀場の担当者が石原さんのご遺体をワンボックスカーに乗せているところだった。
落ち込んでいる背中を向けて遠くを眺めているのが、息子さんだとすぐ分かる。
本当はもう一人息子さんがいることを知っているが、死亡確認の時にお会いした以降見かけていない。
息子さんのとなりには痩せた旦那さんが立っていたが、疲労によるものか若干ふらついていて心配になる。
息子さんは、大丈夫なのだろうか。
いくら体格が良くて、体力もありそうとは言え、連日のように面会に来ていて、表情に疲れが見え隠れしているのに気付いていた。
首都医科大学附属病院への受診も、毎回息子さんが付き添っていたと聞いている。
烏丸が紹介したからこそ、今回の結果の事を思うと胸が痛んだ。
「ご家族の方、お一人でしたら乗れますが、どなたが同乗されますか?」
葬儀場の担当者が声をかけて、旦那さんが車に乗り込むのが見えた。
息子さんは自分の車で葬儀場に向かうらしい。
「それでは、出発いたします」
頭を下げた担当者に、息子さんがおう、と短く応えた。
ワンボックスカーはそのままエンジンをかけると、ゆっくりと走り出した。
烏丸はワンボックスカーに向かって頭を下げた。
そして、沈黙。
ワンボックスカーが見えなくなったところで、息子さんが振り返った。
「ま、色々お世話になったな」
相変わらず気丈に振る舞う様子を見ていると、何と答えて良いのか分からなくなった。
「そんな顔するなよ。お袋も先生には感謝してたんだ」
その声が、少しだけ震えているのに気付いてしまう。
「そうおっしゃって頂けて、本当に……」
それ以上何も言えなくなって、烏丸はもう一度頭を下げた。
「まぁ、今度は俺のかみさんが妊娠した時にでも、よろしくな」
その台詞が、今は一番心に沁みた。
「もちろんです、お待ちしています」
烏丸は真っすぐに息子さんを見て、そう答えた。
立ち去っていく息子さんの背中を見つめながら、がんゲノム医療に本当に希望があったのかと、思わずにはいられなかった。
本当に、紹介して良かったのだろうか。
高い検査費用、結果が出るまでにかかる日数、検査そのものの限界もあれば、検査結果で変異が見つかったとしても治療ができる割合は高くはない。
治療ができたとしても、全ての患者さんで効果が得られるとも限らないだろう。
蓋を開けてみれば、さまざまな課題が噴出する。
その果てに、希望はあるのだろうか。
さながら「パンドラの箱」だと思う。
パンドラのゲノム。
例えば先輩の鴇田はどう思っているのか?
数ヶ月前に会った時にはがんゲノム医療の可能性をあつく語っていた先輩の、今現在の本音が聞きたいと思った。
読んでくださりありがとうございます。
ここまでで序章が終わりです。
毎日更新していましたが、少しだけ休憩を挟んで、次回から第一章となります。
今後ともよろしくお願いいたします。