序章2
三年前、母親の腹部が急に膨らみだしたのに最初に気付いたのは長男である石原だった。
もともと体格の良い方だった母親が、いつも以上に重たそうに腹部を抱えてふらつきながら歩く様に気付いた時から、何となく嫌な予感がしていた。
その腹部の膨らみは、単純に太ったという一言で片付けるには、あまりにも不自然すぎた。
それでも、母親はしばらくの間、かたくなに病院に行く事を拒み続けた。
「太っただけだから気にするな」
そう言う母親の表情に、不安や恐れが隠れていることに、石原は気付いていた。
きっと、怖かったのだ。
その膨らんだ腹部の内側で起こっている何かの正体を知る事が。
結局、それから数週間後に母親は近くの内科医院を受診した。
よれよれの白衣を羽織った初老の医者は、その腹部を一目見るなり、深刻そうな顔をして、地域の総合病院宛に紹介状をしたためた。
暁記念総合病院は、最近になって新病棟を新築した、地域の中核病院である。
周囲に他の総合病院は存在しない。
広大な畑と駐車場に囲まれてそびえるその病院は、文字通り地域にとって最後の砦だった。
最初に受診したのは消化器内科だった。
消化器内科の担当となった若い研修医は、簡単な問診と診察をした後、腹部に超音波検査の端子を当てた。
その時の画面に映った白黒の映像を見て、素人目にも明らかに何かがおかしい事が分かった。
そこには灰色の塊が映っていて、下腹部を完全に占拠していた。
「これは…」
研修医が呻いたのを石原は聞き逃さなかった。
一通りの診察を終えた研修医の報告を聞いた指導医は、石原と母親に、ゆっくりと諭すような口調で説明を行なった。
石原さんの腹部の下の方、骨盤とよばれるスペースの中に、巨大な20cm近くの塊がある。
塊は恐らく卵巣という臓器からできたものと考えられ、今日のところは採血と画像の検査の予約を取って、後日改めて産婦人科の外来を受診して治療方針を決めてもらう必要がある。
塊、という言葉にいいようのない不安を感じながらも、分かりやすい「がん」という言葉が使われなかったことに、母親は少しほっとしたようだった。
ただし、それは結局すぐに覆される事になったのだが。
翌週、母親を連れた石原は、今度は産婦人科外来を受診した。
女性ばかりの外来待合室で、気まずさを感じながら石原は順番を待った。
こんな事なら、今日の付き添いは弟の嫁にでも任せれば良かったと思う。
けれど、家業の酪農を継いだ石原とは違って、公務員として役所に勤める弟や、その嫁は実家からはやや疎遠であった。
ましてや、あの嫁が母親の体調を気遣って、細々したところまで見てくれるとも思えない。
一瞬のうちに脳裏をめぐった様々な考えを振り払ったそのタイミングで、ようやく母親の名前が呼ばれた。
最初に主治医になった産婦人科医は電子カルテの画面に表示されたMRIの画像を指し示しながら、淡々と説明をした。
骨盤の中にできた塊は、卵巣からできたものである。
卵巣にできる塊には「良い病気」と「悪い病気」、そして「その中間の病気」があるが、現時点では「悪い病気」、すなわち「がん」の可能性を疑っている。
最終的な診断は手術によって病気の部分を摘出しなければ分からない。
手術により診断を確定する事、病気の広がりを評価する事、そして「悪い病気」であれば可能な限り病気の部分を取り除く事を目的とした手術を行なう。
最終的な診断が「悪い病気」であった場合には、恐らく点滴による治療、化学療法を追加で行なう可能性がある。
こうして、石原の母親は手術を受けた。
最終的な診断は悪性、卵巣癌の診断だった。
病変はお腹の中全体に広がっており、全ての病変を取り除く事はできなかった。
残存している病変に対して、化学療法が勧められた。
点滴は三週間毎に行なわれた。
その間も、採血のために外来を受診しなければならない。
石原は、毎回病院に付き添った。
家業の合間で時間を作りながら、片道三十分の農業道路を車で何度も往復した。
生活の大部分が、仕事と母親の送り迎えで費やされていった。
六回の化学療法が終わった時点で、主治医は一端治療を中断する事を説明した。
ようやく、ほとんど毎週の病院通いから解放される。
一カ月ごとの受診なら、まだ楽に通院させられる。
喜んだのもつかの間、それからわずか一年後に、病魔が再発している事を知らされたのだった。