破損本
私は街の図書館が嫌い。
日焼けしている本、破損している本。
状態の悪い本ばかりが棚に並んでいる。
状態の良い本は、新刊で人気もあり予約も殺到しているため、本棚には並んでいない。
そんな図書館を多くの人が利用するのは、無料で本を読めるからだと思う。
しかし昔の人はよく言ったもんだ
「ただ程怖いものは無い」
多くの図書館の利用規約には、
「破損、汚損した場合は弁償してもらうことがあります」と書いてある。
お金を使いたくないから、図書館に行くのならあまりにリスクがデカすぎる。
図書館では本が返却される度に1ページ、1ページ汚損や破損がないか確認しているだろうか。否していないだろう。
だとすると例えば
Aさんが資料を借りて返却した。
職員がその資料を本棚に戻す。
Bさんが本棚から資料をとった時、前5ページを破損した。Bさんは黙って本棚に戻した。
Cさんが破損に気付かず資料を借りた。Cさんが資料を読もうとした時、破損に気がついた。
破損に気がついたCさんが破損していたと図書館に申告した場合どうなるのだろうか。
街の図書館に監視カメラなんてないだろうから、Bさんという犯人にたどり着く事は目撃証言でもない限りあり得ないだろう。一体全体だれに弁償させるつもりなのだろうか。
正直者がばかを見るような図書館の弁償の仕組みに私は納得がいっていない。
弁償させる場合があるのに、汚損や破損のある資料ばかりが図書館にある事も疑問に思う。
しかしこんな私も絶版本を読みたい時だけは、図書館に頼らざる得ない。
図書館の本はどれもこれも汚いので、図書館にいる間はそこまで気にならないが、家に持ち帰って購入した本と比較すると一目瞭然である。
大抵の場合この時点で私は読む気が失せる。
しかし絶版本でどうしても読みたかったものだったので私は読むことにした。
はじめ私は本を半分まで読み進めた。
この辺りで物語の世界観や、方向性がかなりハッキリとしてきた。私は半分のページにスピンをおろし、最後のページからペラペラと紙をめくった。
ああ、ここから起承転結の結が始まるのだろうというところで手を止め、そこから最後まで読み進めた。
話の全体像が見えた。
あとはこの結びに向かって、どういう風に書くのかを斜め上から読むのが私の読書の楽しみ方だ。
「結」に向かって登場人物が動いていく、結末を知っているのに夢中になって私は読む。
私には夢中になって読んでいる時、次のページをめくる準備をしながら読む癖がある。
夢中になり過ぎたのか、胸が熱くなり、手に汗を握った。
あと3行で次のページという時、ふとある事に気がついた。
汗が本に湿ったのか、次のページに挟んでいた左手の人差し指のいろがかなりはっきりと見えた。
私は焦った。
一瞬事態が飲み込めなかった。
事態を把握した瞬間、あの1行が頭をよぎった。
『汚損、破損させた場合は弁償してもらうことがあります』
絶版している場合、弁償はどうなるのだろう。
今まで本を汚損、破損させた事ない私は一度深呼吸して、目の前の本をもう一度見た。
私の人差し指がみえた箇所はよくみると、ラミネートされていた。
誰かが破損した事を把握した職員が修復を試みたのだろう。
杞憂だとわかった瞬間、
私の人差し指がみえた
このラミネートされた箇所に
妙な愛しさを覚えた。
この箇所を破損させた人も同じ場面で手に汗を握っていたのかもしれないと思うと、嬉しかったのだ。
著者、編集、校閲、営業……
多くの人が携わっている事をあとがき等で感心することがあっても、
同じところで手に汗握ったの人がいるのではないだろうかと推測させられる瞬間は図書館ならではだろう。
スポーツ観戦のようにその一瞬の感動を共に過ごす事より、リレー式に見知らぬ誰かの事を思ってこうして過ごすことができる図書館の本は奥ゆかしさが感じられる。
こうして考えてみれば
「汚損や破損させた場合は弁償してもらうことがあります」の一文も次の人の事を思いやって大切に使いましょうね。というだけの事なのかもしれない。
そういう日本人らしさという点においては、私は図書館の本を愛しく思う。