牢獄(前)
一
ブンッ
風音を立てて振り回される両手持ちのモールに髪が数本持っていかれる。
即座に揺らいだ上半身が引き戻され、再びモールが肩に引き戻される。
目前の大男は粗末な身なりこそしているものの、剣士の礼をわきまえており、ちゃんとした教育を受けてきたと思わせる。
(なかなかに強い。あるいはどこかの貴族に仕えていたのかもしれん。)
だが。
(それでも我が弟には、数段落ちるな。)
様子見の時間は終わりだ。
決着をつけよう。
再びモールが唸りを上げたまさにその瞬間、私は電光石火の疾さで懐に飛び込んだ
回転の支点となる利き腕の肘を強打。
それで相手はモールを取り落とし、私の勝利は決まった。
ニ
バロッドの監獄は人手不足である。
楽しみのない過酷な職場、やりがいのない仕事、高くもない賃金、性根の腐った同僚たちとろくでもない環境に音を上げて、次々と看守が逃げ出してしまうのだ。
このため常に新しく人材を募集し、目先の契約金に釣られたならず者を看守として雇っている。
魔法を使う野伏と申告してきたその男は、仲間を失った冒険者だと名乗った。
仲間の一人を失い、パーティーを解散してきたと。
その目つきは、暗く伏し目がちで何を考えているかわからない。
だが光の矢をはじめとする魔術を遣い、採用前の腕試しでは魔術さえ使わず五人抜きを達成した。
身元については、遺跡狙いの三人パーティの一人としてバロッド市に渡ってきたことが見聞されており、不審な点も見られない。
仲間を失った冒険者によくある世捨て人のようなものだと、採用官は考えた。
これは拾い物であるとも。
そもそも魔術師は珍しく、腕の立つものはさらに希少だ。
至近にせまるとある囚人の移送を考えれば、腕の立つ看守は喉から手が出るほど欲しい。
かくして何ら問題なくアラン・ウォーロックは、バロッド監獄の看守となった。
三
時は三日ほど遡る。
坑道に出没する魔獣の問題を解決し、遺跡に眠る精霊力の炉の情報をもたらした僕達にロイド市長は非常に協力的だった。
これには遺跡とテレポーターを介した通商路の開拓という利権も大いに影響していたようだ。
ロイド市長は、逃げ出した看守を密かに集め、ドワーフ自慢の酒で酔い潰し、様々な監獄の情報を入手してくれていた。
一つ、幹部について。
事務を一任されているノルド副所長は常に所長室にいる。
実務である監視及び労働管理を行っているジュドー補佐役もまた、執務室から離れられない。
マルガレーテ所長は気まぐれで、所内のどこにでも現れるが、地下に降りることはまずない。
一つ、監視体制について。
看守たちは、隊長1名、隊員4名の小集団を作り、集団単位で所内の巡回、監視を行う。
このほか坑道にモンスターが出た場合などの討伐も任されている。
看守集団は合計6チーム30名が定員とされているが、劣悪な労働環境のため出入りが激しい。
基本的に巡回以外の目的で地下に入ることは禁じられているが、暇を持て余し、囚人を痛めつける目的で地下に入る看守もいる。
品質管理役のドワーフたちは全部で5名前後、看守よりはマシな環境だが、大した娯楽がないためアルコールか賭博の中毒者ばかり。
坑道の補修の監察や鉱石の分別を担当しており、武装はしてるものの囚人の監視には関与しない。
一つ、囚人たちについて。
囚人は大きく分けて2グループに分けられる。
フレデリック将軍を中心とする元貴族のグループとキャプテン・ペネローペを中心とする古参海賊のグループだ。
当初人数はそれぞれ100名を超えていたが、強制労働と看守らの虐待、病人の放置による伝染病の罹患などで過半数が死亡、各40名程度が生き残っている。
監獄の方針で密告などを奨励することで互いへの反感を煽り、多人数を管理している。
2つのグループはそれぞれ心の支えとなっている人物がおり、人質として特別房に入れている。
一つ、坑道について。
最近坑道の深くで化物が見かけられる。
これは蜘蛛のような8つの足を持ち毒液を吐く巨大な怪物で、囚人や看守が幾人も犠牲になった。
このため怪物が見かけられた坑道は封鎖され出入り禁止となっている。
四
「兄さん、坑道の怪物って……」
「海底遺跡の補修用魔獣だろうな。」
「つまり監獄の坑道は海底遺跡とつながってるって思っていいですね!」
「これで囚人を救出するルートのあてはついたね。
監獄の坑道を通じて海底遺跡に逃げ込み、坑道を封鎖するか、テレポーターを封鎖してしまえばいい。」
「となるとあとの問題は3つ。
囚人への連絡方法と、囚人間の相互監視体制の妨害、そして囚人たちの人質の開放だ。」
「貴族側の囚人の人質って多分、レオノーラ姫さまでしょうね。
海賊はわかりませんけど。」
「これ以上の情報は実際に潜りこまないとわからないか……」
兄は腕を組み直して考えこみ、自問するように言葉を紡ぐ。
「看守として潜りこむのも、囚人として潜入するのも容易だろう。
看守は常に募集しているということだから、小細工なしに募集に応募すればよい。
囚人についても、ハミルトン子爵の活動の囮となってわざと捕まれば良い。
問題はどちらのほうが、自由に動けるかだ。」
「看守なら情報は得やすいでしょうけど、囚人の信頼は得られそうにないですね。
囚人は逆で、囚人間の信頼は得やすいでしょうが、情報が手に入るかどうか。」
「ねぇ、兄さん、セシル。
いっその事3人で手分けするのはどう?」
僕の提案に眉をひそめる兄と首を傾げるセシル。
「僕が看守として潜入し情報を集めるから、兄さんは囚人になって協力体制を築いて欲しいんだ。
セシルはみんなの脱出のバックアップ。
食料や武器なんかの物資をハミルトン子爵とロイド市長に協力してもらって遺跡に運び込んでおいてほしい。」
「でも看守は、潜入するのはともかく、情報を集めるのは危険ですよ。
単独で諜報活動を行うんです、バートさん目立つのに大丈夫?」
セシルが痛いところをついてくる。
確かに戦闘ならともかく、諜報活動向きではない体ではある。
「なら、私がいこう。」
静かに兄が言う。
「私が看守として潜入する。
二人は遺跡から囚人たちに接触してくれ。
看守が囚人に接触するよりは、信頼が得られるだろう。」
「でも、相互の連絡は?」
「”我は仮初の命を呼ぶ”」
兄が呪文を唱えベルトを放り投げると、それは鮮やかなサファイア色の蛇となった。
「一時的に使い魔を作る呪文だ。
私と五感を共有しているので、文字を並べ書いた紙があれば十分意思疎通ができるだろう。
この大きさなら暗闇では目立たぬし、猫目の呪文で支援すれば暗闇でも自由に活動できる。」
「でも危険です!」
「誰かがやらねばならんことだ。」
「……わかったよ、兄さん。」
「バートさん!?」
セシルが責めるような顔で僕を見る。
実際責めているのだろう。
この分担では兄一人が危険を冒すことになる。
「だけど、僕も囚人として潜入する。」
「バート?」
「バートさんっ!?」
驚いて目を剥く二人。
確かに兄が看守として潜入すれば情報は手に入るだろうし、遺跡を通じて地下から接触すればさして警戒されずに囚人と接触できるだろう。
あえて囚人として潜入する理由は、いざというときの連携の確保くらいだろう。
だがこの監獄は囚人同士の反目という厄介な問題を抱えている。
もし古参海賊の囚人たちが敵に回った場合、数の上でも、地下の土地勘という意味でも、貴族たちだけを連れて逃亡するのは非常に困難だ。
ならば。
「ならばいっそ、囚人を一つにまとめるというのか。」
「うん、困難だとは思うけど。」
「言葉で済む問題では無いぞ。」
「わかってる……それでも。」
兄はしばし僕の目を見つめ、はぁと深くため息を付いた。
「セシル、一人で手間だと思うが、物資の搬入を頼む。
バート、捕まる前にハミルトン子爵に物資の搬入について話を通しておけ。
ロイド氏には、ハミルトン子爵の方から遺跡を利用した交易の認可を代価に協力を依頼してもらえ。」
「わかりました!」
「了解だよ、ありがとう兄さん。」
「無理はするなよ、ふたりとも。」
作戦は決まった。
さぁ行動の時間だ。
五
そして現在、僕は一人エルボーン行きの交易船に乗っている。
遺跡で入手した両手剣とミスリルチェインはセシルに預け、身に着けているのは着慣れたサイズの合わない革鎧とグラディウス。
財布の中には僅かな金貨、十分すぎるほどにうらぶれた冒険者の出来上がりだ。
兄は今頃バロッド監獄の看守採用試験に臨んでいるだろう。
兄の腕前ならまず間違いなく採用されると思うけど、それから一人で大丈夫だろうか。
海底遺跡を使うセシルは、もうエルボーンについたかな。
僕の紹介状がちゃんと使えたらいいんだけど。
二人の仲間を思いながら、僕はこの旅最初の単独行に不安を感じていた。