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発病


魔術師が死んだ。

舌を噛み切っての自殺だった。

村を襲った死神海賊団の幹部で、”魔”の封印の開放と世界の滅びを予告したその男は、満足した笑みを浮かべ息絶えていた。

その死体を彩るのは無数の赤き斑点……高熱を発し致死性をもつ伝染病、バラ熱だ。

男は死病、バラ熱に感染した状態で村を襲い、自らの病すら武器にして封印の村を滅ぼそうとしたのだった。

なんという執念か。

村では襲撃により数名の死者が出ていたが、それ以上にこのバラ熱の感染による被害が大きい。

死者の中には年老いた神官がおり、どうやらこの人物が”魔”の封印に深く関わっていたらしい。

彼の死に伴い先日の巨大な地震が発生したところから見ても間違いはないだろう。

僕らは海賊の襲撃と地震により破壊された家屋を片付け、発病した村人を集めて隔離した。

今はまだ僕の祈りによって命を永らえているけれど、それもいつまで持つかわからない。

そんな時だ。

彼が戻ってきたのは。

セシル。

美しい少年だった。

光の加減で銀色に輝く髪を首の後で一つにまとめ、素朴な革ひもで結び流している。

伏し目がちの緑の瞳はエメラルドのように輝き、その生命力の豊かさを示していた。

彼は先の襲撃で死亡した老神官の末の子供であり、わけあって出奔した兄と姉を探して旅に出ていたという。

彼の話によれば、”魔”の封印は資格ある血族の神官による儀式で守られてきたとのことで、出奔した兄と姉はその使命を知ることなく行方知れずとなったそうだ。

セシル自身は資格を持っていないため、父である神官の命により、彼ら二人を探していたらしい。

つまり、その行方しれずの子供を探しだせば、”魔”の封印は再び成立し、世界は滅亡から救われるということになる。

新しい情報に心が少し晴れたものの、病に苦しむ村人をほうっておくことはできない。

そう主張すると、セシルはひとつ提案をしてきた。


「七色水仙?」

「ええ、熱病に聞くという珍しい薬草です。ひょっとしたらこの薬草ならバラ熱に対抗できるかも。」

「それはどこで手に入る!?」

「ここからさらに南へと分け入った深山の滝のそばに。ですが、そこはモンスターのすみかでもあって危険な土地です。」

「なら、私が行こう。地図を用意できるか?」

「いえ、村のことです。ボクが道案内します!」


村人を支えるため、祈りの力を使える僕はこの村を離れられない。

自然と兄とセシルが、その薬草七色水仙を求めて旅立つことになった。

十数年を野山で暮らしてきた兄については何も心配していないけれど、セシルが兄の足を引っ張らないか不安になる僕だった。



ボクの村を救ってくれたという冒険者の片割れ、アランという人はなかなかに大した狩人だった。

大陸から来た冒険者ということで、このあたりの地理には疎いはずなのだが、この深い森のなかで僅かな獣道を見つけ、ほとんど草木を揺らすことなくスイスイと進んでいく。

ともすれば、道案内のはずのボクのほうが遅れそうになるくらいだが、そんな時には、何気なく周囲を警戒しつつボクを待ってくれる。

まるで前後左右に目でも付いているかのようだ。


「アランさんは弓使わないんですか?」

「こちらに渡って来る時に難破して手放してしまった。長年使い慣れたものだったのだが。」

「そうですか、本土との間は穏やかな航路が続くと聞いていたのですが。」

「私もそう聞いていた。おそらくは死神海賊船のせいだろうな。」


彼は無口な性質であるようで、秋の雨のようにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

それがボクの亡き養父を思い出し、胸が締め付けられる。

あと一日、せめて半日でも早く戻ってこられていれば……。


「すまん。もう半日早く到着できれば多少は違ったのだが。」

「え。」

「君が遅れたせいではない。途中時間を浪費した私達に問題があった。」

「そ、そんなことは……」


不意に謝られ、ボクは言葉を失った。

まるでボクの心を見透かされたようだった。


「あ、アランさんたちはどうしてボクらの村に?

もう皆に忘れ去られた自給自足の寒村ですのに。」

「弟の願いだ。」

「弟さんの?」

「あれは神の啓示を受け、世界の滅びを防ぐと誓ったそうだ。

それ故、滅びに関わる情報を集め、六精霊と”魔”との最後の戦いの土地を探してきた。」


アランさんはどこか遠くを見つめ、かすかに眉をひそめた。

それがどんな感情を意味しているのかわからないけれど、二人の兄弟の旅路が過酷なものとなろうことは容易に予想できた。

ボクとて、兄と姉の足跡を求めて南洋諸島を旅してきた身だ。

あてのないものを探し求める苦しさは多少なりとも想像できる。


「アランさん、あの……」

「止まれ。」


ボクが慰めの言葉をかけようとした時、突然制止の言葉が発せられる

見れば、アランさんの黒い瞳が鷹のように鋭くなっていた。


「四つ手熊の足跡だ。糞もある。テリトリーに入ったようだ。」


四つ手熊、ヒグマよりも大きな熊で南洋諸島では最強の野生生物だと言われる。

その名の通り4本の前足と強靭な2本の後ろ足を持ち、真正面から闘いを挑むのは、神殿の聖堂騎士でも無謀だろう。

雑食性で木でも獣でも食べられるものは何でも食べてしまう。

季節は春……冬眠から目覚め、空腹から凶暴化している時期だ。

背中を生ぬるい汗が滴り落ちる。


「マズイ、ですね。」

「ああ。……迂回路はあるか?」

「いえ、此処から先は一本道です。」

「そうか……」


ここは山の中腹で、急な斜面に走る細い細い獣道だ。

みちなりにそって麓まで行ければ、目指す滝は直ぐなのだが……


突然。

ボクの視界が横倒しになった。

グアァァッ!

獣の雄叫びが、遅れて聞こえる。


「”唸り轟く光の矢”!!」


アランさんの光の矢が四つ手熊を撃つ。

ああ。

そうか。

僕らは熊の襲撃を受けたんだ。



藪をかき分け接近する獣の気配。

とっさにセシルを突き飛ばし、呪文の詠唱に入る。


「”唸り轟く光の矢”!!」


7つにわかれた白銀の矢が四つ手熊に命中し、奴の注意をひくことに成功する。

案の定、この程度では致命傷には遠い。


(さて、どうする?)


通常ならば距離を取り、呪文や弓矢で気が遠くなるほどの攻撃を続ければ、狩れる。

だが生憎とこいつは大陸のものより一回り大きい。

タフさもそれなり、多めに見積もって2倍としておくか。


(私の魔力が持たんな。)


となればやることは一つだ。


「”呪いは来たれり、その足に”」


光の矢で血を流し、抵抗力を減じた熊には呪詛がよく効く。


「落ちるぞセシル。」

「え。え!?」


返事を聞かず、セシルのほっそりしなやかな体を抱えて中に跳ぶ。


「”大地の母よ、その腕をゆるめよ”」


落下制御。

地面に落ちても傷つかぬ程度の速度で、私たちは山道を落ちていった。


(やれやれ、この旅は逃げてばかりだ。)



ツイてない。

まったくもってツイてない。

熊の襲撃があったと思えば、次は冷たい雨だ。

春とはいえ高度のある山、身に沁みいるような長雨は芯からボクラの体温を奪っていく。

アランさんが二人分の雨除けのマントを用意してくれてたおかげで、致命的とは言わないけれど、ボクにとっては時期が悪い。

そろそろ一月、毎月のあれが来る頃だから。


「セシル。」

「は、はい?」

「山小屋らしきものがある。」

「あ、薬草取りや狩人が使う小屋だと思います。良かった、滝はもうすぐだ。」

「その前に少し休んだ方がいい、ふらついているぞ。」


え、と問い返す間もなくグラリと体が揺れ……

アランさんに抱きとめられた。


「あ、す、すいませ……」

「休むぞ。」


反論を許さぬ口調で断言すると、アランさんはボクを支えて山小屋に入っていった。

山小屋へつくと、アランさんは手早くボクの服を脱がせ、油紙で包んでおいた乾いた手ぬぐいで拭き上げ、着替えさせた。

ボクのサラシのことについては何も聞かれなかったし、何も言われなかった。

その後やはり乾いた毛布でボクをくるみ、小屋に残されていた薪に火をつけ、干し肉と薬草を煮込み始めた。


パチパチ、パチパチ。

薪のはぜる音がする。

コトコト、コトコト。

鍋の煮える音がする。

ああ、いい匂い……


「味は保証せん。だが滋養はつく。」


ほらと手渡されるスープの椀。

それはほろ苦くてしょっぱくて、でもとても暖かかった。


「あの、アランさん。」

「なんだ。」

「ボクが女の子だってことは。」

「山道での歩き方を見て気づいた。……スマンな、肌を見るようなことをした。」

「い、いえ緊急事態でしたし。」


真っ赤になってモゴモゴと口ごもるボク。

特に気にした風もなく、囲炉裏に薪をくべるアランさん。


「聞いてよいか。」

「なんでしょう?」

「なぜ君は、君にだけは資格が無い?」

「……それはボクが、拾いっ子だから。」


ボクらの村は自給自足の寒村とはいえ、完全に外部世界と断絶しているわけではない。

鍋や釜、農具などの鉄の道具は外の村との物々交換で手に入れるのだ。

このため、村の南側、火を噴く山とは逆の側に小さな港を持っている。

余談だが、この港を目印に海賊たちはやってきたようだ。

16年前のある日、そこへ救難ボートに乗せられた赤子がたどり着いた。

それがボクだ。

ボクを哀れんだ養父は、自らの末の子どもとして養育してくれたのだ。


「……そういうわけで、ボクは神官の血族じゃないんです。

皆みたいに精霊の声も聞こえないし、奇跡も起こせない。」


そうか、と焚き火を見つめるアランさん。

その瞳は焚き火を通じてもっと遠くを見つめているようだった。


「……魔法を学んだことは?」

「こんな小さな村ですよ、魔術師なんてとてもとても。

文字の読み書きは養父に学びましたけど。」

「教えようか。」

「え。」

「すべての人間のうち、全く魔法が使えない生粋の戦士は約3割。

それ以外の人間で、魔法が使えないのはただそれを学ぶ機会に恵まれなかっただけだ。

私が見る限り、君には戦士の天性はない。

ならば、魔術の才が眠っている可能性はある。」

「だけど、学院のものでもないのに、無償で呪文を教えるのは……」

「褒められた話ではないな。

だが、それが君を生き延びさせる手段であるのなら。

そして君に自信を与えるものであるならば。」


ゴクリとつばを飲み込む。

魔法……呪文と導引が必要な奇跡の技。

それを知ればボクは兄に、姉に、近づけるのだろうか。


「教えて、ください。」



ドウドウと大きな水音がする。

昨日の雨の影響だろうか。

滝はボクが知るよりもなお激しく、荒々しく濁った泥水を叩きつけていた。

そんな荒々しい滝を背景に、雄々しく立ちふさがる四つ手熊。

眉間の真新しい傷跡は、アランさんの光の矢によるものだろう。

あと一息、あと一息だというのに、ボクらの旅は早々簡単に行かないようだ。


「倒すほかないな。」

「ですね。」

「私が先に仕掛ける。」

「ボクは足止め、ですね。」


ニコリともせず、アランさんは頷く。

別に機嫌が悪いわけではない。

彼はこれが常態なのだ。


(微笑みを見せてくれたら、モテるんだろうな……)

「”われは願う仮初の翼を”」


ボクのそんな独り言を他所に、戦闘が始まった。


空を飛び、安全圏すれすれから光の矢を飛ばすアランさん。

激怒した熊は、その棍棒よりも太い4つの腕を振り回し、アランさんを襲う。

連発される光の矢により、致命傷には遠くとも、出血を強いられる熊。


「”呪いは来たれり、その足に”」


これほどの手傷を与えられれば、付け焼き刃のボクの呪詛で十分に効く。

目に見えて熊の速度が遅くなる。

ボクに向き直る熊に対し、再びアランさんの光の矢が炸裂。

愚かな熊を少しづつ、少しづつ、滝壺へと誘導していく。


「セシル、今だ!!」

「我解き放つ、”唸り轟く光の矢”!!!」


ボクの魔力を全部解き放った光の矢は、アランさんのように熊を傷つけはしなかったけど、ヤツの体勢を崩すには十分だった。

どう、と音を立てて水へと沈み込む熊。


「”呪いは来たれり、その腕に”」


ダメ押しでかけられる、アランさんの呪詛が熊の手を縛る。

あれほどの巨体、手足の自由を奪ってしまえば、雨で増水した滝壺が始末をつけてくれる。


「あの毛皮は惜しいが、まぁ仕方あるまい。」


ふわりと舞い降り、こともなげにつぶやくアランさんをボクは眩しげに見上げる。


「よくやったなあ、セシル。」


そう言ってアランさんはニコリと微笑んでくれるのだった。



出発して2日後の夜、兄とセシルが戻ってきた。

二人は人数分の七色水仙を持ち帰り、それは村人たちに劇的に効いた。

ここまでは良い、上々だ。

だが……


「アランさん、お代わりいかがですか。」

「いや大丈夫。」

「そうですか……あ、お水取りましょうか。」

「うむ、頼む。」

「はい、どうぞ♪」


なぜにセシルはこうも兄につきまとっているのか。

なぜに時折頬染めてニコニコしているのか。


(女気のまるでない兄さんだけど、そんな趣味はないぞ。)


眉間に皺のよる僕をよそに、彼は親の後をついてまわる子犬のように兄につきまとう。


「アランさん、あなたの旅にボクを連れて行ってください。

村を守ってくれたお礼がしたいんです!」

「いや、私ではなく、弟の旅な。」

「……いや、良いんだけどさ。」


そう兄にベッタリなのはどうかと思うんだ、僕。

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