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封印


ぱさり、ぱさり。

羊皮紙をめくる音がする。

ぱちぱち、ぱちぱち。

ときおり薪がはじける音がする。

囲炉裏のやわらかな暖かさに包まれて、僕はとろとろと眠り続ける。


(ああ、僕は夢を見ている……)


それは懐かしき山村の小屋。

僕が兄とふたりきりで育った小屋の夜だった。

あまり美味しくはないが滋養のある夕食を食べ、満腹した僕はうとうとと眠り、兄はその傍らで古い魔術書をめくっているのだ。

最後にそうやって過ごした夜から5年、僕は”輝ける大君”の剣士となり、兄は賢者の学院へ復学した。

そして僕は神の契約を果たし、兄に助力を願い、この世を食い滅ぼすという”魔”の探索のたびに出て、それから……

暗い嵐と黄金に輝く髑髏、その双眸に輝く赤い瞳……!


バッと音を立て僕は跳ね起きる。

体の至る箇所に傷が残り、ひどくしみるが構わずあたりを見渡す。

驚いたように口をあんぐりと開ける老婆の姿が目に入った。


「あの、ここは一体?兄はどこでしょうか?」

「はぁ驚いた。ここはヨーファル近くの漁村ですじゃ。」


心底驚いたといった風情で首を振る小さな老婆。

見れば漁に使うのであろう、網を繕っている。


「今朝方かの、あなたを担いだ背の高い男の方が訪れ、『乗っていた船が難破しました。申し訳ないがしばらくこの弟を預かってもらえないでしょうか。』とお金を置いて行かれたのじゃ。

お兄様は、必要な物を購ってくると街まで行かれましたで、明朝には戻って来られましょう。」

「そうでしたか。ご迷惑をお掛けしました。」

「なんの、なんの。お代は頂いておりますからの。さ、気が付かれたらスープでも召し上がれ。」


老婆が出してくれたのはいろいろな小魚をごった煮にしたスープであった。

それぞれの魚介類は小さくて骨があって苦労したけど、よく出汁が出ていて疲れきった身にしみるほどの旨さだった。


「傷はお兄様が手当していかれました。今はゆっくり休むことが肝要じゃ。」

「ありがとうございます、おばあさん。」


なんの、なんのと首をふる老婆に、継ぎの当てられた毛布をかけてもらい、僕は再び眠りに落ちる。

故郷のあの暖かな夢の中に……



真新しい厚手のマントに、これもまた新しい革の小手とすね当て、やはり新しい革鎧は少しゴワゴワする。

ベルトを調整して急所を確実に守れるよう、動きのじゃまにならないようにと悪戦苦闘する僕。

こういうとき既成品が簡単に合わないデカイ図体が恨めしい。


「すまんな、一応一番大きなものを購ったのだが。」

「ああ、大丈夫だよ。どうにか問題なく着込めそうだから。」


僕の愛用していた鎖帷子とブロードソードは海に落ちた時に手放してしまったから、今は兄の購入してきた革鎧とグラディウスが頼りだ。

そうそう贅沢は言っていられない。旅に必要なものを贖えば、さして余裕はないのだから。

海に没した際に僕らは財産の殆どを失った。

僕は愛用の鎧と盾そして愛剣、兄は長年の相棒である黒い長弓と投げナイフに魔導書。

それでも財布は予め小分けにして体に縛り付けていたおかげで、なんとか再活動には不自由せずに済みそうだ。

尤も残金は兄弟合わせて金貨二十枚に満たない程度だけど。


「それにしてもあの嵐は何だったんだ……まるで悪い夢でも見てたみたいだ。」

「現実だ。ただ何らかの魔術が関与していたかもしれぬ。」

「天候を操作する魔法?そんなもの六精霊の時代にしか存在しないんじゃ?」

「魔法自体はな。だが六精霊の時代のすぐ後に優れた魔術師たちが大陸の覇権を争った時代があった。

この時代には幾つもの大規模な魔法の道具が作られ、その中には天候を操作するものもあったという。」

「そんな時代のものがまだ生きてるの?」

「魔法の道具というものは基本的に劣化しない。特に古代に作られたものはな。」


兄の話では、世界の存亡を賭けてすべての命が”魔”と戦った六精霊の時代を頂点に、魔法の技術自体が散逸し魔法を使える人間の数も減っているという。

かつてはすべての命が使えた魔法も、今では潜在的な能力者を含めても3人に2人が使えればいいところだろうとも。

十分高いような気がするが、魔法を学ぶには資金と時間が必要なので実数はもっと少ない。

村に一人か二人いれば十分恵まれているといえるだろう。

ちなみに僕が神様から頂いた祈りの力は、魔法よりも扱いやすいがさらに希少だ。

神、あるいは六精霊のいずれかとの契約により与えられるその力は、個人の資質によらず一定の効果を持ち、魔法のように詠唱や導引を結ぶ必要もない。

ただ契約の履行と真摯な祈りがあればいい。

僕たちがあの嵐の中生還できたのも、この祈りの力があったからだと兄は言い、僕も同意した。


「さて、先ずはどうするか……」

「とにかく封印の地の情報が欲しいんだ。ヨーファルは六精霊と”魔”の最後の戦いの土地だったよね。」

「ああ。ただ、今六精霊の神殿が建てられている土地は、”魔”との戦いが行われた場所ではない。

封印の土地について聴きこみをしてみたが、公式の記録ではそれがどこか知るものはないらしい。」

「どうして……?」

「封印を守るためとも、古い記憶故忘れられたともいろいろに伝えられているな。」

「とにかくここで悩んでても始まらない、ヨーファルに行ってみよう!」



ヨーファルは古い神殿を中心として発展してきた寺前町だ。

大陸本土からの巡礼者を始め、南洋諸島と本土との交通の要である港町でもある。

広く丸い湾は青い海をたたえ、白い石造りの家々が太陽を反射して文字通り煌いている。

大陸の東半分を治める王国の首都にも負けぬ美しい街であった。

商取引のため、あるいは巡礼のために訪れる人々を目当てに様々な屋台が出、吟遊詩人を始めとする旅芸人が賑わしている。

僕たちは、香辛料をたっぷり入れたひき肉とチーズのソースをカリカリに焼き上げたパンに塗りつけた食べ物で腹を満たしながら、封印の土地について聞いて回った。

物知りな水夫たちも、遠くからやってきた巡礼者も、伝承に詳しい老神官もこレといった情報を知らなかったけれど、兄はある吟遊詩人から古い巡礼歌を聞き出してくれた。

彼は長年に渡る旅の疲れが浮き出たみすぼらしい装束に身を包み、かつては鮮やかだった装飾の剥げたリュートを奏で、掠れ気味のしゃがれた声で歌ってくれた。


「蒼き雲たなびく先の

白き虎見つめる先の

吠える火の山

頭を垂れて

参りまするは果ての門」


僕らは彼に感謝し、こちらも希少な金貨三枚を包んで渡した。

贅沢をしなければ一週間位は生きていける額だ。

老詩人はペコリとお辞儀をして金貨を懐に去っていく。


「どう思う、兄さん。」

「民衆に知られた巡礼歌だそうだ。ならばそこに込められた意味は、さして難しいものではないはずだ。」


青、白、火……口の中でモゴモゴとつぶやく僕は一つ思いつく。

たしか古代中国では四方に色を配したと思うんだけど、この世界でも似たような事例があったんじゃなかったけ?

兄に確認すると、たしかにこの世界でも四方天地の六方位に精霊を配置し、その象徴する色で示すという文化があったという。

上は金、下は灰、東は青、西は白、南は赤で北が黒。


「つまり、こうか。

”東へ進み西の虎を見つけなさい。

虎が見つめる南の先に火を噴く山が現れる。

その山をくぐった先に封印の門がある。”」


さっぱり意味がわからん、と首をひねる僕に兄は眉間の皺をゆるめて話しかけた。


「こういう時は、『ここで悩んでいても始まらない、行ってみよう。』、だろう?」


僕はその言葉ににこりと頷いた。



「あったよ、兄さん!白い虎だ!」


ヨーファルに通じる最も古い街道を東に進むこと半日、羊の群れのようにたくさん転がる白い岩岩に混じってひときわ大きく立派な岩を見つけた。

それはまさに虎と称するにふさわしい威容を持ち、真南を睨んでいる。

兄が太陽の位置から方角を確かめ、遥か南に岩山がそびえることを確認した。

それからは道無き道の踏破であった。

兄が先頭に立って藪こぎし、僕は剣を抱えて周囲を警戒する。

兄の話によれば極めて古い道の跡があるということだが、僕には見分けがつかず、ひたすらに兄についていくだけだった。

そうやって藪の中を歩きまた半日、ようやく僕らは赤茶けた火を吹く山へと到達した。

かなりの高度になるのだろう、ここまでくれば藪は少なく、兄の言っていた古い街道の跡が僕にもわかるようになっていた。

それは山を半周してさらに南に続いているようだった。

だが……


「ダメだ、昔の噴火のせいだろう。」


兄が静かに首を振る。

かつての街道は土砂で埋まり、切り立った崖が残されていただけだった。

念のため逆方向へと回る僕達だが、時間と保存食を無駄にしただけだった。

こうなったら仕方がない。


「山を、越えよう。」


正気かと言わんばかりに眉を吊り上げる兄。


「無謀なのは分かってる、だけど僕はどうしても行かなきゃいけないんだ。世界を守るって、滅びに抗うって、神様に約束したんだ。」


兄の黒い目を真正面から見つめ、僕は言葉を紡いだ。

これは説得じゃない、ただの我侭だ。

そんな自覚はあった。

でも、ようやく掴んだ手がかりをみすみす諦めることはできなかったし、さっきから何かが囁くんだ。

急げ、間に合わなくなるぞ、って。

フーッと長い溜息をひとつ、それだけが兄さんの返答だった。

緩んだブーツの紐を締め直し、僕らは火の山を登っていく。

急げ、急げ、そう囁く声に後押しされながら。



息せくように山頂へ駆け上がるやいなや、周囲を見渡す。

真南の方角に立ち上がる煙が見える……あれだ!

僕は不安に苛まれながら、転がり落ちるように煙目指して山を駆け下り始めた。

最初は一本だった煙が、時を経るごとに二本、三本と増えていく。


「兄さん!」

「ああ、あれはおかしい。」


僕達二人は最低限の注意を払いながらも、煙目指して全速力で駆けた。

原野を抜け、林を抜け、パっと視界が開いたそこは戦場だった。

記憶に焼きつく漆黒の旗に髑髏のマーク、死神海賊船だ。

海賊船が、隠れ里を襲っていたのだ。

火矢を射掛け、村の家々を焼き、慌てふためく村人たちに襲いかかる骸骨の群れ。

中央の目立つ位置に、痩せぎすの魔術師らしき男と醜い緑の肌の巨漢が立ち、骸骨兵たちに指示を与えているのが見える。

身長2m程度、飛び出た乱ぐい歯に、隆々とした筋肉、ザンバラ髪を乱暴に革で結び、黒曜石の刃を埋め込んだ石剣を手にしている。

オーク!

比較的目にされる魔物であり、強靭な肉体と俊敏な動きを兼ね備えた優秀な剣士。


「私が魔術師を狙う。」

「僕は、あのオークを!」

「”われは願う仮初の翼を”」


兄の唱えた”翼”の呪文により文字通り僕らは虚空へと飛び出す。

狙うは首領である魔術師とオーク!


「”呪いは来たれり、その舌に”」


先手を取ったのは魔術師の口を封じる兄の沈黙の呪文。

痩せぎすのその男は、恐怖に顔をひきつらせ、もたもたと短剣を抜くがあっさり兄に弾き飛ばされる。

腕を取りねじ伏せられる魔術師を片目に、僕は全力でオーク剣士に突っ込む。

だが敵もさるもの、衝突の瞬間石剣で体をカバーしつつ後方に飛び、勢いを殺す。

それでも勢いは未だ僕にある。

空をとぶことで優位な位置を確保し、足で踏みつけ、顔を蹴り飛ばし、体勢を崩してはグラディウスで斬りつける。

オークは天性の肉体に物を言わせ、蹴りを寸でで躱し長身と怪力を活かして石剣で叩きつける。

オークの攻撃は、一発一発が重く、命中打を受ければ革鎧では重症を負いかねない。

僕は慎重にそして大胆に敵を翻弄し、確実に少しづつ手傷を与えていく。

その死の舞踏がどれほど続いたか、ようやく緑の狂戦士は地に倒れ伏せ、僕達の勝利が決まった。


「”呪いは解ける、春の陽の雪のごとく”」

「骸骨兵共を止めさせろ!」


兄が呪詛を解き、僕が魔術師に命じたその瞬間、突き上げるような衝撃が僕達を襲う。


「は、ははは、やった、やったぞ!これでせかいはかわるぅぅ!」

「何を言っている、貴様!」

「”魔”が開放されるのだ、世界は終わるのだ!」


狂った様に笑う魔術師を殴りつけ、問い詰める僕たちに、赤く血走った目で彼は告げるのだった。

封印の開放を。

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