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航海


トラジェスタという世界がある。

虚空より現れた至高なる”神”によって創造された世界である。

”神”は光を招き闇と分け、大地を作り、空を作り、水を産み、火を与えた。

そしてあまねく命を満たした。

大地に緑と命が満ち”神”は満足して次なる世界へと渡った。

だが再び虚空より異邦者が現れた。

その名を”魔”と呼ぶ。

”魔”は命あふれるトラジェスタを憎み、妬み、歪め、壊さんと欲した。

世界は終わるかと思えた。

だが命たちは懸命に”魔”に抗った。

中でも知恵ある人の中から生まれた、もっとも賢き六人は原初の光、闇、地、風、水、炎の6つの力をもって”魔”を退けた。

賢人たちは、原初の力をもって人たる存在を離れ、天へと登った。

これを六精霊と呼ぶ。

故にトラジェスタはかくも呼ばれる。

”神無き大地の”トラジェスタ、と。



抜けるような青い空、もくもくと立つ白い雲。

波濤は白く泡立ち、深い海の青に彩りを添える。

さわやかな春の海を心地よく駆け抜ける帆船に身を任せ、僕は爽快な気分だった。

これは六精霊による封印の土地・ヨーファルへと向かう巡礼船。

世界を食い滅ぼすという”魔”の存在への手がかりを求めて僕らは航海の旅に出たのである。


ふと振り向くと、日陰に佇む長身の男性が目に入る。

思慮深い黒き瞳で波濤の彼方を見つめる痩身のその男は。使いこなした皮のマントを纏い、これまた年季の入った滑らかな革鎧を身につけていた。

シンプルで頑丈な分厚い短刀を二振り、投げて使うこともできる短い短刀を数本、そして長年の相棒である黒い長弓を背負っている。

そしてその右手の中指に光るのは、僕と同じ紋章を刻んだ白銀の指輪。

日に焼けて浅黒い肌、鼻筋の通った高く美しい鼻、黒曜石のような深く黒い瞳。

これでにこりと微笑んでみせれば、町の娘たちはたちまち虜になるだろう。

残念ながらそんな兄の表情は想像もつかないのだが。

アラン・ウォーロック。

15にして賢者の学院を卒業した若き秀才にして山野に暮らす熟練の野伏。

そして物心つかぬ幼い僕を養育した、父にして師。

僕の敬愛する兄。


「兄さん、何を見てるんだい?」

「風がな。」

「風?」

「風が雨の匂いを運んできてる。」


兄の真似をして風上に顔を向けくんくんと嗅いでみるが、僕には海の潮の匂いしか感じない。

眉をしかめて唸る僕の顔を見て、困ったように頬を緩める兄。

お、これはレア表情だ。


「船員たちを見てご覧。ロープを用意しいつでも縮帆できるように動いているだろう?

彼らも天候の変化を感じているんだよ。」

「あ、そういえば……」

「あるいは嵐になるのかもしれない。準備をしておかないと。」


こうは言うが兄は常にいつも準備万端だ。

覚えている限り予想外の事象に慌てふためいたところなど見たことがない。


(しかし本当に嵐など来るのだろうか?)


兄の言うことに間違いなどないとは思うが、それでもこんなにも良い天気なのだ。

ついと太陽に右手を伸ばしてみる。

右手の中指にはめた黄金の指輪が太陽に煌めく。

その金色の光は、僕の白い肌に映えて、少しばかり気持ちを軽くする。

太い腕に無数に残る白い傷跡は、5年間に渡る武者修行の証であり勲章だ。

若く張りに満ちた白い肌、太陽に煌く金の髪、空を溶かしこんだような青い瞳。

背丈は190を超え、骨太の肉体は筋肉自慢の船員たちに引けをとらない。


(強くなった……強くなったんだよね、僕。)


精霊の国で思い出した前世の僕とは似ても似つかない、今の僕の姿に満足すると改めて兄に向き直る。


「改めて礼を言うよ兄さん。五年ぶりの突然の手紙に応えてくれてさ。」

「五年だろうが十年だろうが、弟からの手紙を無視するような兄はいない。

あの未熟者が、一人前の剣士になって独り立ちしようと言うのだ。

応援くらいはしてやるのが兄の勤めだ。」

「ありがとう……でも賢者の学院の方は良かったのかい?」


噂によれば、兄は長年の貢献が認められ、賢者の学院への復学が認められていたはずだ。

このまま研鑽を積めば直に導師の地位に上がっているだろう。


「学院の導師など、糧を得るための術にすぎない。」

「でも、僕のせいで……」

「良いか、バート。

糧を得て死なずにいることは容易だが、生きたいように生きることは難しい。

私は幸い、生きたいように生きてきたし、これからもそうだ。

お前が気にするようなことは何もない。」


つまりそれは、僕を助けたいから手伝っているということだろう。

それは実に兄らしく、ひねくれてわかりにくい好意の示し方だと思う。

だがその面倒臭さが兄なのだ。

そう思ってニコニコと笑っていると、ついと視線を外された。

どうやらこちらの考えを見ぬかれたらしい。


「バート、貴重品は小分けにして身につけておくように。」


不意に兄の視線が獲物を見つけた鷲のように鋭くなる。


「雲が出てきた、嵐になるぞ。」


兄の予言に呼応するかのように、水平線のはしに黒いシミのように見えたそれは、たちまちのうちに黒雲となり青空を塗りつぶした。



バチバチと叩きつける雨と船体をギシギシと軋ませる風、ほんの数時間で海はこの世の地獄と化した。

波は容赦なく帆船を揺さぶり、小さな木の葉のようにひっくり返そうとする。

まだ昼間だというのに、空を暗く覆う厚い黒雲は周囲を闇で包み時折落ちる雷光だけが世界を照らす。

僕と兄は、船員に協力して帆柱を切り倒し、甲板にへばりついた。

できることは皆やった、あとは運を天に任せて……だが、天は最悪の運命を用意してくれていた。


「お、おい……あれを見ろ!」

「幽霊船だ、地獄の使者だ!」


船員たちに動揺が走る。

漆黒の世界よりなお暗く、叩きつける雨風よりもなお冷たく、それは轟音渦巻く世界に沈黙とともに現れた。

灰色の霧と漆黒の雷雲を伴い、疑いようのない死の気配とともに現れた。

巨大な髑髏の旗掲げ、暗闇にもなお鮮やかに映える骸骨の軍勢。

この南海を荒らす、終末の使者。

その名も死神海賊船!


「クソあいつらどうやって動いてるんだ!風に逆らって近寄ってきやがる!」

「総員抜刀、戦闘準備だ!地獄の使者だろうがなんだろうが、そう簡単にやられてたまるかよ!」


この異常事態に、それでも船長たちは勇敢であった。

船員を鼓舞し、自ら先頭に立って、海賊船の襲撃に備える。

海賊船はさらに速度を増して激突!僕らの帆船を大きく揺らす。


「”我が金の目は闇を見通し、やわらかな足は風にのる”」


朗々とした兄の詠唱が嵐の中に響き、僕は暗闇と不安定な足場から開放された!


「兄さん!」

「猫目と軽足の呪文だ、そう長くは持たんぞ。」

「十分だ、ありがとう!」

「礼は難を退けてから言え。」


この嵐の中では兄の自慢の弓も役には立たない。

故に兄もまた、二振りの短刀を抜き放ち、白兵戦に備える。

期せずして二人肩を並べて戦うことになり、僕の心はいやが上にも高揚した。


(5年間の成果、見せる時が来た!)



唐突であるが、重さは力である。

同じ技量であるならば、より重いほうが強い。

だがそれが逆転される状況がある。

例えば嵐の船上など。

いかに身軽な船員たちといえども、血肉を失った骸骨の前ではその速度安定感は雲泥の差だ。

骸骨たちはその速度に物を言わせて、次から次へと船員たちを切り刻んでいく。

帆船の運命は風前の灯に見えた。

だが……


「オォッ!!」


気合とともに身長190センチ、体重115キロの肉の弾丸が骸骨めがけて突っ込む。

横合いからぶつけられた骨たちはたまらず吹っ飛びばらばらになる。

軽足の呪文で風を足場にしたバートの突進だ。

足場さえ完全なら、やはり重量は力であるのだ。

ましてや名高き剣士ギルド”輝ける大君”での5年に渡る修練を経て、一流の剣士となったバートの技量に叶う死にぞこないなど存在しない。

ぶつかり弾き、叩き潰す。

その一連の行動だけで、はや1個小隊の骸骨たちが瓦礫と化していた。


白兵戦にかなわぬと見るや、骸骨の一段は銛を持ち出してくる。

射程こそ短いが、十分な重量があり、クジラさえ仕留める鉄の塊だ。

いかに鎖帷子で身を固めた肉の弾丸のバートと言えど、命中すれば重症は免れない。


「”唸り轟く光の矢”!!」


だがしかし、銛を構えた骸骨の一団はアランの呪文によって焼き滅ぼされる。

極めて基本的な攻撃呪文である光の矢。

だからこそ術者の魔力がダイレクトに反映されるのだ。

アランのそれは一息で7つに別れ、ふらちな死にぞこない共を地獄へと送り返す。


「行ける、このままなら押し返せる!」


僕がそう確信した時だ、奴が現れたのは。



――ビュッ!

その斬撃は逆巻く風よりも鋭い音を立てて僕に襲いかかった。

とっさに首をガードした剣が、火花を散らす。

重い!

衝撃で剣を持つ右手がしびれる。

もしガードが間に合わなければ、衝撃で首の骨を折られていたかも、と想像し背筋に寒気が走る。


「僕はバート・ウォーロック、”輝ける大君”の剣士!名乗られよ!」

「――スカルフェイス。」


言葉少なに答えた奴は、黄金の髑髏と赤く輝く瞳、そして骸骨を模した革鎧に身を包んでいた。

生身の人間には見えないが、死にぞこないの骸骨共とは違う。

並みの剣士とは一線を画した強さと、存在感。

対峙しているだけで、じわりじわりと生ぬるい汗が噴き出してくる。

切り下ろし、袈裟懸け、突き、切り上げ……学んできたすべての技法がこいつには通用しない。

想像できるのは、無残に切り捨てられる、僕の姿。


「”唸り轟く光の矢”!!」

「!?」


僕の背後から飛来する7つにわかれた光の矢。

さすがのスカルフェイスも、7本同時に回避することは困難で、右肩に一本の矢を受けてしまう。

硬直する僕を横合いから抱きかかえ、海へと飛び込む兄アラン。

刹那遅れて、僕がそれまでいた場所を切り裂くスカルフェイスの斬撃。

おそらく、兄の不意打ちで一瞬攻撃が遅れたがために助かったのだろう。

そして僕達は、暗い暗い海へと投げ出された……

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