監獄(後)
一
いつもの様に青い月を背負い、いつもの様に大きなシロフクロウがやってくる。
この孤独な塔の上で唯一人できた友人を出迎え、レオノーラはそっと微笑んだ。
彼女の白いたおやかな腕に抱きとめられ、目を細めるフクロウはどこか微笑んでいるように見え、マルガレーテとの会話で傷ついたレオノーラの心を癒やしてくれるかのようであった。
レオノーラは問いかける、いつもの様に。
「あなたはいつまでいるの?夜明けまで?私は……私はいつまでいるのかしら。」
すると今宵は、初めてフクロウが答えた。
その黒い嘴で大きな大きな絵本を示して。
そこは60頁。
ちょうど旅の魔法使いが悪魔を倒したシーン。
「60……日?」
満足気に目を細め、微笑むフクロウ。
青く大きな目を見張るレオノーラ。
「あなたは、あなたは、一体……。」
するとフクロウは再び嘴で示す。
黒い革のマントに身を包んだ、旅の魔法使いを。
その夜レオノーラは、青く青く澄んだ月の光のなかで長い会話をするのであった。
ニ
アランが看守長となり35日目、彼が赤鉢巻の第6班を掌握して5日目の朝、新たな囚人がやってきた。
身長190センチ、無数の傷跡を白い肌に残す偉丈夫で、金の髪と青い瞳を持っていた。
名前はバート、国家転覆を試みたテロリストとの触れ込みだった。
意外にもその男は比較的従順であり、素直に元貴族の囚人たちとともに鉱山労働に従事し始めた。
だがこの男、癒しの祈りを授かっているようで、勝手に囚人たちを手当して回る。
それは明らかに越権行為であり、副所長のノルドなどは幾度も処罰を命じたのだが、どれほどの拷問にかけても平気の平左で祈りをやめることはしない。
そこで補佐役のジュドーは、比較的脆弱な元貴族たちに限りバートの活動を黙認するよう勧めた。
囚人たちの効率的な運用のためであり、古参海賊派との差別化により対立を煽るためである。
この動きは比較的うまく行っているようであった。
規律正しい赤鉢巻の第6班による監視と、バートによる手当により鉱山の生産性は増し、ジュドーはほくほく顔である。
だがその影で、監獄内に新しい派閥ができていたことを知るものは少なかった。
監獄幹部ではなく、隊長に忠誠を誓う精鋭、『赤鉢巻の第6班』。
彼らは監獄の統治者でも、監視組織でもなく、アランが率いる『赤鉢巻の第6班』への帰属意識を高めていたのだ。
「おい、また出たらしいぜ。
例の化け物。」
「クワバラクワバラ、今日は巡回じゃなくてよかっったなぁ、おい。」
「まったくだ。
化け物退治に借り出される連中が哀れだぜ。」
「大丈夫じゃねぇの。
例の新入り共だしな。」
「ああ、赤鉢巻の。
チッ、生意気な連中だぜ。」
「いいじゃねぇか、あいつらに任しておけばほとんど休んで酒かっ食らっていられるしよぉ。」
看守たちはこのような有様で、『赤鉢巻の第6班』への隔意を隠そうともせず、表向きは馬鹿にして安っぽいプライドを守り続けた。
だがその内心では、自分たちではかなわない魔獣に対抗できる彼ら赤鉢巻を非常に恐れていた。
アランが打ち込んだ監獄への楔は静かに機能しつつあった。
三
バートが囚人たちをまとめ、アランが監視組織に楔を打っていた頃、セシルもまた一人奮闘していた。
彼女はオーガスの協力も得て、囚人100名近くが滞在できるよう物資を海底遺跡に搬入し、遺跡の整備を行っていた。
幸いなことに遺跡には、宿舎として使える兵舎あとや大浴場に倉庫、武器庫などが機能しており、補修用の魔獣も合わせれば十分に避難所として機能する。
また時折魔獣を使って監獄との接点を増やし、アランから送られてくる情報を取りまとめ脱出計画の調整を行う。
元貴族派、古参海賊派それぞれとの接触を行い、一定の信頼も醸造した。
ただそれらはオーガスの協力があるとはいえ、セシルの立場は心労ばかりの増える辛いものであった。
特に、アランからの連絡の中に所長のマルガレーテに関わる記述が増える度、計画の露見を恐れ、またそれ以上に、アランがマルガレーテへ共感することを悲しんだ。
別にアランの心変わりや裏切りを思っていたわけではない。
ただ、セシルはアランのわかりにくいが繊細で優しい心をよく知っていたため、計画実行の際にアランが傷つくことを恐れていたのである。
だが海底遺跡で待機する彼女には、彼ら兄弟の無事を祈り、ただ準備するよりほかなかった。
四
困惑そして驚き。
それが特別房に座すフレデリック将軍の正直な感想だった。
東西それぞれの特別房は地下に深く掘られた竪穴の中にあり、脱出は極めて困難だ。
だがそこには一つ盲点があった。
隣接する懲罰房からは岩盤の振動を通じて容易に対話が可能だという点である。
囚人たちは定期的に反抗し、懲罰房に入ることによって、彼らの指導者へ監獄の状況を報告し、指示を仰いでいたのである。
さて、歴戦の豪傑であるフレデリック将軍を驚かせたものとは何か。
それは次の報告であった。
魔獣と接触した元貴族派の囚人は、いつもの様に襲撃を受けることなく海底からやってきたという冒険者に紹介状を渡されたのだ。
それはヨーファルの六精霊神殿からのものであり、また同志であるハミルトン子爵のものであった。
そこには、世界を脅かす”魔”の開放と監獄の囚人たちの開放計画が綴られており、囚人たちに接触した者をはじめ3人の精鋭冒険者が潜入していると知らせてきていた。
なるほど事実、看守たちの監視は未だ厳しいものの、無意味な暴力は減り、負傷者らは手当が受けられるようになった。
また最近収監されたバートという若者は、幹部からの懲罰にも屈せず囚人らを癒やして回っている。
こうした監獄の変化を、隣接する懲罰房に入る囚人からの報告で聞いた将軍は一斉蜂起と脱出を決めた。
だがそのためには、古参海賊との和解、そしてレオノーラ姫の開放が不可欠である。
彼ら囚人の解放の成否は、こうして兄弟たちに委ねられた。
五
マルガレーテとの決別を告げるフクロウが飛んだ翌朝より、アランの日常は多忙を極めた。
赤鉢巻の第6班の訓練、巡回に加え、使い魔を用いてのセシルとの連絡、レオノーラの慰めを密にせねばならなかった。
さらにマルガレーテが毎日のようにつきまとい始めたのである。
朝の訓練、昼の巡回、夜の食事に至るまで。
彼女は度々アランを呼び出し、レオノーラとの会食に付き合わせた。
更には私室に侵入し、固い木製の寝台を占拠して無駄話に突き合わせる。
これらは明らかにアランの活動への制約ではあった。
ではあったが、マルガレーテはその所長としての権限を用いてアランを処刑することなかった。
その奇行としか言いようのない彼女の行動に対し、アランは努めて誠実に対応した。
副所長のノルドも、ジュドー補佐役も、赤鉢巻の第6班でさえ、誰一人理解できなかった。
おそらくは本人のマルガレーテとアランも真の意味では理解していなかったであろう。
これが彼女なりの別れの儀式であると。
彼女は彼女なりにアランとの別れを惜しんでいたのだと。
そしてアランもまた、彼女の気持ちを受け止めていたのだと。
六
バートが収監され一月、事態が大きく動いた。
動かしたのはバートだった。
そう、キャプテンペネローペを呪いの手枷から開放したのである。
特別房の巡回を担当する第1班が彼女の房を確認した時、艶然と微笑む彼女を見つけ、急ぎジュドー補佐役に知らせた。
レオノーラ姫を別にすれば、この監獄で最も厳重な警護のもとにある彼女が開放されたことは、監獄の幹部を大きく動揺させた。
予定通り18日後にレオノーラ姫を護送するのか、それともすぐに彼女を送るのか。
意見は真っ二つに割れ、激論がかわされた。
結論は、マルガレーテの判断に委ねられ、そして彼女は決めた。
速やかにレオノーラをエルボーンへと送ると。
(終わりね、アラン。)
何が終わりなのか、誰にとっての終わりなのか。
それは呟いた彼女にもわからなかったけれど、その夜も月は青く青く青かった。