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監獄(中)


青い青い月光が石造りの部屋に差し込む。

月明かりを友として、かつて優しき父より送られた大きな大きな絵本をレオノーラは諦観とともに見つめていた。

音もなく現れた影が月光を遮り、彼女は外界へと開いたただひとつの窓を眺めやる。

そこには白い白い大きなフクロウが佇んでいた。

おもわずその白くたおやかな手を差し伸べるレオノーラ。

その白き夜の鳥はその手に導かれるように音もなく石造りの部屋へと降り立った。

それは彼女が孤独ではなくなった最初の夜の物語。


今年17になるレオノーラはエルボーンの唯一の王位継承者である。

両親譲りの淡く輝くような美しい金髪、南の海を溶かしこんだような透き通った青い瞳、たおやかな白い肌は真珠のように白く輝き、豊かな胸は優美さを失わない。

南洋諸島、いや大陸でも指折りの美女と名高い彼女は一人、陸の孤島の塔の上にいた。

伴なうのは僅かな私物と、父より送られた大きな絵本が一冊。

それは悪魔に囚われた王女を、旅の魔術師が救い出す物語。

いつまで続くともしれぬ虜囚の身を慰めるにはいささか心もとなく、彼女の心は深い悲しみに囚われていた。

しかも愛する父王は明日ともしれぬ悪病に冒されているという。

この塔に出入りする唯一の存在、彼女の又従姉妹でもある所長のマルガレーテより、父王の病状を聞かされ、レオノーラの心は折れつつあった。


そんな折だった。

彼女の元へシロフクロウが訪れたのは。

フクロウはそっと絵本の傍らに降り立ち、もの問いたげに大きな金色の瞳を向けるのだった。


「あなたはどこから来たの?私はエルボーンから送られてきたの。」

「あなたは一人なの?私は一人。一人でずっとここにいるの。」

「あなたはいつまでいるの?夜明けまで?私は……私はいつまでいるのかしら。」


フクロウはただ静かに彼女の問いかけに耳を傾け、時折ぱちくりとまばたきをするのだった。

それが相槌というわけでもなかろうが、レオノーラは一人ぼっちの寂しさを紛らわすかのごとく語り続ける。

やがて睡魔が彼女に訪れ、粗末な寝台に身を横たえてもフクロウは傍らにあった。

それはまるでレオノーラを見守るかのようで、彼女は虜囚となって初めて安らかに眠りにつくのだった。



アランが第6班を掌握して以来、度々マルガレーテが姿を見せるようになった。

もともと気まぐれで神出鬼没な彼女のこと、その思考を追うのは困難だが、どうやらアランの行動に関心を抱いたようだった。

ある日は巡回についてきては退屈そうに囚人の監視の様子を眺め、またある日は班員たちの食事の場に上等なワイン持参で現れ、何が楽しいのか一人がぶ飲みする。

初日のように訓練中にちょっかいをかけることもある。

マルガレーテの奇行に班員たちは内心不信と疑念を抱いたが、隊長のアランが気にする素振りを見せないので、努めて無視していた。

こうした所長の行動は、副所長のノルドの悩みの種で、度々意見をするのだがその度にあっさり封殺されてしまう。

ただまあ、これまでのように行方知れずになることも少なくなったのが僅かな慰めではあった。

ジュドー補佐役は特に関心を持っていない。

頭の中が銭勘定だけで動いているこの男にとっては、鉱山の生産量が向上するのなら、所長の奇行もアランの言動もどうでもよいのである。

むしろ看守たちのたまり場にマルガレーテが顔を出すことで、看守たちの規律が改善し生産量が増えたことを喜んでいたくらいであった。

さて、マルガレーテが出没するのは、看守たちのいる場所とは限らなかった。


ガチャリ。


「あら、おかえりなさい。」


私室の扉を開けて、アランは一瞬硬直した。

鍵をかけていた自室の質素な寝台に、マルガレーテが寝そべっていたのだ。


「固いわね、あなたのベッド。」

「……なにか御用でしょうか、所長。」


アランの問いかけには答えず、ツカツカと歩み寄り、右手を取って顔の位置に持ち上げるマルガレーテ。

その視線は中指にはめた白銀の指輪に注がれていた。


「確か15年位前に帝国が攻め取った小国ラモーズ、そこの伯爵家の紋章よね、これ。」

「……」

「確かラモーズでは当主の血族には金の装飾品を身につけさせるけど、庶子が身につけることは許されなかったはず。

あなたも家の道具だったってわけだ。」

「……それが、何か。」

「別に。」


マルガレーテはその真紅の瞳から表情を消しアランの顔を覗き込む。

彼女のルビーを溶かしこんだような赤い瞳に、アランの険しい表情が映り込む。

彼の黒曜石のような瞳に、マルガレーテの人形のような顔が映り込む。

言葉をかわすこともなく、二人は互いに相手の瞳を、そこに映る自分の顔を見つめ続けた。

ついと、視線を外したのはどちらからだったろうか。


ガチャリ。

音を立て扉が開かれ、マルガレーテは去っていく。

別れの挨拶は、なかった。



「伴をなさい。」

「……は。」


例によって例のごとく、訓練の様子を眺めていたマルガレーテは、いつもの様に唐突にアランに命じる。

いつもの総括を切り上げ、諾と応じるアランを第6班のメンバーは目をパチクリとして見送った。


「その籠を持って。」

「は。」


どこにおいていたのやら、パンやキッシュの詰まった手提げ籠を押し付け、後ろを見ずにスタスタと歩くマルガレーテに黙々と従うアラン。

どうやらマルガレーテはレオノーラの囚われた塔へと向かうらしい。

なぜアランを伴としたのか何一つ説明することもなく、またアランが従うことを疑う様子も見せず、彼女は歩いてゆく。

そうすることが当然であるように、すでに決められていたことのように。


「ごきげんよう、レオノーラ様。」

「マルガレーテ……様。」


アランを傍らに、機嫌よく挨拶するマルガレーテとは対照的に、緊張で顔をこわばらせるレオノーラ。

二人の美姫はいずれもよく似た顔立ちながら、どこかが対照的に違っていた。

深い深い影の中にある赤い月のようなマルガレーテと澄んだ蒼き空へと登る太陽のようなレオノーラ。

それはおそらく生まれや育ちに由来したものであることを、理性によらずアランは知った。

そしてそれがおそらく、マルガレーテが見せようとしていたものであることも。

アランを給仕として二人の美姫は、少なくとも表向きは和やかに会食を進めた。

話題に登るのは、今日の天気とエルボーンから届く所々の噂。

ギルモア侯爵の活躍と王の病状に触れる度、ビクリビクリと体の強張るレオノーラをマルガレーテは見つめる。

それは刃も魔術も使わぬ戦いであり、レオノーラは防戦一方であった。

その様子を痛ましく思うも、アランは眉を僅かにひそめるに止め、静かに給仕を続けた。

会食は終わり、塔をあとにするマルガレーテとアラン。

マルガレーテは、塔に出入りするときに不可欠の昇降機を動かす護符を、アランに見せつけるように豊かな胸の間にしまい込み、艶然と微笑んだ。


「あなたはどちら?本物?偽物?」

「私は、私です。」

「そ。」


真紅の瞳と漆黒の瞳が絡みあい、別れた。

先夜のごとく、別れの挨拶はなかった。



「”我は仮初の命を呼ぶ”」


呪文を唱え白いハンカチを放り投げる。

床に落ちる前に、それは白く大きなフクロウへと転じる。


「”我は仮初の命を呼ぶ”」


続いて投げ出すのは革のベルト。

床に落ちるやいなや、それは蒼き蛇へと転じる。


「行け。」


一言命令を伝えると、忠実な仮初の使い魔たちは即座に行動を開始した。

これら2体の使い魔を使い監獄内を調べること一ヶ月、アランはようやく監獄内の全容を把握した。

看守たちの官舎、囚人たちの閉じ込められている地下の坑道、海底遺跡に通じる封鎖された坑道、特別房、そして武器庫。

最も手こずったのはレオノーラ姫のいる塔である。

石作りの20mの塔の頂上にしつらえた特別房に出入りするには、所長であるマルガレーテの持つ護符にのみ反応する魔法の昇降機を使わねばならない。

幸い明かり取りの窓があったため、鳥であれば中の様子をうかがうことが出来た。

こうした所内の地理に加え、巡回のタイミング、人員、当番等の警備体制を、蛇の使い魔を通じて海底遺跡に待機するセシリアに伝える。

バートの潜入が遅れているため、ジリジリとした焦燥感に苛まれながらもアランとセシルは着々と囚人たちの救出計画を準備してきた。


これまでのところアランの制約を受けていなかった。

だがそれは警戒の対象となっていないというわけではない。

少なくともアラン自身はそう思い、神出鬼没のマルガレーテの動きに神経を尖らせていた。

明らかに普通の看守とは違う自分の動きが制約されていないのは、マルガレーテによって泳がされているからなのだと考えていた。

それ故レオノーラ姫を発見しても、彼女の憔悴に心を痛めても、努めて接触は避けてきた。

だがアランは今夜、その禁を破ろうとしていた。

理由は二つ。

一つは、バートの収監の日が決まり、囚人救出の期限も残り2月と近づいたこと。

そしてもう一つは、マルガレーテとの会話。


マルガレーテとの会話の中で、アランは確信した。

マルガレーテは、アランが何らかの使命を帯びて潜入していると認識していること。

アラン同様妾腹の彼女が、家の道具として動かされていること。

彼女は自身の境遇を是としてはいないこと。

故に、だがそれ故にこそ、彼女はアランの反乱を待ち、それを打ち破ることを願っていること。

それは道具である自らの存在証明であり、同時に道具である自身を投影したアランを倒すことで揺らぐ自己を確立したいと願っていると。

彼女は人形である立場と、人間である自身の間でゆらぎ、迷い、悩んでいた。

なればこそ彼女は人形となろうとしている。

よく似たアランを殺すことで。

そう理解したのは、やはりアランがマルガレーテ同様家の道具であった故。

そして、アランはマルガレーテと異なりバートとの家族であったが故。


「似ている」という言葉は二つの矛盾する概念を内包する。

「同一である」ということと「異なる」ということと。

アランとマルガレーテはどうしようもなく似ている。

それゆえに二人は互いを理解し、決別した。


シロフクロウは飛ぶ。

レオノーラのもとに。

彼女に開放の時を知らせ、希望をもたらすために。

蒼き蛇は地下へと走る。

セシルのもとに。

彼女に開放の時を知らせ、備えるために。

アランは二体を解き放つ。

マルガレーテのもとから。

彼女に決着の時が近いと伝えるように。



青い青い月光が孤独な監獄を照らす。

月明かりを背負いて、塔へと飛ぶシロフクロウをレオノーラは諦観とともに見つめていた。

音もなく夜を駆ける白き影が月光を遮り、彼女は外界へと開いたただひとつの窓を眺めやる。

そこにあったのは白い白い大きなフクロウ。

おもわずその白くたおやかな手を差し伸べるマルガレーテ。

だがその白き夜の鳥はその手に振り払うかのように、石造りの塔へと降り立った。

それは彼女が変わらず孤独であると知らされた夜の物語。

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