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監獄(前)


さて時は二月ほど遡る。

看守の採用試験に合格したアランは困惑の中にいた。


(私は看守に採用されたはずだが、なぜここにいる?)


こことはバロッド監獄の所長執務室、アランは6人いる看守長としてそこにいたのだ。

副所長ノルドからの訓示の後、自己紹介。

返される胡散臭げな視線とまばらな拍手。

これで赴任の挨拶は終了し、補佐役のジュドーから一時間程度の研修を受け、最後に4人の部下を紹介される。

どれもこれも見たことのある顔ばかり。

当然だ、自らが腕試しで打ち破ったものばかりなのだから。

巨漢でモール使いのアッシュ、双子のナイフ使い、ブレイドとクレイド、痩身の槍使い、ディーン。

だれもが気まずそうに視線を交わし合っている。


(なるほど、ここには人を育てるという意識がまるでないらしい。)


看守が次々逃げるのもむべなるかな。


(4人共筋は悪く無い。サビを落とし鍛えなおせば使い物になるだろう。)


先ほどの看守長たちとの顔合わせから、自分たち新入りがこき使われるのは予想がついていた。


(実に都合がいい。

4人を鍛え直す機会として使わせてもらうとしよう。)



アランはまず全員に武装を点検させ、調整させた。

看守たちの装備については看守長持ちで予算も組まれているが、そんなものを馬鹿正直に用意するものはいない。

中抜して劣悪な装備をよこすのは当たり前、雀の涙ほどの小銭をよこして手弁当というのが大部分だった。

故に実質看守たちの装備は自己負担であり、武装はバラバラ、高価な鎧に至ってはせいぜい革鎧止まりという有様である。

現にアランたちの班の鎧も、キルテッドシルクと呼ばれる布鎧に鉢金という具合だった。


(最低でも全員に革鎧は配備しないとな。あと水準以上の武器も必要だ。)


ひとまず全員が武装を整えたのを見て、不足を確認すると、アランは宣言する。


「お前たちを鍛え直す。少なくとも私の足元程度には。しばらくは基礎鍛錬だ。励めよ。」


そう言ってそのままランニング。

アラン自身が最後から走り、ペースについていけなくなるものは後ろから木刀で突いて強引に走らせる。

監獄を30周ほどしたあたりで全員が倒れ伏し、水を与える。

一息ついたとおもいきや次は模擬戦、相手はアランだ。

アラン相手に一本入れたら終わりという条件で、これまた全員が倒れ伏す。

水を与え、食事を与える。がっつかないよう、ゆっくり噛み砕いて飲み下させる。

そして次は全員隊伍を組んで行進、やはりアランが最後から歩き、少しでもリズムが崩れたらなんどでもやり直させる。

三度倒れ伏す班員たち。

文句を言っても良いし、反抗しても良い。

ただそうすればアランに叩きのめされるだけだった。

一度は4人全員でかかってみたが、時間差で全員が殴り倒されるに終わり、班員たちはひたすらこのシゴキに耐えるしかなかった。

何より自分たちがいくらしんどいと訴えても、同じメニューを隊長であるアラン自身が平気でこなしているのである。

いくら惨めでも苦しくてもやるほかなかった。

そして日が暮れ、精魂尽き果てた班員をひとりひとり褒めていく。

アッシュは一度も弱音を吐かなかった意志力を。

ブレイドとクレイドは互いを補う協調性と観察力を。

ディーンはどれほど疲れきっても必ず抗議してくるその反骨を。

そして全員に不足を示し、克服する方法を伝え、一日を終えるのだ。

班員たちは訳がわからず互いに顔を見合わせた。



アランのシゴキは4週間続いた。

巡回の当番、何故か彼ら新入りは他の班の3倍の頻度で回ってきたが、その日も変わらず、一日たりとも弛むことなく続けられた。

朝一番で運動場に飛び出し、声を出し、清掃した後ランニング、監獄を三十周したら模擬戦。

朝食はゆっくり噛み砕いて飲み込み、隊伍を組んで巡回。

休憩時間はまた訓練。

巡回、訓練、その繰り返し。

一日の最後に、一人ひとりアランの教示を受け、成長を褒められる。

このような日々を4週間も続けていれば、班員たちには強い連帯意識が身につき始めていた。

自分たちは他の班員とは違う、誰よりも苦しい訓練を続けているのだ、そういう意識である。

最初はその厳しさを憎まれたアランであったが、毎日かかさず繰り返される訓練と評価を通じて、不思議な信頼感を醸成していった。

相変わらず鬼であると言われてはいたが。

そしてシゴキが続いた28日目、班員たちは一人づつ呼ばれ、真新しい革鎧と赤い鉢巻、スクラマサクスと呼ばれる分厚い短刀を与えられた。

お前たちは一人前だ、とアランは言った。

共通の体験と共通の装備、厳しい規律と自負心。

後に赤鉢巻の第6班と呼ばれる精鋭の誕生だった。



監獄で最初のその変化に気づいたのは、副所長のノルドだった。

囚人たちの生産性が増しているのである。

彼はすぐにジュドー補佐役を呼び、この4週間の変化を調べ直した。

原因は明確だった。

28日のうち半分に渡る14日間についてアラン率いる第6班が巡回・監視していた。

それもただ無闇に鞭を振るうのではなく、明らかなサボタージュ、反抗に限って武力を振るう。

だがその監視の目は厳しく、理由なき怠惰は見逃さない。

さらに囚人たちの様子に気を払い、疲れたものがいれば休ませ、負傷したり病のものは手当までしていた。


「勤勉な看守ですな。」

「うむ、だが……」

「そんな人間がなぜこんなところに。」

「そうだ、それだ。」


更に調べてみると、第6班は他の班とは一線を画す規律正しい集団であった。

隊長であるアラン自身が自腹を切って装備を改め、厳しい訓練を施し、わずか4週間でありながら精鋭といえるだけの規律を持っていたのだ。


「どうやら新入りばかりの看守たちですな。」

「この監獄になじまぬうちに、独自の集団として鍛え上げたか。」

「へぇ……面白いわ。」


ノルドとジュドー、二人だけだったはずの会話に横合いから嘴が突き入れられる。

その嘴は、どこか艶っぽく掠れた若い女の声をしていた。


「お嬢様!?」

「所長、いつからおいでに。」

「いつでもいいでしょう。そんなことよりその新入りの看守たちについて話しなさい。」

「はっ。新しく採用した看守長はアラン、元冒険者です。

仲間を失いパーティーを解散し、看守に応募してきたとのことです。」

「お金に困っていたの?」

「いえ、先程もジュドーと話しておりましたが、自腹を切って4人分の装備を整えております。

金に困っている様子はありません。」

「採用官の所感によりますと、仲間を失ったことによる自暴自棄ではないかと。」

「なるほど、仲間を失い世捨て人となっていたのが、部下を与えられやる気を取り戻したということか。」

「……代償行為、ってところかしらね。」


所長と呼ばれた女性、マルガレーテは銀砂の如き美しい髪先を白魚のような指先でくるくると弄ぶ。

ねじれた髪はその弾力に従ってくるりと回り、夕日に反射してキラキラと輝いた。


「いかがします、所長。」

「放っておきなさい。」

「しかし、看守の分を弁えぬ越権行為かと。」

「放っておけ、と私は言ったの。

その看守長の行いはなにか不都合?」

「いえ。」

「むしろ囚人たちを効率よく動かしておりますな。」

「ならば問題なし。」


ひらりと身を翻して、マルガレーテはゆっくりと歩み去る。

その時にはもうすでに、監獄の変化も、所長の仕事も消え去り、ただ変わり者の看守のことがかすかに脳裏に残っていた。



その日も赤鉢巻の6班は、朝から訓練に精を出していた。

夜明けの太陽に向かって腹の底から挨拶し、運動場を清掃した後ランニング、その後は木製のダガーを使った模擬戦だ。

坑道のような狭い場所では、何よりナイフのような小さな武器の扱いが重要になる。

それ故、アラン自らが率先してダガーの扱いを学ばせていた。

そんな様子を銀髪の女が見ていた。

品の良い青に染めた絹のシャツに動きやすいズボン。

腰には白銀のレイピアを佩き、精緻な彫刻の施されたマン=ゴーシュを添えている。

いずれも綺麗な装飾が施され、彼女の高貴な身分を思わせる。

彼女はどこから手に入れたのかこれまた美しい投げナイフを弄んでいたが、何の前触れもなくアランに向かって投げつけた。


キンッ


鋼と鋼がぶつかったとは思えない澄んだ音がして、飛来したナイフが叩き落とされる。

ざわめく第6班。

アッシュなどは肩を怒らせ、訓練の邪魔をした不埒者を睨みつける。


「……なにか御用でしょうか、所長。」


アランはゆっくりと振り返り、静かに問いかける。


「別に?」


明確に殺気を込めてナイフを投げておきながら、もはや関心を失ったように返すマルガレーテ。


「汚れたわね、そのナイフ。」

「……」

「要らないわ、あなたにあげる。」


眉をかすかにひそめるアランには目もくれず、踵を返す彼女だった。


(腕は立つ……部下の忠誠もこの短期間で掴んでいる……なぜあなたのような男がここにいるのかしら、アラン?)


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