旧き神殿にて
一
ガツン!
横一列に並んだガタイのいいゴブリンに、脇を閉めて力いっぱい体当たりをする。
狙い通り中央のゴブリンが姿勢を崩し、よろけて隊列が乱れる。
左手のゴブリンからの攻撃は盾でカバーしつつ、右手のゴブリンの脇腹に剣をねじり込む。
絶命。
左手のゴブリンにもう一発シールドバッシュ、緑色の汚らしい太ももを切りつけ、大動脈を切り断つ。
絶命。
最後にようやくよろめき立とうとした中央のゴブリンの首を切り飛ばす。
絶命。
残心のまま周囲を警戒し、これでようやく最後のゴブリンかと一息をつく。
10体前後で群れを作るゴブリンのことだ、15体斬り殺した時点で十分討伐には成功したと言っていいだろう。
この古ぼけた建物はひっそりと静かなものだ。
直径10m程度の石のドームは、年月とゴブリン共によって汚され、かつての荘厳な空気はまるで感じられない。
「それにしてもここは一体?神殿にも似てるけど、六精霊のどれとも違うな。」
安心したせいか、癖となった独り言が顔を出す。
いけない、いけない、ここはまだ敵地なのかもしれないのだ。
まだまだ安心するに早すぎる。
剣士ギルド”輝ける大君”の卒業試験として、王都近くの山村にあるこの古い遺跡に派遣された僕は、ようやく課題である単身でのゴブリン討伐を果たしたところだ。
討伐したゴブリンの首10個を持って帰れば(正直いってそれだけでも一仕事だ。)、僕は晴れて一人前の剣士となる。
傭兵稼業も冒険者稼業も、もちろん王国軍への仕官も可能になるという寸法である。
ようやくこれまで僕を育ててくれた兄に恩返しができるというものだ。
床に放り投げていた松明をひろいあげ、あたりを照らし見回す。
ゴブリンが溜め込んでいたお宝は自由に持ち帰って良い、という約束となっている。
(何もない……地上の6部屋は全て調べたはずだ。ねぐらは別にあるのか?)
注意深く、ドームの奥に進むと祭壇らしきものが壊され地下への階段があらわになっていた。
(この奥か。)
暗くて狭い場所は好きではない。
僕の最初の記憶、小さな部屋へ閉じ込められ、火と煙に巻かれていたのを思い出すからだ。
15年経つ今でも、助けてくれた兄さんともども、その時の火傷の傷が残っている。
それは揃いの指輪と並ぶ僕ら兄弟の証だ。
さて、これも卒業試験だ。行くしかないだろう。
盾をひょいと担ぎ直し、松明を掲げて、僕は一歩一歩地下へと踏み入っていく。
ニ
僕の名はバート、バート・ウォーロック。
今年で18になる剣士の卵だ。
身長は190センチを超え、肌は無数の白い傷跡が残っている。
この5年間の修行の証であるそれは、骨太でがっしりした肉体と相まって、敵を威圧するに十分な生きた勲章となっている。
張りのある白い肌と、松明の光に煌く金の髪、空を溶かしこんだような青い瞳。
いかにも戦士らしい姿は自慢でもあり、同時に、尊敬する兄と何一つ似ていない容姿は密かなコンプレックスであったりする。
(せめて髪か瞳の色でも黒ければいいのに……)
今を去ること15年前、大陸を二分する強国である帝国が統一事業の仕上げとしてひとつの小国に戦いを挑んだ。
交易で財をなしていた小国の、街道を押さえることが目的だった。
小国は必死に抵抗したものの、圧倒的な軍事力の前にあっさりと踏み潰され、何人かの未亡人と孤児を世に吐き出した。
こうして東方の王国へと逃げ出してきた孤児たちの一人が僕であるらしい。
あるらしいというのも、当時の僕はまだ3つでさしたる記憶を持っていないからだ。
ただ覚えているのは、火に巻かれた部屋と僕を助けてくれた兄の大きな手のひらだけ。
なんでも僕の亡父は何とかという高名な騎士だったとか、そのせいで帝国軍の略奪を受けたのだろう。
残されたものは、僕の中指に光る黄金の指輪と、兄の白銀の指輪だけ。
正直言えば申し訳ないが、死んだ父にも無くした祖国にも関心はない。
ただ、この指輪は、兄と僕を繋ぐこの指輪だけは命にも等しい宝物だ。
幼い僕を背に負い、何千里という道無き道を踏破した兄がようやく辿り着いたのは、王国首都から程遠いど田舎の小さな山村だった。
僕はそこで兄に育てられた。
兄は昼夜を問わず山野に分け入り、薬草を取り鳥獣を狩っては日々の糧とした。
苦いばかりの薬草や、味のしない硬い木の根、骨がらばかりのスープ……記憶に残るのはそんな食事ばかりだった。
正直子供の好む食事ではないと思ったし、今もそう思う。
だけど兄が言うように、その食事はたしかに滋養があり、僕を今のように立派に育ててくれた。
兄は僕の最初の師匠でもあった。
山野を駆けまわって肉体を作り、樫の木を削って作った木剣を振っては体を鍛えた。
炉端の灰で文字の読み書きを教え、偉大な精霊や、立派な騎士の物語をしてくれた。
鳥獣の骨を削ったサイコロや駒を使って、基本的な戦術をゲーム仕立ててで教えてくれたのも兄だ。
無愛想でしかめっ面ばかりの兄だったけど、僕への愛情を態度で示してくれていた。
僕はそんな兄が大好きで、13の年に剣士ギルドに入れられることになって、泣いて喚いて抵抗したものだ。
今にして思えば、身長160センチの男が泣き喚く姿というのは非常にみっともないものであるが。
三
遺跡の地下はひんやりと湿っていた
壁いっぱいのヒカリゴケが青白い燐光を放ち、松明の明かりと合わせて視界には苦労しなかった。
それでも息が詰まる気がして、僕は大きく息をつく。
トラやライオンといった猛獣も、ゴブリンやオークといった魔物たちも、さして怖いとは思わない僕だけど、やはり閉所は嫌いだった。
ギルドの教官にも同期の面子にも度々笑われたものだ。
「『恐れ知らず』のバートを殺すには剣なんていらない、古井戸の一つにでも蹴り込めばいい。」
ひどい言葉だとは思うが事実なのでなんとも言えない。
過去の思い出に恐怖を紛らわせながら、10mほども進んだだろうか、ポッカリと広い空間に出た。
そこはゴブリン共によって汚らしく散らかされていたけれど、それでもやはり神聖な空気が漂っていた。
僕は何か呼ばれた気がして、ふらふらと広間の中央へと近づく。
そこには目にも鮮やかな白い大理石の祭壇があって、よくわからない古い文字で飾られていた。
祭壇を一歩一歩上がる。
僕の歩みに連れて、祭壇を取り巻く松明がボッボッと音を立て清らかな青い炎を灯していく。
やがてボクは清浄な青い円環に囲まれ、純白の祭壇の中央に立った。
松明が清浄な火の粉を巻き上げる。
その光は熱くもなく冷たくもなく、まるで蛍が天へと人の魂を運ぶかのように、静かにただ静かに舞い上がっていた。
僕はまるで催眠術にでもかかったようにぼんやりとした意識の中で、兄と過ごした山村の囲炉裏の側を思い出していた。
そして僕は、青い燐光に包まれ、姿を消した。
四
ドンッ
鈍い衝撃音とともにバラバラに引き裂かれる視界。
鉄錆臭いまっかな液にまみれながら、僕はそれでもあの子を探した。
左目の視界でかすかに見えた、母親らしき女性にすがりつく女の子。
ああ、よかった。
それだけ確認したら、安心して意識が途切れた。
そのリアルな夢に僕は跳ね起きる。
周囲を見渡せば、みずみずしい緑の草原に、赤や黄色と色鮮やかな花々が咲き乱れ、遠くではいかにも速そうな栗毛の馬が草を食んでいる。
耳に聞こえるのは鳥の囀り、生命力あふれる土と草の匂い……僕は暖かでやわらかな草の寝床に横たわっていた。
「ここはどこだ……まるでおとぎ話の精霊の国じゃないか……」
「左様、精霊の国、あるいは天国じゃよ。」
突如聞こえる優しげな声に慌てて振り向く。
とっさに愛剣を探す手が今は虚しい。
(しまった、武装が解除されてる!?)
「安心いたせ、この地にはお前さんを傷つけるものはない。」
「……」
「そうじゃったろう、穂村一斗。」
「なに……を……」
その声の主は、白い髪に白い髭、節くれだった長い杖を携えた老人だった。
不思議なことにあの遺跡で見た青い燐光が取り巻いている。
(どこか、遠い昔に何処かで出会ったことがある……)
そしてホムラカズトという聞き慣れぬ、でも懐かしい呼び名……
赤い鮮血に彩られた夢……
それらが相まって、僕の脳裏でひとつの像を結ぶ。
「神……様……?」
「左様、ようやく思い出したか。」
そう、僕はこの方に拾われて、今の世界に転生したのだ。
五
穂村一斗、享年18歳。
死因、交通事故に巻き込まれた女児を庇い、全身打撲の上での失血死。
幼い頃からひ弱で、友人の少なかった僕の葬式には、意外なくらい多くの人が参列してくれた。
のべ数ヶ月しか会ったことのないクラスメイト、進学先が違って疎遠になった幼なじみ、母校の恩師、主治医の先生、それに僕が助けた女の子とその両親。
皆程度の差こそあれ、僕の死を悲しみ、悼んでくれた。
中でも深く悲しんでいたのは祖父母だった。
共働きで忙しい両親に代わり病弱だった僕を実際に養育してくれたのは祖父母だ。
なればこそその場の誰よりも悲しんでいたのに、でも祖父はこういってくれた。
「病弱な孫が、最後に未来ある人を救い逝きました。愚かで罪深いことであります。だが、それでも私は孫を誇りに思う。」
(僕はヒーローになれたのかな、おじいちゃん。)
「なれたよ、なれたとも。」
ひとりごちる僕に声をかけてくれたのが神様だった。
神様は僕の愚かしくも勇気ある行為を賞賛し、自らの創造された世界の一つへの転生を許してくれた。
それも3つの特別な贈り物をつけて。
「何を望むかね、穂村一斗?」
「健康な肉体と、健全なこころと、良き師匠を。」
「それでいいのかね?」
「はい、それは穂村一斗が心から欲しかったものですから。」
ふむ、と神様は唸り、まばたきを二度。
「魔法は?」
「よくわからない力を使って、人を傷つけたくないです。」
「忠実な恋人とかは?」
「そ、そんなの僕には早すぎます!」
別にカッコつけたわけじゃない。
生まれてこの方一度も恋人のいなかった僕はただひたすらに恥ずかしかっただけなのだ。
六
「あれから18年、どうであった穂村一斗。お主の望むお主になれたかの?」
「おかげさまで、健やかに過ごしております。アランという良き師に恵まれ、一人前の剣士と成れました。」
そうかそうかと髭をしごく神様。
容姿はまるで違うけど、その動作は優しい祖父を思い出し、自然と頬が緩んだ。
「さて、穂村一斗、そなたを呼んだのは他でもない。そなたを送った世界に危機が迫っておる。」
「危機、ですか……?」
「左様、世界を食いつくすほどの怪物が目を覚まそうとしておる。
誰かが止めねば、ワシの世界は食いつくされて虚無へと落ちよう。
そこでな、そなたをまた別の世界へ転生させようと思うてな。」
「え、どうして?」
「滅びるやもしれぬ世界で第二の生を送らせるのは、斡旋したワシの落ち度じゃ。そなたをわざわざ救うた意味が無い。」
「僕だけが救われるというのですか……」
脳裏に浮かぶのは厳しくも優しい兄アラン、そして愚かで罪深いと言いながらも僕を誇りであると言ってくれたおじいちゃん。
「神様、お願いがあります。どうか僕をお救いにならないで。」
「なんと……?」
「あの世界には兄がいます、友がいます。僕のもう一つの故郷です。もしそれが壊されるというのなら、僕は皆とともに抗いたい。」
「良いのかえ。長く苦しい旅となろうぞ。」
「構いません、どうか僕に頑張らせてください。」
ふむ、とかつてのように神様は唸り、また瞬きを二度した。
「わかった。そなたに賭けてみよう。その証として、ワシへの祈りの力を授ける。」
神様を取り巻いていた青い燐光が集まり、僕の左胸に聖印を刻む。
鉄ゴテを当てたかのような激痛が走り、骨を溶かすほどに熱く、心臓の奥底へとそれは刻まれた。
「征くが良い、穂村一斗。否バート・ウォーロック、我が戦士よ。」
そして僕は再び世界に降り立った。
この戦乱渦巻く、トラジェスタへと……。




