お祭り騒ぎ
生きている内に、あるかないかのお祭り騒ぎが港の国イソプロパノールで始まっている。
皆が仕事を休み、パルティエ皇女様のお輿入れを一目見ようと、国の外れの平原に集まった。
彼らは口々に自分の持つ情報を囁き交わす。
なんでも、トスカノ国は空飛ぶ船で皇女様をお迎えに来るから、着地場所に平原を指定されたらしい。
だから我らが王様は、大急ぎで平原のここに、皇女様引き渡しの儀用の立派な建物を建てたんだよ。
ほら、ご覧、あれが引き渡しの間がある建物だ。『ブルー・パール』って王様が名前を付けたんだ。
きっと今頃、パルティエ様がご支度をなさっているね。
白塗りの壁に、海色の瓦屋根。爽やかで上品だねぇ。
それにほら、あの大鐘!何て立派に輝いているんだろう!
大窓のステンドグラスには海王神様の物語が表現されているってさ。
一月後から教会として使うらしいよ。早く中がみたいなぁ。
うんうん、まるで小さな城だ。
立派だなぁ……。あの金色に輝く大鐘は、どんな音色なんだろう?
それにしても空飛ぶ船とは、一体なんぞや?
皆が自国自慢の港に浮かぶ船を、記憶の中に見、それぞれ空に浮かせて思いを馳せる。
その大騒ぎの中を、鼠色のフードを被った大小の影が縫う様に駆けて行くのに、誰一人として気づかない。
かくして遥か上空に現れた大きな飛空船に、大歓声が巻き起こった。
大小の影も、思わず足を止めて空飛ぶ船を見上げる。
「想像以上だな」
大きい方が、上を見ながら言った。
小さい方は、ジッと上を見詰めながら、フンと鼻を鳴らした。
その小生意気な顔に、巨大な影がかかる。
「なんだよ、自分よりデカい物を見るのは初めてか?」
ばぁか、と言って、大きい方がまた駆け出す。
小山の様に大きいのに、その身のこなしは恐ろしく軽やかで、早い。
二人は溢れ返る人ごみを駆け抜けて、平原に用意された飛空船の着地地点を目指す。
国にこんなにもいたのか、と驚く程の数の衛兵が、着地地点と群がる民衆を横一列になって仕切っている。反対側は切り立った崖なので、民衆も無理にそちら側に回ったりしなかった。なにしろ、『ブルー・パール』側が見ものなのだから。
船の着地場所と『ブルー・パール』までの間は、真っ青な長絨毯が敷かれ、まずはトスカノ国の迎えの使者がそこを通り、引き渡しの儀の後、皇女を連れて、船まで引き返す行進が行われる。
そこもズラリと衛兵が並び、守りを固めている。
迎えの使者は、容姿端麗で有名なトスカノ国第五皇子だというから、国中の女達はこぞって長絨毯の前を陣取った。
地鳴りの様な音を立てて、ようやく飛空船が民衆の真上に来ると、人々はさすがにちょっと怖くなって、後ずさった。
のっぺりと大きな船から、バアン、と爆発音が轟いて、皆が悲鳴を上げた。
地面にひれ伏す者もいたが、誰かが「見ろよ!」と上空を指差す。
言われなくても皆、元々上を見上げていたので、大きな花火が空に咲いたのを見逃してしまったのは、少数だった。
もう一つ、バアン、と音がして晴れ渡った空に花火が咲いた。
パンパンパンと立て続けに破裂音がして、輝く煌めきが空を覆った。
一呼吸置いて、大歓声が巻き起こる。
呆然としていたイソプロパノール音楽隊も、慌てて晴れやかなファンファーレを奏で出した。
主役は自分だ、とばかりに堂々と地面に降りて来る飛空船を見上げながら、「派手だなぁ」と小さい方がニヤリと笑った。
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飛空船が下降を始めると、上から抑え付けられる様な強い風が起きて、小さい方のフードをさらった。
「おっと」
金髪を乱れさせて、サッとフードを被りなおす。
風に正体を露わにされたのは、バドだった。
明るい空色の瞳が、素早く周囲を見渡して警戒する。
誰も彼も上を見上げるのに必死で、彼に気付いていない様だった。
知り合いも近くにはいない様だ。
そりゃそうだ。と、彼はほくそ笑んだ。
彼の知り合いのほとんどは、こんな所に見物に来たりしない。
スリで稼げそうだが、それよりも実入りのデカい空き巣に持って来いの、こんなラッキーチャンスは、そうそう無いのだから。
「だから俺みたいに、その上から手拭いで縛れって言っただろ」
大男が、フードの上から細長い布(テヌグイ、と彼は言う)をグルリと巻いて、顎の所でキュッと結んでいるのを指差した。
「やなこった。鏡見た?こんなのが二人いたら面白すぎて、逆に目立っちまうぜ」
突風を巻き起こしながら飛空船は着陸し、打ち合わせ済みなのだろうか、イソプロパノール音楽隊がトスカノ国の国歌を勇ましく奏でると、飛空船の搭乗口が吊るし橋の要領で開き、そのまま地面に着いて、地上への階段になった。
まず現れたのは、見事な銀の胸当てを着け、濃い群青色のマントを羽織ったいかにも育ちの良さそうな小柄な若い騎士だった。
おっとりとあどけない顔をしているが、大衆の只中で視線を集めているというのに、大して気にも留めていない様が、彼の度量を証明している。
珍しいエメラルドの様な新緑色の髪色が、若い女達の目を引いた。
成程、見れば可愛らしい、整った顔立ちだった。
彼の後にゾロゾロと出て来た兵たちを、慣れた様子でサッと腕を払って整列させると、皆が己の剣を胸の前に掲げた。
「獅子の団」だよ、ほら、マクサルトの滅亡を見た、と誰かが誰かに囁く声がする。
あれが、とバドが少しだけ身を乗り出して「獅子の団」の隊長を見た。
随分若い様だけど、一体幾つの時にマクサルトへ赴いたのだろう、と不思議に思う。
「ガキの頃から軍人か。手強そうだ」
傍らの大男も、頷いた。
「あれより厄介なのが出て来るぞ」
わぁ、と歓声が上がった。
ついに飛空船から、トスカノ国第五皇子が降り立ったのだ。
堂々とした長身で、正装の下で暑苦しく無い程度に、筋肉が盛り上がっている。
黄金色の肌は若々しさに輝き、豊かに背まで垂らした髪と凛々しい瞳は鮮明な黒。
ハッとする程目を引く美貌を、笑顔で輝かせ爽やかに手を上げた。
その見事な見栄えに、イソプロパノールの民衆は、自分たちも皇子を持ちたかった、と少しだけ悔しい思いを胸に秘めた。
ううむ、と大きい方が唸った。
「強い」
修羅を潜って来た大男の目に、狂いは無い。彼がそう言うのだから、きっと強いのだろう。
バドは頷いて、トスカノの皇子から意識して目線を外した。
これ以上見ていると、視線に気付かれそうな予感がしたのだった。
案の定、かなり距離があると言うのに、皇子はこちらをチラリと見た。
沢山の視線の中から、確実にバドの視線の軌跡を選び取った。
「本当にお前一人で大丈夫か?」
大男が心配した。
バドは、強い者を見た無意識の興奮に、目尻を釣り上げて瞳を光らせている。
深く被ったフードの陰で、その光はすぐに隠された。
「なめるなよ。それに、一人じゃない」
二人が息を潜める中、トスカノ国の使者達は、真っ青な絨毯を進み花嫁の待つ建物へと入って行く。
「引き渡しの儀」は国民へは披露されないが、集まった人々は退屈を知らず、飛空船を見上げたり、「獅子の団」の隊列の製錬さや、外国の麗しい皇子に魅了された余韻に浸ったりと忙しい。
バドと大男は、そうしたおしゃべりの間をぬって、民衆がいない飛空船搭乗口の逆側へ回り込むと、じっとした。
儀式のメインイベントが始まったのか、それとも終わったのか、ゴオンゴオン、と荘厳な鐘の音が響いた。
皆がそちらを見た隙に、二人はサッと飛空船の裏側の陰に溶けた。
飛空船の小さな裏口を守るのは、たった二人の衛兵。
彼らがハッとした瞬間には、バドも大男も駆け出していて、恐ろしい程の跳躍力で距離を詰め、怯む彼らの首筋に鋭い手刀を振り下ろしていた。