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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第十三章
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事の顛末

 ―――鷲よ、鷲。

 戻ってきておくれ。

 あの時の願いを、取り消してやるから―――


-----------------------------


 その鷲は、強く成長した。

 そして、己の身体に与えられた不思議な力を長い年月をかけて自分のものにすると、サッと彼の地へ向かって飛んだ。恩人の美しい人に、お礼が言いたかった。自分はこんな事が出来るようになった、とその人を驚かし、褒めてもらおうと、彼は胸を高鳴らせてヒュウと豊穣の大地の上へ飛んで行った。

 しかし、その人はいなかった。

 探しても、探してもいなかった。

 鷲は悲しかったが、その人との約束を忘れてはいなかった。

 彼はあの時の金髪の少年と、お転婆そうな青い目の娘を探した。

 そうして、その国で一番大きな建物の大きな窓の中に二人の姿を見つけると、鷲は、すい、と窓枠にとまった。

 二人は突然舞い降りた大きな鷲を驚いて見ていた。

 きゃっ、と小さな女の子が、金髪の青年――になっていた――の足にしがみ付いて、彼を見た。

 青い目の女――こちらも、もう少女ではなかった――が、サッと、腕に抱いた布包みを守る様に抱きしめた。

 なんだろう? と、鷲は、首を伸ばしてそれを覗き込む。


「ア・レンを、見たいの?」


 小さな女の子が、鷲を見て舌足らずな喋りで言った。


「連れていかれないかしら?」

「なぁ、エレン。この鷲……見覚えがないかい?」


 鷲は青年の目をジッと見詰めて、「そうです」と初めて人に向けて話してみた。

 上手く通じた様で、男女は目を丸くして鷲を見た。


「あの時、あの方に命を救われました。その代り、貴方達をお守りするよう言われました」


 男と女は、顔を見合わせた。女が、大きな美しい青い目をみるみる潤ませ、男の胸に顔を押し付けた。

 男も、苦い顔で、女を腕に抱いた。

 鷲も、悲しかった。二人の男女の様子を見て、きっとあの人に悲しい事が起こったのだ、と思ったからだった。

 だとしたら、尚更、約束を守ろうと鷲は思った。

 女の抱いている布包みから、小さな小さな手がぴょんと飛び出したのはその時だった。

 それから、元気な泣き声。


「ア・レン、どうしたの? よしよし」

 

 赤ん坊は中々泣き止まない。乳もオシメも必要無しとばかりに泣き続けた。


「どうしたのかしら? よしよし、ア・レン?」

 

 小さな女の子が、赤ん坊を覗き込んでゆっくり言った。自分もまだ赤ん坊みたいなものなのに、その仕草は一人前の姉だった。 


「ア・レン~。ア・レン、わしさんよ。おおきいねぇ? えんえん、やめたら、せなかのせてくれるよ」

「いえ……さすがにそれは……」


 出来かねます、と答えようとして、困ってしまって首をクルッと傾げると、赤ん坊がそれを見て母親譲りの大きな青い瞳を見開いた。

 小さな女の子も、鷲を見て瞳を輝かせた。

 

「わしさん、もういっかい!」

「こ、こうですか?」


 鷲は戸惑いつつも、クルッと鳥類独特の動きで首を傾げて見せる。


 きゃっきゃっ、と赤ん坊が笑った。

 鷲は驚いて、もう一度今度は自然と首を傾げる。

 赤ん坊が、赤ん坊独特の愛らしい声を上げてまた笑った。

 

 ―――ああ、なんて……


 鷲はそう思い、あの人に貰った命と願いを心から幸福に思った。


-----------------------------

 

 クリス皇子の「父上ーー!!」と叫ぶ声が、薄暗い大ホールに響き渡った。

 当のブラグイーハは胸に鋭い物が突き刺さるのを感じて、「マクサルト」と呟いていた。

 鋭い物が、胸から背中へかけて、抜けた。

 ゆっくりと振り返る。


「……お前……」


 ドサッとブラグイーハは冷たい床に倒れた。

 湧き上がって来た血反吐を吐き出し、「恩知らず」とかすれた声で呪った。


「イーハ様」


 ジルがそっとブラグイーハの傍に寄った。その手には、血に濡れた鋼の爪。

 爪の先からポタ、と赤い滴が涙の様に大理石の床に零れた。 


「……私は貴方に命を頂き、人の姿を模せる程の力を蓄えた頃、ア・レン様がお生まれになっておりました……」


 ブラグイーハは彼を見た。助けたかつての鷲の子は、泣いていた。

 まるで自分が泣いている様で、ブラグイーハは彼から顔を背ける。


「あ、貴方は見なかった……。赤ん坊の、ア・レン様を……」


 それはそれは、とジルは身体を震わせる。


「……愛らしかった」


 微笑みと悲しみが入り混じった泣き顔で、ジルは小さく言った。


 赤ん坊の屈託ない笑顔を見たその時から、命と尊い使命を貰った事を、どんなに幸せで誇らしく思った事か。

 赤ん坊は這い、歩き、走る様になり…………ジルは束の間だった幸せな過去を回想して、目頭の辺りに皺を刻んだ。

 その赤ん坊が……慈しみ守って来た子供が……異形の姿で血を流して苦しむのをどうして堪えられよう?

 ジルはずっと前にこうする事を決めていた。

 マクサルトを滅ぼされ、傷ついた子供をブラグイーハから隠す為、異国に手放した時に。カモフラージュの為、木彫りの鳥を彫り、子供がどれだけ悩み苦しむか予想し、歯を食いしばって『バド』と偽名を彫りつけながら、彼はこの顛末を決めていたのだ。


「もっと早く、こうすれば良かった」と、後悔の念を込めてジルは呟いた。

 ブラグイーハが血泡を吐きながらグッグ、と笑った。


「自分で自分に手を下すのを恐れたな」


 ジルは薄く笑った。それは自身への濃い嘲笑だった。

 なんという愚かな事をしたのだろう、という気持ちと、後悔は無い、という気持ちの狭間は居心地が悪くて、彼は正直に白状した。


「……いいえ。私は、ア・レン様の成長した姿を見たかったのです……」

『ジル、どういう事だ』


 バドがなんとか立ち上がり、ジルの傍へ寄ると、ジルは彼に微笑んで見せた。


「イーハ様が死ねば、命を分けられた私も死ぬのです。彼が即死しないのは、私の分の命の為です」

『そんな……』

「ア・レン様、私の我がままのせいでなにもかもが遅くなり……お許しください」


 バドは無言で首を振って、ジルを凝視する。


『ジル……死ぬのか?』


 ジルは微笑んだ。目の前の主が、記憶のままの子供に戻った様に見えたから。


「少し……心配です」

『死ぬなよ』

「いくらでも命を捧げたい」

『いらねぇよ』


 ジルは「ふふ」と、吹き出した。少し想像と違った成長をしたけれど、まぁ悪くない。


「どうかお幸せに」

『ふざけんな』


 ジルは微笑んでから、ブラグイーハへ目を向ける。


「イーハ様、ご子息にお別れを」

「……」

「呪いを解いて差し上げて下さい」

「……とうにそんな力は無い……」


 そう言えば、とバドがクリス皇子を探すと、離れたところでクリス皇子はこちらを見ていた。その真っ黒な瞳は、とても静かで、冷静だった。

 傍らには、怪訝そうな顔のロゼもいる。


『おい!』


 声を掛けると、自分の王が倒れたという事実に呆然としていたロゼがハッと我に返った様に初めてバドの方を見て、ギョッとした。


「なに!? お前!? 誰!?」


 ククク、とブラグイーハがくぐもった笑い声を立てた。


「鷲の子よ、私も子の成長を見た。でも、それよりも、マクサルトが……眩しくて……」

『もうそれを感じる事もあるまい』


 天井から声がした。レディ・トスカノだ。

 らんらんと瞳を輝かせ、ふわりと下降しながら彼女は喜びに恍惚とした声で言う。


『お前は光を感じる両目を私に渡すのだから』

「その方がいい。光など、もう見たくも無い」


 バドは受け入れたくない感情の波に押されて歯ぎしりした。

 故郷を滅茶苦茶にし、仲間達を大量に犠牲にしたこの男が憎くて堪らないのに、とても憐れに思えて。


 ―――ボン様なら解るよ。


 ……解るかも知れない。

 

 男は、この世界の仕組みが悲しかったのだ。

 そして酷く、寂しかったのだろう。


「ブラグイーハ」


 呼びかけの声に、揺れる気持ちを悟ったのか、ブラグイーハはバドを見て(既に光を失っていたが)憤怒の表情を張り付かせた。まるで、バドの理解を否定させようと試みている様に。


「兄弟の子よ……私を、許すな……」


 バドは鼻の穴を膨らませて、目をいっぱいに見開くと眉をキュッと寄せた。


「……当たり前だ……」


-----------------------------


 ラヴィは、血を流して横たわる男の傍で、立派な鷲の亡骸を抱いて力なく座り込む金髪の少年を見て立ち竦んでいた。

 少年はもう、異形の姿をしてはいないのに、なんだかとても近寄りがたく、いたたまれない気持ちだった。


 わたくしに、何が出来るというの。励ます事なんて出来ない。それとも、悪戯に慰めたりするの?

 言葉が見つからないわ……。

 ……それでも、傷ついた彼を癒したい。

 さぁ、彼の傍に行こう。自分だったら、どうして欲しい?


 おずおずと近づいて、ラヴィはバドの傍に膝をつき、そっと優しく彼の背を撫でた。

 バドはラヴィを見ると、唇を尖らせて涙ぐんだ。

 それから、「すん」と鼻を啜らせて、震える手で鷲の背をそっと撫でた。


「……がんばりましたね」


 バドは錆び付いた様に物凄く小さく頷いて、暫く鷲を撫で続けた。

 なので、ラヴィも彼の背を優しく撫で続けた……。


 破れたカーテンの隙間から、朝日が事の顛末を見守っている。


辛そうな人を見ると、つい遠慮して距離を取ってしまいます。

でも、勇気を出して、拒絶されるのを怖がらずに寄り添えたなら……。少しだけ、難しい事です。

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