決意の火
トスカノ王妃。
一国の王妃!ラビリエはめまいを覚えて、目を閉じた。
「……トスカノで婚姻の儀を行わなければ、王妃では無いわ」
そうは言うものの、パルティエ皇女に成り代わる事がどれ程の事か、今更自覚して足が震えた。
国を脅してしまえる程の存在。
わたくしには、荷が重すぎる。
「オイオイ、大丈夫か?まぁ、座れよ」
ストンと力なく椅子に座ってテーブルにうつむくと、ラビリエは頭を抱えた。
「もし、脅迫が上手く行って門が開かれたら、わたくしをトスカノへ引き渡すのですね?」
「アレ?それでいいの?」
パッと顔を上げて、ぶんぶん首を横に振った。バドはニヤニヤしている。
「……いいえ」
「ハハ、そうだよな。だったら、こんな所に呼び出して、ちんたら話なんかしねぇよ」
ちんたら、とラビリエが呟く。面倒臭いけど、わたくしと打ち合わせをしてやっている、という事かしら?
「ラビリエが牢を出て、身代わりを承諾すれば、トスカノから飛空船が来る。それだけでも良かったんだ」
そうだわ。とラビリエは胸中で頷いた。
彼にわたくしを助ける理由は、無いんだわ。
牢から出る気にさせて、それでお終い、で良かったのだ。
「でもさぁ、助かる見込みがなきゃ、ラビリエだって牢から出なかっただろ?それならついでだし、本当に助けてやれないかなぁ、って思ったんだ。会ってみたら可愛かったしぃ?」
「……」
「これからの話は、ラビリエにはちょっと、度胸と覚悟が必要なんだ。だから、自分が今後どうするのか、自分で理解して、決めれる方がいいだろう?」
「……」
自分が今後どうするのか、自分で理解して、決める……。
二つの選択肢しかなかった。
そのどちらの道も、真っ暗闇で、怖くて、怖くて震えていた矢先に見えた、別の道。
ラビリエはバドを真っ直ぐ見た。彼は「なに?」という様に小首を傾げた。
どんな人だか、本当は何を考えているのか、分からない。……でも。
「……ありがとう」
「イヤイヤイヤ……」
デレデレ照れて、バドは首の後ろをバリバリかいた。
「礼を言うのは待てよ。この先を確認したくて呼び出したんだ。『呪い封じの門』を超えて、マクサルトに着くまでに、飛空船の操縦を覚えられるか?」
「……え?」
目を見開くラビリエに、少し気まずそうに咳払いをして、バドは続ける。
「オレはマクサルトで降りる。マクサルトからは、ラビリエが飛空船を飛ばしてくれ。好きな所に行くんだ。飛空船ジャックのせいで失踪したなら、君の親族も責められないだろ?トスカノの船で起こるトラブルだから、イソプロパノールだって、ちょっとばかし有利なんじゃねぇ?」
ラビリエは軽く拳を握って唇に当てた。
海に浮かべる小さな船位なら、父が所有していたのを操縦した事がある。
皇女の侍女だったので、ほとんど王宮にいたが、休みが取れると、親戚や友達と集まって船上パーティをしたり、家族水入らずで、沖まで出てのんびりしたりしたものだ。
船の操縦はその際に、遊びで教えて貰ったのだ。
そうバドに伝えると、「げぇ、嫌味ィ」と顔をしかめられた。
「じゃあ、大丈夫だな。船は船だし」
ラビリエは慌てて首を振る。
牢でも思ったけど、この人、肝心なところで大雑把だわ。
「そんな、構造が違うかもしれません」
バドは「うーん」と鼻を撮む。
空色の目をぐるりと回して、ラビリエを見る。
「や、大丈夫だろ」
「……。仮に同じ様な物だとして、飛空船は、貿易船位の大きさだと聞いています。そんな巨大な物で逃げたら、すぐ見つかってしまうわ。護衛だって、何人乗っているか・・・」
バドが、片手をブンブン振った。
「ああ、違うって、そんなもん、無理に決まってんだろ? たぶん緊急用の小型船が積んであると思うから、オレらはそっちで門を超えるんだ。だから門を開かせる。大型船なら、そんなまどろっこしい事しないで、崖を飛び越えるさ」
「たぶんって……積んで無かったら?」
「そしたらもう、大型船ごと崖を越える」
「遊びでしか、操縦した事ないんですよ」
うんうん、とバドは満足気に頷く。
「大したもんだ。操縦出来ないって、泣かれるかと思ってたからさ」
泣きそうだけど。
と思いながら、家族や友人と過ごした船上を思い出す。
楽しい船上での宴。着飾って、誰よりも綺麗で、誰よりも皆を楽しい気持ちにさせてくれるお母様。
憧れて見詰めていた自分。
のんびりとした晴れの海にユラユラ浮かび、好奇心で船を操縦して、お父様が半分怒って、半分笑って、「ラビリエはお転婆だな」と頭を撫でて……。
牢から出て王の命令を受け入れる事を伝えたラビリエを、父は黙って抱きしめた。
母も気丈に涙を見せず、ラビリエの髪を撫でた。
彼らもまた、ラビリエ同様逃げ場が無かった。
輝くばかりの娘盛りのラビリエが、一生を暗い牢屋で過ごすのは胸が痛むが、冷血王として名を馳せるトスカノ王に、自分を偽らせて嫁がせるのも、胸が裂ける思いだ。
加えてトスカノ王にもしも正体がばれれば、一体ラビリエはどうなってしまうのだろう。
「私たちはいいから、逃げなさい。海に船を用意した。それに乗って……」
ミャア、と海猫の鳴き声が一際高く聞こえて、まだほの温かい記憶がパッと霧散する。見張り窓に、さっと鳥の影が横切って、ラビリエはハッと我に返る。
彼女は形の良い唇を、きゅっと引き結んだ。
逃げては駄目。
ラビリエのつぶらな瞳に、ゆっくりと決意の火が灯ったのを、バドは見逃さなかった。
そうこなくっちゃ!
「……やれるな」
ラビリエは小さく頷いた。