面影とナイフ2
息苦しく暗く長い洞穴を、ちゃりん、ちゃりん、と鍵束を指に引っ掛けて弄びながら、足早に少年が歩いて行く後姿を、ヘイゼルは憎々しげに睨んでいた。
自分の斜め後ろには、裏切り者の男が剣を突き付け、両手を縛られたヘイゼルを前へ進む様、促して来る。
一体何が起こったんだ。
部下達は何故一人もいない? もう棲家から這い出して来ている頃なのに。
「……部下達をどうした」
「知らねぇなぁ、アイツに聞いてくれ」
男は気の無い返事をして、前を歩く少年の方に顎をしゃくった。
「一体、何が狙いだ」
「……分からねぇか?」
男がそう言って喉で笑った直ぐ後に、少年が「皆!」と叫んで駆け出した。
ヘイゼルは、それがトスカノ語では無いと気が付いた。
一番手前の牢から、悲痛な、しかし歓喜を込めた呻き声が少し遅れて漏れて、少年が牢の前で鉄格子越しに中を覗き込んでいる。
「大丈夫か? すぐ、すぐ出してやる」
焦れったそうに鍵の束をジャラジャラ鳴らす少年の言葉を聞いて、ヘイゼルは「マクサルト人だ」と悟った。
……まさか、そんな……助けに来やがった……?
ガチャンと牢の扉が開いても、誰も外に出ようとしなかった。
囚人たちは、積み重なった暗闇の日々に慣れてしまい、どんなものにせよ「動く」事を恐れているのだ。
少年が牢の中に身を入れて、手を差し出している。
「大丈夫だ。大丈夫。出よう! こんなとこ、いなくてもいいんだ!」
暗い穴倉の中で、そろりと人の動く気配がした。
「うん、よし! 出よう! 出ていいんだ!」
少年が一人の腕を引いて牢から出て来れば、続いて押し込められていた人々がぞろぞろとおぼつかない足取りで鉄格子の扉を潜った。
「バド、お前一人づつじゃ時間が掛かる。鍵を皆で分けて、一つ開けたらまた分けるんだ」
男の声に少年は頷いて、歩ける者に鍵を分けると、自分は明かりを点ける役目を担って道の先へ先へと松明に火を灯して行った。
それを追う様に次々に牢の扉が開き、よろよろと支え合いながら人々が出て来る。
「壮観だな……感動のシーンだぞ、これ」
斜め後ろで剣を突き付けながら、男が言うので、ヘイゼルは憎々しげに呟いた。
「ただじゃ済まんぞ……ぐっ」
言い終わるがいなや、グイと後ろから少ない髪を鷲掴みされ思い切り引かれた。
「……お前がな。見ろよ」
痛みと共に顔を向けさせられたのは、正面。
長く深く続く坑道の明かりと暗がりの縞の中央を、少年が真っ直ぐこちらへ歩いて来る。
遠目からでも、少年が重い怒りの矛先をこちらへ向けているのが判った。
―――ガキだ。ただの、ガキ。
そう思うのに、一歩引きたくなってしまうのはなんでだ。
少年の髪が明かりに煌めく度、左目が、ずくん、ずくんと鼓動に合わせて疼いて堪らない。
―――なんだ、なんで。……見た事がある……。
少年の横切る風にふと明かりが揺らいだその一瞬に、少年の姿に少女の幻影が被さった。彼女は薄ら暗い表情でヘイゼルを瞳に捉え、少年の姿と重なりながら、こちらへ歩いて来る。
「……おま、お前……!」
ヘイゼルが声を上げると、幻は霧散してふわりと消えた。
後にはただ、危険な程目を据わらせて正面に立つ少年のみ。
「オッサン、歌は歌える?」
真正面から陰険に微笑みかけられて、彼は否応なしに少年の瞳を見る。
その瞳は、恐怖に見開かれていなかったか?
チラチラ光る金の髪は、容易くこの手で弄ぶ事が出来なかったか?
ケケ、と少年が笑った。
「無理そうね。楽器は?」
ギリ、とヘイゼルは奥歯を噛みしめる。
「―――答えろよ」
ドンと蹴られて、ヘイゼルは屈辱に燃えながら首を振った。
「……そんなもん」
「あ、そう? じゃあ、もう片っぽ潰れちゃったら、オマンマ食い上げだな」
どうしよっかなぁ、と手に持ったナイフの刃を指先でツッと撫でながら、少年がニヤニヤした。
「……やめろ」
「バド、止めろ。下っ端だ」
間に入った男の言葉に、少年はアハッと笑った。
「下っ端だってサ、お頭!」
ぷつん、とヘイゼルの中で何かが音を立てて切れた。
俺だって悪党の端くれだ、こんな場面は何度も潜って来た。
―――賭けよう。大丈夫だ、何度も賭けて来たじゃないか。そして、俺は勝って来た。
彼は腹の底から咆哮し、後ろの男が短剣を持っているのをお構いなしに突き飛ばし、その上に無鉄砲に後ろ向きで倒れ込むと、両手が傷つくのも構わず男の短剣に縄を擦り付けた。
上手い事縄に切れ込みが入り、ブチッと力任せに縄を引き千切ると、ヘイゼルはナイフを素早く構えた少年にブンと当てずっぽうに自慢の剛拳を奮う。
少年はひらりと身をかわしたが、手から小癪なナイフを弾き飛ばす事が出来た。
ヘイゼルは勝機とばかりに下劣た笑い声を上げて、少年に飛び掛かる。
絶対にそのクソ生意気な顔をぶん殴ってやる!
怒りに任せてがむしゃらに少年に拳を振り上げる。
驚いた事に少年は懐へサッと自ら飛び込んで来た。
そうして、ヘイゼルが狼狽する隙も無く彼の腰に差したナイフを早業で奪うと、ギラギラしている眼光に向けて躊躇なくナイフを突き上げた。
刃は眼球を貫き頭蓋に達し、そしてそのままそこを、鞘とした。




