面影とナイフ
潰れてしまった左目がやけに疼く。
ある時から煩わしい存在でしか無くなってしまったこの左目。
潰れてしまってもう機能はしないのに、疼くとは何事だろうか。
こうゆう日は、良くない事が起こる。
監守頭のヘイゼルは自分の薄暗い砦で目を覚ました。
自分の任された、自分にピッタリなこの砦を、彼は気に入っている。
意味も無く小さく唸りながら、彼は酒に手を伸ばす。
―――朝だ。
でも、仕事は部下がやる。彼はそれを生まれ持った強面で睨み付けてれば良い。
採石の為に地下に掘られた迷路の様な穴ぼこに押し込められているのが「マクサルト人」だ、という事には気付いている。でも、だからどうだと言うのだ
自分を長年顔も見せずに雇っているヤツは、えらくエグい秘密を抱えているに違いない。
彼は、頭は自慢出来ないが、鼻は利く。
彼の鼻は、確実に悪のレベルを嗅ぎ分ける。興味も無いのにデカい悪を詮索しない方が良い。それが彼の結論であり、直感。
なので彼は、今朝も酒の抜け切れていないボンヤリした気分であくびをする。
僅かな旨みを出来るだけ長く、ゆっくりと味わう。
それが、彼というちっぽけな悪の最善。
「おはようございまーす!!」
太く快活な挨拶に、ヘイゼルは飛び上がる様にして振り返った。
入り口のドアには、最近仲間に入ったアスランと言う男がぴしりと立っていた。
ヘイゼルは厭そうにソイツから目を背け、挨拶を無視した。
「頭!! おはようございます!」
「うるせぇ!!」
誰もが縮み上がる強面を爆発させながら怒鳴るがしかし、それがこの男に効かない事は数日の間にイヤという程判っている。
どんなに大声で脅しても、どんなに拳を奮っても、この男から何一つ奪う事は出来ない。
―――コイツは悪じゃない。
ヘイゼルは確信している。
では、何故こんな処に?
スッスと近づいて来る男にヘイゼルは背中を見せない様にさりげなく身動きしながら、彼を睨み付けた。男はゴチャゴチャした薄暗い部屋の中を、「あれ~? ねぇな~」などと言いながら何やらゴソゴソ検分し始めている。
「やめろ」と、ヘイゼルは大声を出した。
「……お前、僻地の牢獄から来たって言ったよな? そりゃ何処だ」
男は糸の様な目を細める。
「……お互い詮索はよしましょうや」
「あぁ? ……一体何しに来やがった」
「なにって……掃除でさぁ」
「……いらねぇよ」
「ここじゃねぇ。ゆくゆくはしたいが……囚人たちの牢を綺麗にしてやらにゃ」
「はぁ?」
「雑巾ないですかね?」
ねぇよ! と怒鳴って、ヘイゼルは男を睨み付ける。
コイツは始終こんな調子だ。
初日には大鍋が無いか聞いて来た。何に使うのかと聞けば、料理をするのだと言う。
料理だと? 一体何を考えているのか、サッパリ読めねぇ……。
不快さに顔をしかめると、男も同じような顔をしているのに気付く。
「……雑巾が、無い?」
「んなもん、手でパッパでいいんだよ!」
ヘイゼルはイライラしてテーブルの上をザッと片手で払って見せた。
男が顔を歪める。
「じゃあ何? 飯喰うテーブルも、手でパッパ?」
「……そうだ」
妙な罪悪感を感じながら、ヘイゼルは頷いた。
酷く懐かしい罪悪感だった。
「いいんだよ。そんなもん何でも!!」
「箒ぐらいはあるでしょう?」
「ね・え・よーーーーーー!!」
雄叫びながら、ヘイゼルは自分の母親の顔を思い出していた。
それが余計に火に油を注いで、彼は力の限り雄叫びの余韻に力を込めた。
余程雄叫びが効いたのか、男は「しょうがねぇな」と呟くと、とっとと部屋を出て行った。
ヘイゼルはどうしてだかホッとして、ブツブツ悪態をつきながら再び酒をあおる。
ようやく、また俺様の「アジト・ムード」に戻って来た、と思ったのも束の間、男が何やら長い棒と、芯のある長い草の束を抱えて部屋へ戻って来て、ヘイゼルは再び緊張する。
どさりと持って来た物をテーブルに広げられて、ヘイゼルは顔を歪めた。
草の束から、清々しい朝露と緑の香りがパッと広がって、彼を焦らせる。
駄目だ。こんな匂いは駄目だ!
「なんだそりゃ」
「作る」
「……何を」
身構えるヘイゼルに目もくれず、男は謎の作業を始める。
「箒」
「は?」
「箒を作るんだ。掃除してやらにゃ」
「……あまり関わるな」
「衛生状態や飯が悪いと病気になる」
「その分、世話する数が減る」
よし、とニヤニヤするヘイゼルに、男は「へぇ……」と呟いただけだった。
「……お前、何しに来やがったんだ」
もう一度聞いてみる。
男は顔を上げず、「だから、掃除です」と答える。
「ふざけんじゃねぇ!」と怒鳴ろうとした矢先、ぎい、と入り口のドアが鳴った。
男が顔を上げる。
普段ならドアが開いたところで気にもしないヘイゼルだったが、男が訝しむ様に眉を寄せてそちらを見たので、思わず背後にあるドアへ振り返った。
ドアの向こうから、部下が一人青い顔だけ覗かせて「お、お頭ぁ……」と気弱気な声を上げた。
それから間をおかず「グッ」と小さく呻いて部下が倒れた。
「!?」
ドアが立てつけの悪い見本の様な音を立てて、ゆっくり開く。
そこには、倒れた部下の他誰も見えなかった。
「頭、俺が……」
腰を浮かしかけたヘイゼルを手で制して、男がドアへ向かった。
そのまま、何の警戒もせずにドア枠に手を掛けて、向こう側へ身を乗り出し「あれぇ?」と不思議そうな声を上げる。
「誰もいねえみたいだ……。体調不良か? ホラ、飯が悪いから」
「どっか運んどけ」
「手伝ってくださいよ~」
「うるせぇ、馬鹿」
「あ、あ、でも頭、これ、これ見てくだせぇ」
ああ? と至極面倒臭く思いながらも、彼は男の様子が気になって、酒でフワフワした足取りでそちらへ向かい、ドアを潜った。
「……」
しまった。
長年、ぬるま湯に浸かったツケが来やがった、と彼は思った。
彼の喉元を、小さなクロスボウが至近距離で狙っている。
その先には、場にそぐわない明るい金髪と、青い目。
ずくん、と左目が疼き、思わず手をやる。
「オット、動くんじゃねぇよ、オッサン」
「なんだお前」
「息がクセェよ、しゃべんじゃねぇ。鍵は何処だ」
クロスボウを構える小生意気な少年をギロリと睨みつける。
ガキなんざこれでイチコロのハズが、少年は口の端をますます釣り上げて笑っただけだった。
大きく動いてクロスボウを少年ごと吹っ飛ばしてやろうとした矢先、ピタリと横腹に何かが添えられて、その危険な予感にギクンと動きを止める。
今までの様子からは想像できない程の気迫を込めた細い目が、こちらを睨み上げていた。
僅かに見える黒目から、恐ろしい程の圧力を感じてヘイゼルは息を浅くする。
「なんなんだ、お前ら……」
「ナニって」
ケケケ、と少年が笑った。
「正義の味方でぃ~す」
「ダス〇ンで~す」という伝説のキメ台詞があります。




