万象の杖
王の間へ入ると瓜二つの男が二人、並んで立っていた。
クリス皇子とトスカノ王……ブラグイーハだ。
二人とも、気後れする程に美しい。親子なのが嘘の様に、ブラグイーハは若く凛として見えた。
ラヴィはクリス皇子に、目線を投げた。
クリス皇子は、ロゼがいない事に眉をしかめたが、すぐに困った様にチラリと笑った。
微笑してから小さく頷いて、そっとラヴィに会釈を返す。
……クリス皇子……わたくしは、一目見た時、貴方に恋をしました。
貴方に。
ああ、でもどうして? わたくしのこころが、まるでここに無いみたい。
彼を目の前にして、胸を締め付けながら脳裏に浮かんでくるのは、晴れ渡る青空を切り取った悪戯な微笑み。
手の甲のキス。新しい名前を初めて呼んでくれた声。別人の寝顔。こちらを震わせる程の悲しみの激情と寂しさ。朝もやに消えた温度。唇に触れた指先の感触。
抗えない気持ちに、ラヴィはぐいと顎を上げる。
でも、だからこそ、わたくしは。
ラヴィはクリス皇子から目線を外すと、ブラグイーハを見た。
彼は意外にも少しだけ微笑んで、ラヴィの傍に片膝を立てると、手を取ってキスをした。
唇の暖かさに、ラヴィはパッと眩暈がする様な怒りを覚え、頬を高揚させた。
……血が通っている……。
わたくしから全て奪っていったくせに。
バドの全てを奪ったくせに。
ラヴィは背の高い王を見上げる。
ブラグイーハ。わたくしは、貴方を許さない。
さり気なくラヴィの横にクリス皇子が立ったのを機に、ラヴィは自分の手を取ったままの王に微笑んだ。
「ここに来るまでに、予知夢を見ました」
王は端正な濃い眉をちょっと上げて、「姫の不思議なお力は聞き及んでおります」と答えた。
先を聞こうとはしなかった。
「陛下は、わたくしと結婚したい訳ではありませんね? わたくしの力だけを」
「姫、王族の婚姻にロマンスをお求めでしたか? どの国の王も、娶るのは姫ではなくその力です。がっかりさせて申し訳ないが。ただ、妻となるからには幸せに致しましょう」
小娘扱いされてもラヴィは堪えなかった。ロマンスも妻としての幸せも、ブラグイーハに望んでなどいないから。
「王様、女は妖の杖になるのを幸せだとは思いません」
王の表情が厳しいものに変わった。
「噂に違わぬお力をお持ちの様だ」
「そうです。わたくしは、本当の貴方をすでに知っております」
凛として答えると、王は笑い声を上げた。
「そうか。ならば、話は早い。姫、貴女は私の伴侶になる。『万象の杖』として、私が生きる限り」
クリス皇子が庇う様にラヴィの一歩前に出た。
「父上、マクサルトへ行きました。そして、そこでマクサルトの皇子と共に、石の賢人に全てを聞きました。彼の話は真実ですか? 私は、もしそうなら父上を」
「マクサルトの皇子、だと?」
ブラグイーハが目の色を変えた。
「クリス、それは真か?」
ラヴィはクリス皇子が何か失言をした、と察した。
「その皇子はどこにいる?」
「死にました!」
ラヴィは咄嗟にそう言って、クリス皇子を見た。
お願いします。バドをブラグイーハから隠して。
「……私の手違いで、殺してしまいました」
「それはおかしい。全てを皇子と聞いたのだろう? それともお前は私に賛同するのか」
「……国の仇と襲って来たものですから」
「ふむ……。クリス、下がれ」
「真実をお聞かせ下さい」
「お前には真実など無い。後にも先にもだ」
ブラグイーハが細く短い萎びた棒の様な物を懐から取り出して、クリス皇子に向かって振った。それは光りもせず、音も出さなかったが、うっ、とクリス皇子が呻き、膝を着いた。
「クリス皇子!?」
「息子よ。何も知らなくて良い。お前が見るものは、全てが出来上がってからの世界だ」
「……父上……。私は……」
クリス皇子は目が霞むのか、焦点の定まらない瞳を虚ろに父の方へ向け、フッと糸が切れた様に倒れた。
「クリス皇子!」
「立て。妖の姫よ」
クリス皇子を助け起こそうとするラヴィの頭上で、低く冷たい声が言った。
「夜ごと訪れる未来に、日々悩んだ事だろう。だが、終わらせてやる。お前の望む夢だけを見させてやろう。……傍へ来なさい」
ラヴィはその言葉に胸を打たれた。
そうだわ。パール様は、苦しんでいた。
夢を見る以外にはなんの力も無い乙女に、予知夢は幸も不幸もお構いなしに、夜ごと枕元に立ち、騒ぎ立てる。
そんなものは終わらせたかったはずだ。でも、ラヴィはその力を崇め、パルティエ皇女を女神の様に崇拝していた。ラヴィだけじゃない。イソプロパノールの人間全てが。
目の前の冷血な男よりも、自分はパルティエ皇女を理解していなかったのかと思うと、悔しさに目が眩んだ。
「そう思いますか? この力を呪い、幻の夢を望んでいると?」
「思うな。制御出来ない力はただの呪いだ」
……いいわ。クリス皇子はあっけなく倒れてしまった。わたくしには力が無い。
ならばわたくは、無力な杖になろう。わたくしは『万象の杖』なんて物にはならない。何故なら、わたくしはラヴィ・セイルだから。
なんの力も無い杖を手にした時の、この王の顔が見ものだわ。……視界があればの話だけれど……。
ロゼさんは正義ぶってと笑うかしら?
でも、正義なんかひとかけらも無い。イソプロパノールもトスカノもマクサルトもどうでもいい。
「……では」
ラヴィは立ち上がった。
何が目的かは判らないけれど、ブラグイーハはバドに魔の手を伸ばすだろう。その時わたくしは『無力さ』でバドを助けよう。
「呪いから解放を」
ブラグイーハがニヤリと笑った。
「焦るな。披露宴には花嫁が必要だ」




