別々の道
首都では、トスカノ国を挙げての結婚披露宴が始まろうとしていた。
城には貴族や有力者たちが着飾って集まり、お祭り騒ぎの城下町にも人が溢れ、屋台が立ち並んだ。屋台の一番人気は、たった半日で用意されたイソプロパノール皇女の顔が彫られた銀のメダルで、王と王妃のツーショットが描かれた小さなカードと一緒に飛ぶように売れた。
王妃お披露目の際、あんな短期間に姿を見ただけで、良くこれだけ上手く出来るものだという位、どちらもラヴィを良く描けていて、トスカノ国の職人の腕が煌めいている。
そのコインが一枚、ピンと指で跳ね上げられて、宙で光った。
コインは、キラキラと落ちて、サッと器用に受け止められると、ズボンのポケットに大事にしまわれた。
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古ぼけたトスカノ城の、こじんまりとしつつも豪奢な部屋の窓から吹く風に、浮足立ったものを感じながら、ラヴィは鏡に映る花嫁姿の自分を見た。
シンプルな真っ白のAラインドレスは、微かな動きにも生地の美しい光沢が艶めく上品な物だった。
後ろで開け放した窓に架けられたレースのカーテンが、風にふわりと揺れている。
ラヴィの肩に手を置いて、ひょいと一緒に鏡に映った女が天使の様に微笑んだ。
「素敵なドレスですわぁ。イソプロパノールのドレスも、見てみたかったわぁ……さぁ、次は御髪を結いましょうねぇ。まぁ赤毛なんて初めて触るわぁ。触れたら熱いのじゃないかしらって、いつも気になっていたのぉ。でも、そんな事聞くの、失礼でしょう?」
今後の王妃様の世話係になりましたぁ、と自己紹介をした彼女は、ラヴィを椅子に座らせ、表情や口調とはそぐわない力加減でグイと乱暴に髪を結い始める。
彼女が誰かは、すぐに判った。
新緑色の髪と瞳、子供の様にあどけない顔、そして、独特ののんびりした口調。
相手がローズ・カヌ・シ・レルパックスと名乗る前から、ラヴィは「ロゼさんの親族だ」と直感していた。
彼女はラヴィの何が憎いのか、コルセットをもの凄く強く締め付けたり、ドレスの背中のホックを後の残らない程度にラヴィの背中に引っ掛けたり、今も必要以上に髪を引っ張って、ねじってを繰り返し、何度もやり直している。
その都度、天使の様な純真そうな顔で謝るのだが、口先だけの謝罪だとすぐに判る。
レルパックスとは相性が悪いのかしら?そんな事を思いながら、ラヴィは顔をしかめた。
「パルティエ様ぁ」
化粧に取り掛かりながら、ローズが甘ったるい声を出した。完璧な形で微笑む紅で濡れた唇が、微かに震えたのが妙に印象的で、ラヴィは少しだけ恐怖を感じた。
「……はい」
「お若くて、羨ましいですわぁ。内側から、ぴちぴちしていてハリがあるなんて、今だけですよのぉ。そう、今だけ」
「あ、ありが……」
「すぐに老いますわぁ」
畳みかけるようにそう言って、ローズは鏡越しにニッコリ微笑んだ。
「今だけですのよ」
ラヴィは完全に気圧されて苦笑いをした。
ロゼさんにそっくりだわ……。兄弟かも知れない。……それにしても……。
「あら……化粧箱に紅が無いわぁ。パルティエ様、探して参りますのでお待ち下さいねぇ」
軽やかな足取りで部屋を出て行くローズを見送って、扉が閉まるとラヴィは鏡の前のテーブルに突っ伏した。
「よう、さっそくいびられてやんの」
お茶らけた声がして、ラヴィは驚いて顔を上げた。
風に揺れるレースのカーテンごしに、バドがいつものニヤニヤ笑いをして、窓枠に腰かけていた。城内でよく見かけた警備の制服をどこで手に入れたのやら、きちんと着こなして、ボサボサの金髪も綺麗に撫でつけられていた。
別の人みたいだわ、とラヴィは内心見惚れつつ、鏡越しに彼をねめつける。
「ここは3階ですよ? 早く足を部屋の方へ入れて」
「大丈夫だって」
バドがわざと足を揺さぶって笑った。
「おっとっとぉ」と、窓から落ちそうなふりまでするので、ラヴィは慌てて立ち上がり、バドの方へ駆け寄った。
「ウッソー」
すぐに態勢を戻して、バドが「ヒュ」と口笛を吹いた。
「綺麗じゃーん」
「見つかるわ」
「そうしたら、黙らせるさ」
「バド……」
目に涙が溜まり、こぼれそうになるのを、少しだけ上を向いて瞬きをして止める。
会いたかった。トスカノへ向かう船内でバドが怒り出してから、話が出来なかったのがとても寂しかった。
「泣いたら化粧がはげますよ、お姫様」
バドはそう言って、ポケットから口紅を出した。いぶかしげなラヴィに、二ヒッと笑って、紅を指に取る。
「あの女はロゼのヤツの母ちゃんだって。母ちゃんだぜ? あの母ちゃんは、毒の入った口紅で、トスカノ王に近付こうとする女を嫉妬で何人か天国行きにしてるんだってさ」
「……ローズさんの口紅を、盗ったのね?」
ローズの戻りが遅い訳だ。誰かに見つかっては不味い物を、今頃必死で探しているのだろう。
バドが半ば強引にラヴィの顎を摘まんで、顔を少しだけ上向きにすると、紅の付いた指で唇をそっとなぞった。鮮やかな赤色だった。
「これは毒入りじゃねぇよ。ほら……めっちゃキレイ」
ラヴィは頬が熱くなるのを感じながら、サッとバドから一歩引いて顔を背けた。
「リョクスは……どうでしたか」
「最悪だった」
吐き捨てる様な言葉の短さに、ラヴィも状況を飲み込んだ。文字通り、最悪なのだろう。
バドは空気を沈ませるのが厭だったのだろう、パッと明るい顔をして見せる。
「あ、でもな、タイチョがなんでかいたんだ。あの人、マジでタダモンじゃね~な~」
「アスランさんが? ……良かった」
ラヴィは安堵の息を吐いてから、顔を引き締めた。
「……こちらも頑張ります」
「ダメだ」
バドが下からすくう様にラヴィを睨んだ。
「もう裏は取れた。クリス皇子も納得だろ。ラヴィが危ない目に合う必要なんかねぇよ!今ならオレが逃がしてやる。安全な場所で事が済むまで……」
行くぞ、と腕を掴むバドの手に、ラヴィはそっと手を重ねた。
「バド……ありがとう。でも、逃げても逃げても、ここへ連れて来られる気がするの。なにもかもが上手く収まって、皆が幸せになる様な未来が来るのだとしても、わたくしだけ、ずっと……。そんな気がするの。それに、わたくしを連れて行けば、危ない目に合うのは貴方よ。マクサルトの人達を助けるのも、遅くなってしまう」
眉を寄せて唇を尖らせるバドの顔が子供みたいで、ラヴィは微笑んだ。
「……オレは、お前を守りたい」
「バド。何の為にここまで来たの?」
「……」
「大丈夫って、言って下さい。出会った頃の様に、わたくしの背中を押して」
「イヤだ」
「バド」
「イヤだ」
ラヴィは唇を噛んで、目をギュッと閉じた。
「かわいそう」
「なんだと?」
「わたくしを好きなのね。でも、わたくしはクリス皇子と結ばれます。わたくしを守るのはクリス皇子よ」
バドの身体が少しだけ揺れた。それとも、揺れたと感じたのは自分?
「……そんなの、知ってる」
「なら、もう行って下さい。わたくしとクリス皇子で、トスカノ王の悪事を止めます。貴方は、マクサルトの民を救うの」
「ラヴィ……」
ラヴィは、そっとバドの胸を押した。顔を下に向けると、熱い滴が二粒同時に落ちた。
「もう別々の道よ。行って」




