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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第十章
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過去の雨音

 トスカノの雨は激しい。

 一月二月程降らないのはざらにあるくせに、降るとなると目の前が見えなくなる様な滝の雨が、国中を薄汚れた白い世界へと変えてしまう。そのお蔭で国を横断する二つの川はすぐに溢れ、近くの村や人や家畜を飲み込んで行った。それでも川を離れないのは、地下水を頼れないからだった。掘っても掘っても、鉄臭い赤茶びた水しか染み出さない。そんな、ケチな大地だ。

 一つはイソプロパノールとトスカノの間にある山から流れて来ていて、酷く流れの危険な川だ。もう一つはマクサルトとトスカノを隔てる絶壁の崖の向こうから流れて来るらしい川で、同じく危険な流れをしていたけれど、途中枝分かれしてリョクスの方へ流れて来る川は浅く、穏やかなものだった。

 おまけに、僅かだが金が採れた。その川の脇にある地中では、トスカノを支え続けた玉が採れた。

 トスカノはリョクスから始まったと言っても過言では無い程、ここで人が増え、ここで人は生きる糧を見つけて来た。


 こんな逸話がある。


 まだトスカノに何者もいなかった頃、緑の川面から若者が現れ、百年を一人で過ごした。そして、百年目に、上流から流されて来た乙女を助け妻とした。そして、子孫が増え、やがて国となった……。


 トスカノの人々はこの話を少しだけ信じている。

 何故なら、リョクス家の血統は、代々川茂の様な新緑色の髪をしているからだ。

 現在の王家と政権を争った時にリョクスが作り上げた話だ、と批判する者もいるが、その件はこの物語とは大して関係が無いので掘り下げるのは止そう。


 さて、そんなトスカノの、お馴染みの激しいある雨の日、アスランは街の警邏中に当時十になるかならないかの少年と出会った。

 深く帽子を被った彼は、建物と建物の間で、ずぶ濡れになって座り込んでいた。

 どうした? と声を掛けると、整った愛らしい顔を不機嫌そうにさせて、迷った。と答えた。

 酷く大人びた様子の子供は、しかし子供で、それがやけに奇妙だった。     

 アスランが傘を差してやると、迷惑そうにアスランを見据えた。

 子供らしからぬ一文字の眉を寄せて、丸い目で傘を差し出しているアスランを映している。その態度は、アスランでなければ大人でさえ、目をそらし居心地の悪い思いをさせる類のものだった。


「止めて。僕、溶けたいんだ」

「溶けたい? 雨にか」

「そうだよ。溶けてなくなりたいんだ」


 川茂の様な新緑色の髪が、雨に灌がれて顔の周りに張り付いているのを見て、アスランは「ああ、そうか」と思った。

 緑色の髪は、正当なリョクス家の証。

 噂では、その後取りに生まれた赤ん坊を、母親は一度も抱いた事が無いという。


 ざあざあ、ざあざあ…………。


 雨の音がやけに遠くに響く。

 遠い記憶を、その音が呼び覚ましたと思えば、ぐっと引き離して行く。

 

-----------------------------


 アスランは目を開けた。

 半身を水に浸し、背を太陽に焦がして彼は川辺に倒れていた。


「いってぇ……」


 呟いて、起き上がる。


「すげぇ……俺、助かった……」


 急流を流されて、岩か崖ぶちか、とにかく自分の頭より固いものとぶち当たって意識を失ったところまでは覚えている。

ごつごつした川べりを見渡して、アスランは頭を掻いた。のどかな鳥の鳴き声がする。


「……ここは……」


 川辺を少し離れ、しばらく散策していると、一面むき出しの土に、たくさんの人工的な穴が幾つも空いている、やや埃っぽい風景に辿り着いた。

 井戸程の大きさの穴には、その穴を補強する為の木枠と柱の頭が出ている。


「採石場……」


 見覚えのある風景に、アスランは穴を覗き込みながら驚いた。


「リョクスなのか?」


 穴には大抵水が溜まってしまうのだが、どの穴も乾いていた。アスランはそれが不思議で、更に深く覗き込んでいると、後ろの方からガヤガヤと荒い声の群集が近寄って来た。

 振り返ると、荒くれ者そうな五、六人の男たちがこちらへドカドカと駆けて来るのが見えた。

 なんだよなんだよ、と思っている間に、アスランはたちまち男達に囲まれる。

「おい! 早く戻れ! 脱走は死刑だぞ」

「いや、ちょっと、待ってくれ。俺は脱走なんか……あっ」


 否定しかけてアスランは止めた。

 『呪い封じの門』の小屋から逃げ出したのを思い出したからだった。


 それにしたって、もう追っ手? ついてねぇなぁ。

 

 そう思いながら、アスランはそろそろと両手を上げる。

 一人の片目の潰れた男が、怪訝な顔をした。


「お前、トスカノ語解るのか?」


 今度はアスランが細い眉を歪めた。


「当たり前だろ、トスカノ人なんだから」

「なんだ、新入りか?」


 片目の男は顔の緊張を解いて、周りの男達に目くばせする。


「聞いてるか?」


 男たちは、一様に肩を竦めたり首を振ったりした。

 アスランもポカンとして、彼らを観察した。

 どの男も皆、薄汚れて目だけがギラギラとしていて、まともに生きて来た様子は片鱗すら感じ取れない。

 片目の男―――どうやら彼が男たちを統率している様子だ―――がアスランをジロジロ見た。


「どこから来た?」

「……僻地の牢獄だ」

「そうか。まぁ、ここは獄に比べりゃずっといいぜ。俺はヘイゼル。お前は?」

「……アスランだ」


 片目の男がギロとアスランを見て頷いた。


「来い」

「……」


 なんだか分からんが、なんとかなりそうか?

 早く来い、と太い腕をぶんと振るヘイゼルと、他の荒くれ者達にヘラヘラして見せながら、アスランは歩き出す。


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