トスカノ人とかマクサルト人とか
トスカノ国へ向かい船が飛び、マクサルトの廃墟が遠ざかって行くのを、バドはジッと見詰めていた。
船室ではクリス皇子がロゼとラヴィに、オジイの語った話をしている。クリス皇子は真っ直ぐな気質だし、ジルが同席しているから、変に話が捻じ曲げられる事もないだろう。
なので、バドは同じ話を二度聞くのをパスした。それよりも、一人で故郷を見ていたかったからだった。
知ってはいたけれど、こうして空から見ると、マクサルトはとても小さな国だ。でも、だからこそ怒りが収まらない。
こんな小さな国を、私情でぶち壊すなんて。マクサルトに欲しい物なんて、何も無かったくせに。
オジイはブラグイーハがマクサルト人を憎んでいると言った。その憎しみを、バドなら理解出来るとも言った。
でも、バドは理解出来ない。
のどかな民たちの日々の営みに、憎しみを抱く事がどうして出来るのか?
自分もそれに触れたというのに……。
手のひらで隠してしまえる程小さく遠のいた故郷から視線を離し、バドは踵を返した。
彼の瞳は暗く、冷たかった。
許さない。絶対に。
「若いねぇ」
人がいるはずの無い背後で声がして、バドは立ち止った。振り返らずに、ふんと鼻で笑った。
「若いさ。十七だもの」
「ふぅん。私はその歳、お前達祖先の尾を集めていた。何とも交換せずにね」
くくく、と背後の忍び笑いを聞いて、バドは目を細めて首を振った。
「あ、そう。それでオレ達には尻尾が無い訳ね。……レディ・トスカノ、オレ、今冗談を交わす気分じゃないんだ。ジージョでもからかってろよ」
「尾は必要だったか?」
あ? と、不機嫌に振り返ると、レディ・トスカノが薄笑いして立っていた。
実際は、少しだけ宙に浮いている。デッキは風が吹きすさんでいるというのに、彼女の長い髪は風の流れを全く受けずに勝手に揺らめいている。世界の力の流れを無視できる、この圧倒的な存在の女に改めてゾッとしながら、バドは唾を吐いた。
「いらねーよ」
「そうか。私は欲しかった。でも無かった」
羨ましかった……。と心なしか寂しそうにレディ・トスカノは呟いた。
そして、顔を歪ませて笑んだ。「だから獲ってやった」と。
「知ったこっちゃねーよ。あっち行ってくれ」
バドが船室の出入り口に手を掛けると、その手に白いレディ・トスカノの手が触れた。
手は肘までしか無く、彼女の声は先ほどと同じ離れた距離から聴こえた。
「お前、マクサルトのトカゲの秘密を聞いたのだろう? ブラグイーハがそれをどう利用しているのかも」
バドはイライラと白い手を振り払った。たちまち腕は煙の様に柔らかく宙に消えた。
「そうだけど? 何?」
「船が今のお前たちの技術で飛ばせられる訳が無い」
「……あ、そう……」
取り入らない風を装いながらも、バドは知らず左手で鼻を摘まんだ。
空飛ぶボートから飛び出た青い光が脳裏を過ぎり、凝縮して弾けた。
出入り口の取っ手を握るバドの右手の甲に、ゆっくりと青筋が浮かんだ。
「そう言う事……」
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皆にお茶を用意しながら、ラヴィはクリス皇子の話を聞いた。
その話の不思議さや、不憫なマクサルト人の事を思うと、彼女の手は震え、指先が冷たくなった。
「マクサルト人とその守護神の一部を返す」
「どうしてですかね?」
ロゼがキョトンとした顔で聞き返した。その瞳はあどけない表面とは裏腹に、とても冴え冴えとしている。
「要するにマクサルト人は捕虜で、トカゲは戦利品でしょう?」
ドン、とロゼの座っていた椅子が揺れた。バドが腕組みをして、椅子の背に足をかけ立っていた。青い瞳を底光りさせ、血の気の引いた顔をしている。
ロゼは座ったまま、その殺意に振り返りもしなかった。
「トスカノは豊かになり、今ようやくその豊かさが民へ染み渡り始めたところです。また、涸れた暮らしに突き落とすんですか?」
「土台は人間なのだぞ?」
「土台が崩れて犠牲になるのも、人間だぃ」
それも、トスカノのな。と、ロゼは付け足した。
「初めに戻るだけだ」
「酷だなぁ」
「酷な扱いを受けているのはマクサルト人だ」
「俺は嫌だ。俺はトスカノ人だ」
「父上が、目的はなんであれどうしてレディ・トスカノと一世紀だけ交渉したと思う? その先のトスカノを捨てているからだ」
マクサルト人は、家畜の様に増えたりしないだろう。
豊かになるトスカノの需要に、どれ程の血が必要なのかは判らない。
「一人で半世紀くらい保つんだろぉ? そんなにすぐ減らないさ」
「それはそもそも『トカゲ』の巣であるマクサルトで、なおかつ王族の血で通用していた量だ。トスカノでの必要量は判らない」
「その事なんだけど」
バドが二人に割って入った。
「あんたたちは、大地だけでなく、他の事にも力を使ってんだろ。新しい鉱山、珍しい金属、新種の果実、火力を使った武器。そして、空飛ぶ船……きっと、他にもいろいろ」
ハッとして、ラヴィは思わず床を見た。
「まさか……」
バドが頷く。
「それら全てに、マクサルト人の命が使われてる。今この船がこうして空を飛んでいるのも……誰かの命を使ってんだよ!」
十年も経ってしまっている。一体、何人が残っている? 何人が犠牲になった?
クリス皇子は見るからに顔を青ざめさせて、眩暈を押し殺す為に手で額を抑えた。
「ロゼット、悪魔の所業だ。糧はいずれ尽きるぞ。父上はそれを知っていて、一世紀しか契約しなかったのだ。マクサルトの廃墟を見てお前はどう思った? トスカノがああなってしまった時、お前はトスカノの為だったと言えるのか?」
「……」
「お前はトスカノ人なのだろう?」




