運命の心
地下に人間が飼われている。
ここにとって多いのか少ないのか、それも定かでは無いが、数万人がここへ連れて来られ、5年の内に老衰や衰弱、自害で死んだ者も少なくなかったが、それとは別に、連れて来られた約半分が恐らく死んで逝った。
恐らく、という言い方をするのにはちゃんと訳があり、彼らの仲間は度々何処かへ連れて行かれ、そして二度と還って来なかった。
ある夜、当然と言えば当然の出来事が起こった。そしてそれは必然であった。
さぁ、行きなさい。
そう言われて少女は仲間の元から、後ろ髪引かれる思いで暗闇へ駆け出した。
泣いてはいけないと心を殺してただ走り続けようとするのに、目からは涙が、食いしばった歯の奥からは嗚咽が漏れてしまう。
初めて足を踏み入れた異国の裏通りは、心臓が破裂しそうな程心細い。
どっちへ行けばいいの?
道しるべなど無く、それでも彼女は行かなければいけない。
喘ぐ様に息をして、暗くジメジメした路地を駆ける。裏通りが生み出したかの様なそこの住人たちと、何度かすれ違い、ぶつかり、罵声をぶつけられながら、それでも駆ける。
逃げ切らなければ。
オバア、私はきっと見つけてみせます。
複数の足音が背後で響き渡り、彼女はサッと物陰へ華奢な身体を隠した。
五、六人の男達が彼女が身を潜めた物陰のすぐ脇で、心なしか高揚した声を上げている。
「見たか?」
「まだだ、でも物乞いがこっちへ行ったと」
チッと舌打ちが響いた。
「あてにならん」
「土地勘の無い子供だ。すぐ見つかる」
「どこから逃げた?」
さぁな、と一人が答えた。
「俺たちは生け捕りさえすればいい」
外国語なので、内容は解らない。
でも、自分を探しているのだ、と直感して、少女は荒くなる息を必死で抑えながら、ジッとしていた。
やり過ごせる、と思った。
だが、男たちの反対側の路地から酔っ払いがフラフラと現れて、彼の持つランプの光が路地の平たい壁に、くっきりと隠れる少女の影を浮かび上がらせる。
おい、と誰かがそれに気づいた。少女も絶望的な気持ちで自分の伸びる影を見た。
シン、と空気が冷えて、次の瞬間少女と男たちは弾ける様に同時に動いた。
「待ちやがれ!」
「俺たちは回り込むから、お前らは追え!」
酔っ払いを突き飛ばし、少女は駆ける。
ガハハ、と野獣のような笑い声が後ろから響いた。
焦りと恐怖で足がもつれ、転ぶ。
ヒィ、と声を立てて、冷たく固い地面を手で押し返し、無理矢理にでも起き上がろうとしたその時、後ろから髪を掴まれた。その美しい金髪を褒めてくれた人は、もう死んでしまった。
恐ろしさに悲鳴を上げてもがくと、したたかに頬を打たれた。それでももがくと男の腰に差した短剣が手に触れた。掴む。
がむしゃらに振り回し男の片目を奪ったが、すぐにもう一人に押さえつけられ、地面に組み敷かれた。
「このやろぉぉーーー!」
左目から血をまき散らしながら、男が少女の頭を思い切り蹴飛ばした。
「オイ、止めろ!生け捕りだ」
「いいや、生かしちゃおけねぇ!」
「落ち着け!」
男たちが揉み合う中で、少女はぐったりとしていた。蹴られた場所が悪かったのだろう、目がかすんで地面が揺れる。
激昂した男の蹴りが、腹にも打ち込まれて、少女は空っぽの胃の中身を喘ぎ喘ぎ吐いた。
こんな悪夢があるだろうか。
私たちが何をしたというの。
誰かがこんな事はいけない、と助けてくれないのは一体何故?
男の喚き声が、起こりだした頭痛にガンガン響く。
ふと男たちが静かになった。
ジャリ、と地面を踏む音がした。
「なんだ、お前。何見てやがる」
お、おおお……と音がした。
「なんだ、イカレてんのか?あっち行ってろ」
おおおお、おお……。とまた低くくぐもった音。
少女はぼんやりとその音を聞く。
音?いいえ、これは……声?
「気味わりぃ、あっち行けって!うわっ」
ドン、と少女を押さえつけていた男が突き飛ばされた。荒い息遣いが少女に聞こえる。
「うううう……うううーー!」
少女のすぐそばで、声がする。
そっと倒れた少女の背に触れた、大きな手。
求めていた、温かさ。
男が震えているのが、少女には分かった。助けようとしてくれている?声の主を見ようと身をよじったが、おかしくなった目と溢れ出る涙で、その姿を見る事は叶わなかった。
もういいです……逃げて……。
そう言いたくても、舌がもつれて動かない。
ピー、と甲高い笛の音が響き渡り、誰かの舌打ちが聞こえた。
「警邏だ」
まずい、と一人が言って、少女を担ごうとして、彼女を支える男と揉みあった。
「放せ!クソ!」
「警邏に見つかったらやばい!逃げるぞ!」
「でも!」
「オレ達の事知られる方がまずい!」
男二人はバタバタと逃げて行き、笛の音が近づいて来る。
男が少女の傍に座り込んだ。少女はお礼を言いたいのに、彼に通じる言葉が解らない。
「ありがとう……。ダ・グゥアー?」
唯一知っている外国語の「ありがとう」を言ってみたが、男に通じたかは定かでは無かった。
定かなのは、自分の命があと僅かな事。
もう視界は真っ白で、手探りで男の顔に触れる。彼女の衰弱が解るのだろう、彼は泣いている。湿った顔をまさぐりながら、この男はどんな顔をしているのだろうか?美しいのだろうか、醜いのだろうか?と、ふとそんな考えがよぎって消えた。
「貴方に、これを……」
少女は仲間に託されたあるものを、男に差し出した。それは青く燃える炎。男が何の疑いも無しにそれを受け取る。途端にそれは男の胸に入って行き、消えてしまった。
わぁぁあ、と男の慌てふためく声がする。
言葉が通じないのを分かっていて、それでも後ろめたさから少女は説明をした。
「それは、貴方が死ぬ時まで、貴方の中に存在します」
それだけ言うのに、とても力が必要だった。咳込んでから、少女は続ける。
「貴方には直接影響はありません。どうか、たくさん生きて下さい……」
男には全然言葉が通じていないから、きっと訳が分からないでいるに違いない。
なんて自分勝手で卑怯なんだろう。情けなくて、涙がこぼれる。通りすがりの憐れで親切な人に、託された希望を封じてしまった……。
でも、これで……。この国の者はそのありかを知る事が無いだろう……。
「ア・レン……」
少女は懐かしい名を呼んだ。
守護神様、お願いします。この人を……あの子へ導いて……。きっと生きている、あの子の元へ……。
運命に、正義の心があるのなら……。
笛の音が二人を囲み、だが少女にはそれがとても遠くから聴こえる気がした。
平衡感覚がぐるりと回り、胸が焦げる程恋しい故郷の景色が視界に開ける。
ピーと鳴る音は、ああ、そうか。収穫祭。
近くて遠い、祭囃子。
少年たちが守護神をかたどった炎のトカゲのお神輿を担ぎ、少女たちは着飾ってその両端を彩りながら、軽やかに舞っている。
大人たちは祭壇に集まって、大きな火を焚いている……。
その炎の片隅に、今期の『炎の鳥』役は……。
少女の空色の瞳がぐるりとあたりを見渡すように動いて、儚い命の灯を消した。
運命に、心などあるのだろうか。




