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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第九章
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運命の心

地下に人間が飼われている。


 ここにとって多いのか少ないのか、それも定かでは無いが、数万人がここへ連れて来られ、5年の内に老衰や衰弱、自害で死んだ者も少なくなかったが、それとは別に、連れて来られた約半分が恐らく死んで逝った。

 恐らく、という言い方をするのにはちゃんと訳があり、彼らの仲間は度々何処かへ連れて行かれ、そして二度と還って来なかった。


 ある夜、当然と言えば当然の出来事が起こった。そしてそれは必然であった。


さぁ、行きなさい。


 そう言われて少女は仲間の元から、後ろ髪引かれる思いで暗闇へ駆け出した。

泣いてはいけないと心を殺してただ走り続けようとするのに、目からは涙が、食いしばった歯の奥からは嗚咽が漏れてしまう。

 初めて足を踏み入れた異国の裏通りは、心臓が破裂しそうな程心細い。


 どっちへ行けばいいの?


 道しるべなど無く、それでも彼女は行かなければいけない。


 喘ぐ様に息をして、暗くジメジメした路地を駆ける。裏通りが生み出したかの様なそこの住人たちと、何度かすれ違い、ぶつかり、罵声をぶつけられながら、それでも駆ける。


 逃げ切らなければ。


 オバア、私はきっと見つけてみせます。


 複数の足音が背後で響き渡り、彼女はサッと物陰へ華奢な身体を隠した。

 五、六人の男達が彼女が身を潜めた物陰のすぐ脇で、心なしか高揚した声を上げている。


「見たか?」

「まだだ、でも物乞いがこっちへ行ったと」


 チッと舌打ちが響いた。


「あてにならん」

「土地勘の無い子供だ。すぐ見つかる」

「どこから逃げた?」


 さぁな、と一人が答えた。


「俺たちは生け捕りさえすればいい」


 外国語なので、内容は解らない。

 でも、自分を探しているのだ、と直感して、少女は荒くなる息を必死で抑えながら、ジッとしていた。

 やり過ごせる、と思った。

 だが、男たちの反対側の路地から酔っ払いがフラフラと現れて、彼の持つランプの光が路地の平たい壁に、くっきりと隠れる少女の影を浮かび上がらせる。


 おい、と誰かがそれに気づいた。少女も絶望的な気持ちで自分の伸びる影を見た。


 シン、と空気が冷えて、次の瞬間少女と男たちは弾ける様に同時に動いた。


「待ちやがれ!」

「俺たちは回り込むから、お前らは追え!」 


 酔っ払いを突き飛ばし、少女は駆ける。

 ガハハ、と野獣のような笑い声が後ろから響いた。

 焦りと恐怖で足がもつれ、転ぶ。

 ヒィ、と声を立てて、冷たく固い地面を手で押し返し、無理矢理にでも起き上がろうとしたその時、後ろから髪を掴まれた。その美しい金髪を褒めてくれた人は、もう死んでしまった。

 恐ろしさに悲鳴を上げてもがくと、したたかに頬を打たれた。それでももがくと男の腰に差した短剣が手に触れた。掴む。

 がむしゃらに振り回し男の片目を奪ったが、すぐにもう一人に押さえつけられ、地面に組み敷かれた。


「このやろぉぉーーー!」


 左目から血をまき散らしながら、男が少女の頭を思い切り蹴飛ばした。


「オイ、止めろ!生け捕りだ」

「いいや、生かしちゃおけねぇ!」

「落ち着け!」


 男たちが揉み合う中で、少女はぐったりとしていた。蹴られた場所が悪かったのだろう、目がかすんで地面が揺れる。

 激昂した男の蹴りが、腹にも打ち込まれて、少女は空っぽの胃の中身を喘ぎ喘ぎ吐いた。


 こんな悪夢があるだろうか。


 私たちが何をしたというの。


 誰かがこんな事はいけない、と助けてくれないのは一体何故?


 男の喚き声が、起こりだした頭痛にガンガン響く。 

 ふと男たちが静かになった。


 ジャリ、と地面を踏む音がした。


「なんだ、お前。何見てやがる」


 お、おおお……と音がした。


「なんだ、イカレてんのか?あっち行ってろ」


 おおおお、おお……。とまた低くくぐもった音。


 少女はぼんやりとその音を聞く。


音?いいえ、これは……声?


「気味わりぃ、あっち行けって!うわっ」


 ドン、と少女を押さえつけていた男が突き飛ばされた。荒い息遣いが少女に聞こえる。


「うううう……うううーー!」


 少女のすぐそばで、声がする。

 そっと倒れた少女の背に触れた、大きな手。


 求めていた、温かさ。


 男が震えているのが、少女には分かった。助けようとしてくれている?声の主を見ようと身をよじったが、おかしくなった目と溢れ出る涙で、その姿を見る事は叶わなかった。


 もういいです……逃げて……。


 そう言いたくても、舌がもつれて動かない。

 ピー、と甲高い笛の音が響き渡り、誰かの舌打ちが聞こえた。


「警邏だ」 


 まずい、と一人が言って、少女を担ごうとして、彼女を支える男と揉みあった。


「放せ!クソ!」

「警邏に見つかったらやばい!逃げるぞ!」

「でも!」

「オレ達の事知られる方がまずい!」


 男二人はバタバタと逃げて行き、笛の音が近づいて来る。

 男が少女の傍に座り込んだ。少女はお礼を言いたいのに、彼に通じる言葉が解らない。


「ありがとう……。ダ・グゥアー?」


 唯一知っている外国語の「ありがとう」を言ってみたが、男に通じたかは定かでは無かった。

 定かなのは、自分の命があと僅かな事。

 もう視界は真っ白で、手探りで男の顔に触れる。彼女の衰弱が解るのだろう、彼は泣いている。湿った顔をまさぐりながら、この男はどんな顔をしているのだろうか?美しいのだろうか、醜いのだろうか?と、ふとそんな考えがよぎって消えた。


「貴方に、これを……」


 少女は仲間に託されたあるものを、男に差し出した。それは青く燃える炎。男が何の疑いも無しにそれを受け取る。途端にそれは男の胸に入って行き、消えてしまった。


 わぁぁあ、と男の慌てふためく声がする。


 言葉が通じないのを分かっていて、それでも後ろめたさから少女は説明をした。


「それは、貴方が死ぬ時まで、貴方の中に存在します」


 それだけ言うのに、とても力が必要だった。咳込んでから、少女は続ける。


「貴方には直接影響はありません。どうか、たくさん生きて下さい……」


 男には全然言葉が通じていないから、きっと訳が分からないでいるに違いない。


なんて自分勝手で卑怯なんだろう。情けなくて、涙がこぼれる。通りすがりの憐れで親切な人に、託された希望を封じてしまった……。


 でも、これで……。この国の者はそのありかを知る事が無いだろう……。


「ア・レン……」


 少女は懐かしい名を呼んだ。


 守護神様、お願いします。この人を……あの子へ導いて……。きっと生きている、あの子の元へ……。


運命に、正義の心があるのなら……。


 笛の音が二人を囲み、だが少女にはそれがとても遠くから聴こえる気がした。

 平衡感覚がぐるりと回り、胸が焦げる程恋しい故郷の景色が視界に開ける。

 ピーと鳴る音は、ああ、そうか。収穫祭。

 近くて遠い、祭囃子。

 少年たちが守護神をかたどった炎のトカゲのお神輿を担ぎ、少女たちは着飾ってその両端を彩りながら、軽やかに舞っている。

 大人たちは祭壇に集まって、大きな火を焚いている……。


 その炎の片隅に、今期の『炎の鳥』役は……。


 少女の空色の瞳がぐるりとあたりを見渡すように動いて、儚い命の灯を消した。


 運命に、心などあるのだろうか。


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