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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第一章
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イブフェンの崖で

 この時期、イソプロパノールの港町イブフェンの外れ、北側に突き出る切り立ったイブフェンの崖に、おそろしい数の海猫が巣を作る。

 崖の下の海は、そこだけ基本穏やかなイソプロパノールの海とは全く性質が違い、渦を巻いた荒れ海で有名だ。

 恐ろしげに轟く波の音と、けたたましい海猫の泣き声が辺り一帯を覆い尽くし、目を閉じれば、魔界に迷い込んでしまった様な錯覚に陥らされる。

 実際、ここは自殺の名所で、年に何人もの人間が、この崖から身を投げる。

 彼らが落下する際に目を開けていれば、もしかしたら、切り立った崖の表面に、ぽっかりと大人一人分位の穴がいくつも開いているのを見つけられたかもしれない。

 

 その穴に片肘を付いて、バドは外を眺めながら呟いた。


「住めば都だよね。この時期以外は海猫もお出かけだし、身投げは寒くなってからが多いし」

「その都を出る準備は出来たか?」

 

 彼に背を向けて、切り立った崖の内部に出来た洞窟を、長年の住みかとしている大男が言った。


「うん。お姫様、可愛かったなぁ」

 

 ブファファ、と渦巻く荒波の大音量に負けない笑い声を上げて、大男がバドの方に振り返った。


「お前、なにして来たんだ?」

「飛空船の切符の手配さ」

「アイサ、それなら作戦通りって訳か。俺ぁ、てっきりナンパでもしに行って来たのかと思ったぜ」


 ゲラゲラ二人で笑うその光景は、全く見た目の似ていない親子。

 

 バドは歳の頃は十七、八。

 明るい金髪を伸ばし放題にして、肩の辺りまで伸びた後ろ毛は、黒い革紐で束ねられている。

 額の真ん中で分かれた前髪が、頬の辺りにまで流れ、そこから覗く空色の瞳は、大きくて丸い。

 一歩間違えれば獅子鼻の運命だったであろう鼻は、ツンと上向きだが、小作りだったのが運命を逃れた理由だろう。

 口は大きくて、彼のまだまだ少年臭い顔に、ちょっとした野性味を加えている。

 一見、ひょうきんで人が好さそうに見えるが、なにかの拍子に目じりが上がると、途端に油断のならない人物だと、直感させられる。

 体は大きい方ではないが、鋼の様に固く、バネの様にしなやかな筋肉を、あるべき所にキレイに収め、猫類の獣の様に隙が無い。


 対する大男は、小山の様に大きく、毛むくじゃらで、盛り上がった胸の筋肉はすさまじく、ボタンが閉まらないので、いつも剝き出しにされている。

 背まで届くほどの赤毛を束ねるでも無く、したいがままにさせて海風に晒しているので、ゴワゴワと広がっていて、その様子はまるで、背に炎を背負っている様。

 いかつい大きな顔は、酒か日焼けか、常に赤らんでいて、ボウボウの眉も髭も赤いので、まるで赤鬼だ。

 丸太の様な腕は、表向きは船を漕ぐ漁師の役目を担っているが、裏ではかなりの暗躍をして来たのだろう。

 深く生々しい傷痕が、いくつも稲妻の様に走っている。


 小さいのと大きいのは、ひとしきり笑いあうと、テーブルにしている大岩に地図を広げ、頭を寄せ合うように覗き込む。


「トスカノに一直線に飛ぶと思う?」


地図上でコンパスを遊ばせながら、バドが大男に言う。


「いんや、北西にカーブを描いてから南に飛ぶだろうよ。南南西に真っ直ぐ行くと、この時期、変な風が吹いているハズだ」

「夏の終わりに嵐になるやつ?」

「おう。空に行った事は無いが、大体あの辺で、変な風が起きてるに違いねぇ。まあ、飛空船とやらが風にビクともしねぇってんなら、話は別だが」


 ふうん、と溜め息の様な声を出して、バドは鼻を撮んだ。彼の考える時のクセだ。

 そして、そうしていればいつか、通った鼻筋になると踏んでいる様だった。

「なんだ、真っ直ぐ行きたいのか?」

「イヤ、北西に行きたいんだ」

「じゃあ、いいじゃねぇか」


 うん、とバドは頷く。


「なんか、怖くてさ。皇女の自殺も、飛空船の航路も、上げ膳据え膳すぎて」

「……」


 バドが岩のテーブルに両肘を付いて、大男の顔を覗き込む。


「なぁ、」


 と言い掛けた時、剝き出しの岩肌に備え付けられた呼び鈴が鳴った。


 話を切り出したかった方と、それを聞きたかった方、男二人が向き合って動きを止めた。   

 呼び鈴がしつこくリンリン鳴って、どちらからともなく、諦めたようにニヤリと笑う。


「切符が届いたんじゃねぇか?」

「うん。キレイな切符だぜぇ」

「悪たれめ。こんな所に呼び出して」


バドは「にひっ」と笑うと、呼び鈴に「すぐ行く」と返事をして、ウキウキと髪を整え縛り直す。


「そりゃ、オレが王宮に忍び込むのもアリだったけど。リスク高いし」


わざわざ牢まで入って、大立ち回りして来たクセに、何がリスクだ。と大男が呆れて言った。


「だって、それは必要だっただろ?誰が牢屋のお姫様を口説くわけ?オレはさ」


 呼び鈴の横にレバーがあって、バドはそれを結構な力がいるのか、エイと引いた。

 ごうん、と低く鈍い音がして、岩壁が大人一人通れる分横にスライドし、下に下がる階段が現れる。

 ひょいと階段の一段目を降りながら、彼は振り返る。


「オレはさ、パートナーたる度胸を見たいんだよ。せめてここまで来れるだけの」


 窮屈な階段を音も無くバドの後ろに付いて来て、彼は唸った。


「そんなもん、急に持てるもんか。来たとすりゃ、ただただ、助けてくれそうなお前にすがって来ただけさ」


 とんとん、と階段を下りながら、バドは片手をヒラヒラさせた。


「そうかもね。でも、それでもここまで来たなら、大したもんだとオレは思うよ」


 階段の一番下の床の脇に、ポツンと置かれた小岩を踏みつけた。踏みつけられた小岩は呆気なく床に沈み込み、今度は目前の岩壁が、やはり大人一人分くるりと横に反転した。


 酒の匂いが流れ込む。反転した岩壁の向こうは、薄暗い酒樽置き場兼、食糧庫だ。この食糧庫から出れば、自殺の名所「イブフェンの崖」のふもとにある「飲食い処 最後の晩餐」のカウンターだ。

 

 まだ朝なので、客はいない。

 

 シンと薄暗い店内の、ボロボロのカウンター席に、深緑のマントを頭から被った小柄な人物が、行儀良く腰かけているのを確認して、バドは微かに微笑んだ。

 

 どうしてだか、いつもの様に「ニヤリ」とする気には、なれなかった。


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