揺れる温度
話終えると、彼は背を丸めてカウンター席に突っ伏した。
ラヴィは黙ってその背を優しく撫でた。その手つきはとても優しいものだったが、彼女の瞳は怒りに燃えていた。
打ちのめされた風の彼を見ると胸が痛み、激しい怒りが込み上げて来たのだ。
……一体誰が、彼をこんな酷い目に。
「笑えるだろ。オレだけ生き残ったんだ」
バドが突っ伏したままくぐもった声で言った。
「幼馴染の名前だって気付かずに、ずっと使ってた……。ずっと、気付かずに……」
「……」
「子供みたいになんかに期待して、あんたまで巻き込んで……結局、何も無い」
「見つけたじゃないですか」
彼が顔を上げて、少し驚いた様にラヴィを見た。
ラヴィは唇を震わせながら、微笑んで見せた。
「かけがえのないご友人と、ア・レンという自分の名前を見つけました」
「……今更戻れない」
「戻るも戻らないも、元々貴方は貴方じゃないですか」
「……なにそれ。じゃあさ、ラヴィから見てオレってどんなヤツ?オレ、ソイツになろうかな」
拗ねているのか、気が晴れて来たのか、彼は頬杖をついてラヴィに聞いた。
ラヴィはちょっと戸惑ってから、すぐに悪戯そうに微笑んだ。
「軽薄で」
「え」
眉を寄せて目を見開いた彼の顔に笑い出しそうになりながら、ラヴィはせいぜいツンとして続ける。
「狡賢くて」
「おい」
「無計画で」
「マジで?」
「淫乱」
「……」
二人はお互い唇を尖らせて、睨み合った。
彼が腕を組んで抗議する。
「ひでぇ、『ムードメーカー』で『機転が利いて』、『行動力がある』だろ?淫乱に関しては、否定はしないけどせめて『スケベ』位にしてくれ」
ふふふ、とラヴィは笑い出して、憮然としている彼に言った。
「そうですね」
「そうですね、じゃねぇ!」
「前向きなところも好きです」
言ってしまってから、ラヴィはあっと口を押えて赤くなった。
彼が照れ臭い様な、困った様な顔でニヤけながら、そっとラヴィの頬に触れて髪を撫でた。
「……ありがとう」
ラヴィが潤んだ瞳で彼を見上げた時、空気を読まない朝の鳥が、何処かの木の上で羽ばたいた。
ラヴィはその音に身を竦めた。
彼が手を引っ込めて、視線を逸らす。
どちらからともなく、二人はサッと離れた。
「……スゲェよな。君は皇子様の妃。イソプロパノールも安泰。……大団円だ」
ラヴィは顔をくしゃくしゃに歪めた。
そんな話は止めて欲しかった。
でも、彼女は彼の優しさを無駄にしてはいけない、と思い頷いた。
「……ええ」
「幸せにな」
「……お別れみたいですね」
アハッ、と彼がお馴染みの笑い方をするから、ラヴィは胸が痛い。
「お別れだよ。皇子は君にオレを近づけやしないさ。こうして話すのも最後さ」
「わたくしはそうしないわ」
「オレがそうする」
頑として彼が言った。
「君が幸せになるなら」
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行こう、と朝もやの立ち込める廃墟を彼は歩いて行く。
なにが、とはハッキリしない名残惜しさに、ラヴィは彼を呼び留めようとし、少しまごついた。
「バ……あ、ア・レン……?」
振り返った。
傷ついた顔をしているのは、気のせいだろうか?
彼は片足だけを少し外側へとんと広げ、腕を組んだ。
「バドだ」
「……」
「オレは、今まで通りバドでいい」
「……はい」
バドは一つ頷くと「行くぞ」と言って踵を返した。
ラヴィは小さな声で「はい」と答え、彼の背中を見詰めた。
バドの背中が遠い。
急ぎ足で追いついても、きっと遠いのだろう。
それを確認するのが怖くて、ラヴィはバドから少し離れた後ろから、とぼとぼとついて行った。
夜が明ける。朝日が差す。
その場に生まれた温度が、朝もやと共に冷めて消えた。




