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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第七章
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その日のこと

 朝早くから、荘厳さを秘めた賑わいを持ってその日は始まった。

 皆が各々の生活にキリを付けて、祭壇のある広場へ向かっている頃、彼は誰もいない『星空食堂』の指定席で、そのテーブルに「バドはいばりんぼ」と拗ねた顔をして彫り付けていた。


「ア・レン」


 誰もいないのを確認したはずなのに、後ろから声がしたので、彼は驚いて飛び上がると、サッと小さなナイフを後ろ手に隠し、振り返った。

 出入り口に、まっさらな儀式用の衣装を身に着けて、顔に赤い塗料で風を表す模様を描いた少年が立っていた。落ち着いた雰囲気の中に、悪戯を隠し持っている様な、大人っぽい少年だった。


「こんなところで、何してんだよ。行かないのか?」

「……行くさ。バドこそ、何してんだよ」

「……別に。お前、まだ怒ってんの?」


 彼はジリ、と手で落書きを隠し、「そんなわけないだろ」と強がった。


「さっさと行けよ。『炎の鳥』なんだから」

「来年はお前だよ」


 彼は少年の同情にカッとして、椅子から飛び降りた。


「でたらめ言うな!」


 少年は顔をしかめて俯いた。いつもならやり返してくるのに、と彼は戸惑った。


「怖気づいてるのか?」

「違う」

「小便チビリそうなんだろ」

「ア・レン……オレは、こんな喧嘩はしたくない」


 彼はグッと歯を食いしばると、少年を突き飛ばして駆け出した。

 残された少年は、ふ、と溜め息を漏らしてカウンターに忘れられたナイフに目を留め、落書きを見つけた。

 彼はしばらく物思いにふける様にカウンター席に腰かけ、ナイフを手に取るとテーブルに屈みこんだ……。


―-------------------------------------


 祭壇まで『炎の鳥』役を運ぶ神輿の周りを、踊りながらついて行き、彩を添えるのが『炎の舞』役の女達だ。その衣装を身にまとい、それ用の衣裳部屋で他の少女や女達に混じって「どう?キレイでしょ?」と目の前で姉が回って見せた。

 二つ違いの姉は、衣装を着るといつにも増して美しく、大人っぽく見えた。 

 彼は来年こそ、もうここへは出入り禁止になるだろうなぁ、とボンヤリ思いながら頷いた。


「うん……でもバドに見せれば?」

「あら、どうして?」


 ちょんと額を突かれて、彼は口を尖らせた。


「この前、二人でいるの見た」


 姉はパッと顔を赤らめて、弟を睨んだ。彼の腕を掴み、グイと溢れかえる衣装の陰に引っ張って行くと、声を潜めて詰問した。


「この前って、いつ?」

「いつか判らないくらい、何度も会ってるの?」

「ア・レン! いつよ?」


 詰め寄られて、今度は彼が赤くなった。


 ある夕暮れ時、偶然姉と少年がコソコソと街から出て行くのを見かけた。

 変わった組み合わせだな? と、好奇心で後を付けた。

 二人は小さく忍び笑いを漏らしながらサッと物陰に隠れ、挑戦する様に見詰め合い、何度か躊躇いながら短くキスをした。


「見たのね」

「み、見てない」

「バカ! ア・レンなんて大嫌い!」


 姉は、両手で顔を覆って衣裳部屋から出て行った。何事だと、女達が衣装にまみれて立ち尽くす彼を見た。

 彼は弱り切って、すごすごと衣裳部屋を後にする。

 彼は姉が大好きだった。

 今まで、優しい姉は彼だけのものだった。

 両親を早くに亡くした彼にとって、甘えられる姉は独り占めしたい存在だった。

 歩きながら、彼は鼻の穴を膨らました。

 彼の欲しい物を、みんなアイツが持って行く様な気がして、彼は腕で顔を拭うと、収穫祭の騒めきに背を向けて走り出した。



―-----------------------------


 町はずれの小高い丘に、背の低い、横に大きな木がある。

 その枝は豊かに葉を茂らせ、地面に付きそうな程長くしな垂れている。

 そこに潜り込むとテントの中の様だった。爽やかな葉の香りのするその小さなスペースは、子供たちのお気に入りで、彼も例外無くそうだった。

 彼はそこにふて腐れて横になると、いつの間にか眠ってしまった……。


------------------------------


 目が覚めると、日は暮れていて、丘から見える祭壇の方には火が灯っていた。

 寝すぎてしまった。と、彼は丘からボンヤリと明かりを見た。

 空を見れば、うっすら星が見え始めている。『炎の鳥』の踊りの始まる頃だろう、と彼は思った。


「見てやるもんか」


 と、彼は吐き捨てる様に呟いて、ジッと灯の方を見た。


 別に見たくないけど……。

 見たくない。 ……けど。


「失敗したら見ものじゃないか」


 そう自分に納得させて、うん、そうだ、と頷いて、彼は街へ歩き出す。



 『炎の鳥』は始まっていて、衣装を身にまとった少年が、立派に務めていた。

 雄々しい太鼓の音に合わせ、選ばれた少年たちが昔からずっとそうした様に、彼も踊っていた。

 踊りは剣舞に似ていた。ただし、手に持つのは豊穣の象徴である穀物の束だ。その種が落ち切るまで、巧みに振り回し、意味を含んだ様々な振付をこなす。

 彼はそれを、広場の入り口の物陰から見ていた。

 遠すぎて輪郭しか判らない少年の踊りを見ながら、彼は負けを認めていた。

 少年は今までの少年たちよりも、立派だった。


 もっと近くでアイツを良く見よう。これは守護神様へ捧げる踊りで、アイツは一生懸命練習したのだから。

 そうだ。姉様の隣に行って、謝って、手を繋いで彼を見よう。


 そう思って物陰から一歩出ようとした時、どよめきが起こった。

 少年の後ろに、黒い靄が立ち広がった。

 どよめきの中、少年だけが靄に気付かずに、「皆どうしたんだろう?」という顔で、太鼓が止んでも役目を果たす為、健気に踊り続けている。

 『炎の鳥』は、種が落ち切るまで中断してはいけない言い伝えを、少年は忘れていなかったのだろう。

 彼はその時の少年を思うと、泣きたくなる。きっと、不安だったに違いないのだから。


 彼は、黒い靄が、人型に変化するのを見た。

 恐ろしくて、物陰から出ようとしていた足を一歩引いた。

 鋭い悲鳴が上がり、怒号が飛び交った。恐怖を忘れて物陰から顔を出すと、祭壇に現れた黒い靄の人物が、少年の首を片手で掴んで持ち上げたところだった。


「バド!」


 駆け出そうとして、腕を引かれ、悲鳴を手で包み込まれた。


「ア・レン様。お静かに」

「ジル! ジル、バドが!」


 ジルは切羽詰まった顔をして小刻みに頷くと、人差し指を唇に当てた。


「ジル、バドを助けて!」


 飛び出そうとする彼の小さな身体を、ジルは羽交い絞めにして止める。

 一方、首を掴まれて散々足掻く少年の頬を、靄の手が打った。どよめきがいっそう強く沸いた。

 祭壇の上には老爺と老婆がいて、完全に靄から人になった長身の男と対自していた。そして、何か言い争っている。祭壇にはどんな呪いを掛けられたのか、怒れる民の群れが近づく事も許されない。

 老婆が泣き崩れているのが見える。

 長身の男がサッと腕を払うと、オジイが突風にでも打たれたかの様に後ろに倒れ、動かなくなった。

 長身の男が更にオジイに手をかざすと、老爺は石になった。


「……! オジイ! ジル! オジイが! オバアが!!」


 ジルが後ずさるのを感じて、彼はその場に留まろうと、祭壇へ向かおうと、足を踏ん張った。


「ア・レン様、逃げるのです」

「イヤだ! ジルの意気地無し!」


 ジルと必死で揉み合いながらも、彼は長身の男が少年に、何か尋ねているのを見た。

 少年が小さく頷き、抗うのを止めたのも見た。

 そして、長身の男が抵抗しない少年を床にうつ伏せにさせ、その背を足で押さえつけながら、剣を振りかぶるのを見た。


 彼は目を大きく見開いた。


「嘘だ」


 少年の首は、一刀で打ち落せる程にまだ細く、頼りなかった。





 それからの事は途切れ途切れだ。

 ジルがパニック状態の彼を抱えて、走った事。

 着の身着のまま、北海へ浅瀬用の船で漕ぎ出した事。

 波しぶきなのか、涙なのか、渦なのか、幻覚なのか。縦揺れ、横揺れ。ヒリヒリする肌の痛み。

 心という部位を、直接殴られた様な重い痛み。雷鳴。突き刺さる雨粒。

 

 そんな嵐の中、意識が遠のいた事……。


 …………絶対に帰って来る。帰るから。


 「帰国する」それだけを記憶に残し、辿り着いたイソプロパノール。

 そこで密やかに広まる、マクサルト滅亡と呪いの噂。

 むず痒く痛み、寄せては消える記憶の切れっ端。


 うな垂れているのは嫌だった。そうしてはいけないと直感していた。


 思い出そうとすればする程、遠のいて行く『何があったのか』。

 体中を掻き毟りたくなる焦りと苛立ち。それでも。


 遠く過ぎ去った春先の夜の風が、彼の心をいつも優しく撫で包み、語り掛けた。


 どんな時も、ラヴィ(笑顔)で……。


 そして、突き動かされる様に、彼は帰って来た……。


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