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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第七章
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追憶の曲

 ガランとした食堂を見渡して、キチンと揃ったテーブルや椅子を見ると、酷く腹が立って、幼い頃イソプロパノールで目が覚めてから、ずっと抑えていた強い感情が火山の様に吹き出した。

 

 彼は「なんだよ!」と喚いた。


 喚きながら、テーブルや椅子を次々に倒し、蹴飛ばすと、狂った獣の様に呻りながらカウンターを飛び越えて食器棚の食器を腕で根こそぎひっくり返し、投げ捨てた。

 何もかも、手当たり次第になぎ倒し、叩き割った。


「……どうして!」


 オレは誰だ?

 どうして肝心な記憶は無いんだ?

 こんなに、こんなに細かく思い出の波が襲って来るのに!


 なにかがガシャンと落ちて、儚い音色の音楽が途切れ途切れに流れだした。

 ギクンと彼は動きを止めて、それを聴いた。

 旋律は切ない程懐かしい、マクサルトの曲。

 豊かに生きる、大らかな民たちの、なんの不安もはらまない楽しい音楽。



 太陽が今日ものぼりました

 風は頬を撫でてくれます

 水は清め潤して流れていきます

 土はわたしたちのホーム

 私たちの身体は きっと果実

 私たちの血は きっと果汁

 私たちは……



「私たちは、神の果実……」


 彼は最後の歌詞を呟くと、グラリと足の力を無くして、カウンターに倒れ込む様にもたれた。


 ……オレは誰だ?


 メニューを立て掛けて置くスタンドが、彼の腕に押されてパタリと倒れた。

 彼は何気なくそれを直そうとして、スタンドの下に隠されていた落書きを見つけ、ギクリと息を止めた。

 それは彼の残した落書きと良く似た、ぶきっちょに彫られた文字だった。

 それを読んだ途端、一点を目指して閃光の様な記憶が駆け巡り、寄り集まって彼に直撃した。

 彼はその苦渋にくらくらしながらも、落書きの上に覆いかぶさって耐えた。


「バド」


 呼ばれてくぐもった愛らしい声の主を探す。

 彼女は両手で口を覆って、壁に背を突いて座り込んでいた。


「ああ……ごめん」


 彼はうろたえて彼女に近寄り、傍にしゃがみ込んだ。

 辺りの惨劇を見れば、自分がどんな様子だったか容易に分かる。

 女の子の前で暴れたり喚いたりするなんて、最低だ。


「ごめん。怖かったよな」


 ラヴィは首を振って、彼の差し出した手を握った。


「違うの。悲しいの」

「君が?」

「そうよ。いけない?」


 そう言って立ち上がると、彼女は音楽を奏でた音楽器の方へ行き、その無骨な機体を撫でた。


「随分古いオルゴールですね。初めて聴いた曲でした」

「……この国の曲なんだ」


 彼はそう言って、音楽器を操って、曲を再生した。


「……そう。いい曲ですね。歌詞はあるの?」

「うん。……踊りもある」


 そう? と彼の顔を見て、ラヴィが頬に涙の筋を残したまま微笑んだ。


「では、踊りましょう。教えてくださいな」

「……イヤ、いいよ。わ、忘れた」


 気を使われたのが気まずくて、彼は彼らしくなく尻込みした。


「あら、デートに誘ったのは貴方よ」


 少し試す様なラヴィの言葉に、彼は力なく微笑んで彼女の手を取った。

 柔らかくて、暖かい、そういうものが欲しかったから。

 小さくてすべらかな手を自分の手の中に収めると、期待通りに心少しだけが和んだ。


 でも、彼が背を向けたカウンターテーブルから、彼を呼ぶ声がする。


『ア・レン オレの王』と。



--------------------------------------------------------------------


 二人は太陽と月のうやむやの間で踊った。

 踊りながら、彼はマクサルト語の歌と踊りを教えてくれた。

 マクサルト語はトスカノ語によく似ていた。彼の覚えが早いのはこの為だ、とぼんやり考えながら、ラヴィは彼にクルクル回転させられて、回る景色にかつての彼の軌跡を見ようとした。 


 小さな彼。

 明るい金髪の、子鬼の様な男の子。

 きっと、店内をちょろちょろして怒られていた。

 きっと、かっ込む様に食事をしていた。

 きっと、あのカウンター席に夢中で屈み込んで落書きを……。


 ラヴィがよろめいた。バドは笑って彼女の腕を掴むと、自分の方へ引き寄せた。


「楽しい?」


 アーモンド形の目を誘惑する様に細めて、彼が熱っぽい小声で聞いた。

 ラヴィは短く微笑んで、彼を見上げた。彼女に微笑み続ける余裕は無かった。


「バド」


 彼はぎこちなく笑って、首を振った。


「オレはバドじゃないらしいぞ、と」


 こんな時でも、彼は強がっている。

 そんな強がりは、悲しいのでやめて欲しかった。


「名前はいいの……貴方が誰だって、わたくしは構わない」


 彼は息を潜めてラヴィを見た。


「……そう思う?」

「だって、最初から正体不明だったわ」


 彼が吹き出して、「ひでぇな」と言った。

 二人は微笑み合うと、お互いの瞳の奥に灯った小さな光とそのぬくもりを、探り合い、見詰め合った。


「つまんねぇかもだけど、聞いてくれる?」

「なにをです?」

「……オレが誰か」

「思い出したの?」

「うん。……笑うなよ」


 ラヴィはパッと彼を見上げた。


「笑うなんて」

「や、笑うさ。……来いよ」


 彼は滅茶苦茶になった店内のカウンター席へ、ラヴィの手を引いて向かい、埃にまみれたカウンター席の隅に不器用に彫られた文字を指差した。


「何ですか? 貴方の名前?」


 頷いて、彼は文字を手で撫でた。

 そっと、自分のおもいでに触れる様に。



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