誰かの夢4
猛然と街の方へ駆け出したエレンをポカンと見送って、二人の少年は顔を見合わせた。
アーウィンが困った様にニヤと笑う。
「アイツ、最近変なんだ」
「変って?」
アーウィンから鷲の子を引き取って、羽の様子や逞しい足を観察しながら、彼は聞いた。
「見たろ?訳も言わず急に泣き出したりさ、女みたいだ」
「女だろ?」
驚いて彼が尋ねるのに笑って、アーウィンはエレンの駆けて行った街の方を見る。
「そんな風に見るのに、罪悪感を感じる」
例えば横を歩いていて、ふわりと漂ってきた髪の香り。一つに縛った髪の後れ毛が風に揺れるのに、思わず魅入ってしまった時。本人は意図していない、ふとした時に見せる大人びた微笑みや、どこで覚えて来たのかあだっぽく拗ねる表情に、今までにない愛しさを感じてしまった時。
「小さな妹の様に思っていたのにな」
彼はまじまじとアーウィンを見た。彼はそれを知ってか知らずか、彼からは見えない方へ、顔を背けた。
「イーハ、この国の王は短命だ。なにかあったら、アイツを頼むよ」
「……君は強くてしぶとい」
アーウィンが振り返った。明るい金髪が、それ自体が光の様に日の光に輝いた。彼は目を細める。
「皆等しくそうなんだ。父上が去年亡くなった。まだ四十前だった。葬儀の時、母上は泣いていなかったろう?でも、一人で泣いているのを僕は見たんだよ。父上の服を抱いていた……僕の妻も、ああして泣くのだと思うと、堪らない。僕は運命に勝てる気がしない」
「私が手助けするよ。相手が何者でも、君を勝利に導いてみせる」
アーウィンは口の片端だけ釣り上げると、再び街の方へ視線を戻した。
無理だ。
そう言われた様な気がして、彼は慌てて俯いて鷲の子を観察するフリをした。
アーウィンは彼の言葉に身体の内側からひっくり返されそうな程感動し、その衝撃に表情が硬くなってしまっただけだった。
父が亡くなった時に初めて植えつけられた不安は重く、母が一人で流す涙は、愛に目覚め始めた少年を苦しめた。
アーウィンは、鷲の子を観察する親友を盗み見る。
他国との国交が滅多にないこの国には、美しい種が入って来ない為、彼の様な美形は滅多にいない。珍しい濡れ濡れと真っ黒な髪と瞳。通った鼻筋に、獅子鼻のエレンはなんと憧れている事だろう!
背も今年の夏にとうとう年上のアーウィンを追い越して、少年ながらすらりと立派な体格だ。
そして、鬼神の様な剣の腕。武器を振るう彼の優美な動きは、瞬間美の連続。その美は、もはや才能。
「君が味方なら僕は強くなろう」
彼はアーウィンの方を見なかった。その声が少し高く、震えていたからだった。
「エレンを見てくるよ。手伝ってくれなかったって、ごねられると事だし」
アーウィンも行ってしまうと、彼は鷲の子に話しかけた。
「人はなんてたくさんの想いを隠し持っているんだろう」
鷲の子は逃げられないと悟ったのか、疲れてしまったのか、もう抵抗せずに彼の手の内でじっと彼の顔を見ている。
「今、君を一通り見たけど、ソノウが破れていた。君は死ぬね」
鷲の子は言っている事が判るのか、鋭い瞳孔の瞳をゆっくり瞬きして潤ませた。
その様子が憐れで、彼はそっと自分の秘密を鷲の子に打ち明けた。
「私はね、西の大陸から来たんだ。君の母上は飛んで行った事があるだろうか? そこに不思議な力が存在する事を知っているだろうか?」
自然に逆らいたくなければお逃げ、と彼は草の上に鷲の子をそっと置いた。
鷲の子はその場にうずくまって、彼を見詰めた。
彼は微笑んで、その小さな頭を指先で撫でた。
「……馬鹿だね。生きていても、良い事なんて無いと思っていた。けれど、私には良い事があった。……君はどうかな」
そう言って彼は目を閉じ、腹を、胃の辺りを、胸を順にへこませてとうとう 「はぁぁ」と息を吐き出すように小さな青い光を口から吐き出した。
鷲の子はそれをじっと見詰めている。
彼は青い光を鷲の子に見せた。
「鷲よ、君を籠に入れたりしない。ただ、君がとても強く成長し、この恩に報いたいと思うなら、あの二人を護って欲しい。あの二人の愛するものを、守って欲しい」
鷲の子は瞳に青い光を反射させながら、彼の目を直視した。
「交渉成立だね」
彼は微笑んで、青い光を鷲の子に差し出した。
鷲の子が何をするでもなく、青い光は消え、鷲の子が力強く羽ばたいた。
「行け!」
彼が空に片手を振ると、鷲の子は風を切ってヒュウと音を立て、アーウィンの弓矢の様に鋭く飛び去って行った。
それを見送りながら、ふと、かつて聞いた父の声を思い出した。
「……行け」
知らず呟いて、それから突然、雷に打たれた様にその真意を理解した。
彼はよろめき、西を向いてその場にうずくまると、暖かい大地に頭を擦り付けた。
……行け
おまえを籠に入れたりしない
人は。
人はどうして想いを隠すのだろう?
また、バド達に戻ります。




