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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第一章
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うみねこ団のバド

 大人しくしてろよ、と言って役人が出ていくと、再び薄暗くなった。

 泣きたい気持ちで彼の背中を見送って座り込むと、少女は立てた膝に顔をうずめた。

 少年の視線が嫌で仕方なかった。

 宮殿では、男性がこんな風に無遠慮に彼女を見る事は決して無かった。彼女は侍女とはいえ、仕える主人はイソプロパノール皇女であり、自らもまた、皇女の従妹であり、王族だったのだから。


「なぁ、なんて名前なの?」


 こんな風に名前を聞かれた事も、もちろん無い。完全に無視する。


「レイラちゃん、ローズちゃんかな?エスメラルダ?もっと高級な感じ?」


 少女は膝にうずめた顔を歪める。なんて感に障る人だろう!


「マチルダちゃん!」


 うるせぇなぁ、と少し離れた牢から野太い声がしたのを皮切りに、それまで静かにしていた囚人たちの気配が、蠢き出した。


「お前、『うみねこ団』のバドだろ?あの時はよくも」

「しつこいと嫌われるぞ」

「てか、そんなにかわいいの?俺も見たい」

「『凪ぎ帆亭』のウエイトレス、いいよな。グラマーしか雇わないってさ」


 どうやら五、六人程収容されていた様で、少女はギョッとして顔を上げた。


「おいおい、一斉に話し出すからお姫様、ビックリしてるぜ、うるさいのはどっちだよ」


 右向かいの牢から「チッ」と舌打ち。その更に右隣だろうか、ガシャンと鉄格子を叩くか蹴るかした音。左へ三つほどずれた向かいの牢からは「んだと、コラ」と罵声。もう何所か分からない位置から、酔っ払いの様な笑い声が響いた。遅れて何かブツブツと悪態が聞こえるのは、驚いた事にバドと呼ばれた少年とは逆側の、少女の隣の牢だった。


「ごめんな。お姫様。ここに容れられる奴らは大抵、気配を消すのが仕事なんだよ」

「わたくし、お姫様じゃ無いわ」


 思わず言ってしまって、ハッと口を押えた。


「アハッ、知ってるよ。オレの中で可愛い娘は皆、お姫様なの」

「???」


 「ケッ」と誰かが音を立てた。


「バドぉ、てめ、シャバに出たら覚えてろ」

「俺もお姫様見たい」

「もー、空気読めよ。お前ら静かにして。さっきからオレに吹っ掛けて来てるの誰?心当たり有り過ぎてわかんないんですけど」


 少女は頭を抱え込んで、手首で耳を塞いだ。

 

 わたくしは、死ぬまでずっと、こんな所に容れられているの?今は仮に「第一の塔」だけど、「第三の塔」はきっともっと酷いのだわ。


 涙がこぼれて、この場にいる誰にもそれに気付かれたく無かったのに、次から次へと悲しみの波が押し寄せて、しゃくり上げるのを、とうとう止められなくなってしまう。


 姉妹の様に育った皇女様。美しくて、優しくて、いつも日向の様にふわりと微笑んでいらしたけど、十八歳になるのを……トスカノ王との結婚に酷く怯えていらしたのを知っている。


 それにしても、自害するなんて。

 自分にもっと何か助ける事が、出来たのだろうか?

 自分のせいなのだろうか?

 今ここにいるのは、妥当な判決なのだろうか?


 騒がしかった囚人たちが、彼女が泣いている事に気づき始め、「おいおい」「俺、知らね」「お前が悪いだろ」「いや、手前がおっかない声出したから」などと揉め始めて、泣いている事を知られた恥ずかしさで、また泣けてくる。


 皆がシンとしてしまい、自分の鼻をすする音や、しゃくり上げる音だけが響いてしまうのが、とても恥ずかしい。こんな時こそ、騒いでいてくれればいいものを。


「お姫様、ハンカチはいるかい」


 務めてそうしたのか、呑気な声で少年が話しかけてくる。それは裏目に出てしまい、少女の胸に自然と蓄積され燻っていた、行き場の無い怒りに火が点いた。


「お姫様じゃ、無いったら!」


 ったら、ったら、ったら……。


 狭い洞窟の様な牢獄に、幼い怒り方をした少女の声が反響し、少女は顔を赤らめた。


「おお、怖……」


 誰かが呟いて、お互い見えるはずは無いのに、少女は声のした方を睨んだ。


「わたくしは、こんな所に容れられる様な事していないわ!貴方たちとは違うのよ!お願いだから、話しかけないで下さい!」


 ははは、とバドが笑った。


「意外と気が強いね。縮こまってたのは、カモフラージュ?」


 二の句が継げなくて、少女は怒りに震えながら息を吸い込んだ。


「あなたなんか大嫌いよ」


 自分がやっと絞り出した言葉に、情けなくなる。


「そんなー、悲しいぜぇ、えーんえーん」


 憎たらしい泣きマネをして、彼はスタスタ牢の扉に近寄ると、なんと、カシャンと扉を開けてしまった。

 ポカンと見詰める少女に、手に持った鍵をヒラヒラして見せる。


「素直に返すと思う?」


何が起こったか察した囚人たちは騒めいたが、それは賞賛のざわめきだった。

大抵彼らは、生まれた時から何かしら不運な事が多く、例えば貧しくて、例えば不器用で、例えばどうしても、物事が上手く回らない……などの理由で人からも運命からも、虐げられて生きて来た。なので、諦めてジッと少年を恨めしそうに見るのが半分、希望を持つ事に飽き飽きしているのに、薄暗い道を生き抜いて来た逞しさから、少年を脅したり、あるいは甘言で、懇願したりするのが半分。

 今回ばかりは幸運の女神の目の端に、彼らがチラリと映ったのだろうか?少年が鍵の束を鳴らして、最小限の声で宣言した。


「お前ら、逃がしてやるよ」


 シン……と牢獄が静まり返った。わざわざ騒ぎ立てる愚か者は、いない様だった。


「その代り、絶対に他言するな」


 沈黙が返事で返って来る。


「他言すれば、噂の先から全て追って行って殺す。オレ達『うみねこ団』を知らない奴はいるか?」


 誰も何も言わない。皆が息を殺していた。


「オレの邪魔をしても殺す。くどくど言わねぇぜ。わかった?」

「……『うみねこ』は、殺しはしない」


 誰かが低い声で言った。

 恐怖からでは無く、尊敬している対象を汚すな、とでも言いたげな声色だった。

 アハッと少年が笑う。


「バレてないだけかも」

「そんなに念を押すなら、何故自分だけで逃げない」

「あれ、そうして欲しい? さぁ、オレはお姫様を口説きたいから、先に行ってくれ」


 そう言って、少年は次々と囚人の牢を開けて行く。


「あんたはどうする? シャバでならいくらでも相手になるけど? ここで一戦交えるなら、神父がいなくても文句言うなよ」


 少年に突っかかっていた男は「イヤ、これでチャラだ。サンキュー」と明るい声で答えた。

 うん、と少年は頷いて、鍵を開ける。開けながら、そう言えば、と顔を上げた。


「逃げる時にヘマすんなよ」


 これには皆が、「アタボーよ」と返事した。


「道を開いといてくれると嬉しいけど、門番のアンちゃんを殺さないでね。これからせめて十分、オレにお姫様を口説かせてよ」


 少女はポカンとしていたが、鍵を開けてもらえるのは自分以外なのだと気付くと、思わず駆け寄って、鉄格子にかじりつく。


「お願い、わたくしも出してください」


 言ってしまって、なんてプライドが無いのだろう、と泣きそうになる。

 少年はへへへ、と笑って鉄格子にしがみつく少女の手首を掴んだ。

 自由(まだ塔の外に出るまでは霞の様な自由だが)になった囚人たちに「先に行け」と手で合図する。カサカサと、その場を離れる複数の気配がした。足音を立てる様な素人が一人もいないのは、少年にとって幸運だった。

 少年はチラリと彼らを見送って、少女に向き直った。


「いいよ。でも」


 そう言ってから、そうする事が狙いだった様に少女の手を引っ張ったので、少女の顔半分が鉄格子に押し付けられた。


「ん……痛い。放してください」


 もがくと、手首を強く握られた。

 耳元に、少年の唇が寄って、少女は不快さにギュッと目を閉じる。


「今逃げてどうする?」


 さっきまでと打って変わって、厳しく低い声で囁かれ、思わず彼の顔を見る。


「親や兄弟、親戚がどうなるか、判るよな」


 間があった。息を殺す為に必要な間だった。


「……いま、何て」

「君を今助けても、君も君の家族も、犬死しか出来ないよ。犬死が嫌なら、姫の身代わりになる事を引き受けるんだ」

「……?あなた、何を言っているの」

「ラビリエ・イソプロパノール」


 呼ばれて思わず「はい」と返事をしてしまう。少年はニッ、と笑って鍵を少女の目の高さに掲げた。


「追っ手に怯えながら、オレ達みたいに裏通りを生きて行く? 手助けしない訳でも無いぜ」

「……」

「イヤだよな。じゃ、トスカノ王妃になる? 自分を殺して?」


 少女はポロッ、と涙を落とした。


「パ、パ、パール様が……」


 手早く要件を済ませたいだろうに、再びしゃくり上げ始めた少女に、辛抱強く「うん?」と少年が首を傾げる。


「皇女様が、い、生きていらっしゃったなら……わ、わたくし、喜んで、み、身代わり、ヒック、に……な、な、なったわ……」

「……そう」


 少年が、困った様に首の後ろを掻いた。

 わたくしは、どうしてこんな人にこんな話をしているのかしら?と、悲しみの淵で思ったが、涙も言葉も止まらない。


「ぱ、パール様の為なら、出来たわ」

「でも、皇女様はもういないな」


 きゅう、と子犬の様な泣き声が喉から漏れて、少女は頷く。大粒の涙が、ポロポロと冷たい床に落ちてにじんだ。


「く、国の為に、って思ってみたけれど、や、やっぱり違う気がするの……。だ、だ、だって、うう……。だって、パール様はもういない……」

「国の犠牲にはなりたくない?」

「違うわ!……違う……。だって、代わりが利くなら、なんの為にパール様は亡くなったの?」

「逃げる為だろ」


 キッとぐしょ濡れ目じりを釣り上げて、少女は少年を睨んだ。


「おっと、失礼。(面倒だから)撤回する」


 心の台詞がなんとなく分かってしまって、腹が立ったけれど、少年の態度があまりにも正直なので、少女は何故か微笑んでしまった。


 一方、初めて見せた少女の微笑みに、少年はコッソリ息を飲んだ。―――成程、この娘は街の不良娘では無い。


「……わたくしも……撤回するわ」

「?」


 少年が器用に片眉を上げて、先を促した。悪いけど、オレは急いでいますよ。


「わたくし、国の犠牲にはなりたくないわ」

「……うん。わかったよ。これを」


 カサ、と小さく折った紙切れを、掴まれた手にねじ込む様に渡される。そっと手が放れる。


 「オレ、ここにいるから。まず、国の要件を飲んでここから出ろ。それから来て。絶対来て」


 こんなにも暗いのに、彼の瞳がとても綺麗なのが分かる。光源も無しに、キラキラと光っているのだ。


 でも、この人は、胸が締め付けられる程、すがるような目をしている……。

 救いを求めているのは、わたくしの方なのに、何故?


 持たされた紙切れを、思わず胸の前でギュッと握った。


「でも、どうやって」

「そこはなんとかしてよ」


 意外と大雑把……。と肩すかしにあいながら、少女はあいまいに頷いた。


「なんとか……」

「ちょろい、ちょろい」


 地上が騒がしくなって、彼は上を見上げた。


「お、皆逃げられるかな? じゃ、そろそろオレも」


 少女は慌てて、彼の腕をとった。

 細かったが、鋼の様な筋肉の固さを手に感じた。


「まって、貴方は……誰?」


 おっと、いけね。と少年は言って、芝居がかった仕草で片膝を立て、胸に手を当てた。


「お姫様、必ず力になります故、わたくしめをお頼り下さい。……お手を」


 促されて、首を傾げると「いいから」と言って、手を持っていかれ、そのまま手の甲に唇を付けられる。

 ちゅっ、と音が響いた。

 へへへ、と、とろける様に笑って、少年が硬直した少女を見上げた。

 吸い込まれそうな程強い引力を持つ瞳だった。


「オレはバド。よろしく。さ、ラビィ」 


 呼ばれた事の無い名で呼ばれて、「え」と言っているそのわずかな間に、少年は既に牢獄を出て行ってしまった。


 クルクル回る風に巻き込まれた後の様に、少女はぺたんと座り込む。

 急いで牢の隅に体を小さくし、震える握り拳を開いて、折られた紙切れを開く。


『イブフェンの崖 飲食い処 最後の晩餐』


 少女はおかしな店の名を頭にしまい込むと、紙切れを小さく折って飲み込んだ。

 とても苦しかったが、証拠は残らないだろう。

 地上から、バタバタと走る音や、怒鳴る声がする。

 少女は、膝を抱えて小さくなると、ジッとして息を殺し、目を閉じた。

 

 牢の中の空気も、直に座る地面もとても冷たいのに、手の甲だけが、ジンと熱い気がした。


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