誰かの夢
まどろんでいた。
もうすぐ死ぬのだと思うと随分気が楽だったし、この暖かくフカフカした土に還るのなら、悪くないと思った。故郷の土は熱く乾き、埃っぽかったから。
彼が辿り着いた一本の大きな滝の音が、ごうごうと鳴り響いて彼の意識を飲み込んで行く。
これは本当に滝の音だろうか?
死を迎える彼にだけ聞こえる、なにかこの世のものではない音の様に聞こえ、彼は耳を澄ます。
ここで木になりたい。木ならば、誰からも顧みられずとも、心が痛む事は無いだろう。
この大きな力の渦巻く場所で、音にまみれながら、永く静かにたたずんでいたい……。
彼はどす黒くなった身体を苦労して仰向けると、西に傾きかけた太陽を見詰めた。ほのぼのと暖かい光を受けながら、目をつぶる。
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暗闇の中で、ほんのりと発光しながら浮かび上がるのは、彼を疎んじた者達の顔。多くはない。どの顔も、陰鬱そうに目を伏せて彼を見ないでブツブツ呟いている。
皆が一斉に呟いているというのに、個々の内容が解るのは、過去に彼がその一つ一つに、えぐられる様な痛みを覚えたからだ。
顔達はコソコソと隠す素振りを見せながら、その実己の嫌悪を表に晒し、べっとりと彼に塗りたくる。ゆっくり、丁寧に、確実に彼の何かを殺そうと。
どんなに苛めても、泣かないってさ。
先生だって、アイツを無視してる。
マキアーダ様の産んだ子だよ。
マキアーダ!あの売女!
王よ、それは呪われた子です。十を過ぎる頃には王の身を必ずや脅かしましょう。
私にとって、アガルタの子で無ければ意味など無い。
お前を産めば全てが手に入ると思ったのに。
……行け。
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十二の誕生日だったか。
初めて父に呼び出されたあの日。
部屋に招かれるのは初めてで、嬉しくて嬉しくて、自分らしくも無く頬を高揚させて、どんなお言葉を頂けるのだろうと……。
王の間はもったいぶって開かれた。
彼はそこに足を踏み入れるのも初めてだった。
想像していたよりもガランとした王の間の、寝台の様な玉座に父はあぐらをかいて座っていた。
「ブラグイーハ」
と、父は彼の名を呼んだ。これもまた、初めての事だった。
だがその声音は冷たく、ヒュッと冷気が心臓を突き抜けて行く様な感覚がした。
王は唐突に話し始めた。
「お前が生まれる前、我には妃がいた。だが、忌まわしき呪術師がその呪われた力で惑わし、奪って行った」
彼はそうしなければいけないと思い、母譲りの美しい瞳を父から逸らし、伏せた。
父の語る事件は、公の秘密だ。この事件を機に、父に取り入ったのが彼の母マキアーダで、美貌とじっとり柔らかい二枚舌を武器に道端の踊り子から側室まで上り詰めた。
王に辿り着くまでに、六人の男を破滅させたと囁かれている。
そうして彼を見事産み落としたが、その頃には周りに敵を作り過ぎてしまっていた。
王が我が子に関心を寄せないので、マキアーダは息子への愛をさっさと捨ててしまった。
見返り無しで愛する程の愛を持たないこの憐れな女は、日々辛くなる立場への苛立ちを息子へぶつけては、ヒステリーを起こすのが最近の日課だ。
「お前は呪術師と妃を連れ戻すのだ」
「お二人のお名前は」
「妃はアガルタ。呪術師はエデンと言った」
「どの様なご面相でしょうか」
「二人とも美しかった」
「アガルタ様の似顔絵などはありますか」
「皆燃やしてしまった」
「行方は?逃げた方角はご存知でしょうか」
「……マクサルトを知っているか」
「…………はい」
それはおとぎ話の架空の国の名前だ。
「そこだ」
「……左様でございますか……」
「金貨と船をやる。連れ戻せるまで戻るな」
彼は静かに顔を上げると、父を見据えた。
その黒曜石の様な瞳には、冷たい怒りが宿っている。
架空の国への行き方を、彼は聞かない。
聡い彼には全て解った。
これは追放なのだと。
王の間を出る彼の背に、思いがけず声がかかる。
「……行け」と。




