マクサルトにいたもの
クリス皇子はレディ・トスカノの前で、魅せられた様に片膝を付いている。
妙な事になった、とロゼは仏頂面で焚火に当たりながら、得体の知れない美女を盗み見る。
あんまり好みじゃねぇなぁ……。
ロゼの好みは苛めたらすぐ泣きそうな弱々しい女だ。
さっきの騙されたと知った時の、ラヴィの顔。ああいうのが、彼は好きだ。
ラヴィは相当怒っている様子で、バドの傍にピッタリ座り、ロゼと目が合おうものなら睨み付けて来る始末だ。
しょうがねーじゃん、とロゼは目を細める。
アスランを探しに行ったら、既にアスランはあの空飛ぶガリオン船の中で、バカ皇子が「救助したが、それ以後は君次第だ」と笑顔で言って来た。だから……。
でも、ロゼはそんな弁明をする気は無い。
それは彼が潔い訳では無く……「隊長が謝れ」と思っているからだった。
とにかく、また面倒臭くなった、とロゼは思った。
バカ皇子が魔女に魅了されて本来の目的を忘れてしまった。
何がレディ・トスカノだ。なんなんだ!
『左様。私はトスカノ国に所縁のある者だ。あそこは美しい玉がわんさと眠っていてね。私はそこでそれらとうつらうつらするのがすきだったのさ……。そのうち彼の地に住み着いた人間共が、玉を採ってはあれこれ美しい物を生み出すから、私はそれを見守っていたのだよ』
おお、と感動した様にクリス皇子が声を上げた。ロゼは「バーカ」と思った。
「ではトスカノ国の守護神という事でしょうか?」
不思議な力を目の当たりにして尚、神などいないなどと言える者は、ロゼを含んでもいなかった。
レディ・トスカノは薄緑色の瞳をちょっと泳がせた。
『守護と言う程の事はしていないな、そこにいただけだ。ただね、私の様な存在がいるだけで、幾らか恩恵めいたモノがあったはずだ』
貧しい国だったが、かつては装飾品で成り立っていたのだから、レディ・トスカノの言う通り、彼女の恩恵があったのだろう。それにしても後ろめたそうなので、よっぽどぐうたらしていたのかも知れない。
「じゃあどうしてトスカノにいないんだ? てゆーか、今トスカノが繁栄しているのはあんたがいないからなんじゃ」
「バド!」
レディ・トスカノに敵意が無いのを良いことに、全然遠慮しないバドにラヴィはハラハラしっぱなしで、生きた心地がしない。
当のレディ・トスカノは、大して気にもしていない様子で「ホホホ」と笑った。彼女が「ホホホ」と笑うと、ほの暗く輝く顔から光の粉が散ってキラキラと落ちながら消えるのだった。
『そうかも知れぬ』
「貴女の様な方がいて、交代されたのですか?」
『うむ……私はね、彼の地の一世紀を譲ったのだよ』
全く無邪気な表情で彼女はそう言った。さらに、とても満足そうに微笑んで見せる。
『私にとってあっと言う間だからね。良い取引だった』
バドもラヴィも飛び上がって、同時に声を荒げた。当国のクリス皇子とロゼは落ち着いていた。話が飲み込めないのかも知れない。
「どういう事!?」
『そういう事だが? 一世紀の間、私がトスカノを空ける。私は川岸が好きな質でね。だからこの辺をうろうろ彷徨っていたのだ』
「何と交換したんだよ?」
下心たっぷりにバドが聞いた。
『瞳だよ』
彼女はどうやら目玉が余程好きらしい。バドは明らかにがっかりして「なーんだ」と砂利の上にひっくり返った。レディ・トスカノは、バドなど目もくれずにうっとりと虚空を見詰めた。
『美しい男の瞳さ。剥製を望んだが、人間は老いるからね……。でも、瞳は老いない……汚れてしまう事はあるけれど』
それが心配なのだよ……。と独り言ちて、レディ・トスカノはふぅ、と息を吐いた。
『トスカノから血の匂いがする』
「そんなのどの国からでもするだろぉ」
星空をボンヤリ眺めながら、ロゼが言った。
「俺たちはいつも血を流し合ってる」
『うむ。〈嘘つき〉の言う通りだな』
あ!?とロゼが顔を歪ませたのを見て、ラヴィは唇を噛んで笑いを押し殺した。
『お前たちはいつも……だが私はそれを正常だと思う……それは性だと。だがね、好かない血生臭さなんだよ。縄張りを荒らされている様な』
バドとラヴィは顔を見合わせた。
やっぱり、トスカノで何か起きている様だ。
クリス皇子が眉を潜めた。
「父上の治世になにか問題があるのでしょうか?」
レディ・トスカノは何かを手に入れた様な顔をして笑んだ。
「やはりブラグイーハの子供なんだね? ……生き写しだから、驚いた」
クリス皇子が首を傾げた。美女と美男が語らっているその様は、そこだけ光輝いている様だ。実際、レディ・トスカノは薄く発光している。
「ブラグイーハ? 私の父は、イーハトーブという名ですが」
『誠の名はブラグイーハだ。子にも隠したか。あれは西の国の捨て子よ』
思わぬ言葉に、クリス皇子が青ざめて絶句した。ラヴィの告白といい、今日は彼にとって厄日の様だ。
「ですが、ですが……では、瞳と交換にトスカノ国を手に入れたとでもいうのですか?」
『いいや、取引をした時あれは既に王だった。どうやったか知らんが、先王から王位を正式に譲られている。先に言った通り、私とは国を空ける約束をしただけだ』
「何故それを望んだのでしょう? 聞きましたか?」
レディ・トスカノは肩を竦めた。
『いいや』
彼女の興味は瞳だけ。
「悪魔でも引き入れてんじゃねーの?」
いつかの仕返しとばかりに、バドがロゼに憎たらしく言った。ロゼはフンと鼻を鳴らして一向に意に介さない様子だ。
「その方が拍がつくってもんだぜぇ」
「あらら、国民がこんな事言ってるぜ!なぁ、心配じゃねーの?帰ったら棲家が汚されてるかもよ」
『それは嫌だな。だが、自ら赴く訳にはいかないのだよ。体裁も悪いし……違反をすれば、あれの瞳が手に入らない……』
よっぽど気に入った目玉だったらしい。レディ・トスカノは「ふう」と息を吐くと、
『そうだ、お前たち、連れて行ってくれぬか』
「ええー?行ってどうすんだよ」
『なんだ、不安をあおったクセに』
結構素直な性格らしい。
「お連れ致します」
クリス皇子が即決した。
「父を知りたい。父はこのマクサルトの地を疎んじ、大きな門を建てた。しかし、その門を越えて見た所、荒れた大地の他何も無い」
ロゼに事情を聞いているのだろう、彼はバドをチラリと見る。
「マクサルトはほんの十数年前には、豊かに存在していた。それは悪魔信仰をしていたからだと、そう聞いている。だが、マクサルトと入れ替わる様に豊かになるトスカノに、私は不安を覚えるのです」
彼はトスカノがマクサルトと同じ轍を踏んでいるのでは、と心配しているのだ。トスカノは、「マクサルトの様」になっている、と。
静かに聞いていたレディ・トスカノは、少し考える風にしてから口を開いた。
『クリス・トスカノ。悪魔などおらんよ』
「……では、マクサルトを豊かにしていたのは神ですか?」
バドはクリス皇子に腹が立った。
「俺たちを他力本願の馬鹿野郎みたいに言うんじゃねぇ!」
「ではどうして繁栄していたのだ!?この地を見ろ!乾き、ひび割れ、風が吹きすさんでいるではないか!以前のトスカノと同じだ!一体お前たちマクサルト人は何に縋って生きていたのだ!」
「……こんのやろー!」
完全に頭にきて、バドが飛び上がった。もともといけ好かない野郎だ。ハンサムなんて大嫌いだ。痛めつけられたのも忘れていない。ラヴィがその足に縋りついて止めた。
「バド!落ち着いてください!」
「放せ!コイツ、俺たちを虫ケラみたいに!」
『ここで争うなら、私が虫ケラの様に潰してやろうか』
氷の様に冷たい声で、レディ・トスカノがその場を諌めた。
『いいか、神もいない。マクサルトにいたのはトカゲだ』
「へ?」
バドが目を点にしてレディ・トスカノを見た。彼女は容赦なく頷いて「トカゲ」と、もう一回言った。
ロゼがブーッと吹き出した。
「トカゲだってさ」
「トカゲ? どーゆーこと?」
糸が切れた様にバドが地面に尻を付ける。
「面白い。マクサルトへ行ってみよう。バドと言ったな。レディ・トスカノ様が和解する様仰られた。かなり不本意だが、私はそれに従う。……お前を見逃そうと思う」
クリス皇子が真面目な顔で言った。
「「マジで」」
バドとロゼの声が重なって、二人は初対面の猛犬の様に睨み合った。
クリス皇子はそれをよそに、目を丸くしているラヴィの傍に近寄ると、片膝を付いて彼女の手を取った。
「ラビリエ嬢」
サッと青ざめて目を逸らすラヴィの頬に手を振れて、彼は優しく微笑んだ。
「お会いしたかった……」
「わ、わたくしは罪人です」
顔を伏せる少女の顎に指を当て、クリス皇子は彼女の顔を覗き込んだ。
「貴女に罪は無い。国やこの野盗にそそのかされただけだ」
「いいえ」と少女は首を振った。クリス皇子は目を細め、「そそのかされただけだ」と繰り返し呟いて少女の前に膝を付くと、彼女の手の甲に唇を付けた。
「貴女をお救い致します。……私の妃になって下さい」
イソプロパノールの重大な秘密をトスカノの為に利用しない手は無いし、自分のルーツを(まだ不確かではあるが)知ってしまった者を懐に抱くのは危険だと判ってはいるが、一度失ったと思った未来の花嫁が、目の前にこんなにも愛らしく存在しているのなら、彼はどうしても手放したくなかった。
それは、一国の皇子としてあるまじき思考回路だ、愚かで衝動的な欲求だと彼は自分で自分に呆れながらも、その意思を曲げる気は無かった。
そして、イソプロパノールに利用された不遇の乙女を救うのは自分だ、と正義心が燃えるのも抑えがたかった。
少女は困惑して彼の顔を見ている。
「……こんなところで失礼しました。トスカノへ帰国したら正式に申し込みます」
呆気にとられている一同の前で、皇子はサッと立ち上がりバドを見下ろした。
「マクサルトへ行く。お前の知っている事全てを教えろ」
バドはかなり反抗的な気分で彼を見返したが、「わかった」と頷いた。




