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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第五章
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裏切り

 無遠慮な呼びかけに、美女が眉根を寄せて、不意に声がした方を見た。

 バドとラヴィもハッとしてそちらを見た。

 ヒョイと川上の岩陰から、顔を出す者がいた。

 暗くて良く見えないが、独特の呑気さと声でロゼだと判った。


「ロゼさん、戻って来ましたね」


 バドは頷いて、こちらに寄って来ないロゼに声を掛けた。


「タイチョは?」

「そいつ、誰?」


 ロゼは不審そうに言って、バドの問いを無視した。


「わかんないけど、敵じゃないみたいだぜ。なにしてんだよ、タイチョは?コッチ来いよ」


 ロゼは岩陰から動かずに、何故かラヴィに手招きをした。


「なんですか?」

「や、あのさー、ちょっと岩と岩の間に大事なモン落っことしちまってぇ、俺の腕じゃ入らないんだよねぇー」

「はぁ?」


 珍しく低姿勢な声音に、余程大事な物だろうと思い、ラヴィが立ち上がってロゼの傍へ歩み寄った。


「どこですか?」

「こっち」


 ロゼが手招きして、ラヴィはさらに彼に近付いて岩陰に入る。


「どの辺ですか?」


 暗い足元を見ながら聞くと、「さあね」とそっけない声でロゼが言った。

 「え?」と、ラヴィが顔を上げると、薄暗い月明かりの下で、ロゼが微笑していた。

 何か変だと気付くのと同時に、ロゼがラヴィの腕を掴んで引き寄せ、ねじり上げる。


「ロゼさん!?」


 なにを? と言い掛け、ロゼの他にも人の気配を感じて、ラヴィは目を見張った。

 彼は少し離れた岩場に腰かけていた。

 薄暗闇の中で、影形しか判らない。

 それなのに、ただ腰かけているだけなのに、素晴らしく恰好良い。岩から立ち上がる長身も、その背に流れる真っ直ぐな黒髪も、切れ長の優しい瞳も、彼のどれもが、ラヴィの胸を締め付けた。


 クリス皇子!


 ラヴィは彼に合わせる顔など無い。サッと下を向いて、顔を背けた。

 彼はロゼに「来い」と言い、二人の横を通って岩陰から出て行った。

 ラヴィはもがいてバドに危険を知らせようとしたが、ロゼ相手にそれは不可能だった。


「慌てんなよぅ、俺らも行くって」


 ロゼに引きずられる様に岩陰から出ると、すでにクロスボウを構えて戦闘態勢のバドと目が合った。


「ラヴィ!」

「君のおかげで、『門』の中が見れてちょっと感謝している」


 だけど、とクリス皇子は美しい切れ長の瞳を細めた。


「褒美はやらない。武器を捨てろ。大人しく捕まるなら、命は助けてやろう」


 バドが砂利に唾を吐いた。「汚いな」と傍観していた美女が顔をしかめた。

 クリス皇子がチラリと彼女を見て、目を見張ったが、すぐにバドに目を戻した。


「バド! 逃げて!」


 どこにだよ、とロゼが耳元で笑ったが、ラヴィは美女の出した暗い道を見た。


「早く!」

「ロゼット」


 クリス皇子に名を呼ばれ、ロゼがラヴィの喉元に剣を突き付けた。


「てめぇ! 放せ!」


 怒るバドに、クリス皇子は更にその上をいく怒りを被せ怒鳴った。


「お前も同じ事をした!」 


 その覇気に、美女以外の全員が圧倒された。

 彼はバドのクロスボウなど恐れもせずにズカズカと近寄って、手に持った大剣を振りかぶった。その速さ、鋭さは、身軽なバドでなければ、ズバリとやられていたところだろう。

 バドは身をかわすと短剣で次の斬撃を受け流し、低くした姿勢のまま足払いを掛けた。クリス皇子はそれを軽々と飛んで避け、再び大剣を振りかぶり、間一髪で避けたバドの金髪を散らした。


「命は助けてくれんじゃなかったっけ?」

「腹が立って来た。ここでスッキリするのも悪くない。さぁ、武器を捨てろ」


 蝋人形の様な顔で言われて、バドは口の片端だけを釣り上げた。

 バドはラヴィの方を見る。ロゼがラヴィの喉元に当てた剣を、焚火の火にギラリと反射させて見せた。


「彼女に何もするな」


 ロゼを睨み付けると、彼はちょっと面倒臭そうな顔をした。


「じゃあ武器捨てろって言ってんの」


 グッと喉に剣を押し付けられて、ラヴィが首をのけ反らした。それでも気丈に、「に、げ、て」と声を出したのを見て、バドは歯ぎしりすると、諦めた様に両足を少し広げて立ち、短剣とクロスボウを足元に投げ捨て、両手を上げた。


 ダメ……と、ラヴィがすすり泣くのが聞こえた。


 クリス皇子が足で短剣とクロスボウを蹴散らしながらバドの傍に来て、彼の後頭部の髪をおもむろに掴むと、顔を自分の方へのけ反らせた。


「何故あんな事をした」

「お前らが変な門で通せんぼするから」


 グッと髪を引かれ、バドは喉がのけ反って最後まで言えなかった。


「要点だけ答えろ」

「……マクサルトに……行きたかった」


 クリス皇子は目を見開いた。


「そんな事の為に?」

「……そうだ」

「下衆が」


 クリス皇子が、空いている方の手で思い切りバドの頬を平手打ちした。そのまま反対側の頬も手の甲で殴られて、バドの口の端から血が流れた。


「……や、めて」


 ラヴィはバドが乱暴されるのも、あんなに優しかったクリス皇子が乱暴するのも見たくなかった。バドは「人を信用し過ぎるな」と言っていたのに。全部自分のせいだと思うと胸が張り裂けそうだ。

 彼女は喉が傷つくのも構わず、ロゼの腕の中で身をよじり叫んだ。


「止めて下さい!罪ならわたくしにあります!わたくしは皇女ではありません。パルティエ皇女はご自害なさいました……わたくしは、身代わりになるのを厭い、その者に助けを求めたのです!わたくしが頼んだのです!」


 蒼く美しいイソプロパノールの海や街、両親や親族の顔が、脳裏を過って消えた。


 ああ……全て終わりなのかしら……。

 でも、それでも。バドの罪を少しでも減らしたい。


 クリス皇子が目を見開いてラヴィを凝視した。「やっぱりな」とロゼの声がやけに遠くに聞こえた。

 こんな風に見られる前に、あの飛空艇でクリス皇子が自分への想いを打ち明けている内に、言ってしまえば良かった。そうすれば、自分は捕まっていただろう。でもバドは上手い事その場をやり過ごし、また更なる作戦を練って故郷に帰れたかも知れない。

 少なくとも今、こんな風に捕まったりしなかっただろう! クリス皇子も、人前で怒りを見せずに済んだ事だろう!


 妙な勘が働いているのだろうか? クリス皇子はかなり動揺して「貴女は……」と聞いた。


「ラビリエ・イソプロパノールです。パルティエ皇女の侍女です」


 クリス皇子の苦虫を噛み潰した様な表情に、申し訳ない気持ちが溢れ、それは涙となって次から次へと零れた。

 クリス皇子はキッとバドを睨みつけた。


「貴様……!彼女をそそのかしたのだろう」


 皇女の自害も、身代わりの件もそっちのけでクリス皇子がバドに詰め寄った。


「……そうだ」


 バドもあくまでもラヴィを庇うつもりなのか、ニヤリと不敵に笑って見せた。次の瞬間、腹に拳を喰らってケンケンと咳込む。


「ここで殺してやる」

「止めて下さい! ロゼさん、放して!」

「こうなる覚悟はあったんだろぉ?」


 ロゼは全くラヴィの頼みを聞き入れない。

 バドが今度は顔を殴られた。口からか鼻からか、血が飛び散るのが見えて、ラヴィが悲鳴を上げた。


『これ、お止め』


 クリス皇子達が現れてから傍観を決め込んでいた美女が、焚火の傍の岩から立ち上がるでもなく、気だるげに組んだ足に頬杖をついてようやく口を挟んだ。

 その言葉は紛れも無くトスカノ語だったが、バドとラヴィにはイソプロパノール語として意味が分かる、という何とも不思議な現象を起こした。


『お前はトスカノの子だろう?トスカノの子の手は人の肉を打つ手では無い。美しい物を作る手だよ』


 お前もだ、と美女はロゼを見た。


『戦士と言うなら剣を持つのはやむおえまい。だが、乙女相手に使う剣なら捨てておしまい』


 美女の異様さにクリス皇子もロゼもたじろいだ。美女はフンと言うと、手首だけを動かしてサッと手を払った。

 途端、クリス皇子の手がバチンと何かに弾かれた様にバドを放し、ロゼの剣が宙をクルクルと回って地面に突き刺さった。

 更に美女は、好機にサッと動こうとしたバドに対しても、「これ、お座り」と言ってその足元に小さな落雷をピシャッと落とした。

 小さな落雷の落ちた後には、鋭い穴と焼け焦げが出来て、シュウ、と煙が風に消えた。バドはそれを凝視して、言われた通りにその場に正座した。

 人外の所業にその場の全員が固まり、美女を見た。彼女はつまらない出し物を見た後の様にあくびをして、低い声で言った。


『諍いなど見飽きている』


 それから、ふと面白い余興を思いついたとでもいう様に「そうだ」と切り出した。


『和解して見せろ。憤りも憎しみも押し殺して私に見せてみろ』


 クリス皇子が美女の前に片膝を付いた。


「私はトスカノの第五皇子、クリス・トスカノと言います。貴女はトスカノをご存じの様だが、我が国に所縁のあるお方なのでしょうか?」


 うん、と美女がこだわりなく頷いた。


『ラヴィ・セイルに名乗ろうとしていた所だ。私の名は、レディ・トスカノという』


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