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蜥蜴の果実  作者: 梨鳥 
第五章
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急流下り

 空を飛ばなくなったボートは一気に激流に翻弄された。


「うおー!?」


 バドが舵をがむしゃらに動かすが、水中用の船では無いので無理だ。

 荒れた海の様に船体が揺れ、景色がグルグル回り、何度か空中に飛び上がって、全員にまんべんなく大波の様な水しぶきがぶち当った。

 水しぶきで吹っ飛ばされそうになったラヴィを、バドが身体ごとぶつかって船底に押し留めた。

 ラヴィの視界の片隅に、ひっくり返っているロゼの靴の底が見える。

 ジージョの弱々しい悲鳴が、激しい水の流れの音に、掻き消えて行く。

 アスランだけが超人的にバランスを保って、


「急流下りってワケか!」


 船の内側の張り板をバキバキ引っぺがして、ザブンと川に突っ込んだ。


「隊長無理無理無理無理!」


 ロゼが座席にしがみ付きながら喚いた。

 前方に大岩がそびえ立ち、川を二つに割っている。このままでは衝突だ。


「無理って言ったら無理になんの!」


 迫りくる大岩に、ドヤッと張り板を突いて、アスランが怒鳴った。

 張り板は真っ二つに割れたが、船は大岩を免れた。でも、張り板に身体全部を使って力を込めたアスランは、勢い余って船から身を躍らせる。


「あー、あぁぁ、あ、アスラン!」

「うぎゃぁぁ! 隊長が! 隊長がー!」


 ジージョとロゼが悲鳴を上げた。

 アスランは、大岩に根を張ってその身を川の流れに弄ばせている木の枝に、間一髪で捕まって、こちらに手を振った。


「なんだぃ」


 途端に平静を取り戻して、ロゼはマントを脱ぐ。銀の胸当ても外して捨ててしまった。

 元々水に浮かせる目的では無い船が、ここまでもったのは奇跡としか言い様が無い。もしかしたら、元は川か海用の船で、それに空飛ぶ機能を後付けしたのかも知れない。でも、どちらにせよ、船は何度もかぶる水しぶきで浸水し始めていたし、形を変え続ける水面に、突き出る岩が増えて来た。

 ゆくゆくは木端微塵だろう。ロゼ以外も全員、既にそれを覚悟している。

 ラヴィは泳げるけれど、この水流では無理だとゾッとして、うねる濁流を見た。

 その色はロゼの髪の様な色をして、底ではうねうねと藻がこちらへ手招きをしている。それは近くに見えるが、きっとずっと深い底からのお誘いだ。帰って来れる気がしない。


「ラヴィ! 前!」


 バドの声に、ラヴィは前を見る。絶望的な高さの渓谷を流れる狂った流れの遥か先に、岸が見えた。すぐに曲がりくねった地形の為、崖が視界を遮った。また曲がる。見えた! 見間違いじゃない、岸が先にある!

 ラヴィはバドを振り返った。

 バドはウインクして親指を立てて見せ、船の揺れでロゼの上に倒れ込んだ。追い打ちを掛ける様に、水しぶきが二人に覆いかぶさった。


 でも、このままでは通り過ぎてしまう。


 岸は確かにあるけれど、その前を通る水流は意地悪な程早い。

 それなのにロゼがバドの首を絞め出したので、ラヴィは揺れる船内でなんとかロゼの脇に倒れ込む様に近づき、その意外にも筋肉のある片腕に縋りついて―――噛み付いた。

 バドとロゼが目を剥いて彼女を見た。


「ぎゃぁあ……!?」


 ロゼがバドの首をゆっくりと放し、これまたゆっくりと、噛まれた腕を庇うように片手を添えた。

 彼は、何が起こったか受け入れる事が出来ない。


 まさか女の子に腕を噛まれる事態なんて、このロゼット様に起こるハズが無い!


 バドは弾かれた様に機敏に動き、船尾側の座席の背もたれを股に挟む様に反対向きで座ると、踏ん張れる様に足を伸ばした。岸との距離をチラリと後ろを向いて確かめながら、クロスボウを何やらゴソゴソいじり、お馴染みのワイヤーを再び取り出して座席に巻き付ける。そうして、渓谷の淵に岩を割って、逞しく茂る木々目がけてクロスボウを構えた。

 ロゼが何かを悟って、バドの胴に腕を回した。

 その時が来て、バドがクロスボウを打った。

 いつもより強く太い、バンッという音がした。

 シュッと矢に結び付けたワイヤーが飛んで、キラキラ光る。

 音の割に、飛び方が鋭く無く、木の太い枝に見事にクルクルと巻き付きガッチリと爪を立てたのは、矢では無く鉤爪だった。

 ワイヤーの巻き付いたごつく太い枝が、メキメキとしなって揺れた。

 バドのワイヤーがピンと張りつめると同時に、船の座席が軋んだ音を立て、それを力づくで支えるバドが呻いた。


「ぐぁぁ、やっぱ無理!いででで……ヤバい、位置がヤバい! 破裂する! 女になっちまう! ぅうぅ!」


 バドが船尾に足を突っ張って、その肩や腕を筋肉で盛り上げる。


「なっちまえ! 楽になれ!」

「そうよ! バド頑張って下さい!」


 ロゼが変な応援をしている。ラヴィは意味が解らないなりに、ロゼと一緒にバドを引っ張った。

 急に障害物となった船に、水流が負けじとのしかかる。ほとんど半分程それに飲み込まれる形で、派手に水しぶきを上げながら船が上手い事岸に寄り始めたので、バドが「よっしゃ!」と歓声を上げた。

 

 船はバドの狙い通りに座礁して、岩だらけの川底がガリゴリと凄まじい音を立て船底を擦った。

 皆が座席に飛び乗り、ガクガク揺れながら成り行きに身を任せた。

 突起した大岩にでもぶつかったのか、一際大きな衝撃を受けたその時、船尾の底がボンと音を立てて水や砂利をまき散らしたかと思うと、一握り程の大きさの鮮やかな緋色の炎が飛び出した。


「!?」


 浅瀬にとうとう乗り上げて、船が止まると皆ザブザブと水を浴びながら、飛び出したその場所にフワフワと留まるその炎を見詰めた。

 緋色の炎は川風にかき消されそうになりながら、戸惑う様に慌しく震え揺らめき、そして上昇する仕草を見せると同時にスウッと消えてしまった。

 あ、とジージョが小さく声を漏らし、それを皮切りに皆が何かの呪縛が解けたかの様に、未だ厳しい現実に心を戻した。


 ひー、とバドが情けない声を上げた。


「痛ぇー、皆、早く降りてくれ」


 ロゼは既にザブザブ音を立てて、岸へ上がっている。水は彼の膝くらいの深さの様だ。

 震える膝をどうにか動かして、ラヴィも船を降りた。

 浅瀬でも水流の力は強く、ラヴィは転びそうになるのを踏ん張った。ジージョも震えながらザブンと川へ足を突っ込む。

 それを確認してから、ギクシャクした動きでバドも船から飛び降りると、小さなハサミの様な道具でワイヤーを切った。支えを無くした底なし船は、水流に押されて不器用に流れ出した。のろのろと浅瀬の岩に引っ掛かりながら、船は沖へ流され、すぐに沈んで見えなくなった。

 ラヴィはそれを見送って、「お疲れ様」と呟いた。せっかく操縦に慣れて来たのに、と、とても悲しい気分だ。

 西への夢も、沈んでしまった。

 でも、命は助かったわ。

 濡れた身体に、冷たい風が吹いた。ラヴィは肌を粟立たせて、バドを見る。

 バドは足を踏ん張って、ワイヤーと格闘していた。木に引っ掛かった鉤針が、上手い事外れないか色々試している様子だった。


「ああ、チクショウ」


 なかなか諦めないバドの傍に、ザブザブと苦労して近寄ると、バドが眉をハの字にして彼女を見た。


「ダメだ。取れない」

「このワイヤーには随分助けられました」


 ラヴィもワイヤーに触れた。初めて良く見るそれは、水を滴らせて冷たく光っている。


「気に入ってたんだけどなぁ」


 ポイとワイヤーは川へ投げ出され、長い銀色の蛇の様に水流に揺らめいた。

 ラヴィは先ほどの流れて行った船の事もあり、なんとなく名残惜しい気持ちでワイヤーを水からすくい取ると、


「なんとかならないかしら……?えいっ、えいっ」


 と、でたらめに引っ張ってみた。

 バドが笑って、「無理だって」と言おうとしたその時、メキメキっと音がして、ワイヤーの引っ掛かっていた木が、どしゃーんと根こそぎ川へ落ちた。


「……おぉ」

「あの、ちょっと引っ張っただけですけど……」


 ラヴィが顔を赤らめて弁解する。

 バドがへら、と笑っただけだったので、余計恥ずかしかった。


「おっと、こうしちゃいらんねぇ!」


 バドはラヴィからワイヤーをひったくると、ワイヤーの回収作業の為にザブサブと岸へ上がって行った。

 ラヴィは水の冷たさにブルッと震えると、彼の後に続いた。

 起き上がってこちらを見ていたロゼと目が合うと、彼はボディビルダーの様に両腕を上げ下げするポーズをとった。

 遠目でも解る程紫色になった唇が「ち、か、ら」と言っていた。

 多分、「怪力」とかその辺の意味合いなのだろうが、ラヴィは解らないフリをした。


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