襲撃
船は北へ進んだ。
ラヴィがバドに代わってもらいながら、舵の取り方のコツを捉え始めた頃、空気がひんやりとして来た。
バドは風の冷たさに眉をひそめた。
彼の記憶の中の故郷は年中穏やかに暖かかった。
彼は遥か下の地面を見詰める。大地は固く乾き、ひび割れて砂埃を上げている。これも彼の記憶とは違う。大地はほの暖かく、ふかふかと柔らかかった。
冷たい風が、よそよそしく「帰れ」とばかりに正面から彼に吹き付ける。
長袖のチュニックはラヴィが着ているので、彼は薄いTシャツ一枚でブルっと身体を震わせた。
「あ、み、みて、た、た、滝だよ」
ジージョが声を上げた。
彼の指さす方に、白い霧を湧き立たせながら、小さな村ならすっぽり収まる程の滝壺に、それに見合った水量をどうどうとぶちまけている大きな滝が見えた。滝壺からはくねる様に長く太い川が流れている。
まだ遥か先にあると言うのに、すでにごうごうと滝の音が響いて来ている。
バドが船から身を乗り出した。
「アルベルト・クチャラだ!」
「滝の名前?」
ラヴィも身を乗り出して滝を眺めた。雄大な景色に、心が躍る。バドが頷く。
「無茶苦茶お喋りなアルベルトって奴が、人間の姿じゃ喋り足りなくて滝になったんだ。クチャラは良く喋るって意味」
そう言うバドは、とてもはしゃいでいて無邪気にラヴィに笑いかけた。
「アルベルト・クチャラだよ!ラヴィ!」
ラヴィは初めて見る滝に感動しつつ、バドの無邪気さに微笑んだ。
故郷が近いのかしら? 今朝の寝顔の様な顔をして、飄々としたバドでは無いみたい。
「この滝を過ぎれば、マクサルトだ!」
「へぇ、結構早く来れたな」
「うん。それに、滝も川も渓谷だろ?徒歩で超えるのは大変なんだ」
「だろうな」
体験者のアスランが頷いた。ロゼも、当時を思い出したのかげんなりした顔をしている。
バドは空色の瞳をキラキラさせて、両腕を広げ、伸びをした。
「ひゃっほー!ひとっ跳びだぜー!」
「うるせぇ、なんか聞こえる」
ロゼが目だけで素早く辺りを見渡す。
遠くで滝の音がする中、彼は野性の動物の様に身を少しだけ沈め、耳を澄ました。
バドとアスランもサッと表情を固くして同じようにした。
ラヴィには、遠くの滝の音しか聞こえない。
彼女とジージョは、きょろきょろと辺りを見渡した。
何もない所を飛んでいるので、死角は無いはずだ。空は青々と晴れ、雲はゆるゆると流れている。
安堵してバドの方を見ると、彼は後方にある少し大きめの雲を、ジッと身動きせずに見据えている。
「雲ん中だ」
ロゼが目を細めて言った。
「ラヴィ、操縦代われ!」
バドが、ラヴィの席の足にグルグルとワイヤーを巻き付けながら言った。
グイッと二、三度引いて固定を確認すると、余りを手に巻く。
「なんか光った!」
アスランが船の側面から、落ちそうな程身を乗り出して叫んだ。
「みんな伏せて捕まってろ!」
バドは振り返らずに、舵を握りしめ思い切りアクセルを踏んだ。
船尾の下の方から、ボンッと破裂音が響き、船が急速に加速すると同時に、光る弾丸が一瞬前までいた場所に、雨の様に降り注いだ。光る弾丸の二、三個がバドの頬や肩をかすめた。
「熱っちぃ!」
風圧に押されながらラヴィがバドへ振り向くと、彼の肩から細い煙が上がり、風に飛ばされていた。Tシャツが焼け焦げて、赤くなった肩が剝き出しになっている。
バドの後ろに広がる空が、ラヴィの目に入った。
のどかに青い空に浮く、大きな雲の端に、ガリオン船が見えた。
「あれは……」
バドとラヴィがトスカノから奪おうとした、小型飛空船に良く似た船だ。もうその姿を隠す気は無い様で、こちらへ迫って来る。
良く見ようと思わず腰を浮かしたラヴィの帯を、ロゼが引っ張った。ラヴィはそのまま、座席の足元に引き倒され押し込められる。
いつの間にかジージョと場所を入れ替え、彼はそのまま船尾の席へ座ると、自分のマントでラヴィを覆い、ラヴィの頭に片腕を乗せて押さえ付けた。ギュッと彼に膝枕される様な姿勢になって、ラヴィはもがこうとしたが、さらに強く押さえ付けられた。
ひゅひゅひゅ、と音が振って来て、光の弾丸が船の船首と側面に当たって弾けた。あっけなくそこに穴が開き、船が頼りなく左右にグラグラ揺れて、ラヴィは思わずロゼの足にしがみつく。
外れた弾は、遥か下の滝つぼに落ちるまで光を保ち、水面でジュッと蒸発した。
バドが急に上昇した。ガリオン船を見下ろす位置まで来ると、再びアクセルを踏み込んだ。船首が少しだけ上向きになって揺れた。
「やべぇ、俺吐きそう・・・」
ロゼが弱弱しく言うのが頭上で聞こえて、ラヴィは緊張して身構えた。
マント越しとはいえ、最悪の事態はご勘弁願いたい。
バドがポケットから布袋を出して、ロゼに渡した。
「おお、気が利くな」
「違げぇよ! 中の球、投げてくれ! 出来るだけ色んな方向に! そんで、舵変わって!」
ロゼは手渡された布袋の口を開いて、中に納まっている色とりどりの小さな球をしげしげと見た。ロゼの腕の圧力から解放されて、たなびくマントから、ラヴィがちょっとだけ顔を「ぷはっ」と出した。
バドがロゼの背中を足で小突いた。
「早く!」
「なにしやがる!」
やってる場合じゃないのに、ロゼがバドの脛にチョップして、バドがぐらついた。
「うぉぉ、……お前、本物だな……」
「もう! 貸してください!」
ラヴィがロゼに飛び掛かって布袋を奪い、彼の肩越しに赤い玉を投げた。
その途端、びゅう、と風に吹かれ、慌ててロゼの頭にしがみ付く。球は、風と重力に翻弄されて、落ちて行く。
「あーっも~っ! 誰でもいい、舵を!」
「あらよっとぉ」
ラヴィの胸に顔をうずめながら、ロゼが舵に手を掛けた。
バドが腕に折りたたんで着けていた小型のクロスボウを、カシャンと開いて構えた。
座席に巻き付けられたワイヤーがギチギチ軋んだ音を立てて、彼を支えている。
ビン、と弦を弾く音がして、見えない緩やかな弧を描いた先に、キラリと矢が光る。次の瞬間、ポッとくぐもった破裂音と共に赤い煙が広がった。
「煙幕かぁ、つーかお前、後で訴えたりすンなよぉ、お前が顔に押し付けて来たんだからなぁ」
吐き気を忘れて悦に浸るロゼを無視して、ラヴィは次々と球を投げる。
ぐらつく度に、ロゼが身体を支えてくれる。絶対下心からだ、と分かるやり方で。
バドがラヴィの投げた球を次々とクロスボウで打ち抜いて、色とりどりの煙が広がり、混ざり、上下左右、可能な限りその色彩を伸ばして行き、ガリオン船の姿を見えなくした。
向こうからも、こちらが見えないに違いない。
風があるから、煙幕の効果は薄いだろう。遠くに全速で飛んで姿を眩ますには、時間が足りない。雲だって当てにならない。バドはくねった渓谷に隠れようと、下降して滝壺の水面すれすれを飛ぶ。
焦ってしまい、アクセルを再び強く踏んだ。
ボンッ!
身の竦む爆発音がして、機体が止まった。
「は?」
と、バドが声を上げて、皆が何故か一斉にアスランを見た。
「イヤイヤ、なんで俺?」
アスランが言うより早く、船は水面に水しぶきを上げて落下して、うねる水流に滑る様に流された。




