追憶4-約束ー
夜遅く、屈辱に眠れない少年の寝床に、西のオバアがやって来た。
オバアは夜に食べてはいけない甘い菓子を、沢山籠に詰めて少年に差し出すと、
「ニニコ、アンバどう?(良い子、ごきげんいかが?)」
と微笑んだ。
「イン(ダの反対)、だ。オバア」
と少年は返事をした。
オバアは優しいから、一緒に怒ってくれるかもしれない。慰めてくれるかもしれない。もしかしたら、オジイに反対してくれるかも。イヤイヤ、それは万が一にもないだろう。だって、オバアもバドを推薦したのだから。
「ラー(まぁ)バドが『炎の鳥』に決まったのが、ボン様は嬉しくないのですね」
オバアはそう言って、水筒に入れた薬湯に砂糖を一匙入れてくれた。
「あいつ、まだ九歳なんだ」
大問題、とでも言いたげに少年は息巻いた。
オバアは微笑んで、ダ・スラー(知っていますよ)と言った。
「皆、私の子供たち」
「・・・・」
ムッとして押し黙る少年に、オバアはただ微笑んでいる。
「僕は悔しい」
うん、うん。と、オバアが頷いた。
「ボン様。その小さな器で、よく耐えていなさるなぁ。オバアは誇らしいよ。フフキ(内緒)だけどね、オバアも中央(王都の事)の金物屋のおっ母が好かん。あの女が、クロス編みの大会で一番だった時、オバアは一日中ゲロを吐いたよ」
「一日中?」
「ダ。表彰式から吐きっぱなしさ」
女たちのクロス編みへの執念に目を見開いて、「すげえな」と少年が呟いた。
「オバア、悔しかったのな」
「ダー。ダッダ!」
うんうん、とオバアは頷いて、バドの頭を撫でた。
「でも、あの女の前では口を拭って、涼しい顔をしてたのさ。おめでとうも、シャった(言った)よ」
「オバア、偉いな」
金物屋のおっ母も、オバアに含む所があった。彼女が特に偏屈だとか意地悪だとかの欠点がある訳では無い。中央では明るい元気な金物屋の婆ちゃんとして、皆から慕われている。二人が嫌い合うのに理由は無く、両者ともなんとなく反りが合わないのだ。どちらもそれは顔には出さない。それがまたお互い気に食わない。針の様なチクリとしたものを、他人には判らない程の微かな空気や仕草で相手に放ち、また、感じ取るのだ。
そして、奇妙な事に婆二人はそれが楽しいのだった。
「インイン。その方が、相手は応えるのさ」
「どうして?」
理解しがたいのか、少年は眉根を寄せる。
オバアは「まだ分からないだろうねぇ」といった微笑を浮かべていたが、ふと思いついた様に言った。
「ボン様、オバアと約束して」
少年は首を傾げてオバアを見た。オバアは目を細める。
なんと可愛いお子だろう。煌めく金の前髪が額の真ん中で綺麗に割れて、サラサラと風に揺れている。眉は半年前より凛々しくなり、大きなアーモンド型の瞳に、ツンと生意気そうな鼻。子鬼の様に大きく開く口は、上向きの口角が、人懐こい表情を作り出していた。このお子の何もかもが好きだけれど、一番は瞳の色。濁りを知らず、朝日を浴びた湖の様だ。
その色を、輝きを見て心が動かない者など、獣か魔物の類だろう、とオバアはそこまで思ってしまうのだった。
この国の子供は皆、孫の様に可愛いけれど・・・。この子はやはり、特別だ。
「・・・さすが。クカラチチト(人たらし)でいらっしゃる」
「?クカラ・・・?なんて言ったの?何を約束するの?」
ふふふ、と笑ってオバアは少年にすり寄ると、細い肩を抱いて小さく揺すった。
「どんな時も、ラヴィ(笑顔)で」
そうすれば、良い事ばかり起こるから。
そう言うと、オバアは彼の頭を撫で回した。
少年はその約束を、守れる自信が無かった。
特に今、嫉妬に駆られている彼にとっては難易度が格段に高い。
それでも、オバアにガッカリされたくなかったし、期待に応えたかったので、彼は皺だらけの手に、自分のまるまっちい手をそっと触れさせて微笑んで見せた。
オバアがニッコリ笑う。
「ニニコ。ニニコ(良い子。良い子)」
そう言うと、オバアは自分の住んでいた、こことは違う大陸の「優しい歌」を歌う。
オジイもこの歌をよく歌うけど、やっぱりオバアの方が上手い。
オジイとオバアは一緒に海を渡って来た。
大昔は夫婦だったらしいけれど、今は別々に東と西で暮らしている。
どうしてなのか、皆知らないし、詮索しない。
豊かな大地が、この国の皆を大らかにしている。
どうでもいいんだ。
だって、二人とも大好きなんだ。
少年は良い匂いのするオバアの服に、顔を擦り付ける。
半月もすれば収穫祭だ。少年はきっとこの春を忘れる事は無いのだろう・・・。
この章はこれでお終いです。
「なんのこっちゃ」かも知れませんが、再び次章はバド達に戻ります。
よろしくお願い致します。




