灯の中で
なんだかアスランだけが一方的に、酒も無いのに盛り上がって、夜は更けた。
さぁ、明日はマクサルトに出発だ、早く寝ろ寝ろ、と急き立てられる様に野郎どもは薄い毛布を片手に小屋から出され、ラヴィには個室とベッドが提供された。野郎どものベッドは固くて乾いた大地だ。
皆が寝静まった頃合いを計って、小屋に建て増しして造られた(もちろん造ったのはアスランだ)個室に、そっとバドは忍び込んだ。
部屋の中は窓が無いので真っ暗だった。
それでも、ラヴィが起きている気配が感じ取れた。ここで、この状況でいびきをかけるお嬢様がいたらお目にかかりたいが。
衣擦れの音がして、ベッドが軋んだ。
「バド?」
「……うん」
「今、火を」
うん、と言ってバドは足音も無くラヴィのベッドに近寄ると、その端に座った。
ギッと不器用な音がして、意外にも深くバドの尻がベッドに沈み込んだ。
「おお、柔らかいな。これも手作りだろ?タイチョ、スゲェな」
「器用ですよね」
そう答えながら、ラヴィはベッド脇のサイドテーブル上に手を伸ばした。暗闇の中で動くのが得意なバドは身を乗り出して、彼女より早くランプを探り当てると手早く火を灯した。小さな灯が暗闇を力の分だけ押しのける。
「小さい火を点けとけばいいのに」
「アスランさんが、オイルは貴重だって言っていたから……」
ランプの控えめなオレンジ色の灯に照らされたラヴィは、片手で長く柔らかな紅茶色の髪を片方にまとめて肩から流すと、バドからランプを受け取って「ありがとう」と言ってその灯に視線を落とした。長い睫の影が、陶器の様にすべらかな頬に揺れている。
その何気ない仕草と見た目にぐらりときて、バドは頭を小刻みに振るった。
「出発ですか?」
それならすぐに行動します、とばかりにラヴィが聞いた。
バドは片手を振って、ベッドに寝転がる。
「いいや、船にはしっかりロゼのヤツが乗り込んで寝てる」
「そう……」
少し気を抜いて、ラヴィが隣に腰かけた。
彼女の着ている服はバドの服なので、襟ぐりの開きが大きく、キレイな鎖骨が丸見えだ。そのすぐ下で、服の胸元が無防備に丸く押し上がっている。
それ系の理性のタガが緩いバドは、この状況を憎んで「うー」と小さく呻いた。
ここがよく行く繁華街の、ギラギラした通りに点在する「ご休憩処」だったらいいのに。『ジャナイ』が深夜料金格安なんだよなー……。
「マクサルトの事ですが……」
ハッとして、バドは起き上がって姿勢を正す。
「マクサルト」という言葉が、冷水の様に彼の頭を冷めさせた。
「ああ、黙ってて悪かった」
「魔法の宝石を探すなんて言って」
「アハッ、でも、信じてなかったろ」
そう言ってバドは服の胸元から鳥のペンダントを手繰り寄せて取り出すと、ラヴィに見せた。
「オレが見つかった時、着けてたんだって」
ラヴィは少し屈んで、そのいびつな鳥に触れた。白木の手掘りで彩色は無く、ただ艶めいている。ゴツゴツした表面仕上げになっているその鳥は、バドの親指ほどの大きさで、翼を畳みやや上を向いて、澄ましている。
「ペンダントを着けていたなんて知りませんでした」
「オレが小鳥のペンダントなんて、可愛い過ぎるだろ?普段は服の中さ」
「何か文字が……。読めないわ」
「バド」
バドが呟く様に言うと、ラヴィは鳥に触れたまま、バドの顔を見た。
「貴方の名前が彫ってあるのね」
「……解んねぇ」
バドはラヴィの手からそっと鳥を遠ざけ、その彫られた文字を見詰めた。
「でも、バドと彫ってあるのでしょう?」
「うん。そう読める。でも、『鳥』という意味かも知んない。『鳥』も、『バド』」
ラヴィが悲しそうな顔をした。本当の名前がハッキリしないバドに、同情しているのだろう。
「実は記憶が曖昧なんだ」
マクサルトで育った記憶はある。
暖かい大地も、ほのぼのとした生活も、過ごした街並みだって思い出せるのに、肝心の一緒に生活した人や友だちの顔や名前は、思い出そうとすると霞がかった様に霧散して消える。
手繰り寄せようとすれば、記憶はそこからするする抜けて行く。
「夢を思い出そうとすると、そうなる事あるだろ? あんな感じ」
自分が誰か、わからない。だから、マクサルトへ……。
「巻き込んでごめん」
ラヴィは黙って首を振る。髪が揺れて、少しだけ乱れた。
「わたくし、感謝しています。それに、わたくしだって、貴方を巻き込んでいるのよ」
バドは肩を落として、フーと前髪を吹き上げた。
「なんて事無いよ」
ラヴィは静かに微笑んだ。つぶらな瞳が、ランプの灯にうるんでいる様に見えて、バドは目を離せなくなる。
あんまりバドが魅入るからだろう、ラヴィが戸惑って顔を逸らした。
「あの人達、どうします?」
少しだけ声が上ずっていて、このまま押したらイケるかも、とバドは再び邪な気分になる。でもここは「ご休憩処ジャナイ」じゃないじゃない。じゃない?
「まぁ、あいつらがついて来た方が、色々ばれるのは遅れるよな」
「あの、実は、アスランさんには、皇女では無い事も知られてしまっているの」
小さな薄明りの中、ラヴィはそれすらも避ける様に身体を縮めた。
バドは身体を横向きに転がしてから、片腕を支えに半身だけを起こした。
「ありゃ、そうなの?只者じゃねぇよな、タイチョは。じゃあますます同行させた方がいいな。ラヴィはマクサルトに着いてから、どうするんだ?」
気になっていた事を聞いてみる。
ラヴィは思案気に、でも少しだけ楽しそうに小首を傾げてから、答えた。
「わたくし? ……そうね。ボートがまともに飛ぶのなら、西に行ってみようと思います」
「日の沈む大地か」
マクサルトの西はどこまでも森だ。そして辿り着けたならばそこは唐突に崖で、その下は海だ。その先に、貿易大国のイソプロパールですら知らない大地があり、国もある事だろう。
「飛べるなら崖も海も問題ないな」
「ええ。北海を抜ける勇気は無いし、北も東もイソプロパノールとは関係が深いから」
「西は太陽が怠け者らしいぜ」
片手を上に上げて手をヒラヒラさせながらバドが言うと、ラヴィは大きな瞳をさらに大きくさせた。
「そうなのですか?」
「そうさ。夕方に登って来るもの」
まさか、とラヴィが真珠の様な小さな歯を見せて笑った。
バドもヒヒヒ、と歯を剥いて笑って見せた。
でも、心の中は心配で一杯だ。
西なんて。誰も知らない土地に。
でも少しだけうらやましい気もする。
「バドはどうするのですか?」
「オレはマクサルトへ行ければいいよ」
ラヴィが、マクサルトへ行った後の事を聞いたのは分かった。でも、バドは答えをはぐらかして、更にふさげて言った。
「ラヴィ、護衛に二人連れてけば?ロゼのやつはともかく、タイチョなら絶対快諾だぜ」
「まさか、そんな……」
「そうかな。タイチョはきっと、何だかんだ言ってここを離れたくてしょうがないんだ。オレにも君にも同情した様に見せているけど、狙いは空飛ぶ船さ」
バドがそう言うと、ラヴィは俯いてしまった。
アスランを疑いたく無かったのだろう。間を置いて反論した。
「それだけが狙いなら、わたくし達は既に死んでいるわ」
「殺すのは忍びないから、こっそり盗んでいったりして」
「だったら、もう船は消えているわ」
「そ。消えてるだろうね。なんだかワケありそうだったから、トスカノに戻るかはわかんねぇけど。まぁ、トスカノから追っ手が来ちゃったらもう一艘船をかっぱらうチャンスが出来ていいかなぁ」
ラヴィが眉を寄せ、口を歪ませて開けた。
浮気がバレた時、バドが言い訳をすると、大抵の女の子がこの顔をしたのを思い出した。
呆れているのだ。
「でも、消えてないかも。だって、ラヴィはそう思いたいんだろ。そんな奴らじゃないって」
ラヴィは頷いた。不満気というか、何か言いたそうだったけれど、バドはそれを遮る様に言葉を続けた。
「オレはどっちでもいいし、結果が出た方が分かりやすくなると思って、ラヴィの部屋に来たんだ。……そんな顔するなよ。オレだって、タイチョは良い人だって思いてぇよ。でもさ、これから一人で生きて行くからには、他人を信用しすぎちゃ駄目だ」
そう言うと、ラヴィは明らかに傷付いた表情を浮かべて、バドの方を見た。
つぶらな瞳が端にランプの灯を揺らめかせ、バドの顔を映している。
そっくりそのまま、彼女と同じ表情をしているその顔を。
間違ってないと思う。悪い奴らはたくさんいる。奴らにとって、ラヴィは旨味のあるご馳走だ。今ここにいるのだって、アスラン達を試す為とは言うものの、それ以前にラヴィの部屋を三人の内誰かが襲わないかも心配だったのだ。
バドは下唇を噛んだ。自分の放った言葉に、自分が傷つく権利なんてあるのだろうか?そんなの子供じみたわがままだ。
ラヴィは目を伏せて、囁く様に呟いた。
ほとんど聞こえないくらいの声だったが、彼女のふっくらした唇の、その動きで何を言ったか判った。今一番嫌な質問だった。
『あなたの事も?』
「そうさ」
務めて強く答えた。
だって「オレだけは信じて」なんて言えない。
ましてや彼は、マクサルトで彼女を放り出すのだ。
「……そう。では気を付けます」
「ああ。早速だけど、持って来た宝石、こんな所に置きっぱなしにするとすぐ盗まれるぞ」
バドは重い空気を取り払う様に、ワザと説教臭く言って、サイドテーブルに置かれた布袋を手に取った。
「部屋に鍵をかけても?」
バドは笑った。
「鍵なんかオレより信用するなよ」
「まぁ」
どうしてか微笑んでいるラヴィに違和感を覚えて、彼女を観察する。髪を流していない方の露わになった首筋の白さや、その線の細さに、バドは胸が締め付けられた。
オレがいなくて大丈夫だろうか。
こんな頼りないのに。暗闇で灯すらつける事が出来ないのに。
そう思いながら、布袋に手を入れた途端、バチンと音が響いて手に衝撃が走った。
「いってぇ!」
驚いて飛び上がり、慌てて布袋に突っ込んだ手を振った。布袋が床に落ちて、持った時の感触のダミーのつもりだろうか?石ころが幾つか散らばった。手を見れば、甲の辺りまでネズミ取りがガッチリと挟まっている。
「な、な、な」
奥歯が見えそうな程口を開けて、それでも言葉が出ないバドに、ラヴィが立ち上がって心配そうに近寄って来た。
思わずバドは油断なく後ずさる。
「ごめんなさい、バド。アスランさんに頂いたの。野ネズミが出るって言うから……」
ラヴィはそう言って、バドの手を取った。
彼の手は罠にしっかり捕えられて、赤くなっている。
「旅の資金を盗まれない様に、ここに容れて持ち歩こうと思って……。こんなに強力だとは思わなくて……。お城で使っていたのはもっとソフトなんです」
「捕獲」というより、明らかに「殺傷」を目的としているアスラン自作のネズミ取りを恐る恐る手から外して、バドは屈み込んだ。
「いてぇぇーー。ラヴィなんか嫌いだ」
まだ収まらない驚きに、子供じみた事を口走ってしまう。
「あら、だって信用するなって」
「言われる前に仕掛けてるじゃねーか」
幸い骨が折れてはいない様だ。波の様に忙しく寄せては返す痛みに、バドは口を尖らせた。
「そうね、あなたが触ろうとしたら教えるつもりだったのだけど……。意地悪な事言うから」
ラヴィも口を尖らせて、顎をツンと上げた。
かなり格好悪い展開に、バドは溜め息を吐いて、ベッドへうつぶせに倒れ込んだ。
「小屋の戸口で眠るつもりだったけど、ここで寝てやる。君と一夜を過ごしてやる」
「あら、そうしてくださる?」
意外な返答にやたら期待して(この期に及んで!)顔だけラヴィの方へ向ける。彼女は彼を避けながらも、同じベッドの空いたスペースに座り、膝を立てて折り曲げ、そこに頭を乗せて座った。長い髪が小柄な彼女の身体をすっぽりと覆った。小さくて白い顔が、バドの方を見て微笑んでいる。
「一人で知らない場所で、眠れなかったの」
「……」
「信用するなって言いたいのでしょう」
ふんと息を吐いて、バドは寝返りを打つ。背を向けられたラヴィが、ふふっ、と微笑む気配がした。
「魔法をかけましょうか?」
「なんだって?」
ギョッとして思わず半身を起こしたバドに、ラヴィはにじりよると、真剣な顔で言った。
「信じています」
「……なに、それ」
「信用されたく無い人に、効くと思って」
「……なに、それ」
バドは目を閉じて再びベッドに倒れ込んだ。
ジンジンと痛むのは左手だ。利き手じゃなくて良かった。
この部屋は窓が無いから、朝日が差さないな。だから、眠り過ぎない様注意しなければ。アスランとロゼは、オレが外にいない事に気付いているだろうか?
ラヴィをとやかく言えないなぁ。オレも、奴らを試している。信じたいから?
でも、もしこの『試し』に奴らがパスしても、きっとオレは試し続ける。
誰に対しても……。
一体、いつまで……?
……よそう。
……明日、ボートは飛ぶだろうか?
徒歩になるだろうか?そうしたらどのくらいかかる?
……。……。……ラヴィをどうしようか。
バドが務めて頭の中をあれやこれやで忙しくさせている内に、ランプが消えて、ラヴィが動く音がした。再び膝を抱えて、ベッドの隅に座り込んでいるのだろう。初めて出会った牢で、そうして泣いていたけれど、今はきっと違う。
バドは少しだけ安心した。
ラヴィは可愛らしい外見とは裏腹に、度胸がある。
「うみねこ団」で名を馳せた子悪党バド様をネズミ取りバッチンの憂き目に合わせ、更に得体の知れない 魔法を掛けてくるくらいだ。知らない土地でも、なんとかやっていけるかもしれない。
『信じています』だって。
バドは鼻で笑った。
どうして顔がにやけてしまうのか、その理由は明確なのに、自分で答えに蓋をして。
バドは度々そうしている様に、ペンダントの小鳥を指で撫でながら目を閉じた。
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その夜、ラヴィの魔法が良く効いた。




