バドの身の上
テーブルには簡素な料理が並べられ、皆が席に着いた。
バドとロゼはいがみ合って、一番離れた対局の席に座った。
アスランは久しぶりの大勢の食事に感極まる様子で手を合わせて「いただきます」の号令をかけた。その習慣の無いバドだけが、意味が分からずラヴィの仕草を見様見真似で「いただきます」をした。
その様子がマナーを教えられる小さな子供の様に素直で、ラヴィはそっと微笑んだ。
「トスカノ人は、飯食う時挨拶するんだな」
面白がって、バドはもう一度手を合わせた。
「ははは、上手だぞ、バド」
アスランに言われて、バドがおどけて空色の瞳をグルリと回した。
「良家の出なんでね」
いけしゃあしゃあと言って、バドが向かいに座ったアスランへ、ぐいと身を乗り出した。
「コイツなんて言った?」とラヴィに聞こうとしていたアスランが、ちょっと後ろへ引く程の勢いだった。
バドの肘がラヴィの皿を押して、「どこが良家」と横目で彼を見ながらラヴィは皿を自分の方へ寄せた。
「なぁ、タイチョ。あんた、マクサルトへ行ったんだよな?」
ホクホク顔で鳥の燻製を口に入れたアスランは、みるみる表情を冷めさせて、まるで味の無い物を咀嚼する様に顎を動かした。
「……ああ。マクサルトね」
「どんなだった?」
「無人だった」
素っ気なく言うアスランに、バドは更に喰いつく。空気を読む気は無い様だ。
「どんな風に?」
「どんな風って……無人は無人だ。真新しい廃墟みたいな」
「建物は? 家畜は? 植物は?」
ダン、と音を立ててロゼが水の入ったカップをテーブルに置いた。
水が跳ねて滴が彼の頬を伝った。
「黙れよ」
顔からは想像も出来ない低く冷たい声に、ラヴィとジージョが凍り付いた。
バドは大して気に留めず、彼を一瞥してすぐにアスランに向き合った。
「知りたいんだ」
空色の瞳が、彼の若さと心を燃やして光っている。
その真っ直ぐな光を、ラヴィは一度見た事がある。牢の中で、彼が自分に会いに来た時に。
この光の光源は、きっと彼の命だ。
ひたむきな彼の命を削って、だからこそこんなにも抗い難く光っているのだ。
そんな事を思ったラヴィは、なにも分からないけれど味方をしたくなって、少しだけバドに寄り添うように身体をずらし、一緒にアスランを見詰めた。
「オイオイ、なんだよ……」
アスランは額を手で拭うと、二人から目を逸らして水を飲んだ。喉仏がごくりと上下する。
「まさかマクサルト人の生き残りとか言うんじゃないだろうな」
冗談ぽくアスランが混ぜ返すと、それが裏目に出て皆の視線がバドに集まった。
「……なに?悪ぃ、解んねぇ」
皆の様子に戸惑うバドに、ラヴィがアスランの言った言葉を訳すと、サッとバドの顔色が変わった。
外は既に暗く、ほの暗いランプの灯がバドを照らしている。
彼が少しだけ目を伏せて俯くと、金色の髪がその動きに合わせて微かに煌めいた。
(……バド……どうして黙っているの?)
ラヴィは彼の横顔を不安げに見つめた。
(貴方はイソプロパノールのイブフェンの崖のバドでしょう?)
伏せたバドの瞳は、思案している様に見える。
(だって、貴方には家族みたいな人が)
でも。血の繋がらない者たちが寄り添い合っている様だった。
(わたくし、バドの事をなにも知らない)
よくここまでついて来たものだ、と少し自分に呆れてしまう。
「バド……」
やっと声を出して彼を呼ぶと、バドが弾かれた様にラヴィを見た。
それから何かを諦めた様な、悲しげな目をして、自嘲的に微笑んだ。
彼は背を真っ直ぐ伸ばしてアスランと再び向き合うと、頷いて見せた。
「そうだ」
誰が作り出したのか分からない部屋の中の緊張感に、ジージョがもそと尻を動かした。
「俺、マクサルト人なんだ」
ランプの炎がパチと小さくはぜて、皆の影が一瞬揺れた。細い小さな煙が天井に辿り着く前に、空気にうやむやになって消えた。
ありゃ、とロゼが呑気な声を上げた。
「マジかぁ。歴史が変わっちまう」
「どうしても知りたいんだ。マクサルトが本当に滅んだのか」
「それで……」
うん、とバドはバツが悪そうにラヴィに頷いた。
「故郷を見たかったんだ」
「いや、待てよ。なんでお前一人だけなんだ? 仲間はいないのか? お前、誰かに騙されてやしないか?」
「いいや。それは無い。俺、六つか七つの頃までマクサルトで育った。……それからイソプロパノールへ来て、オヤジに拾われたんだ」
「じゃあ、マクサルト人はイソプロパノールで船に乗って何処かに行ったのか?それで、お前だけはぐれて……?」
二人の会話に引き込まれながら、お互いの解らない言葉の仲介をラヴィが自然と引き受ける形で、会話が進んだ。アスランは頑としてトスカノ語一辺倒だったが、バドは一度聞いた単語や言い回しをどんどん自分のものにしていくので、ラヴィは内心驚いた。
アハ、とバドが笑った。いつもの調子だったので、ラヴィはホッとする。
「確かに俺は悪ガキだったから有り得るけど、イソプロパノールへは一人で来たみたいでさ」
「一人で? 七歳のガキが?」
アスランは首を振った。
「それは無理だ。マクサルトからここまでの道だって険しいのに、ここからイソプロパノールまで、ガキが一人で行ける距離じゃ無い」
頷きながら、バドはミートパイをフォークで突いた。
「どうやって来たかは分かんねぇ」
「誘拐されたとか」
言った当のラヴィを含め、皆がバドを見る。
彼は頬張ったパイに「うめえ!」と感嘆してもぐもぐしながら新しいパイに身を乗り出しているところだった。
それぞれが彼の子供時代を思い浮かべ、嫌そうに目を細めると、「有り得ない」と態度や顔に出した。
「な、なんだよ」
「なんか、お前絶対悪ガキだっただろ」
「俺だったらお断りだぁね」
「お、おおお俺も」
「大体バドなん……バドを狙う理由も無いですものね」
「ラヴィ、今『バドなんて』って言おうとしたろ。ひでぇなぁ、オレ、可愛かったんだぜ。そうそう、海で見つかったってオヤジが言ってたなぁ。小舟に倒れてたって。だから、陸からじゃなく、北海からぐるっと回って来たんじゃねぇかって思う」
「北海を回って? 無理だわ」
ラヴィが首を振った。
マクサルトの北側はイブフェンの崖付近の海の様に荒れて、巨大な大渦が幾つも渦巻いている。
この不思議な話はトスカノでも有名だった。
殊にマクサルト滅亡後はおどろおどろしく誇張されて広まった。
「海まで呪われてるもんなぁ」
「呪われてなんかねぇよ、守られてんだ」
バドがロゼを睨んで言った。ロゼはさも馬鹿にした様に「へぇ」と言ってスープをすすった。
「どちら様に?」
子供が虫か小動物を苛めている様な表情のロゼに嫌悪感を抱きつつも、ラヴィの脳裏に「悪魔信仰」の文字が浮かんで消えた。
でも、そんないかがわしいものに関わって育った影など、バドからは微塵も感じられない。
「守護神だ。お前らの国だって信仰はあるだろ」
神や信仰とは程遠い世界で生きて来た様に見えるバドが、意外にも真面目にそう答えた事に、ラヴィは胸を打たれた。
この人は、無き亡国を愛しているんだわ。
「俺は無宗教さぁ。そもそも、その守護神はなんでマクサルトをあんな風にしちまったんだぁ?」
神じゃねえだろぉ、と続けるロゼの頭を、アスランが「止めろ」と言ってはたいた。
怒り出してもいいはずなのに、バドはロゼを無視してアスランに向き直る。
「あんな風って?」
「……お前には知る権利があるんだが」
「そうだ」
うーん、とアスランは腕を組んで唸った。
「でもなぁ、廃墟だったとしか言い様がないんだよなぁ……」
「……」
バドが空色の目を暗くさせて、探る様にアスランを見る。
アスランはしっかりとその視線を受け止めて、首を振った。
「そんな目で見ても、本当だって」
「じゃあ、皆はどこに行ったんだよ」
心なしか寂しそうに呟くバドに、ラヴィは何も言えなかった。
アスランも気まずそうだ。
ロゼは表向きは我関せずといった体で、鳥の塩漬けをフォークに刺してしげしげとそれを見詰めている。口に入れないところを見ると、それなりに口まずい気分なのだろう。
根っからの根性悪ではないらしかった。
「げ、げげ、元気、んき……」
おずおずとジージョが沈黙を破った。
バドが顔を上げる。
パッとジージョが俯いてバドから目を逸らした。
喋り出してしまったのを後悔している様に落ち着きなく身体を揺らしてから、再び意を決した様にバドを見る。どろりとした印象を受ける、瞼の被さった灰色の瞳が、バドに微笑んで見せた。
媚びるでも無く、その場しのぎの為でもなく、真心から励ましたいと願う温かい微笑みは、一瞬彼の愚鈍な印象を一蹴して見せた。
「んき、げん、き出して。だ、だって、だって、ま、まだ、じ、じぶ、自分で、た、た、確かめて、な、な、ないんでしょ?で、でしょ?」
「ジージョ……」
アスランが優しく笑って彼の肩を撫でた。
バドは夢から覚めた様な顔をして「そうだった」と呟いた。
「サンキュー、ジージョ。へへ、初めて身の上話したら勝手に盛り上がっちまったぜ。そうそう、オレ、確かめに来たんだった!」
「よし!」
急にアスランがテーブルをバンと叩いて大声を上げたので、皆が椅子から一センチ程飛び上がった。
「俺はお前に協力するぞ!」
「は?」
バドとロゼが同時に顔をしかめた。
「別に、見逃してくれりゃそれでいいよ」
「隊長、ほだされるな、トスカノから誰か来るまでここから出しちゃいけねぇ」
やっぱりそのつもりだったのね、とラヴィが緊張した。
「いや、俺ははなからそんなつもりは無いぞ。ラヴィ、そんな顔しないでくれ」
アスランはそう言って、ロゼの頭をはたいた。
「お前もどうせ任務だとか難しい理由でこいつらを捕まえたい訳じゃないだろう。ムキになってるだけなら、俺に免じて諦めろ」
「んな、無茶苦茶な」
「無茶苦茶はお互い様だろ。どうせこいつらを深追いして来たのも命令違反なんだろ」
ロゼがスッとアスランから目を逸らした。
「ほらみろ」
「隊長が罪着せられると思ったんだ」
結局、ロゼのその読みは外れていた。アスランは『呪い封じの門』門番では無かった。
クリス皇子は、知っていたのだろうか? 知っていたに違いない。
でも、ロゼとアスランを再会させてやろうなんて生易しい考えを持っていたとは思えない。
完全にあのバカ皇子にハメられた。
俺が皇女を取り返せれば事なきを得、失敗すれば、あわよくばこんな風になる事を期待したに違いねぇ。
あの皇子は、門の先をえらく気にしていやがったから。
ここに飛び込んだ俺は、あの皇子の為の伏線だ。
皇子は必ず大義名分を抱え、自らこちらへウキウキとやって来るに違いねぇ。
クソッたれ! いつか絶対ぶん殴ってやる。
「おい、なんか俺巻き込まれてるのか」
嫌そうにアスランが聞いた。
「当たり前だい。大体、マクサルトの生き残りとイソプロパノールの皇女だぞ、この女。俺達の……隊長の人生狂わせたアンラッキーパーソンがガン首揃えてんのに、腹立たねぇの」
実際のところ事件には巻き込まれてはいないが、バドとラヴィに出会った時点で「巻き込まれた」事になるのだろう。
「言われてみれば、因縁のマクサルトに、イソプロ皇女との婚約報告……」
絞る様に言ってから、アスランはハッとラヴィを見た。
なにか閃いた、という顔だ。
「……ん? なんだって? 皇女様!?」
アスラン隊長、少しわざとらしく無いですか、と思いながらも、ラヴィも「バレた!」という風に、片手で口を覆って「ハッ」として見せた。
「皇女様だったのかぁ、大変だ!そりゃ一大事だ!ん?まてよ、と、いう事は」
アスランは起立して、フォークを剣に見立てて胸の前に掲げた。
どうやら余程このポーズが好きらしい。
「トスカノの王妃という事ですね!」
皆がポカンと口を開けて、アスランを見た。
ロゼは口をわななかせて、目を白黒させている。
「隊長、テメ、話聞いてただろっ? ハイジャック……」
バカ野郎!とアスランが吠えた。
皆の身体がビクッと震えた。
憐れなロゼは、したたかに打たれた犬の表情だ。
「トスカノ王妃になられる方の御前で、失礼にも程があるぞ!」
「バカはどっち……」
「王妃様、いえ、まだ皇女様ですが、トスカノに数ある団でも最も勇ましい「獅子の団」元隊長アスランが、御身をお守り致します!御前のお気に召すまま、ワタクシにご用命ください!」
「あ、あの……」
物凄い形相で睨み付けてくるロゼを気にしながらも、蚊の鳴く様な声で「ありがとう」とラヴィは応えた。
ハハー、と芝居がかった様子でアスランは一礼し、嫌がるロゼの肩を無理矢理抱いた。
「ワタクシ、アスラン・クローとロゼット・カヌ・リョクスでどこまでも付き従い、御身をお守り致します!」
え、とラヴィは目を見開いてアスランを見詰めた。
彼はウインクをした。やはり、両目をつぶったみたいになった。




