アスラン隊長
ドレスのままでいるのもこの先不便という事で、バドが自分の白いチュニックを譲ってくれた。
男物のチュニックは小柄なラヴィが着ると、ちょうど膝上までのワンピースの様になった。
胴回りのダボつきが気になったので、ドレスの飾り帯を胸の下で結んでそれでようやく落ち着く。
ラヴィはこんなに短い丈の服を着るのは初めてで恥ずかしかったが、すぐに案外歩きやすくて楽だと思った。
「おお、いいねぇ」
「足がなぁ、白いなぁ」
どの国の男も短いスカートが大好物らしい。
バドとアスランが鼻の下を伸ばして、ジージョときたらデレデレになって「どもる」どころじゃ無かった。
石で造られた小屋の中は殺風景で、男臭かった。
それでも、ちゃんと掃除がされてさっぱり片付いているのを見ると、アスラン隊長はキチンとした人物らしい、とラヴィは観察する。
彼は小屋の角にいびつに造り付けられた小さなキッチンで、いそいそと働いている。
「あんまりご馳走は無いんだけどよ、明日の分のパイを仕込んでおいて良かったぜ。鳥の塩漬けもある。おっと椅子がねぇな、ちょっと待てよ。外に木箱が幾つか……ジージョ、持って来てくれるか? バド、手伝ってやってくれ」
そう言いながら、ロゼには水瓶から水を汲んでくるように指示して、火釜の中を鉄の棒で掻き混ぜる。
その中に手際よくパイを入れて、入り口に鉄の板を立て掛けた。
多分蓋のつもりなんだろう。テーブルにはおかしな風に切り分けられて焼けたパイが乗っているので、この蓋で十分料理に火が通るらしかった。
火釜の上には石の台があり、直接置かれた薪が三本足の付いた鍋を温めている。
なにか手伝おうとアスランの傍へ行ったラヴィは、しげしげと珍しいキッチンを観察した。
「お鍋に足が付いているんですね。トスカノはこうなんですか?」
イソプロパノールは火の上に鍋を吊るすのが主流だ。
初めて見る三本足の鍋は、ユーモラスでほほえましく感じる。
「いや、トスカノも鍋を吊るす。この鍋も引っかけがあるだろ?でもちょうどいい長さの吊るすものが無かったんだ」
そう言いながら、彼は鍋の蓋を開けて中身のスープをかき回した。動きに無駄が無い。
「じゃあ」
「ああ、俺が足を付けてみた。温まりゃいいからな。それより・・・」
アスランはかき回しているスープの渦を見詰めながら、少し小声になった。
「あんた、イソプロパノールの皇女様だな」
言われて、ラヴィはゆっくりと唇を噛んだ。
バドは小屋の外だ。助け船は無い。
アスランと小屋に二人きりなのに、今更気付く。
さりげなくそうさせられたのだと、ラヴィは目を閉じる。
「俺の脳内カレンダーがバカになってなきゃ、今年はトスカノ王とイソプロパノール皇女の婚礼の年だ。あんたはウエディングドレスを着て、トスカノの、その、なんだ?飛空船、ってのに乗っていた」
「……ええ」
どうせロゼが知っているのだ、と諦めてラヴィは頷いた。
「バドにそそのかされたか、脅されたか」
そういう事に出来れば楽だけれど。
でも、今までを振り返れば、バドが自分にどれだけ希望を与えてくれただろうか?
裏切ったり出来ない。
ラヴィは首を振った。
「そうか。それならいい」
ラヴィはキョトンとしてアスランを見た。
「いいのですか?」
興味ないからな、とアスランは肩を竦めた。
「俺は国に捨てられた身なんだ。だからトスカノもイソプロパノールも知ったこっちゃねぇ。やつらに一泡吹かせた二人には、口笛を吹いてやりたい気分だ。だから俺は皇女様が、あの悪ガキに利用されていないなら口も手も出さないよ」
耳も塞いどいてやるよ、と言って実際に両手で両耳を塞いで見せる。
右手に持ったままの木杓から、スープが滴り落ちた。
「ロゼさんはそうはいかない様子ですが」
はは、とアスランは笑った。
「あいつは泡をふかされた方だからな。でも心配しなくていい。俺に忠実だ」
そうは見えないけど。その点はやや問題あり、とラヴィは胸に書き留めた。
「わたくしがバドに無理矢理連れて来られていないのか、を確認したかったのですね?」
アスランは頷いて、木杓を剣に見立てて胸の前に構えた。
「もしそうならお助けします」
ラヴィはやっと微笑んだ。変な人。信じて大丈夫かしら?
そう言えば、出会ったばかりのバドもとても変だった。
「ありがとう。必要ありません」
「ご自分で決められたのですね」
「……はい」
「もう一ついいか?」
「なんでしょう」
つい心を許して、ラヴィはアスランに答えた。アスランはこの質問が狙いだった。
「あんた、皇女じゃないな」
用事を済ませて戻って来る誰かの足音がした。一人分だから、多分ロゼだ。
ラヴィはゆっくり首を横に振った。
アスランの目線が、確信を得た様にラヴィの瞳の奥の秘密を射抜いた。
「ロゼさんには言わないで下さい」
彼に知られるのはまずい。
すぐにトスカノへ真実が暴露されてしまうだろう。
国や家族の事を思うと、足が震えて今にも座り込んでしまいそうだった。
ガチャ、と小屋の出入り口のドアノブが音を立てた。
アスランはチラリとそちらを見てから、ラヴィにウインクした。両目をつぶったみたいになった。
「オーケー、ラヴィ。そこの燻製、切り分けてくれるか?あ……ナイフ使えるか?」
アスランはちょっとナイフを渡すのを躊躇った。
「……使えますわ」
戸惑いながら、ラヴィはナイフを受け取った。
その後ろから、水を汲んで来たロゼがフンと鼻を鳴らした。
「大丈夫さぁ、俺を切ろうとしたぐらいだし、鳥なんざちょちょいのちょいさぁ」
なにも言い返さずに仏頂面で鳥の燻製に取り掛かるラヴィを、アスランはギョッとして見た。
「へぇ……結構気性が荒いのな」
「おい、タイチョ、俺のお姫様に惚れるなよ」
ジージョと木箱を一緒に運んで戻って来たバドが、なんにも知らずにそんな呑気な軽口を叩いて小屋へ入って来たので、ラヴィは今までの緊迫から一気に肩すかしにあった気分になって、ガクッとうなだれた。
大体、わたくしを置いて小屋を出るなんて、油断し過ぎじゃないかしら。
「もう、バド!」
呑気ね、大変だったんだから!
「なに? バドなんてった?」
イソプロパノール語の解らないアスランにもなにやらニヤニヤされて、ラヴィは唇と尖らせた。
「ははは、可愛いな。心が洗われるぜ。あぁ、もう少し薄く切って……そうだ。そうしたら火で炙ってくれ」
アスランは大皿に何種類かのハーブの葉を散らし、ラヴィが炙った鳥の燻製をその上に置いていく。
ハーブの合わせ方や手際の良さに目を見張っていると、彼は照れくさそうに笑った。
「へへ、七年近く暇だったからな。色々詳しくなっちまったんだ」
目尻の笑い皺には、今までの苦労や苦悩がしっかりと刻み込まれているが、ラヴィの知る由も無かった。 彼女にはただただ、人が良さそうに見えるだけだ。
「ここを出たら、シェフにでもなる気ですかぁ」
うるさい! とロゼに怒鳴りながら、大皿をテーブルに運ぶアスランの背を、ラヴィは好ましい気持ちで見詰めた。
どうしてこんな所に七年も閉じ込められているのかは分からないけれど、自分だったらこんな風に実直に生活していけそうもない。
きっと投げやりになってしまう事だろう。
この人はきっと、ロゼには言わないだろう。
国に捨てられたからとか、そんな捨て鉢な事を言っているけれど、もともと困窮している者を捨て置く事の出来ない性なんだわ、とラヴィは思った。
きっと、だからこそ、こんな処に……。
アスランがこちらを向いた。
「さ、それも持って来てくれ」
糸の様な瞳は、いつも微笑んでいる様に見えた。




