打てば響く
「くそ、どうする」
ふと目をつぶったその時だった。
「こうしてやるよ」
下から不意にバシッと顎を蹴り飛ばされて、バドは地面に倒れ込んだ。眩暈を押し殺して見れば、新緑色の目を底光りさせて、縛られていたはずの男がバドを見下ろしている。
「ガキがさんざ好き勝手しやがって、一分後に息をしてると思うなよぉ」
サッと起き上がって腰の短剣に手を掛けたが、無鉄砲な体当たりをされて再び地面に転がった。
ラヴィが悲鳴を上げて駆け寄ったが、男二人の揉み合いにどうする事も出来ず、バドを殴り付けたその返す腕で突き飛ばされる。
「せいぜい遠くまで逃げるんだな、アバズレ!こいつを殺ったらすぐにお前の番だ」
二人は獣の様に唸りながら揉み合ったが、最終的には鮮やかな手腕で男がバドに馬乗りになると、新緑色の目を残酷な恍惚に濡らして、ギラリと輝かせた。
「さぁ、良い顔見せてくれぃ」
尖った舌の先で舌なめずりをして、バドの首を、見かけからは想像もつかない力で締め上げる。
バドは男の目に唾を吐いて、一瞬出来た隙を逃さず身をよじると、転がった短剣に手を伸ばした。
男の喉を狙った短剣の刃が空を切り、更に突き出した刃が男の頬を裂いた。
素早く柄で思い切り男の横腹を打ち付けてようやく身体を自由にすると、バネの様に起き上がり態勢を崩した男に飛び掛かった。
「待て!」
誰かの声が響いたが、バドは構わず短剣を繰り出す。
手刀でそれを叩き落とそうとする男の半歩前で踊る様に半回転して、確実に後ろ首を狙って刃を振りかぶったその時、後ろから柔らかくも重い打撃を受けて体制を崩し、たたらを踏んで踏み止まった。
パンや野菜が地面に散乱した。
「待てっつったろ……てか言葉が解んねぇか。アノナー、コイツ、スデ。オマエ、ナイフ。フェアじゃ、ナーイ……ワカル?」
呆気にとられているバドに構わず、ずんぐりした方が口を開いた。
「で、で、でも、み、緑のあ、アンちゃんの、のの、ほ、ほうが」
「そら、コイツの方が優勢だったさ。十代から天才的な戦士だったんだ。……な、ロゼ」
ロゼと気安く呼ばれた男は、ピリピリした空気をまとって呼びかける男を睨んでいる。
知り合いか?最悪だ。
と、バドは舌打ちしてラヴィの傍へ素早く移動した。
ケガの心配をするラビィの手をやんわり押しのけて、彼女を後ろ背に立つ。
「隊長」
ロゼが低い声で小さく言った。その声はかすれて揺れている。
「『呪い封じの門』にいたんじゃねぇんですか」
「そんな大役もらってねぇよ」
「十年ここに? なんの為に?」
「……言うなよ」
ロゼは辺りを見渡して、力なく地面に膝を付いた。
脱力の為か、半ば白目を剥かんばかりだ。
「こんな、所に……」
「言うなって言ってんだろ!」
隊長と呼ばれた男は、苛立たし気に地面を蹴った。砂埃が空しく風に飛ばされて行く。
彼はジリ、と後ずさるバドに目をやる。
細い目の僅かな隙間から覗く黒い瞳が「動くな」と無言でバドの動きを止めた。
往生際の悪さなら誰にも負けないバドがそれに応じたのは、「大丈夫だから」と庇護する色を持っていたからだ。
圧倒的に不利なこの状況下で、無下にこの友好を蹴るのは危険だ。
それにしても、怪しい登場に加えて、どうやら旧知の仲間との死闘をやらかした相手に、随分懐の広い男だ。
罠なのかもしれない。
それでも、今はこの男に従うしかない。
「ロゼ、一体なんの騒ぎか話してくれ」
「こいつらは犯罪者です」
ロゼがふらりと立ち上がりながら、氷の様な目でバドとラビィを見据えて言った。
「そうか。ふーん。ちょうど飯食ってたんだ。皆小屋に来いよ」
「隊長!」
「なんだよ。お前なぁ、こんなガキで、女の子背中に庇ってる奴になんで酷い事出来る?」
「いやいや、犯罪者だって言ってんだろぉ」
「何したんだ?」
「トスカノの飛空船をハイジャックしやがった。門の向こうは大騒ぎだ」
へー、と男はそよりとも動じない。
「飛空船って?」
「空飛ぶ大型の船です……てか、そこからぁ?面倒臭ぁ」
「面倒とか言うな! そもそもなんだ。お前、その飛空船に乗っていたんだろ? こんなガキにしてやられたのか」
フン、とロゼは腕を組んで身体をだらしなく傾けた。
「バカ皇子が、手も足も出させてくれなかったのさぁ」
「バカ皇子って……オイ。尊敬してやる。まぁ、立ち話もなんだ。来いよ。……暇なんだ」
そう言って成り行きを見守っていたバドとラビリエの方へ、ゆっくりと片言で「ヨ、ッ、テ、イ、ケ、ヨ。……ナ?」と言った。
ロゼが童顔を歪ませた。
「……隊長、そいつらトスカノ語出来ますよぅ」
男は顔をしかめてジロリとバドを見た。
バドは図々しい程涼しい顔で言った。
「スコシダケデース」
「悪ガキめ。名前は?」
「バドッテ、イイマース」
「往生際が悪ぃな。そっちのかわいこちゃんは?」
男は苦笑いして、ひょいとラヴィの方を覗き込む。ラヴィは困った様にバドを見た。
バドが頷くと、小さな声で「ラビリ……ラヴィです」と名乗った。
新しい名前で名乗るのは初めてなので、心なしか不安そうだ。
男は目尻を下げるだけ下げて微笑んだ。目が線の様に細いので、その形はちょうど、微妙にくねる尺取虫みたいになった。
「ラヴィ、よろしく。女の子見るなんて数年ぶりだぜ。舞い上がっちまうな」
「そ、それに、にに、す、す、すご、かわ、かわわ」
ずんぐりした男がモジモジしてどもった。
チラチラと忙しくラヴィを盗み見て、彼女と目が合うと両手で顔を覆った。
チッ、とロゼが汚物でも見る様な目で彼を見て舌打ちした。
「コイツ、ジージョ・ポターだ」
アスランが頷いた。ジージョはロゼの表情にサッと青ざめて、アスランの背に隠れた。
「大丈夫だジージョ。ロゼ、そんな顔するな」
「俺の部下が捕まえた」
「そうか。そいつ今度一発殴ってやるから、連れて来い。おお、バド、そっちにもパン転がってるぞ」
先ほどバラバラに散らばった食料を拾い集め終わると、バドは袋をヨイショと担いで男にペコリと頭を下げた。
「出来ればすぐに発ちたいんだけど」
ははは、と男は歯を剥いて笑った。
「そう言うなよ。お前には色々聞きたいからな。俺はアスランだ」
「アスラン?」
バドの空色の目が、アスランへの興味に異様な程光った。
「そうだ」
男が怪訝な顔をした。
「『獅子の団』の?」
「若いのに、俺の事知ってるのか?」
へへへ、とアスランはロゼの方を向く。
「俺も捨てたモンじゃないらしいぜ」
フンとロゼは鼻を鳴らして、腰に手を当てた。知った事かという風だ。
バドはアスランの招待に俄然乗り気になった。
「オレもあんたに色々聞きたい」
「バド」
ラヴィがバドの服の袖を引いた。
「きっと罠だわ。援軍が来るかもしれません」
「援軍? そんなのすぐ来ないさ」
「何故です? わたくし達は罪人よ」
アスランが割って入った。
「揉めるなよ。ラヴィは警戒してるんだな? 心配しなくても、ここには俺達しかいない。門よりこっちには誰も来たがらねぇよ。お前たちを捕まえるのには、しばらく誰が行くの行かないので揉めると思う」
「でも」
ラヴィの肩に、バドが覆いかぶさるように腕を回した。
「ラヴィ、オレ達今ピンチなんだ。このオッサンの気分次第ですぐにでもお縄なんだぜ? ありがたくご馳走になって、後の事はゆっくり考えようぜ」
「コソコソしなくても大丈夫だって。じゃあ、まず船を見てやろうか? 俺達が不穏な動きを見せたら飛び乗って逃げりゃいい」
そう言って男は船に近寄って行った。
バドとラヴィは顔を見合わせて、ロゼは首を傾げた。
ジージョだけが、懐いた犬の様にアスランの後ろへ続いた。
「隊長、船なんか直せんのぉ?」
ぞろぞろと船の周りに集まった皆の顔を見渡して、アスランは「いや、解んねぇよ」と言った。
「でもな、死んだバァちゃんが言ってた」
そう言って、彼は細い煙が上がる小舟をガンッと思い切り蹴飛ばした。
「機械は衝撃で直るって」
凍り付いた一同の前で、船の機体がブーンと音を立てながらガタピシと不格好に揺れて、急に停止すると「プスン」と気の抜けた音を立てて静かになった。
「え……壊した……?」
「違うだろぉ、壊れてたんだろ」
ロゼがアスランを変に庇ったそのすぐ後で、船が再び音を立てた。
不規則な故障音では無く、なんとなく期待が持てそうなエンジン音だ。
「ウソだろ……。煙も止まった」
苦笑いするバドの横で、ラヴィがヘナヘナと座り込んだ。
「な!」
とアスランが得意満面で笑った。




