渡り鳥2
気を失ったラヴィを抱えながら、バドは網をくぐって外に出た。
バドには目の前の網は見えていた。
けれど、ブレーキが利かなかったので、どうしようも無かった。
どうしようも無かったので、網を突き抜けようとしたのだが、のしかかる網の重さに耐えきれず、落ちてしまった次第だ。
「スゲェ丈夫な網だったぜ」
「ラウ!ヨダンスニーナ!」
明らかに怒っているらしい、目つきの悪い男が網から出るバドを待ち構えて喚いた。
バドが態勢を整える間も無く、長身の彼はバドの襟首の後ろを猫を持つ様に掴んで持ち上げた。
怪力だ。
「てめぇ、よくもやりやがったな。かわいこちゃん連れて、まさかここまでデートしてきましたってんじゃねぇだろうな」
トスカノ語だ。早口でほとんど聞き取れないが、どうやら『呪い封じの門』の一件を知らない様子だった。
「ボク、トスカノ語、ヨクワカリマセーン。モットユックリハナシテクダサーイ」
と、バドがとぼけると、チッと舌打ちして「外国人か」と本当にゆっくり話した。
「オマエワー、イッタイー、ナンダ?」
外国人なら仕方ない、とばかりな態度が可笑しい。一体その根拠はなんだ。
こういうタイプは外国語にも弱いハズだと踏んで、バドはイソプロパノール語で、でたらめにペラペラまくし立てた。
「オレのタイプは色白で目がちょっと切れ長で出来れば濃いブルーがいいな。おっぱいが大きいにこした事は無いんだけど、小さくたってそれはそれで可愛いよなぁ、それを気にしてたりとかすると余計萌えるぜぇぇ。あんたはおっきいおっぱいのちょいブスと小っさいおっぱいの美人どっちがいい?オレは……」
「ちょ、ちょっと待て、何言ってるかわからん」
男が掴んでいたバドの襟首を離した。
バドは微かに身を屈め、さり気なく男と距離を取る。
顔には微妙な笑顔を忘れない。
「オレはどっちでもいい! 女の子ならなんだっていいって思う日もあって、そういう日は必ず後で後悔するんだ。おっさんだって若い頃はそうだったろ? だろ? 目が覚めたら、ダチの狙ってた女の子が横で寝てた時はキツかったぜぇ。なんて謝ればよかったんだ。許せジョニー……」
そう言ってバドは、いかにも悲しげにラヴィを支えながら膝を付いて「おおおお」と呻いた。
「な、なんだか分からんが、大変だったな。ほら、もういいから立てよ……。腹減ってねぇか? とにかくその娘を横にしてやったらどうだ」
男の糸の様な目から怒りが消えて、同情が溢れ出ている。バドは片腕で目の辺りを拭う仕草をして、嗚咽しながらウンウンと頷いた。
「……ショクリョウクダサイ」
「あ? ああ。いいぜ」
「ミズモホシイデース」
「水は少ししかないんだ。沢があるからそこで汲めよ」
「デハ、ソウシマース。ボクタチ、イソイデマース。ショクリョウ、ハヤクホシイデース」
男は疑わしげな表情でバドの顔を覗き込んだ。
「お前……言葉通」
「ギャンブルって恋に似てると思わない!? これだけ賭ければ、あと少し、あと少しってさ。運が振り向いた時のあのフィーバー感は」
「わー! だから、そんな勢いでしゃべるなって! 大変なのは分かったからよ。今食糧を持ってきてやる」
男は慌てて近くにある建物へ歩いて行く。
人が良過ぎないか? とバドは苦笑いした。
脇に抱えていたラヴィが、もそっと身動きして、冷たい瞳でバドを見た。
「なんだよ。やり過ごしたろ」
「貴方って、どうしようもないですね」
「アハ、そう? でも女の子ってどうしようもない奴好きだろ?」
「知りませんっ」
ぷいとそっぽを向く彼女にニヤつきながら、バドは重心を片足に乗せて船を見る。
船は余程丈夫な素材なのか、潰れこそしなかったものの、細い煙を上げて網に絡まっている。
「あっちゃー、ぶっ壊れたかな。生きてて良かったぜぇ」
マクサルトまで、飛んで行きたかったんだけどな、と呟いてから、ハッとしてラヴィを見た。
ラヴィはバドよりももっと苦々し気に、煙の上がる船を見詰めている。
この娘はこの船でどこかへ飛んで行く予定だったのだ。
一体何度邪魔をされれば、ラヴィは自由への切符を手に入れられるのだろう。
こんなにか弱そうで、それでも健気に頑張っているのに。
バドはフン、と息を吐くと、ラヴィの尻をパンッと叩いた。
「きゃ! なにするの!」
「諦めンなラヴィ。まだ動くかもしれねぇからサ」
「今壊れたっていったじゃないですか」
「ホラホラ、そっち持って。網どかそうぜ」
二人がかりで重い網と格闘していると、のそのそと近づいて来る者がいた。
もう一人いたのか、とバドが鋭くそちらを見ると、そいつはビクッとして何かもごもご言った。
バドと変わらない程の身長で、ずんぐりしている。
歳は、先ほどの男とどっこいどっこいか。
けれど、いやに幼い印象を受ける。どろりとした灰色の目が、ラビィに釘付けになっていた。
「あ、あみを、ど、どどけ、どけ……」
上手く話せないのか、優しい表情で彼の言葉を待つラビィから顔を背けると、男は赤面して途中で話すのを止め、黙って網を退けるのを手伝ってくれた。
バドは船の中身を見られない様に注意しながら、さりげなく男を船から遠ざけた。
縛られた男が船に入っているのを見たら、誰だって怪しむだろうから。……もう十分怪しいが。
ラヴィが「ありがとう」と男に微笑んでいる。
彼は喉をゴロゴロ鳴らしそうな勢いでデヘデヘと照れまくった。
ちぇ、俺にだって、そういう風に笑ったらどうさ。
バドはなんとなく心を尖らせて、ラヴィに注意した。
「オイ、トスカノ語は解らないフリしてくれよ」
「ええ。でもこの人もあまり話せないみたいです」
「違げぇよ、どっかイカレてんだよ」
まぁ、と非難の表情を浮かべるラヴィを無視して、船の中に転がる男を見る。
彼はまだぐったりとしている。
久々に鼻を撮んでバドは考え込んだ。
まともな方の男がもうすぐ戻って来る。
時間は無い。
船の修理を試みるなら、この縛られた男の存在を隠しておくのは難しいだろう。
船を置いて、食料を貰ってさっさとズらかるのが一番良い。
でも。
船が無いなら、ラヴィは……。
バドはラヴィを盗み見る。
未だウエディングドレス姿で網と格闘するラヴィは、そんな背景だというのにとても綺麗で、バドはなんでかイラついた。
巻き込んだのは自分だ。
絶対に、彼女を自由にしてやらなくては。
でも、一体どうやって?
風が砂塵をぐるぐる巻き上げては、遠くに飛ばして行く。




