事件
緊張に包まれた客室で、パルティエ皇女を人質にした少年と、彼の指名によりクリス皇子が対自している。
ロゼットは自分でも戸惑う程、ワクワクした気分でそれを見ていた。
今まで退屈だったのだ。
この船を守る団員の隊長なのだから、不始末が起こればタダでは済まないだろう。
でも、もう起こってしまったのだから仕方ない。
クビでも左遷でも望むところだ。彼の人生のスパイスは遠い昔に奪われて、どこにいても何をしても、結局、物足りないのだから。
だから、この状況をこっそり楽しんだっていいじゃないか。いいじゃないか。
少年は『呪い封じの門』の開門と小型船を要求しているらしい。
イソプロパノール語で、クリス皇子になにやらフニャフニャ言っている。
前々からイソプロパノール語は「フニャフニャ」聞こえてしまうロゼットだが、ジャック犯の少年の、周囲を舐めた表情や、ロクでもない奴を思わせる口調は、余計に「フニャフニャ」度が高かった。
クリス皇子も緊張した面持ちで、時に強く、時になだめる様に……フニャフニャ言っているのである。
他国の言葉を笑うのは良くないが、そんな道徳を持ち合わせていないロゼットは、面白さにその身を震わせて国王との通信(なんと、離れた所から国と連絡を取れる装置があるのだ。いつかそれで、国の反対側からクリス皇子を罵ってやるのがロゼットの当面の夢だ)をしに行った部下を待っていた。
門を開けるのに、なんでそんなに神経質になるんだか。
だったら壁を作れば良かったものを、とロゼットは独りごちる。
それにしても、なにか変だ。
ロゼットは人質にされているパルティエ皇女を見る。美少女ではある。
散々いじめてやりたい高レベルだ。
先程もプレッシャー掛けが楽しかった。
物凄く時間を空けて一歩ずつ無言で近づいてみたらどんな反応をするだろう、ちょっと部屋の外に出て油断させ、急にバッとドアを開けたらビックリするだろうか? ふわりと柔らかそうなあの頬を摘み上げたら、顔を歪めるだろうか……流石にそれは無理か。などと考えて悦に浸らせて貰ったのは確かだ。
だが、イソプロパノールの真珠と謳われていたという程、華がある様には見えない。
なんとなく、皇女らしく無い。
そして・・・。
なんだ、あの余裕は?
身体の自由を奪われて、刃が首筋を舐めているというのに、パルティエ皇女は随分落ち着いている。
たまに一、二歩ガキが動くとそれに合わせている様にも見えるのは、俺だけか?
ロゼットの訝しむ視線に気付いたのか、少年が皇女の両腕を放し、その腕で皇女の首を締め上げた。
さすがに皇女の顔が苦痛に歪み、か細いうめき声が客室に漏れた。
「早くしろ」
少しなら言葉が分かるので、少年がそう言ったのが聞き取れた。
見れば皇女の足は床から離れぶら下がっている。腕で首を締め上げられ、頬には短剣の切っ先が突きつけられている。
皇女の顔が赤く膨れ、目から涙がポロと零れた。
おいおい、死んじまう。
クリス皇子もロゼットと同じに思ったのだろう、国王の通信を待たずに「分かった」と返事をした。
「分かったから、腕を放せ。今すぐだ」
少年がニヤリと笑って皇女を放すと、皇女は床に膝をついて倒れ込んだ。
激しい咳込みが客室を満たした。
クリス皇子やロゼットが駆け出すより早く、少年は再び皇女の両手を後ろから捕え、白く柔らかそうな喉に短剣の刃を当てる。目を見張る素早さだった。
やっぱ、おかしいよなぁ・・・。
なんでさっき皇女は前方に真っ先に逃げなかった?
その位の間はあったハズだ。それとも相当ドンくさいのか?
眉をひそめている間に、クリス皇子が少年の要求に応えて衛兵たちに『呪い封じの門』開門の支持を出している。金貨を詰めた袋も用意されて、衛兵が少年に見える様に中身を見せた。
少年はチラリとそれを見ただけだった。
「デッキまで運べ。脱出用の船もだ」
少年がそう要求したが、クリス皇子は首を振った。
「この船の甲板は狭い。小型船は船の下層の側面に備え付けてあるから、下層に降りて乗り込んで欲しい」
「ダメだ。わざわざ巣の中央に入りたくねぇよ。誰かに操縦させてデッキまで運ぶかどうにかしてくんない?」
ロゼットはさすがにイソプロパノール語を聞き取れずに、クリス皇子の指示を得る為彼の顔を見る。
「首を振れ」
と、皇子がいかにも「出来るか?」と是非を確認しているかの様にロゼットに言った。
出来ないと答えろ、と眼力でプレッシャーをかけながら。
「でき・・・」
とロゼットが答えている途中で、パルティエ皇女が声を上げた。
「い、痛い、・・・く、くるし、い」
ロゼットには、皇女が声を上げてから、遅れて少年が皇女の喉に突き付けた短剣を、彼女の顔がのけぞる様に動かした様に見えた。
しかしクリス皇子が緊張した顔で「止めろ」などと言っているので、ロゼットもそういう様な雰囲気を醸し出して、剣の柄を握ってみたりしておく。
「甲板に小舟を用意しろ」
自国の王妃を傷付けられるのはもちろん、目の前で女性が酷い目に合うのは耐えられないクリス皇子は、苦渋の表情で少年を睨みつけた。
「甲板へ誘導する。来い」
「わかった。移動中、誰もオレの後ろに立たない様にしてくんない?」
「・・・・こっちだ」
少年の要求を無視してクリス皇子が踵を返すと、ダンッ!と少年が足を踏み鳴らした。
その音に、皇女の身体が小さく震えた。
少年の冴え冴えとした空色の目が、先ほどとは別人の様に吊り上がって危険な光を湛えている。
「聞け。オレの後ろに誰も立つな」
クリス皇子は手の甲を少年に向けて頬の横辺りに片手を上げた。万国共通の誓いのポーズだ。
「……わかった」




