亡国マクサルト
皇女の動揺と蒼白を、侍女の死への悼みだと思ったのだろう。
クリス皇子は小さく息を飲むと、
「そうでしたか……仲が良さそうでしたので、心中お察し致します」と言って、窓際のソファにラビリエを座らせてくれた。
それから窓の外を見て、物思いにふける様に遠くの景色を眺めながら、思いがけ無い事を呟いた。
「私はね、父上と貴女の婚姻が無事済んで落ち着いたら、彼女を娶ろうと考えていたのですよ」
「え……」
驚いて目を見開くラビリエに、クリス皇子は物悲しげに微笑んだ。胸が痛くなる様な、切ない微笑みだった。
「皇女はご存じありませんか?私は父上の代わりに、彼女は貴女の代わりに。何通か文をやり取りしたのです」
そう言えば、形ばかりの文通の代筆を行った事があった。
お互いが代筆者で、更にそれをお互い暗に了承済みという奇妙な文通だった。
「知っています……」
「内容は?」
イソプロパノールの海の事、城の中の美しい物の事、民の活気、海の向こうから貿易船に乗って来た流行の話……。
パール様が、どんなに素晴らしい場所で毎日を過ごされているか、知って欲しくて。
「いいえ。知りません……申し訳ございません」
パール様は、届いた手紙も送る手紙も興味をお持ちでは無かったから……。
常に、トスカノ国が関係するものを遠ざけていた。
「いえ、いいのです。お互い様です」
という事は、やっぱりトスカノ王も文に目を通していないのね。
「貴女の侍女は、イソプロパノールと貴女を深く愛している様でした」
顔が熱くなって、ラビリエは俯いた。
あの少ない文のやり取りで、それを判ってもらえたのが嬉しかった。
「まだ十代の初めの瑞々しさの中に、国と貴女への揺るぎない忠誠心が輝いていた。純真とはこういう事だと思わされましたよ。侍女とは言え、彼女は王族なのでしょう?身分も申し分無いですし、パルティエ皇女も異国で寂しい思いをされずに済むし、上手く説明出来ないのですが、この娘が自分にピッタリだと盲目的に思い続けていたのです」
いよいよ顔から湯気が出そうで、ラビリエは顔を上げられなくなってしまい、真っ赤になっているであろう顔を見られない様に、両手で覆って「まぁ、可哀想なラビリエ」と泣き真似をした。
本当に泣いてしまいたかった。
こんなに素敵な人と結婚出来たならどんなにいいだろう!
何事もなければ、きっとそうなっていたのだ。
トスカノ国へ嫁ぎ、再びパール様のお傍にいられたのに……。
クリス皇子の手を取るどころか、盗賊まがい(本人は『なんでも屋』だと主張していたが、どうも怪しい)の少年と手を組む羽目になっている。
一体、わたくしが何をしたと言うの。
可哀想なラビリエ。
いっそ、思い切ってクリス皇子にラビリエは自分だと打ち明けてしまいたかったが、すぐに思い留まった。
わたくしったら、バカね。誰も得をしないわ。
「お泣きにならないで下さい。配所の無い質問をしてすみませんでした。……三月程前、彼女に文を出してプロポーズを匂わせたのですが、何の返事も無かったので、ついパルティエ様に探りを入れてしまいました。亡くなられていたのでは、あの文も無駄になっている事でしょう」
ラビリエはゆっくりと顔を上げてクリス皇子を見上げた。
「手紙を……お送り下さったのですか?わた……ラビリエに?」
はい、と悲しげな目をしてクリス皇子が頷いた。
「そう……ですか……」
その場の空気を払いのける様に、クリス皇子が咳払いをすると、明るい口調で話し始めた。
せっかくの晴れの日に、湿っぽくしてしまいましたね。申し訳ありません。
貴女のトスカノ国の話をさせて下さい。
先程の果実の様な新種の作物の他に、珍しい鉱物も発掘する様になり、その鉱物からえも言われぬ美しい金属が作り出せるのです。鉄の様な固い物ではありませんが、美しい装飾物にピッタリなのですよ。
それから・・・・
朗々と話す彼に「ええ」とか「まあ」とか虚ろな返事を返しながら、そっと震える両手を膝の上で重ねた。
失意と疑問の震えは止まらなかったけれど、負けん気を出してスッと背筋を伸ばして顔を上げ、ふと甲斐甲斐しくお茶の世話を続ける従者達(常に熱い湯をポットに淹れ直したり、無駄にクラッカーにバターを塗りまくったり、二人分とは思えない量のケーキや果物を切りまくったりしている)を見ると、手を止めて窓の外を見ている者がいた。
その瞳の色。その視線の先。
ラビリエは吸い寄せられる様に、窓の外を見る。
遥か遠くに、天までそびえる岩肌と、巨大な門が見える。
ラビリエは指先でそっと窓に触れた。真新しいガラスの窓は、ひんやりと冷たい。
クリス皇子が彼女の視線に気付いた。
「我が国の『呪い封じの門』です。まがまがしい物をお見せしますが、ご容赦下さい」
「一体なんの呪いがあるというのですか」
この先に行くのだ。ラビリエは知っておきたかった。
だが、クリス皇子もあまり良くは知らない様だった。
「詳しくは私も知らないのですが、パルティエ様は亡国マクサルトをご存知ですか?」
「はい。存じております」
「では、マクサルトがどういう国だったかはご存じですか?」
「豊かな国だったと聞いております」
クリス皇子は一つ頷くと、『呪い封じの門』の先を目を細めて見詰めた。
その視線には、憧れの様なものをたたえていた。
「信じられない程の豊かさだったそうです。土は手を加えずとも肥え続け、水に困る事も無く、風は穏やかで、年に二度収穫祭を行っていた様です。城には消えない炎が祭られていたとか」
「痩せない土……消えない炎……」
そんなものが、あるのかしら?おとぎ話みたい。
「不思議はまだあって、他国の者が土を大量に持ち出した事があったそうです。すると、国境を越えた辺りで唐突に土は燃え上がり、灰になってマクサルトへ風に乗って還って行ったそうです。同じく、マクサルトで実るどんな作物も国境を越えて存在は出来なかった様で、隣国のイソプロパノールや我が国との貿易も皆無でした」
確かに。イソプロパノールにとって恰好の商売相手になっていたはずだ。
でも、そんな話は聞いた事が無かった。
「信じられませんわ」
私もです、とクリス皇子は頷いて唇を引き締めた。
その表情が凛々しくて、ラビリエは思わずときめいてしまう。
バカね。もう既に、手に入れそびれてしまった皇子様なのに。
そう思っていると、クリス皇子が少し声を潜めて言った。
「悪魔信仰をしていた様でした」
「……悪魔」
「悪魔の力で豊かさを得ていたと言われています。収穫祭で毎回子供を生け贄にしていた様です」
カシャン、と音がしてそちらを見ると、先ほど窓の外を見ていた従者が果物ナイフを銀の皿に押し付けにしていた。
彼は何も言わずペコリと頭を下げた。
クリス皇子は大して気にもせず、それを一瞥しただけだった。
ナイフを取り落としてしまったぐらいにしか思わなかったのだろう。
違うわ。とラビリエは思う。
今のはきっと、彼の気持ちが動いた音。
どんな気持ちかは、分からない。
ラビリエはふぅ、と息を吐くと、クリス皇子に「疲れてしまいました」と呟いた。
クリス皇子はハッとして、ソファに座るラビリエの傍らに片膝をつくと、気づかわしげに顔を覗き込んだ。
「では少しお休み下さい。なにか必要なものはありますか」
ラビリエは頷いて、空色の目をした従者を指差した。
「一人になって、彼にお茶をもう一杯淹れて頂きたいわ。後の方はお下がり下さい」




