さようならが、いいたくて
ものすごく、突然ですが。
私は死んでしまいました。
恋人を追いかけて、走った結果。
車に激突してそのまま。
とても、心残りがあった。
うん。とても。
このまま死んでしまうわけにはいかなかった。
すると、私を迎えに来た死に神がいった。
「時間をちょーっとだけやってやんないこともない」
「ややこしい言い回しね」
「生意気なお嬢さんだ。で、時間いるのか?いらないのか?」
「もらえるならばもらうわ」
ということで。
今日のお昼12時まで、生きた状態で動き回れるようになった。
さらに、追いかけっこを継続できるわけだ。
これは本気を出さねば。
なんて思っていたけれど。
いくら探しても彼が見つからない。
いつも通勤している会社。
いつも通る公園。
いつもおやつを買うコンビニ。
彼から聞いていたすべての場所を回っても。
彼はどこにもいなかった。
時計の針は11時を指していた。
時間がない。
せっかくもらっても、何もできなかったら意味がない。
もし彼だったら。
私はどこに行くだろうか。
恋人に自己否定をされた、彼ならば。
完全否定をして貶めたかったわけじゃない。
ただ、わかって欲しかった。
彼に対して感じていることや、怒っていること。
いつも、いつまでも笑顔でいられるわけじゃないっていうことを。
彼にとっては、言い訳にしか聞こえないだろうけれど。
だから、私は言いたい。
心の底からの謝罪と、別れの言葉を。
さようならという言葉は、「左様なら」から来ている。
よく従者がいう「左様ですか」と同じ。
あなたがそう願うのならば、別れましょう。
そういう意味が込められている、らしい。
その本を二人で読んで感動したことを覚えている。
いつか別れる日が来たならば、さようなら、と。
さよなら、とか、
ばいばい、とか、
またね、とかでもなく、さようなら。
きっちり5音発音しようって。
そう決めたことも、覚えている。
寿命以外には適応しないねって、笑ったんだ。
「そうだ、この辺に図書館があったんだった」
大きな土地に建てられた、大きな図書館。
外壁に時計が埋め込まれていて、時間に音楽が鳴る。
右手にはめた時計を見る。
11時半。頑張って走れば、間に合うかもしれない。
そこに、彼がいれば。
全力で走った。
もう死んでるもん。
どんなに無理したって大丈夫なはずだ。
彼のために、この時間全てを懸けて、存在しているんだ。
図書館の外壁の時計が見えた。
時間は11時50分。
時計の上にあるバルコニーに、彼が立っていたのも見えた。
息は切れたし、足は重い。
頭はぼぅっとするし、本当に生きているように錯覚してしまう。
重いだけの足は確かに地面を蹴っているし、
乾燥した唇を通して空気が体を巡っているし、
腕にしっかりと力も入る。
あと数分で終わる夢だ、けれど。
涙がこぼれる。
もう、こんなことは当分ない。
こうして彼を探して生きることは。
沢山走って、注意しそうな顔の司書の女性を横目で見て。
図書館の段差の低くて、長い階段を駆け上がる。
そして、大きくて重い、防音扉をあけ放った。
「見つけたっ!」
走ってきた勢いそのままに彼の背中に飛びつく。
「探したんだから」
やばい。
彼の温度に涙が出そうだ。
もう10分もない。
その間だけしか彼に触れていられない。
「ごめん」
彼が私より先に謝ってきた。
違う。本当に悪いのは私なんだ。
謝らなくては。
彼と向き合うために回り込まなくては。
きちんと正面から彼と話をしなくては。
でも時間がない。
時間が、全然足りない。
どうしてあの時確認なしに道へ飛び出してしまったのだろう。
──彼があんなにも悲しそうな顔をしたから。
どうして前の晩あんなひどい言葉を彼に浴びせたのだろう。
──私のことを分かって欲しかったから。
どうして、私は彼といられないのだろうか。
「私こそ、ごめん」
涙がこぼれた。
ダメだ、泣いちゃ。
彼に謝っているだけじゃないか。
本当に悲しいのは彼なんだ。
泣きたいのは私じゃない。
最後に彼に睦言でもと思った瞬間。
♪♯♪・・・♪
12時の鐘が鳴る。
体からすべての力が抜けていく。
「・・・・・・・・・」
さぁ、言おう。
約束の言葉を。
与えられた時間は全て、彼のために。
最期の一瞬まで、彼のために使うって決めていたじゃないか。
鐘の音がどんどん終わりに近づいて、小さくなろうとする。
それに合わせて、息を吸った。
最後の一息を。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さようなら」
彼の温度はもうわからなかった。
自分の体が世界から切り離されるような感覚。
私と別れたいとは言わなかったし、望んでいなかったかもしれない。
でも私は行かなくてはいけない。
せめて彼の行く末が私とは違う、幸せな世界であることを願って。
鐘の最後の音までに彼が振り向こうとしているのに気付いた。
ふふふ、と笑う。
きっと間に合わない。
こんな彼が、この世界の誰よりも好き。
だからどうか、そのまま居て。
必ずまた、君を探しに生まれ変わるから。
そしてまた、「さようなら」と言う日まで。
一緒に時間を使いましょう。
今度はもっと長く、傍にいられたらいいなぁ。