雇われ師範
ボンナー王国の中部と東部の境あたりに、デンズの町はあった。その町にひとつだけある武芸道場が、サルト流剣術道場である。
五十人ほどの門弟が木剣を振るっているその道場へ、今、ひとりの少年が入ってきた。
「オーレス先生、お客様です」
オーレスと呼ばれた、二十代後半といった様子の男は、周囲の者に稽古を続けるよう言ってから、少年のそばへやってきた。
「ぼくにお客? どんな人です」
「十五歳くらいの女の人です」
「女の子?」
オーレスが怪訝な顔になる。
「用向きは?」
「それが、立ち合いを願いたいと」
「……」
オーレスは考え込むような顔をしながら、道場を見回した。
今日は道場主のカイムは来ていないが、自分と他の二人の師範、バスコフとソーラが揃っている。少しくらいなら、抜けても構わないだろう。
オーレスは、腕を組んで門弟達を見回している中年の男のそばへ行った。
「バスコフ先生、ちょっと抜けてもよろしいでしょうか。なんでも、ぼくと立ち合いたいという人が来ているというんです」
「抜けるのは構いません。しかし、立ち合い……」
バスコフは少し考えてから、門弟達の方へ声をかけた。
「ガゼフ、ヘイズン、レギス。お前達も付いていけ。妙な者だったら、追い払え」
「分かりました」
四十手前と見える男が答え、まだ若い二人の男と共に、オーレスのそばへやってきた。
オーレスは道場の入り口の方へ戻り、先ほどの少年に声をかけた。
「アーロ君、お客さんを、庭へお通ししてください」
「はい」
少年は返事をすると、駆けていった。
十二歳くらいの少年に案内されて、シュタルテが塀と建物に囲まれた広い庭へやってくると、四人の男が立っていた。右から、二十代後半くらいの男、四十手前くらいの男、それにシュタルテと同じくらいの若い男が二人。
右端の男が、オーレスだろうと思った。聞いていた年恰好と合うから、というだけではない。
穏やかそうな顔をして、一番威圧感を感じる。
そこでシュタルテは、右端の男に話しかけた。
「あなたが、オレオン先生?」
「は?」
男は、不思議そうな顔をする。
「失礼、オーレス先生ですか?」
「……ええ、ぼくがオーレスです。それで、ご用向きは?」
「立ち合いをお願いしたいのです」
シュタルテはそれだけをはっきりと言って、オーレスの返事を待った。
オーレスは少し間を置いてから、答えた。
「ぼくは雇われ師範でして、ここの流派の者ではありません。サルト流に挑戦したいということなら――」
「いえ」
と、シュタルテが遮る。
「オーレス先生のお噂を聞いて、伺いました。先生にお相手を願いたいのです」
「そうですか。分かりました」
「いや」
オーレスが頷いたところで、今度は年長の男が口を挿んだ。
「雇われでも、師範は師範です。そうそう、よそ者の相手をさせるわけにはいきません」
四十手前と見えるその男は、オーレスにそう言ってから、シュタルテの方へ顔を向けた。
「というわけだ。オーレス先生に挑戦したければ、まず我々門弟と立ち合って、力量を見せてもらう」
「分かりました、よろしくお願いします」
シュタルテが答える。
「そういえば、まだ名前も訊いていなかったな。おれはガゼフ。そっちは、ヘイズンとレギスだ。まず、おれ達三人が、君の相手をする」
年長の男が言い、若い二人が軽く礼をする。
「わたしはシュタルテ、ドルストンから来ました」
「そうか。レギス、まずはお前だ。ヘイズン、こちらに、剣をお貸ししろ」
ガゼフが次々と指示を飛ばす。段取りを彼に任せたオーレスは、少し離れた所で、黙って立っていた。
シュタルテは案内をしてくれた少年に長剣と短剣を預け、若い男の一方――ヘイズンから木剣を受け取った。
「稽古用の剣だが、使ったことはあるな?」
「はい」
ガゼフの言葉に、シュタルテが頷く。この木剣には魔法がかけてあり、人を打った際に衝撃が緩和されるのである。もちろん、レギスも同じものを持っている。
広い庭の真ん中で、シュタルテとレギスが向き合う。他の者達はかなり距離を取って、その二人をじっと見ていた。
ふと、レギスがオーレスの方へ振り向き、ニヤリと笑ってみせた。
「先生の出番は回ってきませんよ」
ガゼフの合図と共に、レギスは木剣を振り上げ、シュタルテに突っ込んだ。振り下ろし、続けて左から払う。さらに踏み込んで突き。
しかしシュタルテはレギスの攻撃を、剣で受けるでもなく、少しずつ後退しながら全てかわしていく。
しばらくそうしてから、シュタルテはふいに踏み込むと、すれ違うようにしながらレギスの頭に剣をピタリと付けた。ぎりぎりのところで、当ててはいない。
「そこまで!」
ガゼフが鋭く言った。
シュタルテとレギスは、それぞれ二歩後ろへ下がり、礼をする。
礼をしたものの、一瞬の出来事にまだ呆然としているレギスに、オーレスが声をかけた。
「レギス君、相手の攻撃をまるで無視した攻めでしたね……色々言いたいことはありますが、まあ、後にしましょう」
すると、レギスはハッと顔色を変え、オーレスに言った。
「先生! 油断しました、もう一度やらせてください!」
そう言われて、オーレスはふと、シュタルテの顔を見やった。彼女は表情も変えず、成り行きを見守っていた。
「……油断した時点で、君の負けです」
オーレスがそう言うと、レギスはうなだれて、後ろへ退いた。
(何言っちゃってんの!? もう一度やったって、無意味だっつーの! 実力がまるで違うの、分かってないのかしら!?)
レギスの言葉を聞いて、シュタルテはそんなことを考えていた。しかし、心証を悪くするのは得策ではないため、どうにかそれを表情に出すことは堪えた。それは、シュタルテにはいささか難しい行為であった。
(ほら、次いきましょ、次!)
シュタルテの心の声に応じたわけでもあるまいが、若い男の内のもう一方、ヘイズンが進み出てきた。
そこへ、ガゼフがふと声をかけた。
「シュタルテさん、休みを挿まなくて大丈夫か」
(大丈夫よ! 瞬殺だったでしょうが!)
「構いません……ヘイズンさん、よろしくお願いします」
心の声を抑えつつ、少し微笑さえしながら、シュタルテはおしとやかに言った。
「そうか。まあ、瞬殺だったしな」
ガゼフの言葉に、レギスがますますうなだれる。
シュタルテとヘイズンは向かい合い、互いに礼をした。
「では……始め!」
ガゼフが合図をしたが、ヘイズンはレギスのようにはかかってこなかった。剣先をシュタルテに向けたまま、じっとしている。
そこでシュタルテは、相手の腹を狙って突きを放った。しかしヘイズンはそれを剣で弾き、逆に胴打ちをしかけてくる。
シュタルテはそれを打ち払い、素早く下がった。
(さっきのよりやる……)
シュタルテは考えながら踏み込み、今度は頭へと剣を打ち下ろした。ヘイズンはすり上げるように剣を持ち上げ、シュタルテの剣を弾く。
(けど遅い!)
シュタルテは素早く剣先を下げ、すれ違いざまにヘイズンの右の胴を払った。間髪入れずに振り向き、相手に剣を向ける。
「そこまで!」
ガゼフが言い、シュタルテとヘイズンは二歩ずつ下がって、礼をした。
「参りました」
ヘイズンが、シュタルテに言った。そしてヘイズンは、オーレスを振り返った。
「ぼくでは、とても敵いません」
「そうですか」
オーレスは短く答えた。
(ほら、次よ次!)
シュタルテは思いながら、ガゼフの方へ目をやった。
シュタルテ
十九歳女性。ボンナー王国の首都ドルストンにある道場で、剣術を習得した。時に長剣と短剣の二刀流を使う。痩せの大食いで、いくら食べても腹が膨らまないが、胸も膨らまない。そして童顔。