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02-01/殺伐たる朝時

 暗闇の世界に光がともる。そのあまりにも眩し過ぎる光に俺は瞼を開く。

 

 

「……朝」

 

 

 外から聞こえてくる鳥の囀りを耳にしながら、俺は小さく呟く。

 

 あれから泥のように眠り込んで、今起きたわけだが、寝起きはあまりいいものではない。喉がカラカラで、感覚が鈍く感じる。

 

 

 ……それに夢も見なかったってことは、疲れも多く、それだけ眠りが深かったということだ。

 

 だが身体は正直。昨日摂取していなかったアルコールが欲しいと訴えていた。それでも俺は何とか自我を保ちつつ上半身を起こし、ベッドから降りたところでドアが開いた。

 

 

「誰だ……て、上海か」

 

 

 窓に向かって背伸びをしていた俺は振り返り、ドアの隙間から上海が顔を覗かせ、つぶらな瞳で俺を捉えていた。こちらの様子を窺い、入っていいのかどうか考えあぐねているのだろう。

 

 

「おはよう上海。別に入ってきても構わないぞ」

 

 

 声を掛けると上海はこくり、と頷き、室内に入ってくる。

 

 

「……」

 

 

 俺に目線を合わせて浮かぶ上海。その姿を見つつ俺は昨日の寝る間際の出来事を思い出し、口を開く。

 

 

「……あー、昨日はすまなかった。その……、頭を撫でてしまって」

 

 

 ゆっくりと紡ぐ俺の言葉に上海は首を傾げたが、次第に思い出したのか、手を打ってブンブンと首を横に振る。

 

 これは「気にしてない」というジェスチャーでいいのだろうか? となるとだ、上海は昨夜の俺の頭を撫でた行為は気にしていないということになる。

 

 そう思っていると、上海が俺に頭を差し出してきた。

 

 

「……」

 

 

 よくわからないんだが……、その状態からして何かをして欲しいという意図が汲み取れた。だがそれが何なのか俺には理解しかねる。

 

 どうやら俺に何かをして欲しそうな素振り。しかし俺は上海に出来ることなんて、何なのかさっぱり見当皆目つかない。

 

 

「……」

「……」

「…………」

「…………~ッ」

 

 

 そうして沈黙に耐え切れなくなったのか、上海は俺の手を取ってそれを自分の頭の上に置いた。

 

 

 そうすると上海は嬉しそうに、瞳を細めた。多分。

 

 

「~♪」

 

 

 ──つまり、だ。さっき頭を差し出したのは俺に頭を撫でて欲しかったという意味合い。だが俺がその意味が理解できなかったんで、しびれを切らして自分でこうして欲しい、と行動を起こした……といった具合か?

 

 

「そういうことか……。すまないな上海」

 

 

 ゆっくりと頭を撫でてやる。手触りのいい金色の髪が小さく揺れる。

 

 

「~♪」

 

 

 気持ちよさそうに上海は喜び(多分)、そして満足したのか俺の手から離れてドアを指す。

 

 

「わかってる。出ようか」

 

 

 俺が言うと上海はこくりと頷き、ドアを開け放つ。そして廊下に出、俺はその後に続く。

 

 上海を先頭に俺は廊下を歩き、居間に出ると、この家の主……アリスが椅子に腰掛けて紅茶を飲んでいた。

 

 

「おはようアリス」

「あら、おはようレイ。昨夜はあれから大丈夫だったかしら」

 

 

 挨拶をすると、アリスも挨拶をして淡白とした口調であの事を訊ねる。

 

 

「……ああ、大丈夫だ」

「……そう……」

 

 

 ……寝る前まではとても意識を正常に保つこと自体困難だったが、眠ってからは多少楽になった。だが酒を呑まないと落ち着かないという不安は昨夜からずっと払拭できないままであり、俺としては今すぐにでも酒を呑みたいというのが本音だ。

 

 ……我ながら愚かしい依存症に陥ったものだ。

 

 そしてアリスが今俺の名前を呼んだことに今更気付く。昨日名乗ってから初めてではないだろうか?

 

 

「座ってて、朝食を用意するわ」

 

 

 言われるがまま俺は空いてる席に座り、アリスは立ち上がって台所へと向かう。その間上海は俺の頭に着陸して和みだす。

 

 

「~♪」

 

 

 俺の頭は最早上海の指定席。振り払うのも可哀そうなんでそのまま好きにさせておく。俺自身不快でもないし、なにより人形とはいえ好感を持たれるのは悪くはないとも思い始めた。

 

 

「お待たせ」

 

 

 席を離れてしばらくして、アリスが狐色に焼けたトーストを載せた皿と、紅茶を淹れたカップを持って俺の前に置く。

 

 

「すまないな」

「別に構わないわよ。減るものじゃないし」

「それでも感極まりないさ。いただきます」

 

 

 礼を述べ、俺はトーストを手に取り口内に運ぶ。柔らかなトーストの生地の香りが口の中に広がる。

 

 トーストにはマーガリンも何も無い。だというのにトーストが甘く感じるしふんわりとしている。それが意味するのは、このトーストの原材料の小麦本来の味がそのまま活かされているという証。

 

 昨夜の夕食に出た料理もそうだったが、幻想郷で産出された食材は改良も無い、純粋な天然物だと確信出来る。

 

 昨今では食に対する不安やら少なくなる自給率で本当の食材というものを確保するのが難しくなってきている。外界にいた頃、俺は食べられれば構わないと傍観していたが、幻想郷でアリスの作ってくれた料理とトーストを食べて、改めて食の素晴らしさを身に染み込ませてくれた。

 

 

「……そういえば」

「ん?」

 

 

 トーストを半分食べ終えて紅茶が残り少なくなった頃、アリスが口を開く。何だろうか? と俺はトーストを頬張っていると、

 

 

「昨日の夜アナタが部屋に行った後、上海が私の所に物凄い勢いで飛んできたんだけれど、どうしたのかしら?」

 

 

 とのお訊ね。ちょっとした睨み付きで。

 

 

「……何もしてないが?」

「本当に? じゃあなんで上海はあんな恥ずかしそうにしてたのかしら?」

 

 

 …………ん? ちょっと待て。恥ずかしいそうにしてただと?

 

 

「わかるのか、上海の気持ちが?」

「私はその娘の制作者でありマスターなのよ? 概ねのことは理解できるわよ」

 

 

 俺の頭の上にいる上海を見つめるアリス。そのアリスの視線に臆したのか上海が小さく震えた……ような気がした。

 

 

「アナタに粗相をしたのならともかく、レイ……アナタが上海に何かしたというのなら……」

 

 

 ──刹那、ぞわり・・・…と、総毛立ったのがわかった。ひやり、と背筋に伝う冷たい汗。重圧を増していく空気。肌が耐え切れないとばかりに刺激を神経に伝え、脳内神経が俺に『危険』のシグナルを点滅させる。

 

 そして向けられるは────純然たる殺意。

 

 

「……」

「……」

 

 

 仮に、このまま挙動不審な動きを見せた場合、アリスは俺に襲い掛かってくるのは明白。魔法使いであるアリスなら人間1人を捻り殺すことなんてのは容易いものだろう。

 

 ……尤も、俺もそう簡単にはやらせはしないし、反抗もさせてもらうつもりだ。

 

 幸いにも俺のカバンは居間の隅──俺の後ろに鎮座している。いざとなったらそこからアレを取り出せばいい。状態はあの時のキレイなままでいつでも使えることは昨日確認した。

 

 最悪、アリスを傷つけてしまうが、俺も自分の身を守りたい。

 

 生きる理由が、存在し続ける理由が戦う意志が最早無くても。

 

 

 

 

 守るものさえ守れなくなっても。

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 視線が交差する。静謐に静まり返った室内には殺気という冷気が溢れ、一挙一動、そこで行動を起こしたものは皆、確実に命を絶たれる。

 

 緊迫したこの最中、呼吸も叶わない。息苦しくも感じるが下手に酸素を補給したら、そこを突いてくるのはアリスも俺もどうやら同じらしい。

 

 そうして互いに視線で牽制しあっていると頭上の上海が降り、俺とアリスの間に浮かぶ。

 

 

「? どうしたの上海?」

 

 

 怪訝に思いつつ口を開くアリス。勿論俺に意識を向けたまま。無論、俺もアリスと同様に上海を視界に捉えたまま向かい側のアリスに意識を向けたままでいる。

 

 

「ッ! ッ! ──ッ!!」

 

 

 そうしていると上海が俺達の間で、必死に身振り手振りで何かを伝えようとしている。頭を指し、そして撫で、顔を抑え、身を揺らす。

 

 

「……どういう意味だと思う? 私には頭に叩かれて、痛いと身体を震わせているように見えるのだけれど」

「…………いや、頭を撫でて恥ずかしい……、と言いたいんじゃないか?」

 

 

 現に張本人である俺の証言であるから間違いない。あれは嫌がったのではなくて、恥ずかしかったのか……。

 

 俺の言葉に上海は大きく頷き、「そうそう!」と訴えるかのような仕草を見せた。

 

 

「……どうやら私の勘違いみたい」

「…………最初からな……」

 

 

 ぽつり、と小さく呟くとアリスは鋭い眼光で俺を睨み付ける。口が過ぎたようだ。しかしそれも一瞬。アリスは先程まで纏っていた殺意を霧散させ、俺に向き直る。

 

 

「ごめんなさい。誤解してたみたい……」

 

 

 そして先程の態度とはうって変わり、アリスは目を伏せて頭を小さく下げる。

 

 

「いや、いいんだ。俺が最初に説明しなかったのがいけない。アリスが謝ることはない」

「いいえ、私が悪いのよ」

「いや、俺が悪い」

「だから私よ」

「いやいやいや、俺だ」

 

 

 互いに譲らない。この場合誤解したアリスも謝るべきであり、説明しなかったの俺も悪いのがそもそもの原因。よって両成敗……か?

 

 

「この場合…………お互い様でどうだ?」

 

 

 恐る恐る俺は提示する。下手するとプライドが高いであろうアリスの機嫌を損ねてしまうだろう。だがそれも杞憂で終わり、アリスは俺の言葉を聞いた途端に虚空を見つめ、合点がいったのか「それもそうね」と納得してくれた。

 

 

「という訳だ上海、仲直りしたぞ」

 

 

 未だに俺とアリスの間に浮かんでいる上海に声を掛ける。すると上海は安堵したのか再び俺の頭の上でくつろぎだす。

 

 

「あら、アナタの頭の上はもう上海の指定席みたいね」

「……みたいだな」

 

 

 くすっ、と小さな微笑みをこぼすアリスを余所に、俺としては複雑な心境。よもや自分の頭の上が人形の指定席になるとは誰が思っただろうか? どこぞの魔女ならいざ知らず、俺を知る者達も想像つくまい。

 

 そうして危機を回避した俺は、朝食を再開した。

 

 

 

 

       ◆

 

 

 

 

 朝食を食べ終え、片付けを済ませた俺は居間の椅子に腰掛け、ぼんやりとしていた。すると食器を洗い終えたアリスが「今日はどうする? 昨日の話の続きでもする?」と問いかけた。

 

 それに俺は少しばかり思考する。

 

 確かにアリスにある程度幻想郷についての見識を学んでおきたいのだが、いかんせんその状態じゃどうも合理的ではない。知識で学んだことと現実に直視するのとでは捉え方がやはり異なるという見解もある。

 

 となると、導かれる結論はフィールドワーク。つまり探検……となる。

 

 

「いや、今日は外を歩いてみたい」

 

 

 思った事を述べてみる。するとアリスは「そう……」とがっかりした様子を見せる。

 

 

「けど、外には妖怪もいるし、それに引けを取らない位凶暴な獣もうろついているわよ?」

「だろうな。だがこのまま聞いてるだけではこの地を把握出来まい」

 

「それはそうだけど……」

 

 

 しぶるアリス。

 

 

「それに、そういった類に遭遇しないように行動すればいいだけの話だ」

「ここら一帯の生き物は感覚が鋭いから、それは難しいわよ」

「その事に関しては……何とかなるだろ」

 

 

 そう言うと俺はおもむろに背後に置かれていた自分のカバンを持ち、外に出ようと玄関へと足を向け────

 

 

「待ちなさい」

 

 

 ──る前に、アリスに呼び止められた。

 

 

「何だ?」

「何だ? ……じゃないわよ。その姿で外を出歩くつもりなの?」

 

 

 はぁ、と呆れたように息を吐くアリス。それに俺は首を傾げる。

 

 

「どうやら理解してないようね。ならこれを見ればわかるでしょ」

 

 

 と言って棚の上に置かれていた手鏡を俺に渡す。それを俺は受け取り覗き込む。

 

 そして──、

 

 

「………………誰?」

 

 

 伸ばしに伸ばした髪で目元は隠れ、ヒゲだらけの顔面。肌は病的なほどまでに白く、髪の間から倦怠的な、虚ろな瞳をした1人の無精者の顔。

 

 

 これは……俺か? いや俺………………だよな。てか俺、荻成怜治に間違いない。鏡で自分の顔を見たのは随分と久しぶりだ。その頃と違って一目で言えることは────落ちぶれたもんだな……としか、言い表せず、自嘲するだけ。

 

 

「それでも外に出るなら止めはしないわ。……だけど、少しは身を整えたらどうかしら」

 

 

 はぁ、と嘆息する尤もな意見を述べるアリス。片や俺はというと、清潔感を保たずにいた結果がこの有様ということに、閉口するばかり。

 

 どうりで初対面の際のアリスの態度が好印象では無い理由が判明出来た。かといって俺は整髪するつもりも、顔剃りするつもりも毛頭無い。

 

 仮にしたとして、そこまで……そこまで俺は辿り着けるのだろうか?

 

 何もかも無くした俺が、再び活力を見出すなんて事を……。

 

 

「……」

「どうしたの?」

 

 

 沈黙を保つ俺にアリスが怪訝に思ったのか、声を掛ける。

 

 

「…………」

 

 

 それに俺は答えることなく、身を翻して玄関へと向かう。

 

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

 

 背後から呼び止める声。だが俺は振り返らず一言だけ。

 

 

「……暫く、このままでいさせてくれ……」

 

 

 とだけ残してドアを潜り、外に出た。

 

 

 

 

 カバンと……………………完全に存在を忘れていた上海と一緒に。

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