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幕間/人形遣いの災難

久々の更新。

「買い物が長引いちゃったわね」



 瑠璃色の光明の下でそう呟き、里で購入した人形作りの素材と日用雑貨品を詰めた紙袋を抱え直す。


 普段なら里から自宅まで徒歩で向かうというのは立地上危険極まりない行為だが、荷物が多い手前、空を飛んでいては視界の見通しが悪くなりがちだし、梱包はしっかりとしてあるがうっかり荷物を落として中身がお釈迦になって買い直し──なんて事態は御免被るので、結果的に時間を掛けて歩いて家まで向かわざるを得ない。


 本来なら今回のように空を飛べない大荷物を抱えている場合、大から小までの運送を請け負う荷馬車業者に魔法の森の入り口付近まで運んでもらうのだが、生憎荷馬車の賃貸時間はとうに過ぎ、御者は本日の自らを労う為に酒屋に向かった後だった。


 これに関しては夕刻から買い物を長引かせ、あまつさえ休憩を名目に里の甘味処で舌鼓を打っていた私が一方的に悪いが業者も業者だ、客足が少ないからって事務所を閉めるのも甚だしい──と最初は憤るも、そもそも利用する客自体が稀有なので仕方ないのかもしれないと考え、すぐに開き直る。


 空を飛んでたら荷物は落としかねない、荷馬車も業者の気まぐれで利用不可となった以上、選択肢は自分の足で帰宅するしか残されていなかった。舗道なんてばらつきがあるし、人の手が届いてない郊外だと危険が多いものの、幸いにもここに至るまでの道程で最大の不安要素である猛獣や妖怪の類に襲撃される事は無く、遅くはなってしまったものの無事に魔法の森入り口まで辿り着けた。


 後は森の中に群生しているキノコが撒き散らしている瘴気を吸い込まない様、素早く且つ迅速に自宅を目指すのみ。無論、自宅への道順はしっかりと把握してる為森の中で迷子になって、濃度の高い瘴気の吸引過多による幻覚症状に陥る確率はかなり低いだろう。


 それでも森の中を夜中に進む事は危険である行為には変わりなく、うっかり道を間違えてキノコの群生地帯に踏み込まない様注意しないに越したことは無い。



「それじゃ向かいましょうか、■■」



 独特の冷気に微かに身を震わせて隣に滞空して私と同様、荷物で手が塞がった使い魔の人形にそう告げて、一路、魔法の森の中の自宅へと向かい始めた。





       ◆





 鬱蒼と覆い茂って月光さえも微かにしか通さない、薄暗い殺風景な魔法の森の中を歩き続けるその傍らで、ふと、私の目の前に現れたあの男、荻成怜治という男の人物像を顧みる。


 荻成怜治──。お粗末でお洒落とは無縁な無精な面構えな風貌並びに言動からして、外の世界から来た外来人であることは容易に分析出来る。大抵の外来人は幻想郷の結界を管理する一角たる八雲紫の手引きでこの世界の妖怪の食料として調達されることが暫しだが、彼は私の自宅前の茂みの中で倒れていた。


 絶命していたのであれば景観を損ねるという理由で人形達に遠くに放棄させる様指示を出すが、生きていた……正確な状況を語らせてもらうと、一升瓶を抱えたなんとも滑稽な寝相姿で眠っていたので結局私が保護することになった。


 ────まるで最初から私にそうさせたいような配置であったのと、何よりあの位置に彼を落としたスキマ妖怪の読めない思惑に乗せられるのが癪ではあったが。


 釈然としない感情をひとまず置いて、彼を保護して手間的な問題から私のベッドに寝かせ、夜が明けると目を覚ましたので一昨日と昨日の会話を交わしてみると、外見は粗雑な出で立ちではあったが、それとは反して態度は厳格な貫禄とどこか老獪じみた含みがあれど、温和そのものの怜悧な雰囲気を纏った人物だった……というのが私なりの心象である。


 しかし初対面の人物……勿論その初対面の人物とは私ことアリス・マーガトロイドの事だ……に対して少なからず警戒している素振りがちらつき、同じく私も彼に対して警戒していた。────そんな警戒心を剥き出しの彼に、普段私と接するのと大差ない感覚で上海人形がどうして接せたのかが謎だ。


 上海は私が自慢出来る自ら生んだ人形であり使い魔だ。そして私の魔力が原動力となりその意思を働かせて使い魔としての行動をを可能とさせている。これはどの魔術にも共通する使い魔の行使手段であって、いわば自身の分身みたいなものだ。


 そうなると若干齟齬があるも私と同じ思考を持っていても不思議ではないのだが、何故あの子はあんな風に愛想良く接したのかが疑問だ。それが彼女の意思であって私の意思であっても……どうにも荻成怜治とはそりが合う気がせず、それどころかあの手入れを怠った面立ちは女性の私としてはやはり受け付け辛い。


 怜悧且つ温和そうな人物と評したが、それとは反比例な外見のそれは私が指摘しても何故か敬遠してそのまま外出した時は肩を竦めて嘆息するも、立場上そこまで言及する必要性も無く、それがあの男のスタイルなんだと思えばあっさりと諦めがついた。


 だがそんな荻成怜治とのやり取りの際に、彼の頭の上で寝ていた上海の存在を失念してしまっていた事は反省すべきだった。その後斜陽の時に上海が帰ってきた事は大きく安堵し、…………あの男の姿がなかった事にも内心安堵した。


 しかしながら上海と一緒に外へ出て行ったあの男が、何故いなかったのか? その答えは私と同じく魔法の森に居を構える自称魔法使い、霧雨魔理沙が教えてくれた。


 上海を送り届けてくれた魔理沙曰く、荻成怜治は魔法の森を出た後は香霖堂から博麗神社へと赴き、そこでスキマ妖怪こと八雲紫によってこの世界に落とされ、彼は外の世界へ帰ることが叶わず、そのまま博麗神社に泊まった……というのがその疑問の答え。



『後はなんだっけな? なんでも“最後の魔女”って奴が、紫にレージを幻想郷に送るように頼んだそうだ』



 ──そして八雲紫と、“最後の魔女”とやらのお陰で彼は幻想郷に落とされた事を私は知った。


 荻成怜治が外の世界の魔術師というのは、本人の口から直に聞いた。だとすれば“最後の魔女”も彼に関連した人物であることは明白だが、八雲紫との関連性が不可解だ。

 

 八雲紫の能力は周知の通り、外の世界にも往来が可能なので能力を駆使して外の世界の人間達と多くの接点を得ていることだろう。だとすれば現状、“最後の魔女”という人物もその中の1人である事程度の推測しか立たない。


 しかし……まるで外の世界には魔女が最早存在しないかのようなその名前に、私は漠然とした感情を覚えた。


 幻想郷は忘れられた存在が流れ着く場所。その“最後の魔女”とやらが外の世界で姿を消したら、私達……魔法使い、魔女は、本当に忘れられた存在になるのか、と────。


 その危惧すべき懸念事項は私には止めることなんて出来やしない。それは必然とも言える時の流れというものだ。外の世界の住人が淘汰した結果だとするのなら、私達は存在を許されないという事にもなる。


 それは歴史が証明している事が明白であり事実。人は自身では理解できない力を許容する傍らで常に恐れ、そして勝手に危惧し、勝手に駆逐する。平穏の為に、平和の為にと謳いながら、小さな平穏と平和と微塵も残らぬ程、徹底的に壊し尽くして────取り返しのつかない結果だけを残して。


 だとすれば荻成怜治……レイもそれに巻き込まれた被害者なのかもしれない。


 鋭い双眸ながらも全てに絶望して、諦観混じりの宵闇の如く青年のそれとは思えぬ濁った眼差し。気丈に振舞ってはいるが口調や表情から滲み、節々に除かせる倦怠的な翳り……。里の人間でも滅多に見かけない種類の人間だ。


 彼のような類の鬱々とした人間は大きな損失……もしくは欠乏した者に見られる兆候だ。そう思うとあの無精面はそれによって整えるのが億劫になったと考えるべきか。


 とは言え私とレイはあくまで保護して泊めただけの所詮他人同士、お互いに詮索するつもりも干渉することもないだろうし、私もその例外に漏れず好奇心で人の深淵など覗こうとするつもりなど毛頭無い。


 好奇心は時として諸刃。心のガラスは曇らせたままの方が良い。触れられぬ様、見られぬ様、濃密な霧で覆い隠して、有耶無耶にあしらって。


 見られたくないから、見て欲しくないから。触れてしまえば最後、相互に傷を生み、結果次第では崩壊を辿るのみ。


 だからこそ不干渉を貫く。誰にだって触れて欲しくない事情があるのだ。それに私情を多々に含んだ観念かもしれないが、人の心理は異なれど本質は醜い極まりない。同性ならばある程度の理解力はあるが、男の場合は更に醜悪だ。────見たくもないし、触れたくも無い。


 ……なのに、だ。そんな理念があるというのに今更私は男であるレイを助け、挙句の果てには彼を助けた事を何故か後悔している。


 前述した理由を口実に、結局彼を助けてしまっている自分の姿とその心情は大きく矛盾しており、嫌悪している割には自分のお人好しさには我ながら間抜けとしか言いようがない。


 だが、それでも尚私の心は決して揺らぐことは無いだろう。今回のレイの件にしたって、表面では親しく接してもその深層までは気を許すつもりはない。それが私という人格を形成しており、これからもずっと不変であり続けるだろう。


 それこそが私、アリス・マーガトロイド。他者には冷淡な態度で接してひたすら線を引いて不干渉を貫き、男に対して忌避感を内包した、外部から隔絶され忌避されている静謐な魔法の森の中でひっそりと暮らす、人形遣いの魔女────



「────あら?」

「?」



 俯きがちに自身の姿に思考を巡らせ、自宅まであと半分という道程の最中で私は怪訝の声を発して、歩みを止めて周囲を見渡す。その傍らで■■が何事かと首を傾げるも、私は彼女を無視して疑問を口にする。



「変ね……」



 頭上を仰ぎ見、普段なら聞こえるであろう木の上で羽を休めている鳥達の鳴き声が全く聞こえない。…………いや、それどころか気配すら微塵も感じられない事に訝かしむ。


 キノコから散布される瘴気の所為で動物すら近寄らず、それどころか妖怪さえも近寄らない曰く付き魔法の森だが、僅かながらキノコが群生していない安全地帯も幾つか存在し、私も魔理沙もそれを知っててキノコの少ない場所に居を構えているのがその証拠で、今通っている道もその安全地帯の1つだ。


 特に木の上なら瘴気の密度も薄くて比較的安全なので、そのお陰で魔法の森というのは温厚な鳥達の天敵が近寄り辛い立地なのだ。尤もその餌となる昆虫や小動物は前述した通り活動範囲が限定されている手前ごく少数なので、多くの鳥が魔法の森の外側近辺で餌を狩りに出張る光景は珍しくない。


 この時間帯ならあの喧しい鳴き声を発するフクロウ……確かワライフクロウとかなんとか……の群れや夜行性の鳥類がこの辺りで羽根を休めている筈なのだが、あの独特の不気味な鳴き声がこれっぽっちも聞こえないとは一体何事かと勘繰ってしまう。


 その影響か普段なら聞こえる煩わしい合唱は何処へやら……という違和感と、一抹の寂寥感が去来し、それは魔法の森での暮らしに慣れてしまった私への当て付けとも受け取れた。



「……」



 息を潜めて耳を澄ますも、やはり彼らが発する鳴き声が一声も聞こえず無音のみが空間を占める。……どうやら只事ではない事は確実だ。


 そうなると考えられるのが最初からこの辺りの木の枝に羽根を休めていないだけか、もしくは────逃げたか、怯えて隠れているの何れか。



「…………」



 前者なら有り得なくない仮定。しかし後者だった場合──仮にも私が姿を見せたから身を隠しているという可能性も捨てられなくも無いが、私がこの辺りに足を踏み入れる前から森の中は静寂であって、彼らが羽ばたく羽音さえ皆無だった。


 だとすれば私以外の何者かが私が来る前にこの森に訪れ、それを見てフクロウ達はおののき逃げおおせた──、という推測が脳裏に浮かび上がると、自ずと紙袋を抱える腕に自然に力が篭り、周囲に目を配らせて警戒し始める。


 比較的安全な木の上で休めるフクロウを含んだ鳥達が逃げる理由を挙げるとすれば、天敵となる地上を徘徊する類の生物が迷い込んだという可能性が高い。


 木の上は鳥達の園ではあるものの、その危険性を覚悟の上で獲物を求めて時折飢えた生物……主に肉食動物が魔法の森内へ進入しようと試みるも、その多くがキノコの瘴気で進行を阻まれ引き返すなんて事は珍しくない。


 だがその例外もある。それは瘴気が皆無な箇所から進入に成功して、幸先良く獲物を見つける事。ただしそれが成功する確率は低く、入り込んだのはよいものの餌は見付からず森の中で右往左往して遭難、結果、脱出が叶わぬままキノコの瘴気で幻覚に惑わされたまま餓死なんて末路も然程珍しくない。……第一、食料となるのは鳥だけであり、大型の獣には精々小腹を満たす程度、狩場にするにせよリスクに見合わないのだ。


 そうなると夜鳥の気配が無いのは、迷い込んできた獣から逃げた説が濃厚か。尤も、獣よりも更に性質の悪い妖怪や妖獣が彼らを追い掛け回された可能性も拭えない。


 後は悪戯目的ないし退屈しのぎに妖精に追い掛け回されている説も思い浮かぶも、何はともあれその状況だとすると、それ等の餌が逃げられて諦めた獣がその矛先を……いや牙か……を私に向ける可能性が高いので、荷物を抱えている現状襲われては厄介なので足早に家に向かおうと意識を切り替えた瞬間────小さな物音を耳朶が捉えた。



「音……?」



 紙袋の中の荷物同士が擦れた音かと錯覚したが、その割には音が遠く、更に一定の間隔で断続的に聞こえる。耳を澄ませて音の発信源を探ると、音源は紙袋──からではなく、ちょうど視界の先に群生する、私の背丈の半分も無い藪の辺りからだ。


 現在の魔法の森の中は静寂に包まれているので、微かな音だけでもやたら目立つ。もし私の思惑通りだとすればあの藪から届く音は獣や妖怪が隠れてる、或いは近付いてくる音……かもしれない。


 その考えがよぎるや、私は身構え、夜鳥達を散らした相手の正体を見てやろうと前方を注視していると徐々に音は近付いて来、それに合わせて藪が小刻みに揺れ続け、最後に大きく揺れたかと思うとそこから姿を現したのは────1頭の獣だった。



「? ……ッ! ■■■■……ッ!」



 身体を震わせて草を払う仕草を見せた獣は最初は悠然としながらも草葉を踏みしめて周囲を見渡していたが、私達の姿を視界に認めると大きく唸り声を上げて、四肢で佇立する体勢から前屈みへと変えた。こうなってしまうと多少なりとも刺激を与えようなら、今にも私達に襲い掛かりかねない。



「……」



 ……どうやら危惧していた展開になってしまったようだ──、と内心で嘆息して、こちらも警戒しつつ獣へと対峙する。


 月明かりを頼りして獣の正体を体躯からして野犬……否、オオカミ? の外見と酷似しているのでオオカミと認識するも、その様子はどこか危険そのもので、キノコの瘴気に犯されたのかは定かではないが、やたら興奮状態で息は荒く、鋭利な刃物を髣髴させる犬歯が生えた口からは涎がだらり、と垂れている……気がする。


 オオカミならば極限状態まで飢えない限り、人間を襲うなんてことは滅多に無い。人間がオオカミを様々な観念で位置付けているように、オオカミだって様々な観念で人間を捉えているだろうから避けたがる筈だ。


 だがここは幻想郷であり、観念や意志を以ってしても魔法の森を例とした環境や人間、そして妖怪といった未知の驚異に常に脅かされている事だろうから、その範疇に留まる事自体が生存競争の上位に鎮座出来るかは専門家ではないにせよ、猜疑的になってしまう。


 オオカミとはイヌの祖先となっただけに聡明な動物だ。そんな賢い動物が危険を承知で、わざわざ魔法の森に赴くなんて事はよっぽど飢えていたのだろう。


 しかし今の季節は獲物を狩るのが困難な厳冬でもなく、餌として鳥を狙うにせよ相性は最悪。そもそも空腹を満たすには不釣り合い過ぎるのだが……



「まさか……」



 魔法の森には鳥類の他にも暮らしている存在がいる事を想起した。稀有な水源地とされる玄武の沢に生息するカエルといった両生類や、その森で暮らす物好きな自称魔法使いの人間の少女と────魔法使いの私自身の事を。


 だとしたら眼前のオオカミは最初から私、或いは魔理沙を狙って此処まで来た……?



「……面倒ね」



 何とも厄介だと表情を顰める。まさかの大物狙いで森の中に入るとはなんとも無謀で、勇猛と履き違えた蛮勇かと眼前のオオカミに感嘆すると同時に、呆れの念が沸く。


 それを承知で私か魔理沙を糧にする気で赴いたとすれば、獣にしては随分と度胸のある行為だ。危険性の高い狩りは本能的に避けるものばかりかと思っていたが、オオカミという動物への認識を改めた方が良さそうだと考えつつ、飢えたオオカミに対峙する。



「……」

「■■ッ!」



 ……うん、唸り声を上げるその姿は紛う事なくオオカミだ。


 ──頭頂部から鼻先にかけて窺える大きな裂傷跡と、瞼が切れているのか虚ろな瞳の大きさが左右非対称で歪な形相、唇は刃物で刻んだかの様に裂け歯牙が剥き出し、身体を覆う被毛の至る所の皮膚が剥き出しになって焼け爛れている点──、を覗けば。



「フクロウが怖がるわけだわ」



 容貌から考察するに長い月日を経て変化した妖獣の類とも思ったが、魔力や妖力的な気配は微塵も感知出来ない。それどころか体格は飢えていそうな割には痩躯ではなくむしろ大型で、それに比例して四肢も太く、がっちりとしている。


 その所為で面持ちもさることながら、普段遠目にするオオカミの理性や愛嬌のある姿とは正反対で、全く以ってモフモフのしがいが皆無である点が残念でならない。



「■■■■ッ!」

「ッ!? ~ッ!」



 私の眼差しに含まれていた侮蔑的な感情に察知してか、オオカミもどきは大きく咆哮の声を上げて私へと威嚇し、■■はそれに慄いて私の背後へと回り込んで隠れてしまう。



「■■、この程度で怯えないの」

「~ッ」



 背後に隠れる■■を宥めつつ眼前のオオカミもどきの対処方法に思考を巡らせる。



「さて、この場合だと……この方が手っ取り早いかしら」



 刺激するのは逆効果かもしれないが、光弾を1発放って追い払う方法が一番手っ取り早いと判断した。


 こちらの方が力量が上だという印象を与えれば早々と諦める筈だ。勿論、それだけで退くような気配なんて微塵も感じないので、そうなったら更に数発撃ち込むか文字通り吹き飛ばすだけだ。


 吹き飛ばす場合匂いやら諸々が服に付着しなければいいなと楽観しつつ、対処の目処が決まると私は右手をオオカミもどきへと振りかぶり、まずは威嚇の意味を込めた、なるべく加減した魔力弾を放とうとして────



「■■■■ッ!」

「■■……ッ!」



 ──唸りと共に、新たに現れた複数のオオカミもどきに動きを止めた。



「……最悪」



 差異はあれど同じ姿をした醜悪なオオカミもどき達に表情を顰めて舌打ち。群れから離れた一匹狼と高を括っていたのが外れ、さらに凶悪そうな仲間まで連れているときたのだから当然の反応だ。


 こうなってしまうと加減して追い払う方法ではなく、見せしめ1頭を粉砕した方がいいかもしれないと物騒な事を思案しながら紙袋を再び抱え直す。



「■■──ッ!」

「! しっ──!」



 その一瞬、オオカミもどき共を尻目に紙袋を抱え直したのを皮切りに咆哮を上げて大きな口から覗く鋭利な犬歯を武器に、目聡く攻撃を仕掛けてきたのは最初に私の前に現れたオオカミもどきだった。


 勿論それに気づかぬ私ではなく、組み伏せられまいと後方へ跳躍すると同時に飛び込んできたオオカミもどきに光弾……手加減した魔力弾を1発だけ放つ。



「■■■──ッ!?」



 暗闇を玲瓏に照らす月光とは異なる明色の光弾を受けて、不気味で興奮した咆哮から一転してオオカミもどきは甲高い悲鳴を上げて、地面に叩きつけられる。



「■■■■ッ!」

「■■■■……ッ!」



 そしてその様子を見守っていた他のオオカミもどき達も、私へと更に敵愾心を向けて大きく唸る。



「まだ私を襲うというのなら、これより痛い目に遭うわよ?」



 空いた手を中空に構え、こちらを睥睨する獣達にそう語りかける。この行動自体が無意味かもしれないが、中には言葉を理解する種族もいるのでやっておいて損はない。



「■■■■……ッ!」



 オオカミもどき達は一瞬だが、顔を逸らして互いに視線を交わす。しかしすぐさま視線が私宛に戻し、尚相変わらず威圧的な感情が混ざっていることから、彼らなりの短い会議の結果どうやら私の言葉は受け入れてくれないようだという事を悟る。


 だがお陰で仮定であれ、動作からして私の言葉とその意味を理解する事が出来るという知能を最低限有している事を知れただけでも良しとするべきか。──或いは、ようやくありつけた獲物である私に固執しているだけなのかもしれない。



「■■……ッ!」



 数歩ずつ間合いを詰めてくるオオカミもどき達。今度は単体ではなく複数同時に襲いかかってくるつもりだろう。しかし生憎とその手の類の対策にも手馴れているから、その行動は無駄に終わるだけ。とは言っても、これも先程と同様に光弾を放つだけの簡単な作業をこなすだけだが。


 問題点を挙げれば地形が劣悪で、ここが魔法の森ということだ。この辺りは比較的薄めだが瘴気が漂っていることには違いないので、時間との勝負だ。だからこそいい加減早く決着をつけねば私自身が危ない。



「! ワンッ!」



 その時だった。暗闇で判断はしかねるがほんの僅かに険しかった表情は若干和らぎ、オオカミもどきの1頭が穏やかな声音で小さく吠えたのは。


 その姿はさながら家族、仲間……、或いは飼い主と出会って嬉々として安堵したかのような感情や表情に似ており、突然の変化に私は怪訝になって動きを止めしまった。



「? 一体な──」





 ──その時だっだ。私の背中に強い衝撃と、激熱が迸ったのは。





「かはっ──!? 」



 背後から突如として襲い掛かって来た強引に抉り削がれる感覚と、それに伴う熱と強い衝撃の反動で息が詰まる。


 併せて何が起きたのか理解するのに思考が短い時間を要し、刹那に停止していた意識が現実に戻った瞬間、熱は強い痛みを発して背中を強烈に刺激する。



「痛──ぅっ!?」



 強烈な激痛で絶句し明滅して滲む視界と遠のきかける意識。気を抜けばその場に倒れかねない身体を踏ん張って強引に視線を衝撃が掛かった背後に巡らすと、



「────」



 …………いつの間にやら……輪郭からして人型の体躯、頭部と思しき位置からは紅い双眸を覗かせる大きなモノが佇立しており、その姿を認めた瞬間、私はその存在の手で負傷した事を理解した。


 ……気配は今までなかったのにどうやって私の背後に回り込めたのだろうか……? まさかあの妖精みたいな能力を持った相手なのかと疑問が噴出したが、今は──



「こ──のぉっ!」



 歯を食いしばって憤りの念を込めた、オオカミもどきに放つ筈だった光弾を背後に向けて大きく振りかぶって解き放つ。痛いだけでは済まない魔力を凝縮した光弾だ、そのまま受け止めればただでは済まない。


 すると背後の影は危険と判断したのか腕を掲げて顔へと放たれた光弾を防ぐも、その腕は光弾の威力に耐え切れず大きな音を立てた。



「■■■■────ッ?!」



 着弾と炸裂──そして鈍い音と共に人型のソレから上がった悲鳴は居合わせるオオカミもどき達や人間とは異なる、歪で高音域と低音域が混合した二重の声音。


 生者が発するとは思えない耳をつんざく、おぞましい金切り声に痛みで感覚が占めているというのに、私の背筋は戦慄に震えた。


 ──だが、今ここでその声で立ち竦んでいる場合ではない!



「……持って、行きなさいっ!」



 身を翻し、その反動でもうヤケクソだと言わんばかりに紙袋の中身をオオカミもどき達に向けてばら撒き、すかさず牽制用の光弾を扇状に数発放つ。



「■■ッ!?」



 一連の私の動きにオオカミもどき達は怯む。その隙を逃さず、私は一気に奴らの間を駆け抜ける。



「■■、急いでっ!」

「~ッ!」



 スカートのポケットから小瓶を取り出し、その中身を空中に散布する。中身は自前の追跡防止用の魔法の粉だが、視覚における痕跡までは誤魔化せない。その為柔らかい土と草、枝と葉等に注意を払わなければならない。


 しかも背中が痛む他に湿っている……恐らく出血している? ……ので血痕にも注意を払う必要があるから、そちらも注意を払う必要がある。



「■■──ッ!」



 背後から響くオオカミもどき達の遠吠え。このまま追跡してくるかもしれないから、遠回りで家に帰った方がいいかもしれない。


 それまでに背中の傷を外気に晒し続ける事になるので、そこから雑菌……ここだと胞子が危険だ……が入らなければいいのだけれどと懸念し、2つ目の魔法の粉入り瓶の中身をばら撒きつつ暗い森の中を一心不乱に駆け続けた。





       ◆





 懐中時計を取り出すのも手間だけれど、体感的にあれからほんの僅か程度しか時間が経っていないと思う。


 だというのに背中に疼く痛みの影響で長く感じられ、さながら永劫の感覚を味わっている気分だ。



「もうっ、大丈夫……かし、ら?」



 痛みを堪え、呼吸を整えながら木に寄りかって背後を振り返る。目に反映されるのは歪な形状の木々と草と岩、そしてそれらを暗色に染める夜の帳の景色だけで、それ以外の存在は私の目には見えない。


 ……幸いにもあの歪なオオカミもどき達は何故か私を追ってはこなかったらしい。


 魔法の粉が効果を発揮したと喜ぶべきだが、私のこの状態を踏まえゆったりと尾行しているかもしれない。……なので入念に簡素な探知魔法を行使して周囲の気配を探ってみるが、反応は皆無だった。


 恐らくはあの人型の負傷が原因で踏み留まっているのかと勘繰るが、その辺りは所詮推測の域でしかない。



「……!」



 汗を拭い、頭を上げると視界の先に見覚えのある輪郭が見えたので、倒れまいと痛みに震える足に力を込めて一気に距離を詰める。──そうすることで、ようやく見慣れた愛しの我が家が見えてきた。



「………っ」



 家を目に捉えた途端、すかさず懐から家の鍵を取り出す。隣に浮かぶ■■も予備の鍵を持っているが、依然荷物を抱えたままなので必然的に私が開けるしか無い。


 家に着く。ドアの前に佇み、鍵を……開かない…………開かない………………開いたっ!



「……■■!  清潔な布とお湯、針と糸を用意して──っ!」

「ッ! ~ッ!」



 ドアを解錠し、強引に開け放って一気に居間までなだれ込むやいなや、安堵するよりも先に普段よりも荒い口調で■■に命令を伝え、彼女が部屋の奥へと一目散に飛び去る後ろ姿を見送る。


 その傍らで、彼女の手では足りないだろうから指を動かして他の人形達にも似た指示を与えると、ようやくその場に膝をついて小さく呻く。



「っ!? うう……っ」



 勿論指示したもので背中の激痛を抑えられる筈が無いことは承知している。治療が済んだら痛みを紛らわす鎮痛剤も必要になるだろう。


 問題なのはその薬の有無だ。無かった場合竹林まで足を運ぶのが非常に億劫だし、人形達にお使いを頼んだら、あのオオカミもどき達が道中襲ってくるかもしれない。


 最終手段としては飲酒だが、血の巡りが良くなって出血が増えかねないのが難点だ。……あ、消毒用に蒸留酒も用意しておくべきかと私は指を動かす。



「もうっ、最悪……っ!」



 全く、襲われるわ怪我を負うわ荷物は放り出すわ、更には痛みのお陰で今夜は嫌な夢を見そうだ。

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