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03-12/もう1人の猩紅 Pt. 5

「────むぅっ」

「お、どうしたんだ。それと紅茶おかわり」

 

「アンタにあげる茶なんて元から無いわ。…………どうやらこの結界の反応だと、ネズミが紛れ込んだようね」

「そりゃ本当か? なら駆除しないとな。私の本の為にも」

 

「その前に私は白黒衣装の泥棒ネズミを最優先に駆除したいんだけど、よろしくて? それと、ここの本の持ち主をなんだけど」

「あ? 白黒衣装てここのメイド長の事か? まあネズミっぽい髪の色だし神出鬼没でなりふり構わずナイフ投擲して本に穴を開けたりもするもんだから、至極当然の措置かね~」

 

「…………あの娘は──留守かしら、或いはサボりか……」

「きっと『あの子はいつになったら外出するのかしら?』とあまりの悲しみと心労がたたって、自室で嘆きの言葉を吐きに行ったんじゃないか?」

 

「私はアンタが原因で心労が募ってるわ。……やれやれ、人がいないんじゃ私がネズミの御尊顔を拝みに行くしかないわね」

「面白い事になりそうだから私もついてくぜ」

 

「勝手にしなさい。全く、黙々と読書に没頭したいってのに、なんで厄介事ばっかり起こるのよ……」

 

 

 

 

       ◆

 

 

 

 

 ……階上の廊下で耳朶が捉えたあの心地良い風と緑葉の合唱は響かず、ひたすら静寂のみがこの空間を支配している。

 

 重苦しく息苦しく、あまりの静けさに物音はおろか呼吸音や口から声を漏らす事さえ自然と躊躇う。この静けさは心なしか聖堂の雰囲気そのものに連想させ、神聖な儀式を取り仕切る司祭の言葉によって自然と口を慎んで傾聴せざるを得ない、厳然な空気で内包されてるかのようだ。

 

 ただしここは図書館であり、教会や諸々が嫌う吸血鬼の住処の館でもある。そんな所には勿論聖堂──あるかもしれんが──なんてものはあらず、司祭の姿なんてこれっぽっちも無い。

 

 第一、吸血鬼は宗派によっては背任者とも弾劾された挙句、迫害ないし排斥されている位だ、レミリアがそんな連中を紅魔館に受け入れる可能性は低い。

 

 そのような思念が浮かんだのは、それだけこの図書館の空気と雰囲気が聖堂のそれと似ていたのだ。どちらの施設も多くの人が出入りするので静かに利用しましょう……といった共通のマナー、けばけばしい内装以外を除けばそれ以上の深い意味など無い。

 

 つまり何が言いたいのかというと、俺が佇む図書館内はそれだけ粛然と言った喩えの具合なまでに静まり返っているのだ。風の吹き荒ぶ音も耳が捉えないし、人によってはこの沈黙は不気味とも汲み取れ、騒音も皆無なので人によってはさぞかし安堵に満ちた空間と思う事だろう。

 

 俺の場合は後者に該当する。この静謐な空気は嫌いでは無く、むしろ好きな方だ。しかしこれから起きる事態を想像すると、この環境は自身の心情を更に尖らせ、冷静になるどころか次第に焦燥の感情に走らせて判断を曖昧ないし不安にさせかねないから、尚更沈黙の最中で心神を維持し続ける事自体が難しい。

 

 万事心は平時に非ず、心は常に天秤の秤と同胞であり同義────。若干の事と次第の変化によってはどちらかに傾倒しかねんという比喩と皮肉を含めて、前述の言葉は成る程なと意にかなっているなと自己納得。

 

 ──が、今は沈黙に圧されて焦れて困惑してるより、今後の予定の通りの為にも平常心で彼女の到着を待ち受けていた方が最善の判断であることは無難だ。

 

 

「……」

 

 

 目を伏せて耳を澄ませば、自身の内部にて活動する臓器の鼓動が反響し、意識すればこの空間が完全に沈黙していない事を示唆している。だがこの閉塞した世界ではこの心拍音以外に自身の息吹しか存在しないことを悟らせている事にも他ならず、心神にぽつりと突如芽生えた不安の因子を助長させる事は間違いない。

 

 

「すぅ…………っ」

 

 

 再び自身の心身を落ち着かせる為、静かに息を吸う。──口腔から気道を辿り、新たに肺に吸い込まれた空気がやたらと冷たい。……もとより思えば時間帯は夜で、その冷気にあてられれば冷えるのは必然的か……。

 

 俯かせていた顔を上げ、図書館の天井を見上げる。天窓から差す瑠璃色混じりの月光の照明の効果もあって単色では無いものの、それでも依然と闇一色に染まっている事に大差無い。

 

 

 首の角度を高くして更に天井を見上げるが、本棚の上部もその夜の帳に呑まれてっぺんを拝む事は望めない。

 

 この屋敷の住人はあれだけ高い場所にまで何故本を収納しているのやらと疑問を抱いたが、空を飛べる事と図書館自体が広大だというのを想起して多少納得。

 

 

「…………」

 

 

 だが空を飛べない者……俺とか……にとって、あんな高い場所まで登って本を見つけなければならないのは最早苦痛に過ぎない。──否、苦痛じゃ生ぬるい。拷問といった方がしっくりとくるな。

 

 読みたい本があったけど高い所にしまってあるから届かない。脚立があればいいんだけども、この図書館に脚立が無かったらどうしよう……、といった懸念が多少渦巻いたが、現時点では読書をしている暇と時間は殆ど皆無。

 

 あとは…………せいぜい本棚の上部、特に薄暗い箇所の一角で一部の影が若干盛り上がってる違和感を除けば、これといって見るべき物は無い……と悟り、観察終了。

 

 

「…………はふっ」

 

 

 体内で濁って息苦しくなった空気を吐き出す。その傍らで、これも同じく不安を紛らわす為万事に備えて両手の開閉動作を繰り返して、固くなった指の筋肉を入念にほぐす。

 

 その柔軟運動を無言のまま何度か繰り返し、強張った指の筋肉が柔らかくなって来たと判断した頃────広大で静謐な空間にて唐突に鳴り響く、トントントン、という単調な物音を、耳朶が捉えた。

 

 

「────」

 

 

 不意に静寂を打ち破る一定間隔の物音に指の柔軟運動を中断して、正面の通路を見据える。

 

 断続的ながらも、重心の掛かった重みのある音──間違いなく足音の類と確信する。

 

 素材が木製、石、タイルと比較すると、カーペット上におろした足から発生する足音は何故これ程なまでに滑稽な音に変化するのだろう? 石やタイルだったら踏み鳴らしただけでも足音がこの広大な空間に反響して木霊すが、カーペットの場合、床の素材が生憎緩衝材なので耳朶に届く足音は全くと言ってもいい位、殆どが吸収されてしまっているのが主因なのは過言ではない。

 

 しかしながらこうして何度も耳にしてその他の素材と比較すれば、カーペットという素材は騒音とは無縁で転んでも怪我をしにくいという利点が垣間窺える。だがこの音は距離感が掴みにくいのが難点でもあり、同時に侵入者の足音を聞き取り辛くも汚れやすいという欠点を持ち合わせている。

 

 ……が、それでもこの足音の正体の主は間違いなく俺を追ってきた彼女であるのは断言出来、俺の感覚を自然と昂ぶらせる。

 

 

 

 

 トントントン……。

 

 その足音は同じ間隔で遠く遠く、次第に近くで、鳴り響く。

 

 トントントン…………。

 

 その足音は同じ間隔で近く近く、次第に耳元で、鳴り響く。

 

 

 

 

 足音が徐々にこちらへと近付くにつれ、重圧が増し、只でさえ息苦しい空気が重苦しく沈む。

 

 本棚の遠くの物陰から一筋の光が差し込む。その数は最初は1つのみだったが少しずつ増えていき、数は1つ、2つ、3つ……7つと────全部で14つと増した。

 

 色はそれぞれ7色の色彩を放ち、その輝きはまさに暗澹とした夜の世界を照らす光明の星屑の様……。

 

 暗澹とした世界に、暗澹とした瑠璃色の照明は何故斯様なまでに妖艶なのか……。挙句、その色を払わんと我を誇張する14つの水晶の照明の輝きは、何故斯様なまでに歪なのか……。

 

 陰と陽、光と闇、……その掛け合わせで眼前の光景は一瞬にして、妖しい虹の光を放つ異色の世界へと変貌す。

 

 

「──っ」

 

 

 途端に薄ら寒い感触が背中に奔り、声を漏らそうになるが堪える。腹を括った手前だ、ここで動揺の感情を滲ませて溜まるものかと口腔内に溜まった固唾を静かに飲み込む。

 

 心地良い静寂の空間を徐々に破壊する、トントントン──とした一定の歩調音。

 

 ……やがて佇立する俺が目を向けている通路の先……薄暗い本棚の影……の影がゆらりと蠢くや人の輪郭を形成し、そこから天窓越しに注ぎ降る闇夜と蠱惑で怖くもある幻想的な色遣いの淡い月光を纏い、朧気ながらも燦爛で透き通った虹色の光を背負いながら、

 

 

「見ぃ~つ~けたっ」

 

 

 瑠璃と漆黒の闇夜を背負いし紅と、金と、虹色の翼をもった彼女────フランドール嬢が姿を現した。

 

 

「……っ」

 

 

 正面に現れたフランドール嬢を見据える。焦らず、思考はなるべく冷静に……、感情はなるべく冷淡に──。後は手筈通りに事を進めれば────

 

 

「やっほ! 狡猾なヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手で妖精メイド投擲足早紳士おぎなりっ!」

「…………はい?」

 

 

 ……ええっとフランドール・スカーレットお嬢様……、案内された室内でお聞きになりました「ヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手な紳士」よりも、格段と文字数が増えてるんですが?

 

 

「……そ、それはなんだ?」

「うーんとね、おぎなりと会った時の印象からこの図書館に来るまでの私なりの評価を全て総合した、私なりのおぎなりへの印象だよ。こうして聞くと超ながーいながーいでしょ?」

 

「……だな」

 

 

 朗らかな表情で語るフランドール嬢の、開口一番の思わぬ発言で呆然としながらも俺は生返事を返す。

 

 俺自身へと向けた眼差しから汲み取ったにせよ、フランドール嬢は中々面白い観察力と洞察力で見なして俺を評価をしてくれた。

 

 傍から聞いてる分には何とも奇妙な印象だ。まあ今までの行動を思い返した総合の結果に導かれての感想ならば、少女らしいっちゃ少女らしく……所々言葉遣いが大人っぽい点を除けば……、追跡しながらも委細に渡るまでよく見ていたものだと感心せざるを得ない。

 

 

「……?」

 

 

 あれ、単に俺の行動を全部くっつけただけでは……?

 

 

「……あれ? ところでお人形さんは?」

「ん? 上海? 上海なら…………愛想尽かされて別行動中」

 

「え、えっー! いつ、どこで別れたのっ!?」

「今しがた、ここで。はあ……」

 

 

 懐疑から驚愕の反応を返した彼女の訊ねに、俺は落胆とした仕草で静かに答える。

 

 そう、フランドール嬢の指摘通り俺の傍に上海の姿は無い。俺が背中に隠している訳でも無く、本当に俺の傍に居ないのだ。

 

 ──────俺の傍に、は。

 

 

「隠してる訳じゃないよね」

「ああ。ほらこの通り……」

 

 

 フランドール嬢の尤もな疑惑を証明する為俺はゆっくりと横にずれ、そこで身体を一回転して背後に上海を隠していない事実を証明させる。

 

 

「本当に居ないね……。あーあ……これもおぎなりが不甲斐無い所為だね」

 

 

 落胆の感情を包み隠さず口から漏らし項垂れるフランドール嬢。自身の好奇心を刺激した存在が忽然と姿を消したのだ、憮然とした態度になってしまうのは至極当然の反応だ。

 

 そこですかさず、落ち込んでいる彼女に向かってゆっくりと言葉を放つ。

 

 

「で、その代わりなんだが……」

「その代わり……何?」

 

「こんにゃくなヒペもしゃきゃみもぴゃにょおしぇじぇ醤油でよっつぇんメンドあしっぱやとうててすうぃんしおじなり────の俺と、遊ばんか?」

 

 

 フランドール嬢が俺へと宛てた長い印象の台詞をそっくりそのまま、新たなる提示と一緒に言葉にする。

 

 

「………ちゃんと言えてないよ」

「…………」

 

 

 ────結果、ご覧の通り殆どの台詞を噛んでしまい、何を言ってるのやらさっぱりな台詞に変換されてしまったのでフランドール嬢に呆れた眼差しを向けられた。

 

 

「す、すまん……」

 

 

 謝罪の言葉を告げる傍らで、俺の胸中は忸怩たる感情で一気に占領された。昔から長い名前を発音するといつもこうなのだ、だから俺はやたら文字数が多い名称と名前やらが大嫌いなのだ。

 

 

「でも……まあいっかな」

 

 

 考え耽るように頬に指を添え、虚空を見上げたフランドール嬢は暫時思案するかと思いきや、あっさりと俺の提案を承諾してくれた。

 

 

「……いいのか?」

「うん、ずっと私が追いかけてるってのは退屈に変わりないし……」

 

「ならそれで。じゃあどんなのがいいかな……」

「ふっふっふ~。虚を突いて──鬼ごっこ!」

 

「……鬼ごっこは抜きで」

「え~。また鬼ごっこでいいじゃん!」

 

 

 止めようと言った途端にまた鬼ごっこなんぞ洒落にならん。勿論フランドール嬢の提案は即刻却下。

 

 

「ここに来るまでの疲れで体力が限界なんだ。だからすぐに終わる遊びを俺から提示したいんだが、どうかな?」

「……ふぅん。どんな遊びをするの?」

 

 

 却下の理由を付け加えて会話を再開させると、不満げながらもフランドール嬢が静かな声音で訊ねてくる。

 

 ……よし、感触は多少物足りないが関心を向けられた。後は予定通りの会話に誘導すれば、こちらとしては充分だ。

 

 

「遊びのルールと内容は簡単だ。俺が君に触れる事が出来たら、この遊びは終了だ」

「え? それだけ? それじゃあ鬼ごっこと大差無いよ?」

 

 

 提案を述べるが、至極尤もな疑問を指摘するフランドール嬢。接触する点では鬼ごっこと大差が無い。だがこれには逃げ回ったり鬼が代わるという概念が存在しない、単に触れるだけという単純明快な遊び。

 

 ……無論、猥褻行為に及ばない範囲に絞るつもりだ。

 

 

「じゃあ他にどんな遊びがいいかな?」

「うん? えーっと、じゃあ…………おままごととか?」

 

「ほお」

 

 

 おままごとか。安全面を配慮……目的を果たせれば……すると、それも悪くない。

 

 

「私が品行方正で、旦那様一途な奥さん役で~……」

「うん」

 

「おぎなりが……妻の私に黙って、何人もの女性をこっそりとはべらせて、不倫している旦那様の役~」

「うんう──待てい」

 

 

 頷きかけた言葉を途中で遮る。あの、フランドール嬢? おままごとをするにしてはやけに歪で複雑な人物設定なのですが。

 

 

「何なんだその旦那様役?」

「うん? 私が考えたの。傑作でしょ?」

 

「いや、その……なんでそんな設定?」

「はぁ……おぎなり、鏡で自分の顔見てそれ言えるかな? ヒゲもじゃ髪もじゃの所為で、どこからどう見ても凶悪そうな面だよ?」

 

 

 呆れたといった具合にフランドール嬢は嘆息を漏らしつつ、俺の外見で旦那様の設定を決めたと解説を始めた。

 

 

「…………」

 

 

 彼女の言葉を聴いて、無言で頬に伸びたヒゲをゆっくりとなぞる。……廊下で遭遇した巡回中の妖精メイド達にも驚かれたが、こうしてあどけない少女──いや、吸血鬼なんだけども──に真正面から屈託無い表情で言われるのは相当堪えるな。

 

 別に意図も無く、他意も無く俺を貶している所存ではないかもしないが、これもフランドール嬢が俺に対して抱いていた感想なのかと思えば思う程、なにかと寂しい感情が胸中を染める……。

 

 

「…………でっ、でも」

「……うん?」

 

「でもでもっ、私が執拗に追い掛け回したりするもんだからおぎなりも疲れちゃってるんだよね? だったらその遊びでもいいかなー……なんて?」

「……いいのか?」

 

「うんっ」

「それは……有り難い」

 

 

 憂いだ気分に陥った俺に、説明を区切って間髪入れず慰めの言葉を投げ掛けるフランドール嬢。その機敏な対応に沈み込んだ感情が幾許か安らいだ気分。

 

 人に非ず、冷酷とも蔑まれる吸血鬼であれど配慮の心まで持ち合わせてくれるとは、中々に良心的な感情まで持ち合わせている。それとも子ども故に持つ独自の鋭敏な反応のお陰なのか。

 

 

「えっと、おぎなりが私に触れられれば勝ちって事だよね」

「ああ」

 

「でもその条件だけじゃ私が不公平じゃない?」

「それもそうか。……うん、なら俺よりも早く触れられたら君の言ったおままごとをしてもいいぞ」

 

「えっ、ホントにっ!? やったぁ!」

 

 

 至極尤もな指摘だ。彼女の言葉通り、提案した遊びの内容だと俺だけしか得をしないのだから、これ位の条件を妥協してやらねば彼女も不満だろうし流石に不公平だろう。勿論俺位の年齢の男が年柄でも無い遊戯だから躊躇いがちにもなるものの、おままごと自体の概念にはそもそも害意は無いので一応良しと判断した。

 

 俺が先にフランドール嬢に触れれば遊びは終わり、逆に俺が負けた場合……フランドール嬢が先に俺の身体に触れる……彼女が提案したおままごとで遊ぶ──というルールの下、これで交互の不満も少ない勝敗条件の構図が成立した。

 

 敗北した時の条件には気恥ずかしさに多少渋ったものの、負けたとしてもリスクが少ないし、鬼ごっことは違って体力は使わないからこちらとしても悪くない敗北時の条件だ。

 

 ただ彼女が考案した設定のおままごとだと…………何だろう、一見無害に見えるも神経がすり減って、嫌な末路しか脳裏に浮かばない。

 

 

「……」

 

 

 浅慮故の誤った判断……それを後悔しながら、小さな吸血鬼少女の手によって腹部に刃物を突き立てられる光景が脳裏に映る。──いや、いやいやいや、おままごとだからそんな事は実際に具現化しない……筈。

 

 しかしこうして許諾してやらねば「なぜそんな遊びの内容なのかと?」という疑問を触発しかねない手前、こうでもして相手が喜ぶ好条件を加えて回避させておかねば、先に述べたとおりの不可解な点を悟られるだけ。

 

 だがこれで言質は取れたも同然。後の展開の予想では俺の口頭が全て屁理屈と貶される確率が高いも、俺は一言一句も嘘は吐いていない……つもりだ。──が、それ以前に心中ではあどけない少女を騙す罪悪の念と良心の呵責が苛ますが、これも事態を収束させる為だと自身の意志に何度も言い聞かす。

 

 実行すればフランドール嬢に認識されている『狡猾』の言葉は最早撤回不可能。そして彼女が俺に対して嫌悪の念を抱くことは確実と断言してもいい位必然的。

 

 仮に上手く成功しても結果としては完璧に悪役の立ち回りになってしまうがこの相貌だ、フランドール嬢や妖精メイドの言葉通り悪人にはおあつらえ向きには違わないし否定もしない。

 

 第一、過去の経験を反芻すれば……今更だな。

 

 …………さて、物語の主人公にあやかった偽悪ぶった悪人の仕事を始めようか。

 

 

「じゃあここにいる連中で早速その遊びを始めるか」

「うん。……って、ここにいる連中は私とおぎなりしか居ないよ?」

 

 

 フランドール嬢が俺の言葉を訝しに思い、首を傾げる。

 

 

「……」

 

 

 あどけない眼差しと表情を向けられながらの、尤もな疑問。……だが俺はその質問には答えず、無言を貫く。

 

 

「……おぎ……なり?」

 

 

 その態度に怪訝を覚えたフランドール嬢は俺の名前を不安気に呼ぶ。

 

 

「…………」

 

 

 短い一拍の間。その間を置いて、俺はゆっくりと口を開く。

 

 

「それは────どうかな?」

 

 

 自然に振る舞う様に視線を巡らせて天井の暗闇を一瞥、退屈を持て余すかのように襟に巻いたネクタイの結び目を右手の指先で弄りながら、

 

 

「よーい、ドン」

 

 

 独白にも聞こえる小さく、感情の起伏も抑揚も無い呟きを玲瓏に紡ぎ、遊戯の開幕をそっと知らせた。

 

 

「え──っ?」

 

 

 それに対してフランドール嬢は俺の突拍子な発言に呆気に取られたが、遊びが始まったんだと即座に理解して気を取り直す。

 

 

「え、えっと始まった……だよね? なら……」

 

 

 躊躇いつつも彼女が一歩前に踏み出す。しかし俺は沈黙を噤んで身じろぎもせず、その場にじっと佇む。

 

 

「……」

 

 

 ……無意識に自然と肉体と感情が、憤りにも似た感覚で高揚する。

 

 体内の血脈を巡り流れる血潮は普段の深山の流水を彷彿させる穏やかさは何処へやら、奔流を維持したまま堰き止めている感情の壁を決壊させようと波打つ。

 

 血流は怒涛の濁流へと勢いを増し、それはやがて全身に循環して感情を高揚させて意欲的に彼女と対峙せよと促させる。

 

 漠然とした力量の差にかしましくも本能が畏怖、自衛、逃走の感情を鳴らす。どれだけせっつかれても現状に於いては特段焦る必要は無く、動じる必要も無い。

 

 だからといって迫り来る彼女を相手に悠長に突っ立ってる訳にもいかない。自制……、今はひたすら自制に徹して、囃し立てる感情に楔を打って耐えるのみだ。そうすれば……、そうすれば好機は必ず訪れる……。

 

 

「……!」

 

 

 視界──フランドール嬢の頭上高くに、何かが映る。

 

 闇夜に紛れて正体が判別し辛いが、瑠璃色の照明のお陰で見破ったその正体は四角い形状の──本だ。それも1冊ではなく、数冊にも及ぶ本棚の雨だ。

 

 ──いや、雨というよりは落下しているといった形容が適切か。

 

 元来の薄暗さに加え、夜の帳の影響で装丁は視認は困難。だがページ数が多く、せいぜいどれもこれもがやたらと分厚いという事だけは認識出来た。

 

 本来の概念の定義に当て嵌まる水気を帯びた液体による降雨ではなく、当たり所によっては酷い痛みを被る固体の落下だ、そんな物を望んで享受する者はまず居ないだろう。

 

 

「うん? 何か……うわっ!?」

 

 

 案の定、頭上から落下してくる存在を鋭敏にも察知したフランドール嬢はふと頭上を見上げ、数冊の本が落下する光景を視認するや驚愕に目を大きく見開き、即座に左腕を高く掲げた。

 

 間を置かずして彼女の手中から夜空に煌めく明け星の光明にも劣らぬ、眩い円形状の光弾が放たれる。

 

 その小さな光弾は1つでは無く、落下している本の数と同数かそれ以上の……幾多もの多彩な色彩の光が暗澹とした虚空に一気に舞う。

 

 片や空を舞う幾多の光弾、片や空を落ちる幾多の本。高くから落ち、高みへと昇る相互の物質は互いに吸い寄せられ、虚空半ばで遂に接触。

 

 破壊──炸裂音が暗澹とした図書館内に木霊す。光は着弾と同時に霧散するようにして爆ぜ、対象の分厚い装丁の本らは見るも無残な形に爆砕して引き裂かれる。

 

 光弾によって砕けた本の一部は若干ながら原型を留めているものの、それでも尚完全に形そのものを根本から破壊することは叶わず、狭い空間にて大量の分厚い装丁の破片、文字を綴った紙片の吹雪を撒き散らす。

 

 闇と瑠璃と紅のみ空間を垣間の刹那だけ四季の一端、白銀の世界の一縷に彩って。

 

 

「え────わぷっ!?」

 

 

 自衛の為にと破壊した本が仇となり、自らが招いた頭上から降り注いだ紙片の雨に顔を覆われて、慌てふためくフランドール嬢。

 

 無論、それを黙って見過ごす俺ではない。フランドール嬢と俺との距離はおおよその目測で約十数歩分。迅速に彼女の間合い……懐に入り込めれば、後はこちらの軍配が上がったも同然だ。

 

 

「……っ」

 

 

 散乱する紙片に戸惑うフランドール嬢の反応を見て即刻、本棚からあらかじめ取り出し易い位置に調整した本を右手で1冊掴み、彼女へと目掛けて一気に駆け出す。

 

 風の抵抗を避ける為姿勢は低く、なるべく低く……フランドール嬢の背丈と同等に、低くして。

 

 

「こ、これって一体……って、あっ!?」

 

 

 十数歩先に佇立する彼女が俺の接近に気付く。そして反射的に本を吹き飛ばす際に掲げていた左腕を素早く俺へと向けると……逡巡する感情を紅い双眸に滲ませたがそれをまばたき一つで振り払うと……、例の脅威である光弾を無音で手中に生ませ、一直線に俺へと目掛けて放つ。

 

 光弾の数はたった1発。されど威力は折り紙つきの危険な代物、当たり所次第では最悪只の怪我だけでは済まない。だからフランドール嬢は俺へと光弾を1発しか放たなかったのだろう……。

 

 恐らくは俺の足を止める、威嚇の効果を狙っての判断。追いかけっこの際に散々俺がその光弾の危険性を認識しているという前提での、たった1発のみの光弾……。

 

 ────だから、今回はその裏をかく……!

 

 

「……!」

 

 

 フランドール嬢とその彼女の手から飛翔する1発の光弾を見、駆けだした直前に掴んだ本を眼前へと差し出す。結果、視界が本によって埋もれ、前方を見通せないのは言わずもがな。

 

 ──だがそれもほんの僅かな刹那の時、1冊の本によって覆われた視界は一瞬にして砕け、再び暗い図書館の景色とフランドール嬢の姿を明瞭に映し出す。

 

 

「ちっ……!」

 

 

 盾代わりの本が光弾に被弾、爆砕して通路に紙片を散らばした。砕けたのと同時に、本の残骸が顔に当たらぬ様瞬時に頭を下げ、傍らで左手を振るう。

 

 ……想像以上の光弾の強い威力と衝撃に爆砕した本を掴んでいた右手に痺れが奔り、自然と表情が痛覚で歪んで口からは舌打ちが零れた。

 

 正気の沙汰とは到底思えない暴挙の行為。最悪、指が吹き飛ぶ覚悟をしていたつもりだが指先は幸運にも無事繋がっており、感覚も痺れたというのもほんの一瞬程度ですぐに消え失せた。

 

 後はこのまま作戦を継続し、威勢を崩さず、一気にこのまま駆け続けてフランドール嬢へと更なる接近を試みる……!

 

 

「おっ……おぎなりっ!?」

 

 

 光弾を本で防ぎ、疾走して肉薄する俺の姿にフランドール嬢は目を大きく見開き、慌てふためく。

 

 彼女の反応は至極尤もだ。そもそも壁や床を穿つ破壊力を有する光弾をたかが分厚い装丁の本1冊を盾代わりにして防いだのだ、平静を保ち、驚くなという方が無理な話だ。

 

 そして自身が誇示するであろう攻撃手段が思いもよらぬ手段で防がれた……というのなら、尚更衝撃は強く、尚更驚愕は隠せない。

 

 

「こ──こ……、このっ!!」

 

 

 瞬時に表情を引き締めるや、空いていた右手をこちらに向けて光弾を放つ構え。

 

 

「……っ!!」

 

 

 目測からして、俺とフランドール嬢の間は既に大股歩きで2歩分辺りか……。本の落下に本の盾で、これ位の距離が稼げたなら充分と言ってもいい。

 

 ……ただし、仮にこのまま間合いに入り込めたとしてもフランドール嬢の光弾で俺が吹き飛ばされる光景は想像が容易い。一瞬の、それもほんの刹那で、だ。

 

 片や殺傷能力の高い飛び道具がある吸血鬼少女、片や何も持たず吶喊している人間の男。状況次第でも、客観視すればどちらに利があるかなんて論じなくても過言ではない。

 

 本の盾はとうに爆散し、身を守る手段は最早皆無。突進こそすれど、今度こそフランドール嬢は光弾を1発撃ち込んで威嚇すれば俺が立ち止まると予測済みの筈。誰だって痛い目に遭うのを御免こうむるのは、生者にとっては誰しもが持ち合わす感情であり、そして何より急速接近する存在を止める為には、如何なる手段を選ばないのも当然の反応……。

 

 

「…………」

 

 

 ……だからこそ、その隙を狙う。

 

 1発目の光弾を予想外の形で防ぎ、なおも肉薄しつつある者に再び光弾を浴びせる体勢を───!

 

 

「ふ……っ!!」

 

 

 左手首をしならせて腕全体を伸ばし────結び目を作ったままのネクタイの輪っかを対峙するフランドール嬢が差し出した右腕、右手首に引っ掛ける。

 

 従来の用途では首に通して巻く輪っかが、上手い具合にフランドール嬢が迎撃の為にと真っ直ぐ腕を差し伸ばしていてくれたお陰で見事に引っ掛かってくれた。要領は類似点があるものの、祭りの出店に見かける輪っか投げでもそうそうこの通りの様には上手くいくまい。

 

 

「え────えぇっ!?」

 

 

 突如、自身の右手首に巻かれたネクタイにフランドール嬢は堪え切れず、動揺の言葉を漏らす。眼差しには先程押し込んだ驚愕の情念が再び露呈し、向かう視線はいつの間にか現れたネクタイに釘付け。

 

 そして何より驚いているのは、俺が「いつ、ネクタイを外した」という謎かもしれない。

 

 ──だが考えさせる猶予を与えるつもりは一切無い。

 

 

「──っ!」

「わぁっ?!」

 

 

 急停止し、意識が傾いている最中にネクタイを外側に強引に引っ張ると、抗う事も無く彼女の右腕も同じ方向へと向く。そして手中にて顕現化した光弾が間を置かずして本棚に着弾、炸裂──。

 

 耳をつんざく爆発音と共に本棚自体及び、そこにしまわれた本とがバラバラに引き裂かれ、無残な形に成り果てた。

 

 

「ひゃんっ!?」

 

 

 光弾を発射した張本人のフランドール嬢も至近距離で光弾の爆発に驚いて、思わず可愛い悲鳴を上げる。

 

 

「っ! ──くっ!!」

 

 

 脇目で本棚の惨状を一瞥し、内心で冷や汗を掻く。……危なかった、後少しでも彼女の手首にネクタイを引っ掛けるのが遅れていたら直撃は免れなかっただろう。

 

 ネクタイの引っ掛けに失敗した場合こちとら回避しようにも前や横に跳躍したらでこの勢いだ、回避は出来ても前方に転倒、もしくは本棚に頭をぶつけかねない……。

 

 破片が通路に舞い、本棚と本の破片が頬に擦れる。感触は微々たるもので怪我する程度では無いが、不快である事には違わない。

 

 顔を覆わず表情のみを顰めつつ、仕上げの為ネクタイを握る手を強く手前まで牽引し──すかさず手放す。

 

 

「え……な、何っ────?!」

 

 

 急激な力に引かれ、一瞬で解放されたフランドール嬢は体勢を維持出来ず前のめりによろける。

 

 重心の傾け次第によるが、範疇外の出来事の連発に臨機応変に体勢を変化させる事はこのような事態に遭遇しない者にとって、安々と身につく習慣でもないので意外と難しいものなのだ。

 

 今回それが俺に好機として功を為したのは過言ではなく、勿論利用する算段であるのも過言ではない──。

 

 

「きゃっ?!」

 

 

 転倒を防ごうと腕を本棚に伸ばして支えようとするもフランドール嬢の腕は届かず、結果、自身の体躯を支えられず彼女は前方……俺へと目掛けて倒れかける。

 

 ……本来ならその姿を見たら即座に身体を支えてやるのが人道的なのだが、俺はその身体を支えてやらず、間合いを詰め、虚空を掠めて前に差し出された彼女の右手首のみを瞬時に掴む。

 

 

「っ……、すまない」

「えっ? おぎな──」

 

 

 俺の右手は向かって彼女の左手首を高く押さえ付け、左手も同様に相対する彼女の右手首も押さえた。

 

 そして……酷だが……、この時点最大の懸案事項である飛翔をされる前にフランドール嬢の身体をこのまま本棚際に叩きつけるようにして、一気に押さえ込む……!

 

 

「ふぎゅん……っ!?」

 

 

 体勢が崩れていた影響で、あっさりと無抵抗なままフランドール嬢は拘束された。その際フランドール嬢の口から息が漏れ、表情は小さく歪む。

 

 恐らく肺に充満した空気が本棚に叩きつけられた衝撃で逆流し、耐え切れずに息を口腔と鼻孔から苦痛混じりの呻きと共に吐き出したのだろう。

 

 

「……っ」

 

 

 やはり少女……女性の痛みが発する声をこの耳で聞くのは嫌なものだが、今更この場に及んでまで罪悪感を募らせても仕方がない。

 

 彼女の肌に強く握った跡が残らない様優しく握り締め、両手は本棚に高く掲げたまま押さえつけ、不意打ちの蹴撃対策に両足の間に俺の片足を滑り込ませる。

 

 可能な対策はこの程度で、後は……やはりこの位か。吸血鬼相手にここまで思った通りの段階まで簡単に持ち込めたことは歓喜すべきだが、作戦終了を知らせる最後の言葉をフランドール嬢に告げなければならない。

 

 ……嗚呼、後味が悪いったらありゃしない…………。

 

 

「……お、俺の勝ちだな」

 

 

 騒乱のひと時は一瞬で過ぎ去り、静寂な空気に再び内包された図書館でフランドール嬢の両手を掴みながら俺は若干どもりつつも、ゆっくりと自身の勝利を告げた。

 

 平静に装った表情の裏腹に、自身の心境を鎮痛の感情に染めながら。

 

 

「……」

「…………」

 

 

 フランドール嬢の帽子がずれ、静かに頭頂部から足元へと滑落した。叩き付けた拍子に位置がずれたのだろう……。

 

 俺は勿論の事フランドール嬢の両手を拘束しているので彼女の帽子を掴めず、なすがままに視線だけで追って落下を見届ける。

 

 帽子によって覆われ、今しがた露出したフランドール嬢の頭頂部はサイドポニー同様に、感慨深い黄金の小麦畑の景色を彷彿させるそのもの。ただ残念なのは、日中ではさぞ美しく映えろう金紗の髪が夜の影響で瑠璃と闇に染まり、その魅力を大きく削いでいることだ。

 

 しかしその黄金はまるで何者にも妨害されず燦然と我を喧伝する月の光そのもので、その光沢は闇を以てしても完全に覆う事は出来ない。

 

 

「…………」

「………………」

 

 

 至近距離で俺とフランドール嬢……、俺が見下ろし彼女が見上げる構図で両者の視線が交差する。フランドール嬢は俺の勝利の言葉に反応を返すどころか無言で俺の双眸を見据え、その深紅の眼差しには憤怒の感情がちらつく。

 

 気まずい空気に緊迫した雰囲気を纏うフランドール嬢……。こんな手荒な手段だ、彼女の反応は至極当然といえよう。そして何より容姿が斯様に幼い彼女を欺瞞の言葉で騙し、詳細なルール説明も述べないで騙し討ちをしたこちらにも罪がある。

 

 釈明するつもりも弁解するつもりも無い、彼女に追及されたら自らの咎を肯定するのみだ。

 

 

「……嘘つき」

「すまん」

 

「……大嘘つき」

「ごめんなさい」

 

「……超嘘つき」

「申し訳ございませんでした」

 

 

 押さえ付けられた体勢の開口一番、憮然とした面持ちで端々に憤怒に含んだ咎めの言葉を俺に吐き出すフランドール嬢。

 

 それに対して俺は否定もせず、抑揚も無い、謝罪の言葉をひたすら返すのみ。

 

 

「今度から狡猾なヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手で妖精メイド投擲足早紳士おぎなり、じゃなくて、狡猾なヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手で妖精メイド投擲足早ホラ吹き演技派系詐欺師兼少女乱暴拘束紳士おぎなり、って呼んでやるもん」

「……随分と文字数が増えたな」

 

 

 早口にまくし立てる俺への印象は、息継ぎなしで言うには最早困難な長い文字の羅列だ。これには言葉通り俺への当てつけと皮肉を込めているに違いないが、よくもここまで言葉を思い付いて並べられるもんだと感嘆の意を送りたくなった。

 

 

「行動を省みなさいよ。…………それにそこのお人形さん、別れてないじゃん」

「傍にはいなかったろ?」

 

「単に私が見えない範囲にいただけじゃない。これが大人の屁理屈ってものだね……」

 

 

 言い放ってフランドール嬢は視線を僅かに横へと逸らし、いつの間にやら俺の背後にて空中に浮かぶ彼女────上海人形をその紅玉の瞳に映す。

 

 

「ッ!? ~ッ」

 

 

 剣呑な眼差しを帯びたフランドール嬢の睥睨に上海は慄き、身を大きく竦めて俺の背後へとしがみ付いて隠れてしまった。……まあ先程の行動を反芻すれば、彼女が怯えてしまうのも無理もないか。

 

 

「……あれ? 別れたと思ってたお人形さんが案外すぐ傍にいて、1人だけのおぎなりが提案した遊びが始まった直後に頭上から本が落ちてきたってことは……つまり…………」

「ああ、アレ──本が落ちてきたのは上海の仕業だ」

 

 

 上海の所在を確認する為に自問自答するフランドール嬢の回答を、俺がゆっくりと紡ぐ。

 

 フランドール嬢が図書館内……俺達の前に現れる前に、上海に頼んだのは合図を出したら本棚の上から本を数冊落とせという指示。

 

 彼女の目的が依然上海の確保に残されていた場合、俺に同行していては危険性が高いままなのは当然の事実であり、単独で行動するのも然り。

 

 だが上海には俺と違い空を浮かぶことが出来、体躯も人間と比肩するまでもない位矮小という最大の長所……体躯は本人を前に流石に口には出来ないが……を備えている。

 

 そして今回、彼女のその長所を活かして此度提案実行した『フランドール嬢を拘束して上海を諦めさせる』という作戦に於いて、本棚の上……フランドール嬢の頭上に適当に本を落とせという役割を頼んだのだ。

 

 ……ただ、落とす本の数が1冊どころかちょっと多すぎた気もしなくもないが、結果としてはご覧の通りだから全て良し……?

 

 

「『ここにいる連中』……てのは、つまりこういう事なんだね」

 

 

 フランドール嬢は遊びが始まる前の俺の発言が俺と、フランドール嬢、上海の3人を含めた故の発言という事を理解した。

 

 

「その通りだ。だが彼女……上海を責めないでやってくれ、本を落とせと直接指示したのは俺自身だからな」

「…………そうは言うけど、故意が無くても本が私に当たってたらどうするの?」

 

「当たらない様光弾を放ったんだろ?」

「光弾? ああ、うん……その通りだけど、……でも女の子を危険な目に遭わすのは紳士としては最低の素行だと思うよっ!」

 

 

 単純にも聞こえ、巧妙に仕組まれた会話内容と行為に納得がいかないと眉を吊り上げて激昂の感情を漂わすフランドール嬢。俺の口車に乗った挙句の末路がこの有様では、自然とその面持ちになるのは仕方ない。

 

 

「それは悪いと思ってる。だがこうでもしないと君が上海に手を出すんじゃないかと思った故の暴挙だと自覚している。それだけは理解して欲しいんだ……」

 

 

 優しい声音でフランドール嬢に諭す言葉を語りかける。図書館内で再び邂逅した際に交渉で上海を諦めてくれと説得出来た可能性があったかもしれない。だが交渉にせよ彼女が俺の話を聴かない可能性も少なからず否定できない以上、それが起因故の──恐怖心故に生まれたこの経緯だ。

 

 ここまで及ぼしておいて相手に遠慮するとは如何なるものか。しかも相手は吸血鬼、外見の容姿は幼い少女でもされど、中身は異形の異端の吸血鬼。幸運にもここまで接近して会話を持ち込めたにせよ、俺が彼女に対して攻撃的手段を行使して神経を逆撫でに刺激している事には間違いないのだ。

 

 

「……」

 

 

 対して俺の言葉にフランドール嬢は無言、深紅の双眸を俺から逸らして顔ごと小さく俯く反応のみを返す。

 

 言葉や表情にも感情が僅かに露呈しているものの、拘束されているにしてはやけに冷静に振る舞う彼女の姿に俺の内心では畏怖の念が小さく蠢く。

 

 押さえ付けている相手が相手の手前、こうして肉薄している最中に平静を維持せよという事自体無理難題な話だ。現に作戦成功の嬉々とした感情なんぞ一片たりとも湧かず、こうして彼女を拘束して交渉に持ちこむのは早計だったかもしれんという憂慮と、作戦は上手くはいったが実際には彼女を刺激して裏目になってしまったのではないかと、今更後悔の念が押し寄せている位だ。

 

 対策は施してはいるが強靭な力を持つ種族だ、激昂させるには充分な条件が揃っているからこの程度の対策なんぞ簡単に振り解き、勢いに生じて抗いうも空しく放り投げられるやもしれぬ。

 

 ただでさえ剣呑で一触即発しかねない雰囲気……。しかしあろうことか、フランドール嬢から返ってきた言葉は思いもよらぬ言葉だった。

 

 

「……興醒めしちゃった」

「うん?」

 

「気分的にもういいやって思ったの。おぎなりはお人形さんを守りたかったんだよね?」

「あ、ああ……そうだが?」

 

 

 フランドール嬢の言葉に俄かに戸惑うも、小さく首肯で答える俺。

 

 先程までフランドール嬢が纏っていた張り詰めた雰囲気は一瞬にして霧散し、垣間見えたあどけなさに相応しい抑揚とした感情と好奇心も一気に沈殿した模様……。

 

 

「……?」

 

 

 一体どういうことだ……? 静まり返った空間に妙に静まり返ったフランドール嬢……、先程の状況とは打って変わって別の気まずい雰囲気が俺と彼女の間に漂う。

 

 

「なら遊びはおしまい。鬼ごっこもおままごとも本日は終了。…………だから」

「……だから、何だ?」

 

「早いとこ足どけて欲しい、かな」

「…………あ」

 

 

 胸中は不可解なフランドール嬢の豹変した態度に困惑する一方だが、いつまでも女性……いや少女か……の両足の間に足を入れたままでは折角の転機を反転させて不信感を助長させかねないし、正直この体勢は張本人である俺からしてみても罪悪感極まりなかった体勢なので彼女の言葉は好都合だ。

 

 蹴り対策を警戒して滑り込ませた片足をすぐさま退き、彼女の両手も一緒に離して解放。そのまま害意が無い事を彼女に証明する為、即座に一歩後ろへと退く。

 

 

「悪気は無かった。それとやましい事も持ち合わせていない」

「わかってる、わかってるよ? 悪気が無いってのはおぎなりの話を聞いて把握してるしし……」

 

 

 本棚に挟まれた閉塞的な通路の中央で俺とフランドール嬢は向かい合い、口早に弁明の言葉を説く俺に対して彼女は平然な態度で答え、先程まで俺に握り締められていた両手首をゆっくりとさする。

 

 

「ああ、手首は痛くないか?」

「ちょっと赤くなってる気がしなくもないけど……うん、大丈夫、かな?」

 

 

 手首は強く握ってはいないので痣は残らない筈。だが心配なのは、背中を本棚に強く叩き付けたからそこが痣になってないかだ。

 

 その辺りは流石に男である俺が診る訳にはいかないので、屋敷の住人──特に女性──に診てもらうしか他ない。

 

 

「……そういえば、ネクタイっていつ外したの?」

「ん? 外したって……最初からだぞ」

 

「え? でも首に巻いてあったのに…………あっ」

 

 

 フランドール嬢が依然手首に引っ掛かったままのレジメンタルのネクタイを指摘し、次に俺の襟元に目を向けて呆気に取られた声を上げる。

 

 

「……シャツに捻じ込んでたんだ……?」

「ああ。だから息苦しかったんだ」

 

 

 シャツの一番上のボタンを留めて襟を詰め、そこに本来首に通すネクタイの輪っかをシャツと首の間に押し込んだのだ。後は位置を調整すれば、照明も無く星明かりと月光だけが頼りの薄暗い空間では実際に首にネクタイを回してるかなんて身近で凝視しなければ視認は困難だろう。

 

 それをフランドール嬢に接近中、本を盾にしているほんの一瞬の間に空いている左手で首から素早く抜き取ったのだ。お陰で喉が擦れて先程から痛いったらありゃしない。

 

 

「ズルい」

「見破れなかった方が悪い」

 

「むっ! そ、そんな事言ってると有る事無い事吹聴しちゃうもんねっ!?」

「どうせヒゲもじゃ~髪もじゃ~、とかだろう」

 

「違うもんねっ!」

 

 

 狡猾だと非難されても、それを簡潔な俺の一言に全てを一蹴されたフランドール嬢は即座に否定の言葉を上げて、頬を膨らませるや、

 

 

「正確には狡猾なヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手で妖精メイド投擲足早ホラ吹き演技派系詐欺師兼少女乱暴拘束紳士おぎなりから、超狡猾なヒゲもじゃ髪もじゃのお世辞上手で妖精メイド投擲足早ホラ吹き演技派系詐欺師兼少女乱暴拘束紳士おぎなり、って呼んじゃうもんっ!」

 

 

 ──などと、手首に巻かれたネクタイを外して手に取り「納得いかない!」と、幼い容姿に似つかわしく自身の怒りを主張するかの様に腕ごとぐるぐると振り回しながら言葉を放つ。

 

 

「……」

 

 

 ……あの、1文字増えただけで全く遜色ない気がします、とは勿論口にはしない。

 

 

「ほら、帽子……」

 

 

 前述の理由の為、新たに追加された印象には何も答えず、屈んで床に落ちたフランドール嬢の帽子を拾って差し出す。本来なら彼女本人が拾うものだが意識が俺へと憤然を向ける事に傾倒してるので、そこまで気が回ってないといった素振りなので俺が拾う羽目に。

 

 

「えっ──、あ、うん…………有難……う?」

 

 

 唐突に帽子を手渡され、先程の言葉を遮り思わず唖然とした声音で俺に感謝の言葉を送るフランドール嬢の態度から察するに、やはり自分の頭部から帽子が離れていた事は全く気付いていなかったようだ。

 

 しかしながら拘束から解放された直後で、最早悪印象しか残らない警戒対象の相手から私物の帽子を手渡されたんだから当然の反応か。少なくとも無害であることを証明するための無意識の行動か、何故他人の私物の帽子を手に取っているのやらと自身の行動に内心嘆息。

 

 

「じゃあ私も。はい、コレ」

「ん……? ああ、有難う」

 

 

 帽子を受け取った傍らの、もう片方の空いた手でフランドール嬢は俺にネクタイを差し出す。俺はそれを受け取って首には巻かず、そのままスラックスのポケット内に無理やり押し込む。

 

 

「ッ! ~ッ」

 

 

 ネクタイを押し込んだ直後、背後で上海が何やら訴えかけた反応をした気がしなくもないが、振り返るのが億劫なので無視を決め込む。

 

 

「あれっ、着けないんだ」

「息苦しくてかなわん」

 

「ふーん。……で、どうするの?」

「どうするのって……、何が?」

 

 

 帽子を受け取り、頭に被せて位置を調整するフランドール嬢の先程の朗らかな表情は打って変わって突如不安げな面持ちへと豹変し、そこから唐突に紡いだ言葉に俺は首をかしげて怪訝に訊ね返す。

 

 

「これからの事を思うとね。……はあー……、私、おぎなりの部屋とか廊下とか……図書館とかを散らかしちゃったから……」

 

 

 自身の行動を顧みたのか、対面する彼女が顔を俯かせる。俺はその態度を見て彼女の心境を即座に理解した。

 

 

「……お説教だな」

 

 

 追いかけられてる最中、俺の後ろ姿目掛けてドアに床、壁といった具合に派手に散らかしてしまった光景を脳裏に反芻した。

 

 図書館の場合は俺にも一因……いや、そう誘導させた俺が原因……があるので他人事ではないが、それ以前の──フランドール嬢が逃げる俺に向かって幾多も放った光弾の着弾跡は叱られるだけで済む程度では無い。

 

 汚れ程度なら掃除すればいいだけの話だが、これはそれを上回って器物破損ときた。無論、汚れ落としよりも何倍も手間が掛かり、修繕の手が加わるのは過言ではない。

 

 で、その間にこの屋敷の住人の多くの手を煩わせる影響も考慮すると、必然的な処罰。──いや、説教だけで済むかも怪しいな。

 

 

「そーいう事。やっぱり叱られちゃうだろうね……」

「弁解すればいいんじゃないか」

 

「うーん……。でも、追いかけたのがおぎなり、屋敷に招かれたお客さんだから……」

 

 

 同じ前科が付いているのだろう、フランドール嬢の声音が更に沈む。まあ建前は鬼ごっこという名義だが、実際に行われたのは命に関わりかねない行為そのもの。で、その相手がこの屋敷の主人に招かれた俺だというのだから弁解しようにも流石に難しい、か……。

 

 

「ここにいてはなんだ、一旦廊下に出────」

 

 

 このまま考えていても埒が明かないと判断し、この場を離れてフランドール嬢を連れ添って誰かに事情を説明しようと口を開きかけ────刹那、うなじを引っ掻く、冷たくて痛々しい感覚に思わず身を震わす。

 

 

「……っ!?」

「どうしたのおぎ……きゃっ?!」

 

 

 声に発して危険を知らせるよりも前に、咄嗟の判断で眼前のフランドール嬢を本棚に突き飛ばす。

 

 ──それと同時に、側面から強い衝撃が俺の身体に襲い掛かってきた。

 

 

「がはぁっ!?」

 

 

 腹部に激痛が奔り、大きな呻き声が口から漏れる。それもやけに痛々しい音と視界の端で微かにちらついた閃光と共にだ。

 

 

「おぎなりっ!?」

「──ッ!?」

 

 

 衝撃は強く、俺の足は床を微かに離れて体躯はそのまま横へと──通路の奥へと吹き飛ばされ、受け身も取れぬまま床に2、3回転して横たわる。

 

 瞬時に上下に景色と視界が反転したのもほんの束の間、状況を理解する前に気が付けばうつ伏せに倒れ伏した俺の耳朶には突然の出来事に驚きの声を上げるフランドール嬢の声が響き、上海の驚愕した反応? ──が垣間見えたのみだ。

 

 しかし俺はそれらに応えられず、咳き込んだ呼吸をするのが精一杯だった。

 

 

「げほっ……ご……ほ……ごほっ!?」

 

 

 熱を発するように脇腹が痛い──。脱臼とは比較にもならない位の激痛──鈍痛だ。まるで鎚で殴られたような衝撃の余韻で腹部はおろか、打ち所が悪かったのか頭も痛く、呼吸までもが苦しい。

 

 まさかとは思うが折れた……? 確認したいところだが、激痛は思ったよりも肉体に打撃を与え、その所為で身体が思う様に動かないので確かめようがない。

 

 視界はぶれ、焦点は定まらず、景色は明滅を繰り返す。

 

 視界は浸透する。カーペットの紅が、夜の瑠璃色が……、闇が────血の色が、混濁した意識と視界を滲ます様にして占領する。

 

 

「けほ……っ」

 

 

 喉に詰まった息に思わずむせる。同時に視界に染まった景色に何て気持ち悪い配色なのだろう……と嫌悪と苦悶の感情が渦巻く胸中では、何故か冷笑の念が浮かぶ。

 

 

「……随分と大きなネズミね。しかも汚らわしい体裁で妹様に手を出して……」

「うわっ、フランに手を出すなんてとんでもない変質者だな…………って、コイツは──!?」

 

 

 腹部から発する激痛のお陰で感覚が麻痺する意識の最中、遠くで誰かの声が耳朶に轟く。前者は冷静ながらも激昂の感情を含みつつもそれを抑え、後者のもう1人は何かに驚いたようだった。

 

 その声の持ち主らの正体を確認すべきか。だが俺の身体は思考とは裏腹に微動たりとも動かず、せいぜい……、

 

 

「くそっ……たれ────」

 

 

 ……と、俺の腹部に光弾を放った相手に掠れた怨嗟の言葉を呟くのがやっとで、同時に、視界が急激に闇一色に反転して呑まれ、辛うじて保っていた意識もそれに併せて一緒に手放したのであった。

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