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03-08/もう1人の猩紅 Pt. 1

 ベッド際にある棚のガラスケースを開き、そこから適当に容器を選別して取り出す。容器は様々な大きさがあり、そこから俺が手にしたのは大きい白磁の洗面器。

 

 それを持ってテーブルまで移動するとその上に洗面器を置き、空いたグラスに水差しの中身を注いで水を満たすとそれを手にして適量を口腔内にあおる。

 

 無論飲み込まずに口の中に含んでゆすぎうがいをし、上海がいるのでもう片方の空いた手で口元を隠して洗面器に吐き出す。

 

 その行為を2、3回繰り返した後、口を何度か開いたり閉じて口腔の感触を確かめる。

 

 

「……よし」

 

 

 多少違和感はあるが苦味は殆ど取り払え、ようやくすっきりできた。こんなことをしなくても──あくまで可能性だが──化粧台の引き出しを漁れば歯磨剤と歯ブラシは見つかるだろうが、そこまで借りるにも抵抗があるのでこの場は口をゆすぐだけにしておく。

 

 うがいで吐き出した水は捨てようにも部屋を見渡すが、室内には洗面台はおろか、配水管も無いのでこのまま置いておくしかないようだ。

 

 テーブルから離れ、着替える為にタンスの前に移動する。

 

 間近で見た黒塗り……近くで観察すると黒い材木で作られている……の洋服タンスは紅魔館の外観と内観と同じく、風格が漂い年季を感じさせる作り。しかし紅魔館のあの奇抜というか、独特過ぎる色が派手である手前、残念ながらその色は埋没してしまい印象的には映らない。

 

 それでも材木に用いられているのは質感から推測するに、恐らく黒檀……しかも上質な……で、屋敷の規模さながら富貴な品格が窺える。

 

 早速どんな服が収納されているのかという好奇心に押されつつ、洋服タンスを開けてみる。

 

 

「……」

 

 

 ……そういえば紅魔館に入ってから一度も男の姿を見なかったが、もしや……と内心不安に思いつつ躊躇いがちにタンスのドアを開けてみた。

 

 が、どうやら俺の考えは憂慮だったらしく、洋服タンスの中には男物らしき服がハンガーで吊るさ────

 

 

「は──っ?!」

 

 

 ありました…………メイド服が。

 

 それも十六夜が着てたのと同様のデザインのメイド服が、タンス内の端っこで異様な存在感を醸して。

 

 

「え……あ?」

 

 

 ……だが何か違和感がある。多少困惑しつつもよくよく観察してみると、そのメイド服はスカートの丈が足首まで長いので、その点のみを除くと十六夜や擦れ違った妖精メイドが着てたメイド服とはほぼ同一の仕様。

 

 それ以外にタンス内をよく見てみればハンガーで吊るされている衣服は男物とメイド服、後は厚着のコートやベストのような物しかなく、他に置かれているのは革靴とベルト類のみ。

 

 だというのに着替えにしては上質過ぎるその衣類にここは客室なのか、それとも紅魔館の就労者用の私室なのか? ……と訝しみ、今一度記憶を反芻させて十六夜はここを客室と語っていたので、この部屋の用途は確実に前者で間違いない様子だった。

 

 

「……」

 

 

 なら何故に客室にメイド服? メイドさんの格好をして寛げ、というサービスの一環なのか? しかし現にタンス内にメイド服があるということはつまり、そういう事なのだろう。

 

 退屈紛らわしにメイド服を着るか、普通に男の服に着替えるか────。

 

 

「…………」

 

 

 というか、単純に性別を配慮して別々の着替えを用意してあるだけかもしれん……

。そう願いたい……。

 

 

「? ……ッ?!」

 

 

 硬直した俺の姿を不審に思ったのか、様子を見に来た上海が洋服タンスの中を見ると俺と同様、その身体を硬直させる。

 

 まあ当然といえば当然の反応かもしれない。俺自身、何でメイド服があるんだという事に疑問を感じているのだ。

 

 

「……」

「……」

 

 

 俺と上海は互いに目を合わせ、「何で?」と疑問の視線を送る。しかし上海は俺に答えることはなく、俺も上海に答えない。

 

 この場合、どう解答すべきか窮する。というか見つからない。両者共々疑問を投げ掛けているのだ、解答しようにも互いに疑問を交わしているので言葉が見つかる筈があるまい。

 

 しかしよくよく反芻してみると紅魔館の廊下には十六夜と妖精メイドという……女性しか見掛けなかったんだから、メイド服が置いてあるなんてのはやはり当たり前なのかもしれない。

 

 ──となるとやはり、男物の服自体が珍しいという事であり、同時に紅魔館では男は雇用してない……という答え。

 

 仮に紅魔館が男子禁制の職場だとしたら、何で男物の服があるんだとまたしても疑問が浮上し、延々と思案していても押し問答になりかねないので、結果、

 

 

「……俺は何も見なかった。何も」

 

 

 このまま硬直していても埒が明かないのでメイド服は見なかった事にして、男物の服を取り出し、タンスのドア裏側に付いてる鏡に照らして身体に合わせてみる。

 

 服は映像や活字、漫画等の媒体に登場する執事がよく着ているような服で、黒の燕尾ジャケットに黒のスラックスの上下一式の組み合わせ。


 寸法も俺の背丈に合わせてあるかのように丁度良く、まるで最初から俺の寸法を測っておいて、それに基づいて用意しておいたような、そんな感じ。

 

 しかしながら、この服の寸法が俺に合っているか否かはまだ判断するには早急であり、結局着てみないとわからない事には変わり無い。

 

 

「……あ、シャツ」

 

 

 ジャケットとスラックスの中にシャツが無かったので探してみると、タンスの外側下段に引き出しがあったので、服を一度中に戻して引き出しを引いてみるとそこには案の定、色とりどりのシャツ類と肌着、それと靴下類。

 

 そこから白無地のシャツと肌着を選び、またタンスにあった革靴とスラックスの色は黒なのでそれに合わせて黒い靴下を見繕う。

 

 さて、着替えるにしても上海がいるのでいきなり脱いだら猥褻行為極まりないだろうし、上海に外で待ってて貰うべきかと一瞬思案して視線を巡らすと、タンスの脇、死角にあたる位置に立て掛けられた衝立があったのを発見。

 

 衝立は厚みがあるの見る限りでは折り畳み式で、不鮮明でも向こうが見えるように曇りガラスやステンドグラスなんてのは貼っていないので単に板のような外見。

 

 だが、その木目はニスを塗布でもしてあるのか若干光沢があり、俺の背丈よりかどうかは正確性に欠けるが数センチは高く、これを使えば着替えの心配は無さそうだ。

 

 

「はて……?」

 

 

 ……それにしても廊下から室内を確認した際、何故衝立に気付かなかった? と不思議に思って自身に疑問と自問。

 

 その理由は恐らく余程疲れが溜まっている所為で、観察力が鈍っているからであろうと推測するが今は考えるのも野暮な気分なので、早速使わせて貰う事にする。

 

 

「悪いが上海、暫くテーブルの方にいてくれ」

 

 

 テーブルに指を差して移動を促すと上海は小さく頷き、素直にタンスからテーブルに移動する。

 

 それを見届けた俺は立て掛けられた衝立を広げ、上海と部屋の入り口側からこちらが見えないのを確認すると衝立の上にシャツと肌着、靴下、スラックスを引っ掛けた後、シャツのボタンを外す。

 

 全てのボタンを外し、シャツは着替え終えた後に畳む事にしてそのまま床の上に脱ぎ捨て、次に靴と靴下を脱ぐとそのままズボンも脱ぐ。

 

 身体は若干心地冷たい感じがするが、濡れてはいないので単に外気で身体の表面温度が下がっているだけと思われる。……が、それでも早めに温まった方がいいことには変わらないので早速衝立に引っ掛けたスラックスを手にして履いてみると、ウエストは意外にも緩かった。

 

 2年もの間不規則な生活を送っていたのでてっきり腹回りに贅肉がついてるものかと思いきや、俺の腹はむしろ昔よりも細く目に映る。

 

 今は細くなってしまった細い腹部は多少ながらも昔の隆々しさがその名残というべきか鍛え上げた余韻が窺え、反面、衰えて衰弱しきった痩躯な病人の腹にも見えなくもなく、どちらかと比べると圧倒的に今の俺の腹回りは後者の腹部に近い。

 

 

「…………」

 

 

 そういえば現在に至るまでの数年、今では治まってはいるが俺自身拒食の反応があった影響で、栄養のある物を摂取しようにもする事も叶わず、特に肉類は見ただけで強い吐き気を催して口に含んだだけでも嘔吐感が嫌でもこみ上げ、全く胃が受け付けなかった事が多かった。

 

 それでもゆっくりと時間を掛け、現在ではある程度の食事は食べられるように戻ったがやはり吐き戻してしまう事がしばしば。

 

 しかしその症状が幻想郷に来てからは一度も無いので、今のところ小康状態といった具合で本来なら安堵したいのだが、それでも油断ならないことには変わりない。

 

 

「ふむ……」

 

 

 喉を軟く摩りつつよく今まで生きていたな……とつくづく思いつつ、取り敢えずスラックスのウエストはベルトを借りて調整するとして、次にタンクトップ型の肌着を身に着ける。

 

 肌着はその役割上、身体に吸い付くように密着するが窮屈という事はなく、最後に白無地のシャツを手に取り、袖を通すとボタンを留める。

 

 

「こんなものか……」

 

 

 雨上がりの影響なのか、湿度が高くて肌に汗が浮かび、衣服に纏わり付く感触を覚える。なので少しでも涼めるように敢えて袖口のボタンは留めず、肘まで捲る。

 

 

「着替え終わったぞ」

 

 

 タンスの中から革靴、ベルトを取り出して、靴下をベッドの上に無造作に放り投げ、脱いだシャツとズボンをベッドの傍に纏めて置く。

 

 

「! ……♪」

 

 

 タンスのドアを閉めて衝立も畳んで元の場所に戻して、テーブルにいるであろう上海に顔を向けて声を掛けると、上海はテーブル傍の椅子に座って足を中ぶらりにして振っていたが、俺の声に反応するやベッドまで一気に飛来して、俺の周りをぐるぐると飛ぶ。

 

 

「? 何だ……?」

 

 

 上海の不可解な行動に動くの止め、疑念を抱く。上海は俺の姿を上から下まで眺め、首を左右に振っては浮かぶ位置を変えては同じ動作を繰り返す。

 

 

「~♪」

 

 

 動きに怪訝を抱いたが次第にその疑問は氷解し、どうやら着替えた俺の姿と格好を見て、何やら感想を探しているらしい。

 

 

「はて……?」

 

 

 上海に倣って俺も自身の服装を見渡す。

 

 俺からしてみれば、アリスが寄越した服と今着ている服は色も形もこれと言った遜色が無いので、どう変わったのかという印象は余り無い様な気がする。

 

 ──が、唯一異なっているのが今着用している紅魔館の服の肌触りがすこぶる良く、どんな生地を使っているのかはいざ知らないが、上質な生地を使っているというのが考えずともわかる程度。

 

 

「……!」

 

 

 そして俺を観察し終えると上海は何かに気付いたのか、身を翻してタンスの引き出しに向かい、そこに手を伸ばして取り出したのは黒色を基調とし、そこに白色の縞模様が交ざったストライプ──

 

 

「レジメンタル?」

 

 

 ──訂正、レジメンタルのネクタイを取り出した。

 

 ストライプとレジメンタルのネクタイは同一のストライプのネクタイではあるが、若干差異がある。

 

 ストライプはその名の通り特徴的なやや太めの縞模様が右上から左下へ流れているのに対して、レジメンタルはストライプとは逆に左上から右下へ縞模様が流れた作りだ。

 

 これは他人からの受け売りなのだが、何でもレジメンタルの縞模様は英国騎馬連帯旗にちなんだ柄で、その柄は隊ごとに決まった柄で制定されてたらしく、記録ではどうやら17世紀頃から存在していたみたいで、ストライプと縞模様が逆方向に流れている以外は何ら変わりないので、一見しただけではやはり違いを見分けるのは難しい。

 

 とは言えイギリス生まれのネクタイだから、中々に洒落ている。

 

 

「~♪」

 

 

 上海は俺の襟元に手にしたネクタイを当て、シャツに合っているか顔を近付けたり遠ざけたりの動作を繰り返す。

 

 

「えーと……、着けろってか?」

 

 

 怪訝ながら問うと、上海は「その通りだ」という頷く。どうも上海は俺の格好に合わせて似合うネクタイを見繕って着飾りたい──この場合、コーディネートか? ──らしいが、

 

 

「ふむ……」

 

 

 俺としては着けるのはあまり気乗りしない。

 

 ネクタイとは普段スーツを着る際と、その手の行事等の礼装にはおあつらえ向きの装飾品なのだが、軍人や警官といった職に就いている者にとっては首を絞められる事があるので、それを防ぐ為に金属クリップやベルクロ……マジックテープ……のネクタイを巻く。

 

 警備会社勤務時、俺もその手のトラブルに遭遇する場面が多かったので、勤務時には常にベルクロのネクタイを首に巻いていた。なので簡易的なネクタイは馴染み深い。

 

 しかしそれは拒否の理由にはならず、どのようなネクタイをしていたかというだけに過ぎず、ネクタイの装着を拒む最大の理由はここでネクタイを着ける意味が無いからだ。第一、着替えや靴の他に、ネクタイまで借りるというのは些か遠慮がちになってしまう。

 

 ネクタイが仕舞われていた引き出しに視線をずらすと、上海が手にしているレジメンタルのネクタイの他に、さまざまな色の無地柄とチェック柄のネクタイが仕舞われている。それに比べるとレジメンタルよりは地味な柄ばかりだ。

 

 

「無地でいいんじゃないか?」

 

 

 引き出しのネクタイに指で示すと上海はその指した先に振り返ってタンスの引き出しを見、俺に視線を戻すと小さく頭を横に振る。

 

 

「あ~……それがいいのか?」

「……ッ!」

 

 

 彼女は小さく頷き、ネクタイを更に前へと差し出す。

 

 

「…………駄目?」

「……」

 

 

 着けたくないという拒否の声を上げるが、上海は「駄目」と首を振ると更にネクタイを押し付けた。

 

 

「……」

 

 

 ……そんな風にされると断れようか? ──否、断れまい。

 

 心底拒絶の言葉を漏らせば拒否は出来ようが、そうなると流石に上海が傷付き、同時に俺自身後ろめたさで罪悪感が込み上げるだろうし……。

 

 

「…………」

 

 

 上海を見ると、彼女は俺がネクタイを受け取るのを待ち侘びている様子。その態からするなり、そのつぶらな瞳は期待に満ちた羨望の眼差しにも窺え、俺がネクタイを着けるだろうという確信にも見える。

 

 その姿を見て俺はというと、どうして女性というのはどんな存在であれどここぞという時は頑なで、毅然として、押しが強いんだ──と、内心舌打ち。

 

 

「……わかった。着けるよ」

 

 

 肩を竦めて観念したかのように言葉を吐き出すと、しずしずと上海からネクタイを受け取って広げる。

 

 改めて見たレジメンタルネクタイは、太い方の先端が見慣れている大剣の形をした、一般によく見られる基本型の幅タイの内の光沢が控え目のダービー・タイ。

 

 生地はラベルやタグがないので何で作られているのか判別出来ないが、ネクタイによく使われる生地であろう絹、羊毛、麻のいずれかに違いなく、手触りからするにこれも今着ている服と同じく上質な生地なんだろうな……と思いつつ、襟を立ててネクタイを首に引っ掛ける。

 

 そして大剣の方を長めに、子剣をへそ部分のやや上部辺りの長さに調整して、いざ結ぼうとしたその時、

 

 

「……」

「む?」

 

 

 またしても唐突に上海が俺の手を押さえてつけた。今度は何だ? と訝しみつつ上海を見ると、彼女は首を横に振って俺の手を下させるや、首に回したネクタイに手を伸ばす。

 

 そして掴んだネクタイを右や左に引っ張って、ネクタイの長さを調整する。

 

 

「……結んでみたい?」

 

 

 問いかけると上海は顔をネクタイに向けたまま俺の言葉に頷く。対して俺は拒むべきかと一瞬思考したが、もう考えるのも億劫になってきているのでさせてみるべきかという判断に至り、そのまま棒立ち。

 

 

「……? ~ッ」

 

 

 目でその姿を追うと、彼女は長さを調整するとネクタイの端を掴み、もう片方のネクタイの端を掴むと先程掴んでいたネクタイの端と交差する様にして結ぶ。

 

 

「……」

 

 

 ……今、ネクタイの結び方とは違う結び方をしてたような……。しかし浮かび上がった疑問を考えるよりも先に、上海はせっせと手を動かし続ける。

 

 

「……~♪」

 

 

 疑問を浮かべている間に襟元のネクタイが動く動作が止み、上海がその場から少し下がった。どうやら完成したそうで、体感時間でおよそ1分と掛かっていない。

 

 

「どれ……」

 

 

 化粧台の鏡にどんな形で結ばれたのか期待半分、興味半分で振り向いてみるとネクタイは────

 

 

「……」

 

 

 ────リボン結びこと、蝶結びで結ばれてた。

 

 片方は綺麗だが、もう片方はネクタイの形式上幅が大きくなっているので、至極アンバランス。しかも形が歪んでおり、その歪み具合からくたびれたような印象が漂う。 

 

「……♪」

 

 

 鏡に映る、我ながら呆れた姿を捉える目線を横にやると、そこには口元を手で覆って感想を待ち望み浮かぶ上海の姿。

 

 

「…………」

 

 

 この場合、俺はネクタイを結んでくれた感謝と、その結び目の感想を言わなくてはならないのだが、流石にこの仕上がりだと──

 

 

「没」

 

 

 ──に当然決まっているので、上海に感謝は述べず、一言そう告げると即座にネクタイの両端を摘んで引っ張って結び目を解く。

 

 

「──ッ!? ~ッ!」

 

 

 すると上海は俺の反応に最初ショックを受けて茫然と固まったが、瞬時に我に返ると怒りを露わにし、俺の肩を叩いてきた。……無論、あんまり痛くない。

 

 

「いやいや、流石にこの結び方は駄目なんだよ」

 

 

 叩かれながらもやんわりとした口調で宥めるが、よくも解きやがったな、と言いたげに上海は憤慨らしき感情を掛け合わたような、つぶらな瞳で俺を睥睨。多分。

 

 

「あー、その……結び方を覚えればさせてやるから、今回は諦めてくれ」

 

 

 上海の頭を押さえつけて距離を遠ざけ、ネクタイに目を向ける。

 

 ネクタイの結び方には様々な種類があり、ここは標準的なプレーンノットで結ぶとしよう。──というより、それしか知らない。

 

 プレーンノットはシンプルノット、レギュラーノット、フォア・イン・ハンドとも呼ばれ、一重結びから始まり、細結び、滑り結びで仕上げられるので他の結び方と比較してみると手順が簡単なので至極オードソックスだ。

 

 逆にダブルノット、セミウィンザーノット──またの結び目をハーフウィンザーノット、エスカイアノット──と、そしてウィンザーノットの合計3種類がプレーンノットの次に衆知な結び方なのだが、それぞれ結び目と結び方の過程が特徴的で尚且つ複雑な結び方だったし、何より仕事柄上とそれ以外に着用する機会が少ないもんなので、プレーンノットしか覚えなかった。

 

 それでも前述したようにそれぞれが特徴的なので、ファッションを目的としたのもあるし、お洒落をしたい者にとっては結び方は知っておいても損は無い。

 

 解いたネクタイの長さを先程と同じような位置に調整すると、大剣側のネクタイ帯を持ち、小剣の上に交差させると襟口辺りの小剣側と大剣側のそれぞれのネクタイ帯が交差するので、その交差する点を指で摘んで押さえつけつつ、一方の空いてる手でネクタイが捩れない様ぐるりと一回り。

 

 次に大剣を小剣の下まで更に半周させて指で押さえている軸の上に持ち上げ、半周した際に出来た結び目に大剣を滑り込ませると──プレーンノットの完成。

 

 後はきついくならない位置まで引っ張る。そうするとある程度の結び目が出来上がるので自分の好み的な結び目を作ると、首に回したネクタイ帯を左右で軽く引っ張ってサイドの結び目を調整して、それが終わると小剣を引いて襟元まで結び目を引っ張り上げる。


 この際結び目が首を圧迫する事があるので、首元まで上げてその下に指を入れて隙間を作る。

 

 

「……こんなものか」

 

 

 化粧台の鏡を見て結び目が歪んでいないのと、また小剣が大剣の下からはみ出てないのを確認すると襟を畳む。

 

 

「……」

 

 

 鏡に映るネクタイをしている自身の姿を凝視すると、その姿は何度見ても窮屈な姿だとつくづく認識。そもそもネクタイをするなんてのは──

 

 

「2年振り…………か……」

 

 

 ネクタイに指を触れて、小さく呟く。もう着ける機会なんて無いと思ってたが、よもやこのような場所で着ける羽目になるとは……。最後に着けたのは2年前はいつだったか……。

 

 

「そうか……」

 

 

 確か会社を辞める時だ。2年前に勤務先の会社に辞表を提出して、その後身辺の荷物整理をして──それっきり……。

 

 

「……」

 

 

 2年……2年? ……あれから本当に2年が経ったのだろうか? 俺自身の当てにならず、今や狂ってしまっている時間間隔からすればつい須臾にしか思えず、正直な話、今だに到底信じられない感情が渦巻く。

 

 されどこの場には無いが、暮らしていた所のカレンダーでは確かに月日が進んでおり、それに比例して俺も身体が衰えつつあるのを意識しているので確かに2年は経過している。

 

 

「────」

 

 

“アレ”を思い返せば思い返すほど、何度も……何度も纏わり付くこの、気持ち悪い感覚。比喩にすれば生理的嫌悪によって込み上げてくる嘔吐感に近く、これが紅魔館の色と相乗して更に俺の心身に悪影響を与え、崩壊させようと蝕んでくる。

 

 こんなにも気持ち悪くなる感覚は過去にも経験したことがなく、現在では2年前を切っ掛けに俺の弱味と成り果てた。

 

 且つ、それに関連して俺は紅い色が苦手になり、本音を漏らすと今居る部屋の床、天井、壁を見ているだけでも胃の中の物を吐き出したい気分に陥り、それが拒食の原因とも過言でもない。

 

 だから本当は……本当に、紅いものは見ているだけで──もう────

 

 

「……♪ ~♪」

 

 

 ネクタイを締め終え、俯いていると今まで静観していた上海が右や左へと飛び回り、ネクタイをあらゆる角度から注視。先程随分と大人しかったのは恐らく、俺に注意されたのと締め方を観察していたからだろうと思われる。

 

 しかしながらネクタイの結び方というのは見て覚えるより、あらゆる分野に共通する実践あるのみ。プレーンノットならまだしも、それ以外の上級の結び方だと見て学ぶのは流石に難しい。

 

 

「…………着けたぞ」

「~♪」

 

 

 反芻すればする度に込み上げてくる感情を堪えて一言告げると、上海は嬉々とした様子で大きく頷く。……それにしても俺がネクタイを着けただけでなんであんなにはしゃいでるんだ? と思いつつ、その上海の嬉しそうな姿を視界の隅に捉えつつベッドに腰掛ける。

 

 しかし無意識とは言え上海に助けられたな、と先程の事を思い返し、胸中で彼女に感謝する。

 

 着替えも済んだ事だし、後は礼を告げてこのまま帰るのみだが……

 

 

「うーん……」

 

 

 ここまで至る道を思い出すと、我ながら珍しく唸り声を漏らす。

 

 帰るとなるとあの長い廊下を逆に辿って、玄関まで戻るとなると記憶が怪しいので迷う可能性が著しく大きい。

 

 この場に部屋まで案内してもらった十六夜がすぐ傍にいてくれれば心強いが、彼女は仕事の為去った直後で、今何処にいるかわからないときた。

 

 とすれば、ここまで一緒に来た上海なら……

 

 

「ここまでの道覚えてる?」

「? ……」

 

 

 唐突な問いながらも俺の意図を察知したのか、首を横に振り申し訳なさそうに項垂れる上海。やっぱり上海も道を覚えてないか……。

 

 ──いや、そもそも屋敷の内外の塗装と同様に構造自体おかしいのだ。どこまで広いのかは把握しきれてはいないが、この広大ともいえる屋敷を網羅している者などいるのか?

 

 仮にだ、仮に網羅している者がいるとしたら憶測で当主……というよりあの容姿で当主なのか? という事に今更気付いた……のレミリア、メイド長の十六夜、廊下ですれ違った妖精メイドといった一目しただけでわかるだろう屋敷の関係者辺り。

 

 ……とすれば、それを頼りに屋敷内を適当にうろつけば誰かしら会える確率は低くないが、これだけ広大な屋敷なので俺の事を聞いている者も知らない者もいるだろう。

 

 特に後者に至っては侵入者と勘違いされる可能性は少なくないので、ここは誰かが訪ねてくるまでやはり大人しくしているのば無難かもしれん。

 

 よって現状維持の形でこのまま部屋で待機。それに疲れている手前、あんまり動き回りたくない。

 

 

「取り敢えず休憩しよう」

 

 

 靴下を履き、黒革のベルトをスラックスのベルトループに通す。その間臀部……尻……の上辺りに、先程のP2000SKを収めたホルスターを固定するのを忘れない。

 

 ホルスターにも様々な種類があり、挙げるとすればハーネス等で脇の下に吊るして隠匿性を重視したショルダーホルスター。軍人や警察官、公的機関の職員に多く使用されている、素早く確実に銃を使用する実戦的要素を含んだヒップホルスター。

 

 背後に回して臀部……尻の上あたりに装着して、抜きやすさや携帯性よりもショルダーホルスター同じく隠匿性に重点を置き、潜入捜査官などが使用するバックサイドホルスター。

 

 他には腰より低い位置の太腿側面部分にバンドで固定、特殊部隊で多く用いられるレッグホルスター……正式名称はサイホルスター……と、足首に巻くアンクルホルスターとがある。


 それらの中で俺がP2000SKに使用しているホルスターはバッグサイドホルスターだ。理由は明白、正面から見れば気付かれにくいし、それにスーツ等の上着を羽織れば更に隠匿性が強まるからだ。

 

 ……とは言いつつも、ホルスターはどれも一長一短で利点と欠点が目立ち、目的と服装に併せるのが望ましいのが実情。

 

 その例として俺が用いるバックサイドホルスターの欠点指摘例だと、正面からは気付かれにくいが、レッグホルスター同様上着を羽織らないとやはり背後から丸見えになる他、背もたれのある椅子に座った際には非常に使い辛く、そのまま体重を預けて寄りかかれば背中に銃が当たって痛いときた。

 

 おまけに車に乗っている場合は特に問題で、一般的な自動車用座席に比べて体の固定機能を高めたバケットシートなどに座れば尚更抜くことが出来ず困難を極める。

 

 よってホルスターの理想的な位置はやはり利き手側の腰の位置に限り、先程挙げたホルスターの中から解答を導き出すとするならば、ヒップホルスターの方が使い勝手が良いという結論に至る訳だ。

 

 ベルトを留めてホルスターから拳銃を抜いて戻し、位置を確認。位置は……問題無いので調整は必要無し。また、抜け落ちるのを防止するテンションスクリューの締め具合も申し分ない。

 

 

「~♪」

 

 

 その間、上海は何故か膝の上に移動して腰掛ける。そんな上海の姿を見て何でまたそんな所に座るんだろうか……と疑問を浮かべる半面多少心が和む最中、そこはかとなく胃が空腹感を覚える。

 

 室内には時計がないので正確な時間を計ることは難しいが、時間帯と窓から見える太陽の位置からしてみればもう昼はとっくに過ぎているので頷ける。

 

 この場合携帯食料があればよいのだが生憎持ち歩いておらず、室内にも食べ物がないのでここは空腹紛らわしに購入した品の内から金平糖詰めのビンを掴む。手にしたビンの栓を抜くと片手でビンを持ち、もう一方の空いてる手の平の上に向けてビンを傾け、揺するようにして軽く上下に振る。

 

 これでもかと目一杯に詰められた金平糖が一気に零れ落ちないよう、多少慎重になりつつつ振るとビンから手の平に色とりどりの金平糖がころころと転がり出る。その手の平の金平糖の量がある程度数を満たすと、それを一気に口腔内に煽って舌で転がす。

 

 

「甘っ……」

 

 

 甘味料を久々に口にした開口一番がそれに尽きた。金平糖は賛否両論ではあるが酒の肴にはうってつけ。生憎室内には酒類が見当たらず、今はこれだけで我慢。

 

 舌で転がして、ある程度甘味に吟味すると歯で噛み砕く。その様子を上海は顔を上げて眺め、俺の膝の上に鎮座。その手には金平糖のビンを封していたコルクの栓。

 

 ……膝の上に座るのは構わないが、人形であり生物学的に考慮すれば栄養摂取をせずともよい上海にとっては、食事している風景はさぞ退屈じゃないんだろうかと傍目に思いつつ、再度ビンを傾けようとした直前────ドアを叩く音。

 

 

「……誰かいるのー?」

 

 

 後に一拍置き、扉越しに届くのは間の伸びた声。

 

 声の声質はドアを挟んでいるのでくぐもってはいるが、その高い音域は女性のもの。またその声の主はレミリアと、十六夜の声とは異なっているので、それ以外の何者かであるのは違いない。

 

 

「……?」

 

 

 女性の……ややあどけなさが残るその声に反応して、ドアに目を向ける。

 

 もしかして紅魔館のメイドさんでも訪ねてきたのか? と推測するが、だとしたらこの部屋に俺が居るのは時間の経過からしてもう重々承知の筈。

 

 だから、あのように声を掛ける台詞から推測するに訪問してきたのは俺を知らぬメイドさんか、或いは俺の存在を知ってて部屋の場所を知らず、声を掛けた者。

 

 もしくはメイドさんとは別の──紅魔館の住人。

 

 

「今行く」

 

 

 結論はひとまず、相手を見れば概ね把握出来る筈なので、ドアの向こう側の相手に向かって声を掛け、上海の襟首を掴んでベッドにどかしてコルク栓を取り上げてビンに封をして立ち上がる。靴はタンスに用意してあった革靴ではなくて、最初から履いてきたのを履いてすぐさま部屋の入口へと向かう。

 

 ドアの前に着き、ノブを回して開けるとまず目に入るのは先程見たのと同じ紅い光景。

 

 先程となんら遜色の無い、気分が悪くなる景色。

 

 

「……む?」

 

 

 首を左右に巡らして廊下を見渡すが、先程声の主は見当たらず。悪戯だったのだろうかと首を傾げると……視界の淵に何かがちらつく。

 

 その何かを辿って視線をやや下にずらすと、そこにはまたしても不思議で独特な形をした、赤いリボン帯が巻かれた白い帽子を被り、色素の薄い、清々しく映える金髪を肩口で揃え、その一部を紅いリボンで括ってサイドテールにして纏めた瞳が────紅い、俺を見上げる1人の少女の姿。

 

 赤を基調としたベストの下に半袖の白いブラウスを着、同じく白くてフリルの付いた襟には黄色のスカーフを巻き、白い靴下と紅いパンプスを履いた扇情的なまでに滑らかな肌の脚を、膝頭辺りまで覆うミニスカートもこれもまた赤。

 

 容姿と相貌、背丈からして年齢はおよそ10代前後。おおよそからしてみれば年頃の人間の少女のように映るが、そんな彼女の印象をぶち壊すかのような存在が視界の端にちらつき、その想像を見事に壊してくれた。

 

 視界の端にちらつく菱形状の宝石。それは一瞥すると飾りのように見え、少女自身が放つ眩き……かと思いきや、その飾りは湾曲した枝にぶら下がっており、枝は少女の背中まで伸びていた。

 

 枝は少女の背後の左右にあり、それにぶら下がっている宝石の色は左右対称ながらもそれぞれ色が異なり、左右合わせて宝石の数は14つ、色分けすると7つの色を表している。その宝石の色と組み合わせは断言出来ないが、彩りはどうやら虹色をモチーフにしているようだ。

 

 幼年期にしか得られないであろう特有的なきめ細やかで柔らかそうな肌と、愛くるしくもあどけない顔の双眸の虹彩は宝石の如く、比喩するならルビーのような、ルベライトトルマリンのような力強くて美しい色合いを連想させ、深淵を覗かせる様な紅い瞳。

 

 一見、かの少女の紅い瞳は、容姿と相成って彼女自身を照らす陽光を彷彿させる裏腹……玲瓏で、色の濃い血漿の色を脳裏に彷彿させた。

 

 屋敷の色と同様、目の前の少女の瞳はそれと同じ……否、それ以上に艶やかで、危うく、妖しく妖艶にも、蠱惑的にその紅を照らす。

 

 その暗紅色にも近い瞳は、雨が降る森の中でレミリアと初めて対峙した時と同じような感覚に近く、どこか危険を醸す印象を受けた。

 

 

「…………」

 

 

 干渉せずとも、享受を拒んでも、言葉を交わさなくても、その赤より紅い瞳を一瞥しただけで、

 

 

 

 

 暴虐的、暴威的、狂気的、悲愁的、横暴的、残忍的、残酷的、残虐的、被虐的、極悪的、加虐的、自虐的、玲瓏的、郷愁的、憐憫的、憐情的、冷然的、孤高的、冷冷的、憐惜的、荒廃的、戒律的、軟質的、明朗的、好奇的、老獪的、放逐的、零砕的、勇猛的、零細的、傲慢的、凄惨的、誑惑的────な、喜色の印象と、

 

 暗晦的、陰惨的、暗澹的、感情的、芸術的、藹々的、彷徨的、抑圧的、昏々的、無想的、傲岸的、幻想的、黎明的、凄寥的、酩酊的、可逆的、冷徹的、鬱然的、聡慧的、好意的、凄涼的、静謐的、一方的、煌々的、魅惑的、散逸的、冷酷的、肝胆的、加熱的、零点的、霊気的、燈燭的、燈明的────な、憤怒の印象と、

 

 繊細的、狂喜的、凶悪的、暴力的、悲傷的、夢幻的、悲観的、怜悧的、朗々的、霊妙的、聡敏的、幽玄的、敬虔的、寂寥的、常軌的、蒙昧的、切望的、羨望的、絶望的、現実的、漣漣的、硬質的、冷気的、好奇的、流浪的、放浪的、快活的、厚意的、建築的、霊異的、霊威的、誘惑的、高慢的────な、悲哀の印象と、

 

 混沌的、黙然的、霊応的、惰弱的、聡明的、悲愴的、狡猾的、慈悲的、耿耿的、哀愁的、不遜的、模糊的、蛮勇的、孤独的、背任的、妖艶的、幻相的、蠱惑的、扇情的、夢想的、背徳的、圧倒的、放任的、美学的、冷灰的、幽幻的、冷暗的、光熱的、冷艶的、撹乱的、攪拌的、旋律的、戦慄的────な、楽観の印象を、

 

 

 

 

 底知れぬ呪縛の魔窟のような、言葉にするのも思い描くのも脳と口が拒んで憚られ、人智と人身である限り到底理解と到達が不可解な感情が宿る、その仄暗くて紅い双眸から嫌でも窺えた。

 

 嫌な、厭な印象を……。

 

 嫌な、厭な予感を……。

 

 

「……」

「……」

 

 

 互い視線が交差し、沈黙が漂う。格好や雰囲気からするに確実に屋敷のメイドさんで無いことは明白。

 

 しかしながら何故、眼前の少女と対峙してるだけでこんなにも呼吸が窮屈になったりして気分が悪くなるのか……と思うがその考えはともかく、少女が誰なのか、そして何の用なのか訊ねようかと……瞳と、少女自身が纏う空気に気圧されつつも……何とか口を開こうかとした所、少女が先に口を開く。

 

 

「えーっと…………誰?」

 

 

 ……それは此方の台詞だ。

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