03-07/“hure(フレ)”の館 Pt. 2
「…………」
時間は…………わからない。紅魔館の上には時計台があったのだが確認はしてなかったので時刻を把握する事は出来ず、記憶では博麗神社を出る前に太陽を見た時は大体正午過ぎの位置で、それからは紅魔館に至るまでに体感からすると軽く1時間は過ぎてるかもしれない。
なので時計を見ないと正確な時間はわからないが、目を瞑ってから恐らく数分辺りだろうか。静謐なロビーには俺自身の心臓の鼓動と、遠くから木霊し、硬い物が一切の乱れも無く規則正しく、一定の間隔で鳴らす物音──。
音は遠く、次第に俺の許へと徐々に近付いてく。
それでも俺は目を開けて近付きつつある存在を目視する事はせず、じっと待ち構える。
一定の間隔で鳴らすという事はつまり足音だろう。そう分析したのと同時に、俺の数歩前で音は止む。
「お待たせしました。荻成怜治様……でございますね?」
問う様にして声を掛けた人物は女性の声音。更に俺の名前を知っているという事は恐らく彼女こそが、レミリアが寄越す言った従者なのだろう。
「……」
目を開くと目の前には青のワンピースの上に白色のエプロン、頭にヘッドドレスを着けた……所謂メイド服を着た、スリムな体格の1人の女性の姿。
女性の背は高く、青と白を基調とした服のワンピースドレスに白い前掛けを着、襟には緑色の細いリボンを巻き、スカートの丈の長さは丁度膝頭が隠れる位の長さで少し洒落たデザイン。
靴はヒールの高くない黒色の艶消しパンプスを履いており、白のソックスで足を膝下まで覆ってなるべく素肌を晒さないようにしている。
彼女が着ているのはてっきりここのところよく見かける多少派手なフレンチメイド型のメイド服かと思ったが、それにしてはデザインが慎ましやかで派手ではないので質素で華美さを排し、機能性を追求したヴィクトリアンメイド型メイド服の改良型に近いかもしれない。
着ている分には単に地味なメイド服を着た女性にしか見えないだろう。が、それでも彼女の容姿の所為か、地味でいようにもかえって目立つような気が俺の目には映る。
女性の顔は体躯同様、すらりと細いが端整に整っており、目も鋭利な刃物そのもので玲瓏を漂わせているがその瞳の虹彩は爽涼の瑠璃色に近い豊かな青を宿し、その青は海のように清々しくも威厳と安らぎを無意識に導いて、永年の安寧を約束させるような深い深蒼色。
更に雪のように淡く白磁のように白い肌が艶麗に栄えて美しく、その美しさを倍以上に妖艶に、且つ美麗に印象付けるのが彼女の頭髪であり、その頭髪は肩口で切り揃えてウェーブが掛かっており、色は稀にしか見られないであろう銀髪。
その白銀の如き眩きを照らす、銀髪の両サイドを緑色のリボンで三つ編みに結い、それが作用してか麗しき女性がお洒落をした、麗しき少女にも見える。
といった風に……、まあ要は俺の前に現れたのは容姿が目立つ麗姿なメイドさん、という事だ。
「……」
従者はてっきりレミリアと同じく桁外れの人外の存在かと思ったが、容姿を例外にすれば至極普通な人間に見え、同時に銀髪ときたか……と思いつつ、メイドさんに訊ねる。
「……いかにも俺が荻成怜治だが……君は?」
壁から離れ、メイドさんを見据える俺。
「ご紹介が遅れましたね。私、この紅魔館でメイド長を勤めております十六夜咲夜という者です。
我が紅魔館の主であられるレミリアお嬢様からお話は仰せつかっております故、これからお部屋の方にご案内をさせて頂きます」
「……」
恭しく頭を下げてお辞儀をし、俺と視線を交わす妙齢の淑女……いや、メイドさん……の十六夜咲夜の姿に俺はというと間抜けな事に、唖然としてしまう。
「……如何なされました?」
「いや……随分流暢で丁寧な言葉だなと……」
メイドさんたる故、来賓者に対するもてなしの態度は備わっているだろうが、ここまで綺麗な言葉遣いをすると霊夢や魔理沙、紫とはちょっと違った印象を受けた。
それにお辞儀をした時は一寸たりとも乱れもないその見事な動きに雅さを感じ、不覚にも見とれてしまった。
「そうでしょうか? お嬢様が招聘されたという方ですから、こうしておもてなしをするのは至極当然かと……」
「そうか……?」
こんな丁寧な言葉遣いをする女性に会ったのは物凄く久し振りな気がして、凄く新鮮な気がする。
だが招聘というのは些か大げさではなかろうか? 確かにレミリアは俺を案内して招いたという形式になっているが、俺はそこまで大それた人間じゃない。
「お嬢様が世話になったと仰られたので、招聘でいいんですよ」
俺の考えを察したのか、十六夜と名乗ったメイド少女は小さくはにかむ。その笑顔は美しく、この屋敷に招かれた者の不安を払拭するには良い清涼剤だろう。
「傘を香霖堂の店主から借りただけだ」
「香霖堂の……ああ、霖之助さんですね。中々風変わりな方でしょう?」
「まあ……な……」
あの店主は風変わりの言葉だけで済ませてもよいのだろうか? 店内は商品が多く、雑然としているというのに整理しようという意思がなければ、確かに風変わりな男かもしれない。
それかあまりの膨大な量に嫌気が差して、単に放置しているだけなのかもしれんがともあれ蒐集癖が激しい人物には違いなく、そのお陰で俺が着ている服が世話になっているのだから森近霖之助という人物に批評を下す筋合いはない。
「それではお部屋に参りましょうか」
ちゃんと私についてきてくださいね。でないと迷いますから──と、十六夜背中を向け前へと歩き出す。俺はその後を数歩開けて続く。
ロビーを渡り、その端の紅い階段を登り、2階の足場にあがるとレミリアが去ったのと同じ道を辿るようにして廊下を進む。
その廊下の中央には同色でわかりにくかったが紅色のカーペットが敷かれており、それはまだ見えぬ廊下の先にまで続いていた。
「……」
十六夜が前を歩いているその背中を傍目に周囲を見回す。壁やロビーに劣らない高い天井、床もそれぞれ紅く、それに窓の数は少なく、明かりが少ないので仄暗い不気味な印象を受ける。
更に窓が前述した通り数えられる程極端に少ないので、今何処を歩いているのか現在位置の確認が困難を極める。十六夜が言っていた「迷う」という事はこのことに違いない。
そして廊下の内装を確認し終えると、十六夜の背中に視線を戻す。
「……?」
先程は紅魔館の内装に興味を示していた。それを観察し終えて今現在、十六夜の背中を見ているのだが彼女の方から何か金属質が擦れる音を耳が捉える。
足音がカーペットによって相殺されているので小さくなっており足音とは異なるのは明白であり、何より足を踏み下ろす音のそれとは違い、チャリチャリ……という擬音が似合う。
金属類の類は俺は全てカバンにしまっているので身に付けておらず、上海も着けていないので恐らく音源の正体は十六夜が身に着けているだろうアクセサリーの類が振動で揺れているのが発信源かと思われる。
十六夜は女性だし、妙齢なのだから仕事の妨げにならない様、装飾といった類の飾りを身に着けているとしたら然程不自然ではない。となると容姿同様、十六夜はかなり瀟洒なメイドさんかもしれない。
「……ん?」
廊下の向こうから何かが来た。容姿は幼い少女の姿をしており、格好は十六夜と若干異なるスカートの丈が長いメイド服に包んでいるが、何より目立ったのが背中にあったもの。
遠くから見た限りでは中空に浮かびつつこちらに向かっているのはわかっていたが、窓の前を通った時、そこから差し込む日光で皮膜が薄い白色の羽根がこちらへと向かってくる少女の背中から生えているのを視認した。
レミリアと同じく、吸血鬼かとも思ったが、それにしては殺伐とした空気を発してはおらずどこか柔らかい印象であり、比較しては悪いのだが……上海に似ているような……そんな感じ。
「前から来るのは何だ?」
十六夜がメイド長と名乗っていたので、紅魔館のことなら何か知っているだろうと思い訊ねてみる。
「ああアレですか? アレは紅魔館の妖精メイドです」
「妖精メイド?」
俺達の傍まで来たその妖精メイドとやらは十六夜に小さく会釈した後、すぐにその場を通り過ぎる。同時に俺とすれ違った際、背中の羽根が小さく揺れ動いたのを目が捉え、背中の羽根は飾りではない事を伝える。
「紅魔館では妖精をメイドとして雇用しております。その妖精達を仕切っているのが私なんです」
とは言え苦労ばかりですがね、と十六夜は嘆息。
「大変なのか?」
「何せメイド長ですからね。苦労が絶えません」
「管理職……か」
外観もさながら、内観もこれだけ広い建物なのだ。労働者と屋敷の管理もさぞ大変だろう。
「そうですね。けど最近は楽なんですよ?」
「楽?」
「ええ。もうそろそろ帰ってきてる頃でしょうから……、機会があれば顔を会わせるかもしれませんね」
先程すれ違った妖精メイドに道を譲る為に壁際に寄って立ち止まったので、再び歩き出す。
「……その手伝いをしてるのは人……か?」
「化け物とでも?」
振り返り、くすりと微笑する十六夜。俺の言葉の意味を察しての笑みなのか、それとも単に皮肉として受け取ったのかのいずれか。
「こんな場所だ。君の手伝いをするのは生半可な輩ではないような気がする」
「確かにこの屋敷を客観的な視点で見れば、そう思われても仕方ないかもしれませんね」
反論せず俺の台詞に十六夜は肯定する。
「吸血鬼に魔法使い、そして妖怪に妖精と……人間には無縁な場所かと思われるでしょうが、生憎、私は人間ですよ」
「人間……?」
「ええ。その反応だとてっきり気付いてたものかと」
ふむ、と首を傾げる十六夜の姿に俺は唖然とした。確かにレミリアと来てメイド……十六夜は妖怪かと思い込んでいたが俺の勘違いだったようだ。
「すまない。どうも人がいるとは到底信じられないような場所だったんだからつい勝手に思い込みをしていた……」
「屋敷の印象からすればそれは仕方ないでしょうけど、それはちょっとショックですね……」
どこからどう見てもショックを受けたように見えない十六夜は項垂れた演技を見せると、その言葉に「そうだそうだ、謝れ!」と言わんばかりに上海も頷き、怒っているぞ! と腕を掲げて俺の頬を突っつく。
「あ~……本当にすまない」
「別に構いませんよ」
上海の手を退けて謝罪の意の言葉を口にするが、十六夜は項垂れた頭を上げて肩を竦める。先程の落胆は本当に演技だったらしく、俺の思い込みはやはり気にしていない様子。
「それにしてもよくこんな場所にいられるな」
「大抵の人間はそう言いますね。普通の人間だったら屋敷の重圧で正気を失いかねません」
ですが慣れれば都とは正にこの事ですよ、と十六夜。
「衣食住……危険はあるがそれに見合うリスクを考えてみれば、ここも案外良い労働場所かも知れんな」
「そうですね。奉仕する者にはそれ以上でも以下でもない、厚過ぎない良き待遇を……紅魔館はそんな雇用体制でしょうね。尤も仕事をしなければ即刻外へ追い出しますが」
十六夜の言葉に俺はそれは当然の措置だろう。何処でも「働かざる者食うべからず」は共通の言葉。雇用の条件とは有り体に言ってしまえばそのようなもので、十六夜が言う事は理にかなっていると言えよう。
「唐突ながらお訊ねしますが、荻成様は幻想郷の外の人間だとか」
「そうだが……」
「外ではどのような事をしてらしたのでしょうか?」
「何って…………以前は警備会社に勤務してた」
「警備ですか? しかも『勤務してた』という事は……」
「とっくに辞めてる。2年前に、な……」
言って俯く。俯くと視線は自然と床に向く。床は依然として紅く、何処に目を逸らしても逃さまいとその色彩が目にこびり付く。
「────」
我慢していた嘔吐感が込み上げ、それを吐き出す前に何とか飲み込む。さっきからこの調子で凄く気持ち悪い……。
何だって内装塗料に紅を使ってるんだこの屋敷の主は……。
「左様ですか。なら今度暇があれば、紅魔館の警備もお願いしても宜しいでしょうか」
俺の様子に気付かない十六夜は1つ提案じみた言葉を投げ掛ける。それは雇用の催促とも受け取れたが、俺からしてみれば悪魔の囁きの様な幻聴。
こんな場所に警備なんてそもそも必要なのかと思いつつ、十六夜に理由を訊ねる。
「何故……?」
「いえ、ちょっとした面倒な侵入者がおりまして。その撃退を手伝ってもらえればと……」
「よくわからんが、機会があれば……」
もう2年も昔の話だ。ブランクを念頭にすると、当時と同じ動きをするのは今の俺にはほぼ不可能であり──指導なら話は別になるが──とにかく無いだろう。
十六夜には悪いが、警備の件は冗談半分に受け取っておく。
何故なら今の俺にはそんな事をするつもりは微塵たりともなく、誰かを守るのも出来やしない失格者なのだから……。
途切れ途切れつつも会話を交しながら歩き続け、階上、階下へ向かったり、角を幾度も曲がる。
何処に移っても同じ景色のお陰で方向感覚が麻痺して、更には目印らしい目印も見当たらず、何処をどう進んだのかという記憶さえ曖昧になってきた頃──、
「お待たせしました。こちらがお部屋になります」
十六夜が1つのドアの前に立ち止まった。十六夜が手で示すドアは一瞥で部屋と見分けがつくよう主材料の木本来の色の木色で、ドアノブは鈍色の丸い形をしたノブ。
「室中には着替えがありますのでご自由にお使いください。私は他に仕事が御座いますのでこれにて失礼します……」
「……あ? ──ああ、ありがとう」
咄嗟に反応に遅れて言葉を交すと十六夜は「では……」と頭を下げ、背中を向けて廊下の向こうへと去っていった。
その歩みは悠然ではあるが、何処か忙しくも感じられた。あの様子だと本当に忙しいところをレミリアに俺の案内を頼まれたのだろう。
「ふむ……」
十六夜が立ち去っていった方向を見、ドアの横の壁に寄り掛かると思案を浮かべる。
部屋の前に到着し、ドアを指し示した十六夜の女性的な細くうっすらとした手の平を垣間見た瞬間、その手の平の指には明確ではないが、微かに白くて小さい痕跡が窺えた。
その小さな痕はどうやら完治済みらしく正体は定かではないが、火傷とは異なり、具体性に欠如するがおおよそマメかタコの痕……かもしれない。
労働で出来上がったタコなら理解できるが、もしそうじゃないとしたら十六夜は武芸を嗜んでいる可能性は少なくない筈。
「……さて、どんなものかな」
十六夜の手の小さな痕の正体なんて考えていても野暮なので、ドアを開けて室内に入る。俺がこれから入るのは外来の客用の部屋だろうと思うから、廊下同様恐らく至極真っ赤な部屋なんだろうが……
「……」
案の定、開いた室内は真っ赤だった。しかしベッドやそのシーツと枕、調度品の色が白や黒、木目とあったのが幸いしてか、不快感と嘔吐感が湧く事は無く、むしろ屋敷の雰囲気と相反するかのような安らぎを覚えた。
室内には化粧台がシングルベッドの隣に設置され、更にその横には黒塗りの洋服タンスまで置かれ、部屋の中央には4脚の椅子と小さいながらも水差しとグラスが据えられたテーブルが設置されている。
ベッド際近くの壁にはガラスケース越しに洗面器らしき容器が仕舞われた小さな棚と、シルク製なのかよくわからないカーテン付きの窓が設置され、そのお陰で室内は暗澹とした紅の不気味さを払拭するかのように眩く照らされている。
壁と天井、床の色を除けば洋式の一般家庭の部屋と何ら変わらない。むしろ客室として豪奢過ぎる。
十六夜曰く、着替えを使ってもいいとのことなので有り難く使わせて貰おうかと思い、途端に身体が物凄く気だるくなる。
「? ……そうだった」
服が濡れたままだったのを忘れてた……。しかしそれ以上に疲れの影響で着替える気力があまり湧かない。
「着替えはちょっと後回しにして、少し休もう……」
真っ赤な室内に入ると和傘を化粧台に立て掛けて、鞄をベッドの傍らの床におろすと俺はベッドに倒れるようにして横たわる。
その拍子に肩に乗っかっていた上海がベッドに投げ出されそうになったが、何とか体勢を整えて中空に浮かび、室内を物珍しそうに見回す。
「……」
上海の様子を見て多少ながら違和感……というべきか疑問点。
レミリアはアリスと接点があり、上海もレミリアには接点があるのは確かだ。しかし上海の様子じゃそこまで親睦が深い仲ではないらしく、となると導ける解答は……確信ではないが……上海が単独で動いているのは俺と一緒という例外を除き、アリスと紅魔館で外泊をしたことがない──という事。
レミリアとアリスの仲なんて俺には知ったこった事では無いが、それでも両者のある程度の交流の深度がはかれたのは確か。
「ふあ……あ」
欠伸。心身共に疲労が蓄積され、いっその事このまま眠ろうかと思ったが、同時に上海の髪を整えないといけない事を唐突に思い出し、面倒と思いつつも重たい身体を起こす。
「……上海、こっちに来てくれ」
化粧台の椅子を引き寄せ、その上に座るよう手招き。テーブル近くにいた上海は俺の声に反応してそれに従い、椅子にちょこんと腰掛ける。
その姿を確認するとカバンから和紙の包みを取り出してベッドの上に置き、包装を解くとそこからべっ甲の櫛を取り出す。
「今から髪の手入れをしてやるから痛かったら言って……喋れんか」
なので痛かったら挙手してくれと言葉を言い直すと、リボンはそのままに上海の長い金髪を空いてる手ですくうようにして持ち、髪の毛同士が絡まってないのを確認しつつゆっくりと櫛で髪を梳かす。
「~♪」
嫌がるどころかむしろ足を振り、気持ちよさそうにする身をよじる上海。本当だったらアリスに任せるべきなんだろうが、ここには居ない手前俺がある程度整えてやるべきなんだろう。
それに詳しくは知らないが人形の髪の毛は人間の人毛とは異なるらしく、人間と同じ手入れをすると逆に髪が傷むらしいので、俺は軽く梳かす程度に留めて後は上海の主であるアリスに任せるのが賢明。
「……」
「~♪」
上海の髪を梳きつつ、脳裏に蘇るのは先程別れた十六夜の流れるようで、数少ない窓からの日光を浴びて反射し、妖艶にも光り輝く銀髪。
「…………」
…………嫌な気分だ。外の世界じゃ銀髪を生やした人物は滅多にいないから珍しいものだと思ったが、本当に嫌な気分だ。
レノンも銀髪だったが、十六夜はそれ以上に不意打ちを食らわされた気分。それでも似通っているようで似通ってないだろう白髪とは若干違うからまだマシかもしれない。
本当に、心臓に悪すぎる……。
「──と、こんなもんでいいか」
上海の髪のほつれもなくなり、綺麗に整ったので「お終い」と、上海に告げて金髪から手を離すと上海が立ち上がって俺を見上げる。
「……」
「? 何だ?」
上海は視線を下ろして俺が手にしているべっ甲の櫛を手で示すと、俺に手を向ける。
「……梳く? 俺の髪を……?」
上海は小さく頷く。
「ふむ……」
はてさてどうするべきなのやら……。上海はお返しと言わんばかりに俺の髪を梳きたい様子。かく言う俺は正直どちらでもよく、上海がしたいようにすればいいと思っている。
「……ご自由に」
なのでそう彼女に呟いて肩を竦め、髪の後ろに手を回して髪を結ぶリボンを解くと髪が広がる。
「……♪」
それを見た上海は何処が嬉しいのやら、櫛を掴んで俺の頭上へと舞うや髪を梳かす。
「ん……」
どんな風にして上海は髪を髪に触れているのか、髪を梳かす感触が妙にくすぐったい。
こんな殺伐とした場所でこんなのほほんとした気分になるのも、えらくおかしいものだ。しかし俺自身こういうのは嫌いではなく、むしろ好ましく思える。
それにしたって何でまた上海は俺にこんな風にして懐いてるのだろうかとつくづく思わされる。
彼女には何かしら懇意があることには違いなく、それを問い質しても彼女は人形故、知る方法も手立ても無い。
不意に髪の感触が消え、化粧台の椅子の上に櫛を持って降り立つ。
「終わった?」
訊ねると上海は首肯。そして櫛を椅子の上に置いて俺が握ったままのリボンを手から取り上げると、また頭上に舞って髪を束ねて結ぶ。それが済むと再び椅子の上に着地し、その場でくるりと一回転。
「ありがとうな」
上海に礼を述べてそろそろ着替えるかと思い足に力を入れて立ち上がろうとした寸前、視界の端にカバンの内部が映り立ち上がるのを止めた。
中身は依然と変わらず仕事に使った道具とナイフと小さな箱と両替した硬貨の袋が入ってるだけで、それ以外は何も見当たらない。
傍から見れば何とも物騒な代物ばかりだと思われるのも仕方ないかもしれない。しかし俺にとってはカバンの中身は2年前の『荻成怜治』の過去の産物であり、今の『荻成怜治』にとっては必要性が全く無い代物ばかり。
「……」
俺自身、もうコレを二度と使うことは無いだろうと考えていた。しかしこの狂気にも似た、歪んだ雰囲気を発す紅魔館のような場所にいるとそんな悠長な考えは危ういかもしれない。
その証拠に紅魔館ではないがレミリア曰く、里という所で人間が襲われて死んだのだ。となると自衛の武器を用意するのは至極無難で、いつまでもカバンに仕舞っておくのもそろそろ限界かもしれない。
なので万が一の為に備えてカバンに手を伸ばして中を物色し、その中から取り出したのは……ホルスターに仕舞われた拳銃。
「バックストラップは……交換しなくていいか」
革製ホルスターから銃を抜き、念の為暴発時に備えて銃口を天井に向け、グリップの握り具合を確かめる。
手にしてる銃はヘッケラー&コッホ社製の自動拳銃P2000SK。口径は10x22ミリ──通称“.40S&W”弾を使用。
弾倉には9発の弾薬が装填可能で、耐久性、信頼性、命中精度の高さで人気が高く、多くの警察機関御用達で有名なドイツの銃器メーカーの製品だ。
久し振りに触れるその銃の大きさは163ミリとあって相変わらず小さい。
それでも何処ぞの英国の諜報員が昔持ってたのよりも多少大きいが、それよりも口径が大きいとあって威力は凄まじく、元のモデルの拳銃よりも寸が短いので反動もかなり大きい。
「時間もあるし、確認でもしておくか……」
点検を兼ねてトリガーガード付け根のマガジンリリースレバーを押し下げて弾倉を抜き、スライドをゆっくりと後退させる。
後退させたスライドの排莢口から薬室が見えるので、そこに弾薬が残っているのを確認すると一気に後退させて手動で排莢し、そしてもう一度後退させて弾が装填されていない状態……ホールドオープン状態にするとそのままベッドの上に置く。
一見すると外観には汚れが付着してないし、特段酷使してた訳でもないので綺麗なまま。だがそれでも銃というのは定期的な手入れを怠ると排莢不良や精度低下の原因にもなるし、部品の欠損を確認しないと最悪暴発の危険性もある。
とは言ってもここで出来るのは通常分解だけであって、整備しようにも銃身内や銃自体に塗るオイルが無いし、ついでにブラシも布もクリーニングロッドも無いときた。
流石にオイルを食用油で代用するのは言語道断。仮にオーバーホールをして破損箇所が見つかった場合を考慮しても、交換する部品自体が無い。
使うんだったら、銃自体に何もないことを祈りつつ使うしかないな……。
「……?」
俺の銃が気になるのか、上海がベッド上の銃を凝視する。まあ外の世界の代物だから関心を示すのは仕方ないかもしれない。だが銃というのは取り扱いを少しでも間違えると命に関わり、一生ものの傷を負いかねない凶器。
しかし弾薬は先程抜いたので装填しない限りはただの鉄の塊……もとい、プラスチックの塊だから触れても安全か。
「……気になるか?」
静かに問うとこちらに振り返る上海が小さく頷く。
「それは俺の外の世界で使われている兵器の一種だ。鉄砲は知ってるだろう? これは人が手軽に持ち歩ける鉄砲……要は拳銃の類なんだ」
上海が既知であるのを前提に話を進める。
拳銃は主に金属を素材にしたメタルフレーム、プラスチックを素材としたポリマーフレームの2つに分類され、このP2000SKは後者に部類する。
ポリマーフレーム製の拳銃と言えば俺が手にしている拳銃と同社のP9とVP70という拳銃が先駆だが、それ以上に脚光を浴びて有名なのがグロックだろう。
はてさて、グロックと言えば引き金の重さを逆に利用して安全装置の代わりにし、ダブルアクションオンリーという特殊な機構──実際はそれとは異なるが詳しい説明は割愛──が用いられ、ベッド上のP2000SKも原理は異なるがそれと似た機構を取り入れた銃であり、モデルによっては手動で操作する安全装置は皆無。
となると何処に安全装置があるのかというと、グロックの場合、引き金に組み込まれたトリガーセイフティと呼ばれる突起物を引き金と同時に引けばセイフティが解除され、同時に弾丸を発射するがP2000SKにはそれ自体も無く、グロック以上に安全面が恐かったりする。
だがこのダブルアクションオンリー……長ったらしいのでDAO……を使用する銃は人間工学に於いて「人は極度の緊張が続くと反射的に手を握る」……という問題を考慮すると、この機構の銃を携行し、緊張状態に置かれてる際に握っていると安全装置は当然連動する訳であり、最悪引き金を引いてその場で問題を起こしかねない。
よってこの機構を取り入れた銃は即発砲が可能という利便性に優れているが、反面、安全性については今日でも猜疑視されてたりする。
「……」
……かく言う俺も猜疑派だったりするのだが、だったら何でDAOの銃を持ってるんだ──と指摘されると、持っている理由は「小さい」からの一言に尽き、拳銃にとって一番求められる隠匿性と携行性の2つの条件が偶々この銃に一致していただけに過ぎない。
また暴発の危険性については引き金のバネを敢えて重く改良すればいいのだが、その見返りとして引き金を引く力が増えて精密な射撃が困難となるので、速射性を求めるべきか安全性を求めるべきかと悩まされる。
尚、購入時にグロックにもP2000SKよりも3ミリ小さく、尚且つ同口径のグロック27という拳銃があったのでそちらを選ぼうとしたんだが、設計の仕様なのだろうか、試しに垂直に構えてみるとどうにも銃口が上に傾いてるような気がした。
それに対してP2000SKにはコンパクトながらも手の大きさに合わせてグリップが調整できるというメリットがあるので、結局P2000SKを選んだのだった。
後にそれ以外に同じ様なメリットがある拳銃があったのに気付くが、後先遅いので一先ず閑話休題。
「拳銃は今ではかなり種類があって、メーカー……あー、作ってる人達でいいか。で、その作る人達が沢山居て、これはちょっとした有名な銃を作った人達が作った拳銃なんだ」
この銃のメーカーの製品は職人芸が垣間見える野心的な設計と先進的な技術導入でも有名であり、その所為か店舗によっては異なるが値段が約8万円近くする。
それに比べてグロック27は約5万円という値段差であり、その差は年季やら製造コストの関係もあるかもしれない。
「銃は火薬を使うから発砲すると内部が煤けた様に汚れて、その内部に付着した煤け……火薬の燃えカスを除去するには整備が不可欠なんだが、昔の銃は機構が複雑だし細かい部品もかなり目立った。
だから安易に分解すると部品がどれなのかわからなくなるし、組み立てが非常に面倒なので上手く戻さないと暴発の危険性があり、更に使い物にならなくなったりと整備性に些か不便があった」
我ながら曖昧過ぎる説明をしつつ拳銃を手に取り、スライドリリース兼スライドストップレバーを一旦下げて装填状態にするや、グリップの背中に右手親指を引っ掛け、残りの空いてる指でスライド後部を掴んでゆっくりと引く。
スライドを後退させるとスライドストップレバーの軸の上に小さな爪みたいなのがあるので、今度はそれをスライド側面下部の小さな溝に合わせて押さえつつ、反対側のスライドストップレバーの軸中央部分を指で軽く押し込む。
すると左側面のスライドストップレバーが先程右側面から押したからやや持ち上がっており、次はそれを左手で引き抜く。それによってフレームとスライドの分離を阻める存在が無くなり、スライドを左手で掴んでそのまま前へと引くと──スライドがフレームから外れて分離。
「……ッ!?」
おおっ、と言った感じの驚きが上海から伝わるのが見ずとも雰囲気でわかった。その反応だと幻想郷ではこういった類のモノは見た事がないのだろう。
確かにこういう近代的な銃は幻想郷のような場所には似つかわしくなく、無縁かもしれない。
だが外の世界では剣や矢にかわりコイツが代用され、且つ殺傷武器が単に小型化して火薬を用いるようになり、戦いに於いて「如何にして敵を殺すか」という技術が発展した結果の賜物に過ぎない。
「……といった風に、昔は拳銃自体も複雑だったからこうして分解するにも繊細に扱わないといけないが、今じゃ技術も向上してるし簡単に分解して整備できるようになってる」
それでも限度があるし、細かい箇所は専門家に任せたほうがいいがな──と付け足すと、スライドをひっくり返し、銃身、リコイルスプリングアッセンブリーを取り出す。
「てな感じだ。これが習えば誰にでも出来る拳銃の基本分解こと、通常分解だ」
ベッドの上に分解した銃の部品を並べる。それを見て上海は面白そうにそれぞれの部品を見、好奇心に目を配る。
彼女のつぶらな瞳には、銃の部品がまるで組み立て可能なおもちゃのように映ってるのだろる。しかしコレはおもちゃではなく、鉛弾を高速で射出する危険な道具だ。
そんな上海を傍目に、先程手動排莢した弾薬を、弾倉に装填。
「さっき十六夜に警備会社に勤めてたって言ったな」
俺の言葉に上海は振り返り、小さく頷く。
「これは勤めてた際に使ってた銃だ。……尤も、殆ど使ってなかったがな」
観察はもう充分だろうと頃合を見て手早く部品を取り、銃身の切欠にリコイルスプリングアッセンブリーを嵌め込んでスライドに戻すと、さっきとは逆の順序でフレームにスライドを戻し、スライドの溝とフレームの穴に合わせてスライドストップレバーを差し込んで元の形に戻す。
そして最初にしたようにホールドオープンにすると弾倉を銃に装填し、スライドストップレバーを下ろしてスライドを前進させる。
これにより初弾が装填され、即座に発砲出来る状態になった。
「いいか上海、絶対引き金に触るなよ?」
銃を手元に置いて上海に銃に触れないよう警告する。
先程述べたようにP2000SKには安全装置が無く、引き金を引けば直ぐに弾丸を発射するので上海にも注意を払うよう諭す。
ただP2000SKの引き金張力……引き金を引く際に必要な力は記憶では約3.7キログラムだった筈だから、上海の体格だと引くのは難しいかもしれない。
「……」
それに対して上海は、子どものようにあしらわれているにも関わらず怒る素振りも見せず、小さく頷く。
「うん。いい子だ」
上海の返事を見て頭をそっと撫でた後、銃をホルスターに仕舞う。……さて、気分が変わる前にさっさと着替える事にして、同時に都合良く水と容器があるのでうがいも一緒に済ませておくとするか。
という訳でH&K P2000SKの登場。多分ミスが幾つもあるかも。それと参考とまでに、分解手順はこちらを見ていただいた方がわかり易いかもしれません。
“P2000sk and USP field stripping”
ttp://www.youtube.com/watch?v=FsLFXAq5GgA
以下、H&K P2000SK以外に考えた拳銃一覧。完全に趣味に走ってるがな。
・Beretta Px4 "Storm"SC
・GLOCK 27
・PM
・SIG Sauer P232
・Springfield XD SC
・Taurus Millennium
・Walther PPK/S
・Walther PPS