03-06/“hure(フレ)”の館 Pt. 1
赤という色には沢山の広義があり、同時に多くの定義が存在する。
火や血液から連想させる“情熱”と“活気”、警戒から連想させる“警告”と“禁止”、電気での陽極、社会主義と共産主義の象徴、五行説に於いての“火”。
仏教典に於ける餓鬼の世界の色、カトリック教会で枢機卿がまとう法衣、性別では女性、リンゴとイチゴ、太陽と火星、魔除け、忠義、興奮、マグマなどなど……様々な効果と作用、印象、刺激、影響を与える。
人類の足取りとその文明を顧みても、赤という色は偉大なる力を有しているという心理作用を古代の人々は当時から認識しており、祭事や神事にもその色を巧みに駆使している事が容易に窺え、混色と配色の具合によっては凄く魅力的で、力強く、不気味になるのは確かで、それらには正にうってつけと言えよう。
だがその色の中でも、血の色の濃度は痛い位にとても濃すぎて、人の感情と暴力的な面を穏やかに、激しく刺激する。
故にその血の色に惹かれた者達が血を見たいが為に闘争本能を刺激し、やがて血と血で贖う暴力に於ける生存競争、果ては殺し合いに発展してその都度、血は乾く暇が無い。
歴史はそのサイクルの繰り返し。そしてその永久機関とも言えるサイクルの中、生命の土台である世界は必然的になのか、偶発的にも血を吸っている。
土に、水に、木に、葉に、床に、石に、砂にと……、ありとあらゆる種族の血液をいつでも、如何なる時も時代を問わず世代を問わず乾く暇も無く、ずっとずっと吸収し続けている。
それを糧とし、地球は血を原動力にして自転してるんじゃないかと、この星に生まれた事に対する公平な対価だと言わんばかりに。
以上の言葉から、世界中の過去と現代で止まる事無く吸われ続けている多くの血を掻き集め、それを塗料に用いたかのような館が今、俺達の前に建っている。
赤く、紅く、朱く、丹く、絳く、赭い館──。
悼むような痛みを放つ、傷んだ紅色をした館──。
その館を視覚が捉え、神経を伝って本能に押し寄せてくるのは怯みという感情と、共に押し寄せるのは凶器的で、狂喜的で、驚喜的で、狂気的な歴史と文化と文明の流動と事変で流れた血が織り成した世界の、足取りの記録を具現化した……という言葉。
引かれる様な色、
惹かれる様な色、
魅かれる様な色、
轢かれる様な色、
弾かれる様な色、
挽かれる様な色、
碾かれる様な色使い……。
繊細で粗野で且つ、怪しくて妖しい色を陽に照らされて絶妙な陰影を形成し、立ち位置によっては陰の紅、陽の紅と様々な紅色を放つ館は長年多くの芸術家達が試行錯誤を繰り返し、惑わされ、追求する配色で彩られた至高色。
或いは本来の失われた原色か、さしずめ禁断の魔色で塗り固られた秘宝の幻色。
何処か夢想的で儚げで陰惨的で恐く、怖く、蠱惑な力を宿した紅で塗られた屋敷……、そんな屋敷を吸血鬼レミリア・スカーレットはその屋敷を紅魔館と呼んだ。
紅き魔の館────と。
◆
「──さて行くか」
レミリアが背を向けて歩き出す。その後を俺は追うべきかと躊躇した。
その躊躇から生まれるのは、このまま屋敷の中に入ってしまうと二度と生きて外に出られないんじゃないか──という一抹の不安と懸念。
だがここまで来ておいて物怖じして引き返すにも今更後先遅いので、ある程度の覚悟を決意してレミリアの後をしずしずと追う。
「……上海」
「?」
レミリアが差す和傘に目を向けつつ、肩に乗っかった上海に小さく呟く。
「もしかして、レミリアの屋敷がこういう場所だから行きたくなかったのか……?」
「……」
視界の隅に目を動かすと、上海は小さく頷き首肯の意を表す。
「だろうな。見ているだけで嫌な空気だ……」
門にもまだ着いてもないのに遠くからでも居心地が悪く、色彩の為か生理的に敬遠するのは本能による警戒心か。
はたまた人あらず者の為の魔境故に、屋敷の雰囲気が自然と発する息苦し過ぎる威圧感と、重圧感から受ける潜在的な畏怖心か……。
それを考えてみると霧があの屋敷を覆うのを避けてるのも、上海の態度にも至極納得する。
「ふむ……」
上海の態度で思い出したのだが、森近も昨日『こうまかん』と言ってたのはこの屋敷のことだろうか? もし森近が言っていた『こうまかん』が眼前の屋敷に該当するならば、これだけ印象的で周囲の風景から浮いてて且つ、目立つ建物はまずないだろう。
「…………」
……成る程、嫌な予感がすると言うべきか、嫌な予感しか感じさせない屋敷だ。
紅い道を辿ってくと紅魔館の門前に到着した。レミリアが立ち止まり俺もその背後に立ち止まると、彼女は門とその周囲を見回す。
「あの門番め何処に行った? あんな短い時間に強い雨が降ってたから、恐らくは花壇か……」
そう言って再び歩き出すと門扉を押す。門扉には錠前はおろか、鍵穴らしき物体が見当たらなかったのですんなりと開いた。
その際金属独特の錆で軋む音が立たなかったので、蝶番といった類の細部にまで手入れが行き届いているのがよくわかる。
レミリアは開いた門を潜ると、そのまま悠然と敷地内に歩む。……が、俺はその後をすぐには追わず門前で立ち尽くす。
「俺も入っていいんだよ……な?」
レミリアは紅魔館の事を『私の屋敷』といっていたから屋敷の関係者だというのは明白。しかし俺と上海は部外者であり、レミリアが招いた客人として今現在扱われている。だとしたら正式な手順と過程を辿って、このまま門前で待ってた方がよいのではなかろうか……?
「うん? 大丈夫だ。私と一緒にいれば問題無かろう」
「はあ……」
どうにも納得しないが、門を見上げる。門扉は開かれ、屋敷の道を阻む存在はない。
道が開かれた屋敷はまるで大口を開けて獲物を待ち構える魔獣の口腔であり、数は少ないが窓はその魔獣の歯牙を彷彿させ、陽光に反射して飛び込んできた獲物を食い千切る鋭利な牙を連想させる。
門は飾り気が無く、質素そのものではあるが、紅魔館の異様さが相まってかその雰囲気は不気味な空気を更に醸す。
「…………」
j
眼前に紅い屋敷、そしてその威容で異様な屋敷までの道を開けた門を見て、ふとダンテ・アリギエーリ著の『神曲』に書かれている地獄の門に刻まれた銘文が、俺の頭の中に浮かび上がった。
“我をくぐりて汝らは入る 嘆きの町に
我をくぐりて汝らは入る 永劫の苦患に
我をくぐりて汝らは入る 滅びの民に
正義 高きにいます我が創造主を動かす
我を造りしは 聖なる力
いと高き知恵 また第一の愛
永遠の他 我よりさきに
造られしもの無し 我は永遠と共に立つ
一切の望みは捨てよ 汝ら 我をくぐる者”
最後の銘文を現代の文語訳で翻訳すると、『神曲』でも最も有名な「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という言葉になる。
地獄の門の銘文は地獄を指し、その地獄を聖なる威力、比類なき知恵、第一の愛を有する三位一体の神が創造した──と言った銘が云々と記されているが、これはあくまでイメージを彷彿させて、それが俺の目の前の門とその地獄の門が重なって見えただけで、紅魔館は地獄ではない。
しかしこれ程までに寂寥的で、それが作用して畏敬の念が生まれ、“門”という概念とその役割の範疇を軽く逸脱した紅魔館の入り口を担っているこの門に、これ程似合う言葉はなく、紅魔館が地獄という比喩は的を射てるかもしれない。
「何してんだ、さっさと入れ」
「あ、ああ……」
門前で突っ立っているとレミリアにせかされたので思慮に耽るのを中断し、多少警戒しながら門をおずおずと潜って、敷地内に踏み込む。
「────」
すると途端に身体が重くなったかのような錯覚。
門の外で尋常ならぬ空気を発していると言うのに、敷地内に入って更にその空気が重くなった。原因は恐らくその空気を身体と本能が、拒否反応と警告を併発しているからか……。
「居心地悪いな……」
眉を顰め、少しでも不快感を楽にしようと首を回すが無論効果は無い。
この原因は明らかに紅魔館の空気に気圧されて、同時に呑まれたからかもしれない。
でなきゃ肌から感じ取れる嫌な空気の説明がつかない。
「初めて屋敷に来た人間は皆、大抵そう言う」
レミリアが俺の言葉に振り向いてそのような事を呟き、小さな笑みを漏らす。その微笑は俺の言葉に意に介してないどころか、むしろ楽しんでいる様に映った。
「……つまり俺の反応は正常な人間と同じ、って事か」
肩を竦めて俺は嘆息。俺自身、紅魔館に対する反応が過剰過ぎるんじゃないかと感じたが、それでも俺以外の人間も同じ反応をするとレミリアから聞いた途端、ほっとする。
しかし彼女の言葉通りに客観的に紅魔館を見ると、それだけ紅魔館は人間にとって畏怖すべき場所だという事であり、常軌を逸している歪な空間。
「正常……ねぇ……」
そんな俺の様子を見てレミリアは小さく冷笑を浮かべる。
「なんだ……?」
「正常な人間ならそのまま動けなるか、怖気づいて紅魔館から逃げ出すぞ」
普通ならな、とレミリア。そして言葉を続ける。
「その様子じゃお前は、どんな場所でも大抵は順応出来るみたいだが……成る程、それで魔法の森の瘴気にも耐性があったのか」
「……」
俺のような人間は、どんな環境でも順応し適応せねなばらない時と場合があり、その殆どが初めて赴くような場所ばかり。
大半の輩はその環境の差に適応する事が出来ずに体調を崩すか、或いはそのまま風土病で苛まれて体力を消耗して、結果動けなくなる事が多い。
だが紅魔館は違う。例外的ではあるが、根本的に次元が違うのだ。とても人間が悠々と自由快適に暮らせるような場所とは到底思えず、体力や順応力で解決出来る場所ではない。
レミリアの言う通り、確かにそこまでは苦しくはない。……が、ただでさえ居辛く、口も身体を動かすのが精一杯であり、脳裏ではあの森にいた方がまだ良かったという思いが押し寄せ、その提案を懐疑にも思わず、安易に受け入れた己自身の浅慮に後悔している。
頭の中ではそれの繰り返しだ。ずっとずっと……、紅魔館を一目見た瞬間からぐるぐると後悔が……ぐるぐると……。
「ふむ……とにかく、中に入るか」
俺の様子を見て何かを悟ったレミリアは、踵を返して前へと歩く。その悠然とした足取りの後を、重い足取りで俺は追う。
「……」
嗚呼、帰りたい……と、本能と身体が逆の方向へと翻そうとしてるのが嫌でもわかる。
とにかく紅い道を辿り、雨の雫を表面に浮かべたこれまた手入れが丹念なまでに行き届いた芝生が広がる緑豊かな庭と屋敷にギャップ差に唖然としつつ進んでいると、正面に程無く屋敷の中へ通じる扉が見える。
その扉は両開きで、今しがた通った門よりは多少小さく、洋館らしいと言えば洋館らしい小さな木製の扉。
「……」
扉が目についた途端、そこに近付けば近付くほど身体中の筋肉と神経が強張って重圧が増し、それに呼応して胃が蠢動を繰り返して嘔吐感を催す。
消化しきって最早液状になっているだろう、神社で食べた朝食がぐるぐると胃の中を巡っては、今すぐにでも吐き出したい衝動に掻き立てられる。
「──ぐ」
──が、今吐き出したら自身の面目はおろか気を失うんじゃないかと漠然とした不安に陥り、口を強く横一文字に結んで固唾を呑んで何とか堪える。
「……」
俺の様子を案じたのか、上海が俺の横に浮かび、表情を窺う。短い付き合いでおおよそわかっているが、上海は言葉を喋らない。だが何を言いたいのかは上海の雰囲気で察せられるので、正確にとは言えないが多少はその意思を汲み取れる……筈。
「……」
俺は無言で上海の頭を『心配するな』と言う気持ちを篭めて、優しく撫でてやる。
「……」
俺の意図を察したのか、頭を撫でられた上海は俺の腕に手を回してしがみつく様にして密着する。空を飛んでた時と同じく、俺を安心させる為の措置だろう。
「……すまないな」
その上海の気遣いが嬉しく、不安は幾許か和らぎ安堵感に包まれた事に俺は感謝の言葉を述べる。
……とは言え、真綿で首を絞められるように募っていくこの気色悪い感覚、本当に嫌で仕方が無い……。
屋敷の入り口に向かって踏み出す度に、紅に徐々に吸い込まれていくという感覚に蝕まれていく。
比喩にするならば…………そう、底無し沼に近いかもしれない。
気付かずに踏み込んで浸かり、もがけばもがくほど寿命が縮み、助けが来なければやがて身体の全てが呑まれて命を落とす。
紅の道は今の所何ともないが、屋敷の壁に触れた途端、吸い込まれて俺は色と同色に溶け込んで絶命──という嫌な心象風景が浮かぶ。
或いは血を抜かれて塗装材の一部に利用されるか、レミリアの料理の材料にされるかのいずれ。どちらにせよ命を落とすのは確かだ。そこから浮かび上がり、結びつくのはいずれも“死”という終焉の言葉。紅が強すぎるが故に意識が沈めても嫌でも浮上してしまう嫌な言葉……。
「帰るなら今の内だぞ?」
扉の前に着き、レミリアが取っ手を掴んでこちらに振り返る。気付いちゃいなかったが、頭上は屋根状になっているかはたまたバルコニーなのか、入り口は少々薄暗い。
「帰っていいなら……帰るが?」
唐突なレミリアの問いに強張った問いで俺は返す。恐らくレミリアの言葉の起因は俺の様子の変化を察し、このまま屋敷に入れるのは駄目だろうという判断から由来しているのか。
それがもし仮だとしても本当だったら、レミリアのその気遣った言葉に俺は感激し、引き返せるのなら願ったり叶ったりであって、今すぐ走って立ち去るつもりだ。
……しかしそれは此処紅魔館に至るまでのレミリアの言葉は言動と、振る舞いをよくよく反芻してみると確実に、
「冗談だ」
「……」
だった。所謂冗句というもの。一瞬にして嬉しさが愕然に反転し、身も心も虚しさに包まれる気分。
どうせそんな事だろうと思い、予想してた通りの結果に俺は落胆。
絶望から希望へと持ち上げ、希望から絶望へと転落させるレミリアのその態度は、昨日の紫と被っているようで凄く忌々しい。
「そう残念がると私としては正直微妙な気分になるんだが……まあいい、中に入れ」
扉を手前に引いて開き、大人1人が余裕で通れる間を作るとその隙間に矮躯な身を通すレミリア。
「……えと、お邪魔する……ぞ?」
場違いな言葉を発しつつも俺もその後を追い、警戒心を怠らずに慎重に足を踏み出し、次に身をドアの大きな隙間に通して屋敷内にゆっくりと進入する。
「────」
視界に飛び込んできた屋敷内部は広く、最初に目に飛び込んできた光景はとても──
「うわ………………」
紅過ぎるロビー、に尽きた。
小さな呻き声を漏らし、目を押さえる。ただでさえ気分が悪いのに、屋敷の内部まで紅色というのは更に身体と精神に負荷を掛ける。
もう倒れたいもう寝たい……もう気を失いたいという衝動に駆られる。
「ははっ、お前の反応は面白いな」
「笑い事じゃない……」
俺を見てレミリアは肩を愉快げに揺らす。その姿を横目に俺は憮然とする。
「悪い悪い、レイの反応は何か斬新でちょっと楽しいんだ。屋敷の外はともかく、ロビーに来てそんな反応する奴はそうそういないもんだし」
「……そりゃあ……なあ」
取り敢えず頭を上げてロビーを見渡す。ロビーは外観と同じく天井、床、壁が紅一色に染まり上がり、目に優しい保養色とは程遠い。紅い左右の壁にはそれぞれ両開きの木製の扉があり、その数は4、5つといったところ。
またロビーを少し歩いた先にはこれもまた紅色の階段が備えられ、そこをあがると2階に登れるらしく、ここからでは正確に把握出来ないが2階には小さな足場があり、見る限り1階と2階には階層の仕切りが無く吹き抜けなので、階段を登ればすぐに1階を見下ろせるホール構造の造りだ。
恐らくその2階から入り口に入ってきた者を見下ろして姿を見、声を掛けて出迎えるのだろう。来賓を迎える位置としては丁度良く、一見豪奢だが派手過ぎない演出を含めた、……一言で言い表すならば、ロビーの趣きは迎賓館に酷似している。
いや、そもそも紅魔館自体が洋館であり、迎賓館と同類か。だがこの屋敷が建築された目的によっては、迎賓館には該当しないだろうし、仮にもし迎賓館と同じコンセプトに基づいてるのだとしたら一体誰を迎賓するのだ……?
「……」
て、よくよく考えてみれば客だよな、うん。
そんな疑問を心中の隅に置きやり、更に見回すとロビーの天井にはシャンデリア、壁の隅には飾り台が備えられ、その飾り台の上には壷と言った類の骨董品が置いてあるので、内装を凝らしているのが一目瞭然。
しかしそれでも屋敷が紅一色に染まって目立っている為、彩色豊かな幾多の芸術品が壁の色と比べると霞んで見えるので結局目立たず、骨董品という概念を凄く台無しになっているのが欠点だ。
だが何はともあれ、それでもレミリアには美的感覚はあるという事が少しわかったような気がする。
「……」
色のセンスを例外として。その点は吸血鬼だから仕方ないの……か?
「うん、やはり我が屋敷はいいものだ」
和傘を畳み、背伸びをして深呼吸する吸血鬼嬢。やはり自分の領域である場所に帰れたという気持ちで胸一杯に安心したのだろう。
「……と、レイはそこで待ってろ。暫くしたら従者が来る筈だから、後はソイツに屋敷内を案内して貰えばいい」
「レミリアは?」
「汚れ落として寝る。もう限界なんだ……」
ふあ……と小さく欠伸をして、和傘を俺に渡すレミリア。俺はそれを受け取る。
「……吸血鬼は夜行性というのは本当みたいだな」
「まだ私が吸血鬼だと信じてないのか? 世の中は広いし、昼行性の吸血鬼も探せばいるんじゃない? 無論、私は太陽が嫌いだから昼行性では無いな」
はは、と眉を険悪に顰めて口元を小さく歪めるレミリアのその姿は、本当に太陽が憎たらしいというのが窺えた。確かに太陽というのは陽の象徴であり、陰とは反比例の存在。
陰の側であり、陽を嫌う種族の吸血鬼であるレミリア・スカーレットにとっては当然陽は相容れぬものであり、それに嫌悪や憎悪のような感情が浮かんだり反応したりするのは至極当然。
「じゃあ運が良ければ夜にでもまた会おう」
言ってレミリアは背中の翼を広げ、羽ばたいて浮き上がると真っ直ぐ飛んで行き、階段を使わずそのまま2階にあがるとその奥へと姿を消した。
「……え? あ……夜までいるつもりはないん…………だが」
前触れもなく空中に浮遊したので反応が遅れ、俺が声を掛けた時には既に去った後であり、呟いた声はロビーに反響して木霊となって返り、無論返答は無かった。
レミリアも飛べた事に内心驚きに満ち、よくよく考えてみれば翼があるんだから飛べるのは至極尤も。それに魔理沙という前例があるのだから飛行するなんて、と驚愕するのは今更過ぎる反応。
「……はあ」
扉を閉めて入り口から少し離れ、次に不気味極まりない壁に触れて何も影響が無いただの壁だと安全を確認するともたれ掛かり、体重を預けて一呼吸する。
念の為、不意の状況に遭遇した時の事を想定して、いつでも動けるようにと左足に重心を掛けて用心に越すのを忘れない。
「案内してくれたのは感謝してるが、普通最後まで自分で案内するだろ……」
レミリアが消えた2階を見上げ小さく独白。ギブアンドテイクというのは確かにこの紅魔館に到着した直後にもう成立しており、解消したもの。
実際、この紅魔館に到着後はレミリアが案内する必要性が無いのは確かだが、着いたら後は人任せ──いや今から来る従者というのは人かは知らんが──にして、こんな広い屋敷に置いてけぼりというのは放任的過ぎやしないか?
……とも考えたが、それでも着替えや使いである従者を寄越してくれるんだから、まだ俺には義理があって、ギブアンドテイクの相手を眠気に負けた自身から従者に引継ぎをして交代しただけ……というのがレミリアの意図だとすれば、要するに後はここでレミリアが言う従者を俺が待てればいいということだ。
その間従者が来るまで時間が余るだろうから、俺は壁にもたれて目を瞑る。
ただでさえ周りの色が目に優しくないので、骨董品でも眺めて目の保養にでもしようかと考えたが、行動……というより今日を振り返ってみると、精神的疲労が凄まじく、更には身体も冷えて流石に堪えたときた。
よって疲労した身体の状態を考慮すると、少しでも視覚といった感覚を遮断して仮眠状態で休息した方が無難なので敢えてそうしたのだが、いっその事このまま眠りに落ちてしまうのも悪くないとも思った。
──が、どうも屋敷の空気の所為で落ち着かず、同時にそれに併発するように起きる閉塞感と圧迫感のお陰で眩暈と嘔吐感が先程から治まらないので、仮眠状態で休息をしてもその疲れが抜け具合はたかが知れる程度。
こんな物々しい屋敷に落ち着ける場所があるかどうかは知らんが、早急に落ち着ける場所に移動したいものだ……、と俺は胸中で嘆息する。
「……?」
肩から離れ、俺の正面に回りこんだ上海は俺の様子を窺う。そりゃ何も言わずに突然目を閉じたらどうしたんだろう? と思われるだろう。
「……」
が、そんな上海の姿を薄目で捉えつつも俺は何の反応も返さず、静かに目を閉じてレミリアが寄越す従者を待つのだった。