03-05/深紅の女王 Pt. 2
「ん? あの男は昨日の……」
「その隣にいるの──て、うげっ!? 紅魔の吸血鬼じゃん」
「も、もしかして男の人は新しい執事?」
「……にしては随分と汚れてるわね」
「そうだね。乞食みたい」
「失礼な気もするけど、的を射ているのも否めない……」
「……近寄ってみる?」
「止めなよ、男はまだしも吸血鬼は悟られるかもしれないよ?」
「だね。けど仲良さそうに会話してるし、変な人間だね」
「なら触らぬ神に祟りなし」
「だね。神じゃなくて吸血鬼だけど」
「なら静観、静観。奇妙な組み合わせだし何か一悶着起きるかも」
◆
木々の間を縫うようにして歩き、日陰から日陰へと辿ったので多少遠回りながらも、レミリアが転んだり、上海が木の枝に引っ掛かって置いてけぼりにされそうになったり、俺が水溜りに足を滑らせて靴の中がずぶ濡れたりしながら……などなど、最早悲惨過ぎる道中ながらも、何とか香霖堂の側まで来た。
息を吸い、一拍置いた後肺に溜まった空気を吐き出して大きく深呼吸。雨上がりの直後の空気は冷え切って澄んでおり、中々清爽なものだ。
「……」
ガラクタと……ゴミ屋敷さえ眼中になければ。景色を大いに損ねて雰囲気が台無しだ。
「──さて、傘を探すか」
余計な考えを振り払い、香霖堂に足を向ける。
「じゃあ私はここで待ってる」
「? ……中に入らないのか?」
レミリアの言葉に立ち止まり、後ろを振り返るとレミリアは木に寄り掛かって寛いでいる。無論寛いでいる場所は日陰だ。
「わざわざ店内で待たなくてもよかろう? それに陽が差しているからな……」
「わかった。なら行って来る」
と俺は香霖堂の前まで歩く。ガラクタは昨日と変わらず風雨に晒され、風化しているのもちらほらと。
ガラクタに張り付いた水滴が太陽光に反射し、雨水が置物の窪みに溢れんばかりに貯まっている。
「…………」
夏場には虫が大量発生する場所になるな……と、どうでもいい事を思いつつ、ガラクタの間を通り抜けて香霖堂の前まで来ると、ドアを潜る。
「いらっしゃ──おや、レイジ君? それに上海まで……」
「やあ店主、邪魔するぞ」
会計に森近が頬杖を突いていた。その様子から察するとかなり退屈そうで、店内は俺と森近の声以外は至って閑静。雨が先程まで降っていたから、客足が無いのは当然といえば至極当然と言えよう。
それに昨日の会話で俺が帰ったものだと思い込んでいたのだから、森近の反応は正しいと言える。
「ふむ……ここにいるってことは、残ったのかい?」
「ちょっとした事情でな……。幻想郷に暫く居る羽目になった」
「そうかい。僕としては話し相手が増えたようなものだから、少し嬉しいよ」
眼鏡のずれを直す森近。俺としては心中嬉しくないのだがそれはともかくとし、俺は会計まで来ると彼に本題を切り出す。
「それはそうと傘ないか……」
「傘? 雨ならとうに止んだのにどうして?」
「込み入った事情があってな、ちょっと入り用なんだ……」
「傘か……傘……」
俺の言葉に森近は小さく呟き、顎に手を添えて思考を巡らせる。俺はその間店内を見渡して傘を探すが、やはり昨日と変わらず店内は商品が乱雑しており、どこに何があるのやらさっぱり見当が付かず、傘はどこにも見当たらなかった。
これだけ店内の商品が乱雑しており、そんな商品の位置を記憶している猛者がいたら絶句するか、賞賛に値するだろう。恐らく大半の者は賞賛するよりも前者に違いないかもしれない。
「……ならそこに置いてある傘を持っていけば良いよ。ちょっとホコリ被ってて汚いけど……」
と森近は入り口を指差す。その指先を追って入り口に振り返ってみると、その脇に1本の和傘が立て掛けられていた。入り口に立っていた時は丁度視野の死角で、会計の前で店内を見回した時は背後まで確認してなかったから、見なかったのは盲点だった。
「……いいのか?」
「いいよいいよ、レイジ君は魔理沙と違って律儀そうだから、用が済めば返してくれそうだ」
何故魔理沙と比較されるだろうか、と怪訝に思ったが昨日魔理沙が「如何なる人の所有物でもな」──と云々言っていたので、それと関係している様子。
無論俺はレミリアを件の屋敷に届けた後、直ぐに香霖堂に返却に馳せるつもりだ。
「なら借りてくぞ。多分明日辺りには返す」
「わかった。今の時間帯ならいつ来てくれても構わないよ」
じゃあ、と俺は入り口に立て掛けてあった和傘を掴むと香霖堂を退出した。
「──ッ」
ドアを潜って屋外に出た途端、太陽の眩しさに視界を奪われて顔を顰める。
空を仰ぐと鈍色の雲は消え失せ、白色の雲が浮かび、太陽が強い光を放ち我を主張。俺は視線を地面に戻すとすぐさまレミリアが寛いでいる木に向かう。
「……ん~? あったのか」
「私物だがな。取り扱いに気を付けろよ」
木に到着し、森近の和傘を手渡す。その時僅かにだがレミリアの手に触れ、その肌はしっとりとした柔肌で冷たく、その余りにも冷たすぎる手は爬虫類を彷彿させた。
「そうか、店主の……なら丁重に扱わないとな」
木から離れ、和傘を広げる。そして傘布の隅々に手を差し伸べて触れ、状態を確認。
「…………ふむ、多少ホコリまみれだが、穴も無いし使えなくはないな。それに色は伝統的なえんじ色。中々乙ではないか……」
和傘をクルクル回し、ご満悦な様子の吸血鬼娘。
「……さて、傘を提供したぞ。次はそっちが案内する番だ」
とレミリアの提示した条件を満たした俺は、上海の頭を優しく撫でてやる。
「~♪」
上海は頭を撫でられて嬉しそうに身体を揺らす。その滑らかな金髪は移動する前とは違い綺麗に整っておらず、ほつれが見え、しっとりと湿って輝きを失せ、美しき光沢を放つ髪は今や見る影も無い。
上海の髪が何故このようになったのかは、ちょっとした経緯がある。
香霖堂に向かってた際、俺の不注意で肩に乗っていた上海が枝に引っ掛かって身動きが取れなくなり、俺はそれに気付かぬまま先に進んでしまい、直後にレミリアに指摘され捜してみると通ってきた道の枝に引っ掛かって……というか挟まっていた。
すぐさま引き返して身動きが取れずに暴れる上海を何とか宥めながら無事救助し、その後俺に気付かれずに置いてけぼりにされた事に身体で憤りを表現し、問答無用と頬を幾度か叩かれた。当然といえば当然の報いと言えよう。ちっとも痛くなかったけど。
──とまあそんな具合に、上海も俺とレミリア同様汚れてしまった訳である。嗚呼、持ち主に何を言われるのやら……。
「なら行くとするか」
レミリアが歩き出す。その方向は湖であり──
「おい、霧がまだ出てるぞ」
「問題無い」
問題無いって──と口を開く前にレミリアは足早に湖へと歩いて行く。
「……行くしかないか」
聞く耳持たず、といったマイペースな吸血鬼娘の後ろ姿に肩を竦めて嘆息すると、俺はその後をゆったりと走り寄り、真後ろに追随。
「いいか? 私の後について来い。でないと面倒な事に巻き込まれるぞ」
「面倒って……どんな?」
「面倒ったら面倒な事だ」
「……」
全然答えになってない。
「とにかくお前を取って食うつもりは毛頭無いから安心しろ」
そう言ってレミリアは苦笑しつつ前に進み続ける。このまま何を言っても碌な答えが返ってこないみたいだし、黙って従うのが無難か。
そして程無く俺達は霧の中に歩みを進めていた。躊躇せずに霧の中に入ってったレミリアの後に臆せず続き、瞬時にして身体が霧と冷気に包まれる。
その霧は先程の雨で濡れた身体を更に鞭打つかのように肌寒く、冬の環境そのものだった。
「……」
念の為歩きながら濡れた身体の部位を見回し、凍り付いてないかを確認する。
濡れた衣服を着たまま寒い場所を歩き回るというのは体力を激しく消耗し、霜焼け程度ならまだしも凍傷に冒されると服と肌が張り付き、そんな状態で無理に服を脱がしたら肌……表皮まで一緒に剥がれ、更に外気に剥き出しになった肌は裂傷となり凍り付き、それが酷いと死に至る事が多い。
見回すと服は凍り付いていなかった。懸念すべき凍傷の心配が杞憂に終わった事に安堵するが、体感温度が寒い事には変わりなく、このまま長く霧の中にいると凍傷もしくは低体温症になる可能性はまだ少なくないのだ。
こうしてレミリアと会って、霧の中を一緒に歩いてなかったら今頃この場で横たわり身を丸めて寒さに震えていたか、香霖堂で茶を飲んでたに違いない。
──が、そんなことをせずともこのまま長く歩き続けるなら身体は自然と温まって体温の低下を多少は防げるが、濡れている衣服と身体ではむしろ逆効果で時間経過と共に体力を奪い続けるだけなので、そうとなれば早く目的地に着いて欲しいものである。
「……」
「……」
「……」
それから互いに沈黙を保ち、上海も身動きせぬまま霧の中を進む。
霧の濃度は足元や道先を容易に視認出来るので然程濃くなく、尚且つえんじ色の和傘を差すレミリアが良い目印なので見失うなんて事はなかった。
ただそれでも口から吐く息は白く、さながら雪中の進軍。身体が濡れているという過酷極まりない条件付きで。
寒さ凌ぎに両手を擦り合せ早く到着しないかと、レミリアの後ろ姿を見つめながら胸中でせがむ。
……などと、そんな俺の思いが通じたのか、
「……見えた」
唐突にレミリアが短く呟き、歩みを速めて先に進む。俺はその後を遅れない様に地面を強く蹴る様に彼女と同じく、歩みを速める。
うっすらとだが霧の先に巨大な何かが見えた。レミリアを追う様に次第に近付くと謎の存在は明瞭に輪郭を形成し、やがて姿を現す。
「これは……」
人工物の橋。それもレンガ造りのだ。橋の上には古ぼけたガス灯が設置されており、霧の中でぼんやりと灯っているのが窺える。
その灯しは見る者を惹きつける淡い光で、霧を幻想的に演出し、19世紀末のロンドンを題材とした映画でよく描かれる風景みたいだった。
「この橋だ。この橋を越えたらもう屋敷は目の前だ」
レミリアはそう言うと橋に足を掛けて渡る。
その後を俺は追わずに立ち止まり、橋の周囲を見渡す。
橋の周囲は霧に覆われているので視覚はあまり便りにならない。ただ耳朶が捉える微かな音は水音に違いなく、橋脚にぶつかる音にも聞こえる。
推測するに、俺達が目指す場所は湖の上……?
「……」
ここで考え込んでいても埒が明かないのでレミリアの後を追う。
レンガ橋の上はガス灯以外にはこれまたレンガ造りの手摺りしか無く、それ以外に飾り気など微塵も無く殺伐としている。この橋を架けた設計者の「橋としての機能があればいいだけ」……という意図がありありと伝わってくる。
橋の上は岐路が見当たらず、先行者であるレミリアの歩みにも迷いは無い。となると後はこのまま進めばいいだけか。
しかし別の解釈をしてレミリアの行動を捉えると、迷子になったのだが開き直って歩いている様にも俺には見えるので、些か不安が募って気になる。
「お……?」
歩いてくと突如として視界が開けた。同時に足の感触が若干変わったような印象。どうやら霧も橋も此処で終わりらしい。
現在位置を確認する為後ろを振り返ってみると、霧は依然として晴れていなかった。
「……?」
なのでこの場合、霧の範囲外に出たと表現したほうが正しいかもしれない。
だが途切れるようにして霧が晴れているのは些か不自然過ぎる。まるで霧がこの先を覆わないよう意図的に避けてる様にも窺え、警戒しているようにも判別出来る。
「着いたぞ」
「着いたって……ここが?」
レミリアの言葉に正面を見上げると視線の先には洋式の大きな屋敷が佇んでいた。その屋根の上にはローマ数字の大きな時計台がそびえ、その時計台と一体化した屋敷の周囲には高い塀と、正面の大きな門扉が屋敷と外の境界を隔てていた。
その景色は異様の言葉に尽き、特に空と対岸の風景と凄くアンバランスで、至極浮いていた。
「──ッ!?」
途端──嫌な空気が肌に纏わる感覚で鳥肌が立った。
一瞬、寒さで身震いを起こしただけだと思ったが、あそこに近付いてはいけない──と本心が訴えかけ、寒さでの身震いは勘違いだと知らせ、それは恐怖心から沸き起こる身震い……と警鐘を鳴らす。
隔離施設、収容施設……そんな言葉が淡々と俺の脳裏に浮かぶ。
──だが何を隔離していと言うのだ? レミリアのような吸血鬼? それとも単に化け物を隔てているだけ……? ……いずれにせよ、あの場所は人が容易に近付いていけない場所に違いなく、人外魔境とは正にあの屋敷の事を示唆してるんじゃないかと俺は思った。
「…………」
手の平に掻いた汗をズボンで拭い取る。それにしても何とも異様過ぎる洋館だ。洋館の外壁はレミリアの瞳の様に紅く塗装されているのでその異様さと不気味さを更に倍に醸し、その屋敷の前の道も──
「……色が」
紅かった。その紅い色は俺の足元の橋手前から正面の門扉まで伸びており、紅い道はまるで王が歩く絨毯のような、威厳の象徴のような、狂気の象徴のような彩り。
この道があの屋敷に続いているとしたら、俺はとんでもなく恐ろしい場所に来てしまったのかもしれない……。
「ここだ、ここ。さてお前は私が招いたお客人だ。本来なら屋敷の従者が迎えるのだが、予定外だし仕方ないか……」
そう言うと吸血鬼娘レミリア・スカーレットは前に数歩出て踵を返し、俺と上海に振り返るや、
「ようこそお客人」
右手に和傘を掲げ、
左手でスカートを摘み、
「この度はスカーレット家の象徴であり、人有らざるものの魔境であり、化け物の巣窟である屋敷によくぞお越し下さいました」
赤く、紅過ぎる屋敷を背景に恭しく頭を垂れ、
「持て成しには多少難が御座いますが、どうかごゆるりとご満喫下さいませ」
俺にけたたましい警鐘を鳴らせ続けて、
「我が城であり、我が砦であり、我が宮殿であり、我が聖域である」
口元を大きく歪めた不敵で、不気味過ぎる冷笑を浮かべ、
「我が────紅魔館を」
深紅の屋敷へと、俺と上海を誘ったのだった。